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「愚妻」の意味の二重性について
「愚妻」の意味について、Twitter上で論争となっている。
自分の妻を愚かな妻呼ばわりするのは良くないという意見(意見Aとする)に対し、「愚妻」は謙譲表現だから「"愚かな私"の妻」という意味だ!と反論(意見Bとする)をする人が出現して、各方面に飛び火しているようだ。
まず、意見Bは誤りである。日本語には、自分側に属する事物を下げることによって相対的に相手を上げるタイプの謙譲表現が無数に存在する。「愚」「拙」「小」「弊」「粗」などを付けるのはみんなそれだ。
下げるからこそ謙譲語たり得るのであり、「下げていない」というのは、日本語に対する理解を欠く意見である。単なる誤り、国語の試験なら迷わずバツなので、本来「議論」の俎上に乗せるにも値しない。ところがこのバツ回答がかなり拡散されてしまい、鵜呑みにしている人もいるようなので、渋々ながら取り上げた。
ここで誤解してはならないのは、実際に「愚妻」は、「わたしの妻」という意味で用いられてきたということだ。
愚でも拙でも弊でも小でも同じことだが、これらの否定的な接頭辞はあくまで形式的に付されるものであり、通常の場合、真意からの否定的な価値判断は伴っていない。
自社を「弊社」と言う人が猛烈な愛社精神を持っていても、少しも驚くに値しない。侍が威張りながら「拙者を誰だと思うておるのか」と凄むといった字面的には矛盾した発言すら、あまり違和感はない。ネット上で一人称「小生」を使っている人なんて、むしろ偉そうな奴の方が多い気もする。
「愚妻」も同様で、妻を対外的に「愚妻」と呼ぶことは本当に愚かと思っていることを意味しないし、本心かどうかは別として、他人に対して妻を貶す意図すら(普通は)ない。「愚妻」と言う人は、ただ「わたしの妻」の意味の謙譲表現として「愚妻」を用いているのだ。例えば英語のテストの和文英訳問題で「愚妻」が出てきたら「my wife」と訳すべきで、「my stupid wife」とか訳したら減点されても文句は言えない。
とはいえ、「愚妻に"愚かな妻"という意味はない!」と言ってしまえばそれも誤りで、話は振り出しに戻る。文字どおりには「愚かな妻」という意味の言葉だからこそ、「愚妻」はへりくだる効果を持ち、謙譲表現としての意味を得ているからだ。
形式的には「愚かな妻」という意味だが、実質的には「わたしの妻」という意味の謙譲表現。そして、その実質的意味は、形式的意味を前提として初めて成立している。これが「愚妻」の意味の二重性である。
ところで、「拙著」「弊社」「愚考」「小生」といった謙譲表現は基本的にあまり疑問なく受け入れられているのに対し、「愚妻」「愚息」「豚児」といった謙譲表現は、現代では評判が悪い。前者と後者の違いは明確で、後者は下げる対象が「自分以外の人」なのだ。
「愚妻」や「愚息」が実質的に「わたしの妻」「わたしの息子」を意味する謙譲表現であること自体を知らない人は、いないとまでは言えないがごく少数派だろう。しかし、自分でもなく、自分の所有物でもなく、独立した人格のある人間なのに、自分が謙遜するために下げるということ自体が、現代では支持を得にくくなってきているようだ。「愚妻」を批判する人は、「愚妻」が謙譲表現であることを知らないから批判しているのではなく、「そのようなやり方で謙譲するな」と主張しているのである。






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