外国人の見た朝鮮

counter
link
韓国人の国民性 - 韓国のニュースより
韓国の偽物
多くの人物が述べている共通点は、
  1. 朝鮮人はきわめて体格が良い。
  2. 非衛生的である。人間と動物のあらゆる排泄物が流れていて、不快で悪臭に満ち不潔である。
  3. 洗練されていない。

  1. ヘンドリック・ハメル『朝鮮幽囚記』 (1668年)
  2. ベイジル・ホール『朝鮮・琉球航海記』 (1818年)
  3. フランツ・フォン・シーボルト『日本』 (1832年)
  4. イワン・ゴンチャロフ 『フリゲート艦パルラダ号』 (1858年)
  5. 宮本 小一 『宮本大丞朝鮮理事始末 四/2 朝鮮政府接遇記略及風俗概要』 (明治9年, 1876年)
  6. E・J・オッペルト『禁断の国・朝鮮』 (1880年)
  7. W・R・カールズ『朝鮮風物誌』 (1888年)
  8. G・W・ギルモア『ソウル風物誌』 (1892年)
  9. ジョージ・N・カーゾン『極東の諸問題』 (1894年)
  10. A・H・サヴェジランダー『朝鮮-静かなる朝の国』 (1895年)
  11. 時事新報 『事実を見る可し』 (明治30年, 1897年)
  12. イザベラバード 『朝鮮紀行』 (1898年)
  13. リリアス・H・アンダーウッド 『まげの国の一五年』 (1904年)
  14. アンガス・ハミルトン 『朝鮮』 (1904年)
  15. ウィリアム・グリフィス 『隠者の国・朝鮮』 (1905年)
  16. 荒川五郎 『最近朝鮮事情~朝鮮の人々』 (明治39年, 1906年)
  17. H・N・アレン, 『朝鮮見聞記』 (1908年)
  18. F・A・マッケンジー, 『朝鮮の悲劇』 (1908年)
  19. H・B・ハルバート, 『朝鮮滅亡』 (1909年)
  20. 朝鮮総督府 『米国観光団の朝鮮人観』-『朝鮮人の思想と性格』より (大正13年, 1924年)
  21. 朝鮮総督府 『調査資料第二十五輯 民間信仰 第一部 朝鮮の鬼神』 (昭和4年, 1929年)
  22. W・F・サンズ, 『極東回想記』 (1930年)

ヘンドリック・ハメル『朝鮮幽囚記』 (1668年)

Internet Archive

ヘンドリック・ハメル(生田滋訳)『朝鮮幽囚記』東洋文庫132, 平凡社

ヘンドリック・ハメル(Hendrick Hamel、1630年 - 1692年)は朝鮮王朝をヨーロッパに紹介した最初の西洋人である。彼はそこで13年間過ごした後、「朝鮮幽囚記、1653-1666」を書き、1668年に出版した。

ヘンドリック・ハメルはオランダで生まれた。1650年に、彼はオランダ領東インドに行き、オランダ東インド会社(VOC)の会計係として働いた。 1653年に、「デ・スペルウェール」(De Sperwer) 号に乗船して日本へ向かう途上、ハメルと35人の乗組員は朝鮮の済州島で致命的に難破したが生き残った。 地方長官の保護の下、済州島で約1年を過ごした後に、1655年6月、朝鮮王朝の首都ソウルに赴いた。そこは孝宗(1659〜1659年)が王位にあった。 当時の外国人の慣例的扱いにより、ハメルとその乗組員は国外に出ることを禁じられていた。しかし、彼らは滞在中、朝鮮社会で比較的正常な生活を送る自由を与えられていた。

1616年9月、朝鮮で13年間過ごしたハメルとその7人の乗組員は日本に逃げ出した。そこはオランダ人が出島と呼ばれる長崎の人工島で小さな貿易使節団を運営していた。 ハメルが朝鮮でのできごとを書いたのは、長崎にいたこの時(1667年10月から1666年9月)である。 1667年後半に、ハメルと乗組員は、ここからオランダ領東インド諸島のバタヴィア(現在のジャカルタ)へ出帆した。

  • すなわち夫を殺した妻は、多くの人々の通る道傍に肩まで土に埋められ、その傍に木の鋸が置かれます。そしてそこを通る人々は貴族以外は彼女の頸をその鋸で挽いて死にいたらしめなければなりません。…… 夫が妻を殺した場合、それについて然るべき理由のあることが証明できる場合は、その理由が姦通であってもなくても、その罪によって訴えられることはありません。…… 過失致死犯は次のようにして罰せられます。彼等は酸っぱい、濁った、鼻をさすような匂いのする水で死者の全身を洗いますが、彼等はその水をじょうごを使って罪人の喉から流し込めるだけ流し込み、それから胃の所を棒で叩いて破裂させます。当地では盗みに対しては厳重な刑罰が課せられていますが、盗人は非常に沢山います。その刑罰は足の裏を叩いてしだいに死にいたらしめるのです。 (p.41)
  • 一般の人々は彼等の偶像の前で、ある種の迷信を行います。しかし彼等は偶像よりも自分の目上の人に対してより多くの敬意を払います。大官や貴族は偶像に対し敬意を表するということをまったく知りません。なぜならば彼等自身がそれよりも偉いと考えているからです。 (p.43)
  • 大官たちの家は非常に立派ですが、一般の人々の家は粗末なものです。これは自分の考えに基づいて家を建築することは誰にも許されていませんし、総督の許可なしに屋根を瓦でふくことも許されていないからです。 (p.46)
  • この国民は妻を女奴隷と同じように見なし、些細な罪で妻を追い出すことがあります。夫は子供を引き取ろうとはしませんので、子供は妻が連れて行かねばなりません。したがってこの国は人口が多いのです。 (p.48)
  • 教師は子供たちに対してつねに先人の学識と、高い学識のおかげで出世した人々のことを例に挙げます。子供たちは昼も夜も勉強にはげみます。こんな幼い生徒が自分の習う知識の大部分を含む書物を立派に説明することができるのは、驚くべきことです。 (p.49)
  • 「彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。 したがってある人が取引でだまされた場合、その取引を破棄することができるという習慣があります。 馬や牛の場合は3、4ヶ月過ぎると時効になります。土地や不動産の場合は引き渡しの行われる前であれば破棄することができます。」 (p.52)
  • 彼等は病人、特に伝染病患者を非常に嫌います。病人はただちに自分の家から町あるいは村の外に出され、そのために作られた藁ぶきの小屋に連れて行かれます。そこには彼らを看病する者の外は誰も訪れませんし、誰も彼等と話をしません。その傍を通る者は必ず病人に向かってつばを吐きます。病人を看病してくれる親戚を持たない人々は、病人を看病に行かないで、そのまま見捨ててしまいます。 (p.53)
  • この国はタルタル人がこの国の主人となるまでは、非常に豊かで楽しい国で、人々は食事や飲酒や、その他考えられるあらゆる楽しみにふけってばかりいましたが、現在では日本人とタルタル人のために国土が非常に荒らされてしまいましたので、凶作の年には食糧が充分に行き渡るかどうか危ない状態です。それは彼等が重い貢物を、特にタルタル人に納めなければならないからで、タルタル人は通常年に三回それを徴収に来ます。 (p.53-54)
今も、詐欺は日本の10倍以上(韓国・趙甲濟.com)、
偽造犯罪は、日本より20倍(韓国・中央日報)、
偽証罪は日本の857倍、誣告罪は1085倍(韓国・民族新聞

韓国の検事が書いたベストセラー『検事内戦』によると、 「(韓国は)詐欺共和国だ。1年に24万件、2分に1件ずつ行われる詐欺による被害額は、毎年3兆ウォン(約2677億円)を超える。」

忠清南道論山市のビニールハウスのイチゴ収穫
(韓国・聯合ニュース)
日本の栃木県の「とちおとめ」や農家が開発した「レッドパール」「章姫」などが無断持ち出しなどで韓国に流出し、 韓国はそれらを交配させて「雪香(ソルヒャン)」「梅香(メヒャン)」「錦香(クムヒャン)」という品種を開発した。アジア各国への輸出も盛んで、日本を上回る。
韓国では、「日本のロイヤリティの要求を退け、国産品種を開発した」として、「うまくやった話」になっている。 (韓国・聯合ニュース)
無断で持ち出した韓国の農家は、韓国では英雄である。
とちおとめ レッドパール 章姫 雪香(ソルヒャン) 梅香(メヒャン) 錦香(クムヒャン)

レッドパールと章姫を交配

章姫と栃の峰 (とちおとめの親)を交配

とちおとめと章姫を交配
(盗まれた農産物 http://orientals.web.fc2.com/koreanfake25.html

ベイジル・ホール『朝鮮・琉球航海記』 (1818年)

ベイジル・ホール(春名徹訳)『朝鮮・琉球航海記』岩波文庫

ベイジル・ホール(Basil Hall、1788年 - 1844年)は、19世紀のイギリスの海軍将校、旅行家、作家。インド洋、中国、朝鮮、琉球、中南米、北米各地を航海したことで知られる。 バジル・ホールと記述されることも多い。王立協会会員(FRS)。

Internet Archive
  • 「これらの人々は、落着きと無関心がないまぜになった尊大な態度の持主である。また、好奇心を欠いている点でも、われわれに強い印象を与えた。 身ぶりや絵によってわれわれが何を質問しているのかがあきらかになったときなど、彼らはしばしば嘲笑い、それを無視したのである。」 (p.28)
  • 「このおかげでわれわれは、彼らが均整のとれた、たくましい四肢を持っていることを観察することができた。 しかし、この身体や、肩までたらしたざんばら髪は、じつに野蛮であるとしかいいようがない。」 (p.36)
  • 「このように老人が、きわめて異なった習慣をもつ人々の間にまじって、礼儀正しく、しかもやすやすと順応していった様子には、まことに敬服すべきものがあった。 そして彼がこれまではわれわれの存在すら知らなかった可能性が高いことから考えると、その礼儀正しい振る舞いは、彼が自己の社会において高い身分を占めていることを示すだけではなく、 その社会そのものが文明の高い尺度に位置していることをも如実に示していたのである。」 (p.62)
  • 「一方、家のなかは暗くて居心地が悪かった。むき出しの土の床はでこぼこ、壁は煤で黒ずみ、何もかもがきたならしくみえた。 」 (p.76)
  • 「それでも留めることができないとみると、一人の男は、私の胸をつかんでいやというほどつねった。 私はふりかえりざまに大声で、『何ということを!』 (Patience, Sir!) と、叫んだ。男は、私が不快を感じたことをみてとって手を放したが、つぎの瞬間には、 Patience, Sir! と自分も叫んだ。 これを聞いた他の者たちもその真似をして、しばらくの間は、 Patience, Sir! という言葉だけがあたりにとびかったのである。誰の発音も申し分なく完璧であった。」 (p.80)



フランツ・フォン・シーボルト『日本』 (1832年)

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(尾崎賢治訳)『日本・第五巻』雄松堂出版, 1978

フィリップ・フランツ・バルタザル・フォン・シーボルト(1796 – 1866)はドイツの医師・博物学者・旅行家。 彼は日本の植物相と動物相の研究と日本へ西洋医学を導入し著名な成果を収めた。

Internet Archive
  • 「朝鮮人は日本人より背丈が高いが、それでも五・五フィートを越えることはめったにない。体躯たくましく、体型は均整がとれており、活発、機敏である。」 (p.4)
  • 「朝鮮人の態度はまじめで落ち着いており、ときには快活で、あけっぴろげである。歩き方はしっかりしていると同時に機敏である。 姿勢は一般に日本人のそれより自律性と自由さに富んでいることをうかがわせる。 また、物腰からも日本人や中国人よりエネルギーと戦闘的精神を強く放射している。 しかし精神的教養と生活の洗練という点では、朝鮮人は同じ階層の日本人よりかなり劣る。 またわれわれが一番低い階層の日本人を見ても感心する共同生活におけるあの巧みさや高いレベルの暮らし方も、朝鮮人にはない。 彼らは正直、忠実で、人がよいということであるが、彼らを清潔、親切だとしてほめる気はあまりしない。 彼らは健啖で、アルコール類に目がなく、日本人よりはるかにアジア的なのんびり傾向が強いようである。」 (p.4)
  • 「王位継承のさいは中国皇帝が叙任権を行使し、貢物を受けとるといわれている。 少々きびしい見方をすれば、中国の家臣と解釈できるこの関係は、現在中国を支配している清朝が武力をもってこれを強制した一六三六年以来のことと記されている。 一五九二年から一五九八年における日本の将軍秀吉(通常は太閤と呼ばれる)の侵入以来、朝鮮は日本に朝貢の義務を負っている。というよりむしろ日本とは善隣関係にある。」 (p.34)
  • 「朝鮮の工業技術は隣国の中国や日本と比べてずっと遅れているように思う。 木工は断然といってよいほど遅れており、陶磁器の作りはひどく粗末である。鉄器、特に刀その他の刃物は価値が低い。 しかしそのほかでは非常に美しい光沢の絹物、繊細な馬毛の編みもの、もちのよい綿布、すぐれた紙および蝋紙がある。」 (p.38)



イワン・ゴンチャロフ 『フリゲート艦パルラダ号』 (1858年)

Internet Archive 英訳:Klaus Götze

イワン・アレクサンドロヴィチ・ゴンチャロフ(1812 - 1891)は、ロシアの作家。 1852年から1855年まで、イギリス・アフリカ・日本に旅し(1853年に長崎に来航)、プチャーチン提督の秘書官としてシベリアを経由して帰国。1858年にその紀行文『フリゲート艦パルラダ号』を刊行。

  • 朝鮮人は琉球人に最もよく似ているが、琉球人が小柄なのに比べ、朝鮮人はきわめて体格が良いという点で異なる。 (p.526)
  • 概して彼らの態度や客のもてなし方は、同じ中国文明に属す日本人や琉球人に比べて粗雑である。 (p.528)
  • あらゆるものがあからさまで、見るからにみすぼらしく悲惨だった。したがって、住民がわれわれに食糧を供給できなかったのは当然である。 なぜなら、彼らは自分が飢死しない程度の食糧しか持っていないからである。 (p.528-9)
  • 朝鮮人たちはわれわれの後をつけて来た。背が高く健康な民族で、荒々しく赤黒い顔と手を持つ運動選手のようだ。 彼らは日本人と違って優しくもなく、洗練されてもおらず、お世辞も言わず、琉球人のように小心でもなく、中国人のように理解が早くもない。 朝鮮人からは、有名な軍人が出るのがふさわしい。そんな彼らが中国式の学問に感染し、漢詩を書いているとは! (p.538)



宮本大丞朝鮮理事始末 四/2 朝鮮政府接遇記略及風俗概要 (明治9年, 1876年)

国立公文書館アジア歴史資料センター
明治9年(1876)、日本政府は、日朝修好条規を協議するため、宮本小一外務大丞をソウルへ派遣した。宮本小一は、朝鮮国にて国賓としての歓迎を受け、帰国後に、朝鮮政府接遇記略及風俗概要、を書いている。 これには、当時の朝鮮国の衣食住や人々の風俗がよく描写されており、とても興味深い。その中から朝鮮国の「宮廷の料理」について書かれた部分を抜粋する。
  • 食事について
    食事は1日2回で、たいてい10種類から18種に至る。三尺四方ばかりの有脚盆に、うずたかく盛り上げて、倒れ落ちるのを恐れるばかりである。 牛豚鶏魚の肉、草餅、羮汁など、みな、器、皿に堆積する。しかし、臭味がひどく箸を下す者が少ない。 炎熱の時節でもあり、その異様の臭いに堪えきれず、胃腸も慣れないこともあって、食傷を恐れて箸を下す者が稀であった。
    なお、庶民のものは不潔で食べるべからずと言う。なおメニューにキムチは見当たらない。
  • 味付けについて
    また、たいてい胡椒と唐辛子を加えて調理しており、この2味を用いないものは無いも同然である。それゆえに朝鮮人は咽喉への刺激により、一種の咽喉の病気を受ける者が多いと聞く。醤油は上品下品とあって、極上品は日本製に及ぶが、値段が高すぎて容易に得ることは出来ないと言う。下等品は不味くて食せない。味醂はない。砂糖も無いので蜜を代用している。牛乳は用いない。
  • 米について
    米は日本のものと似るが、粘質に乏しく日本の下等品よりも劣る。

  • 膳台や食器について
    盆や膳類は、漆が剥げ落ち、垢がついてすべて不潔さを感じた。磁器皿の類は、日本伊万里の下等品および呉洲のものが混じる。朝鮮のものは、質が厚くて粗雑で石のように重い。いずれも汚れたような不潔さを感じる。



E・J・オッペルト『禁断の国・朝鮮』 (1880年)

Internet Archive

エルンスト・ヤーコプ・オッペルト(1832年- 1903年9)はドイツのユダヤ系(当時のドイツ連邦、後にドイツ帝国)の実業家。

  • もし彼らがヨーロッパ風の服装をしていたら、彼らをヨーロパ人と間違えたかも知れない。 そして美しくすばらしい容貌とバラ色の肌、そして赤褐色の髪と青い瞳を持つ多くの子どもたちは、ヨーロッパ人の子どもと区別するのが大変難しかった。 (p.9)
  • ソウルの通りは中国の一般的な都市の狭い街路よりは広いが、官庁や両班の住宅やさらに言えば王宮さえも、中国の比較的大きな都市にある富裕な階層の住宅とは比較にならない。 中国の都市に見られる多様な色相で華麗に装飾された大きな寺院は、ソウルには見出せない。 家屋はたいてい泥で作られた平屋でみすぼらしいため、ソウルが朝鮮のような国の首都だという印象をまるで与えない。 (p.30)
  • 朝鮮と中国の関係で、朝鮮が中国の支配を受けて来たという一般的な見解はまったく誤ったものである。もちろん数百年前に、朝鮮の王は中国の皇帝に君臣の礼をとった。 しかしその頃の従属関係でも、宗主国の権限はきわめて制限されており、朝鮮は独自の権利を行使できたし、それさえも弛緩し隷属関係も消滅して久しい。 (p.33)
  • 官吏らは在任期間中に住民の安寧をはかることにほとんど関心を持たない反面、自分に不利益にならないようただ搾取を通じてさっさと納税金を取り立て、裏金を貯め込むことに熱中する。 彼らはみな任期が短いだけに、包括的で速かに搾取しなければ不労所得を稼げないと考える。 (p.39)
  • 独特で高い水準の文化を誇り、文明化された暮らしを営んでいると公言できる国の中で、朝鮮ほど民族の起源や歴史に関する文献が不完全で不足な所も珍しい。 学者然とした朝鮮人のうち、誰も自分の国の歴史を記述しようとしたり、それができる人はいないらしい。彼らは中国や日本の史家が残した記録が、付け加えることがない完全なものだと信じているようでもある。 (p.48)
  • 朝鮮はタイ(Siam)と同じく自主的な独立国家で、過去に締結したり同意したいかなる条約も、今日では紙くずに過ぎず、また忘れられて久しい。 誰よりも朝鮮人自身が、そのように考えている。 (p.82)
  • 私が見るところでは、アジアのあらゆる民族の中で朝鮮人ほど純粋で真摯な信仰心を持てる民族はなく、また一度キリスト教に改宗した朝鮮人は中国人よりもずっと心の深い所から教理を受け入れ、より誠実で堅固に固守するということを私は主張したい。 (p.118)
  • 節度ある敏活な歩き方を見ると、朝鮮人は中国人のように動作が柔軟で闊達に見え、日本人に比べ体躯が大きく壮健である。また彼らは日本人よりも活気にあふれ、挑戦的な態度を見せる。 彼らは身体的・精神的に日本人よりも優越だが、礼法が欠けているため、文化的な慣習面では中国や日本の下層階級と比べても品行が劣る。 (p.130)
  • 私は朝鮮女性の容貌が男性に劣らず魅力的だろうと予想していたが、実際にこのような推測を満たす機会を持てたことがある。 (p.133)
  • 疾病に対する朝鮮人の知識と治療法は、予想どおり原始的な段階を脱け出せずにいる。したがって主に薬草を利用した治療に限られた医術は、十分な水準に至っておらず、むしろ病気を悪化させる。 そのため患者には最も合理的な処方が要求される。朝鮮の医術は中国にも劣るため、韓医たちはあまり尊敬されていない。 (p.135)
  • 概して朝鮮の家屋は近隣諸国に比べてひどくみすぼらしい印象を与え、朝鮮の建築様式が中国や日本の水準に至るには大変な努力が必要だろう。 (p.138)
  • 中国人がヨーロッパの音楽を蔑視し、芸術全般に対しても自分たちとは比べものにならないとでもいうように同情を寄せるのとは異なり、朝鮮人はヨーロッパの音楽を理解する方法を知っており、非常に楽しんで聞く。 それは朝鮮人が決定的に、音楽的素養に恵まれているためである。 (p.143)
  • 中国や日本ではきわめて大衆化している演劇やその他の公演のような演芸が、朝鮮ではまったく欠けている。 これはおそらく部分的には、朝鮮固有の文学が欠如していることによると思われる。他方では朝鮮人の文化的水準が低く、こうした種類の芸能には感興を感じる能力がないためである。 (p.144)
  • 既に言及したとおり、朝鮮人々はおおむね正直で善良であり、殺人や強盗のような重罪を犯す場合は稀である。 (p.145)
  • 朝鮮人の産業技術と技量は、アジアの他の民族に比べてずっと劣っている。こうなった決定的な理由は、抑圧的な政治体制に起因する。政府は政治的な目的と動機から産業発展に無関心で、甚だしくは直接的にそれを押えつけさえした。こうした情況は朝鮮の産業発展を支える土台から既に脆弱で、したがって現在の政治体制が変わらなくては、いかなる発展も成し得ないことを立証している。 (p.174)



W・R・カールズ『朝鮮風物誌』 (1888年)

Internet Archive

W・R・カールズ (William Richard Carles, 1846~1929) は英国の外交官で、1867年に北京駐在英国公使館の翻訳留学生として経歴を開始し、1901年に引退するまで、ほとんど中国で中国語の専門家として活躍した。 朝鮮は二度訪れており、まず1883年11月から12月にかけて、江原道金化を中心に鉱山の調査に従事した。 いったん中国に戻ったが、翌1884年に北京総領事パークス (Harry Parkes, 1828~1885) が条約締結のため訪朝した際に同行し、5月に高宗に謁見した。 カールズは済物浦駐在の副領事に任命されたが、9月には北部旅行に出発し、平壌、義州、江界、元山を経て11月にソウルに帰着した。 当時の商工業の水準や日本人の進出、女性の地位をはじめ社会風俗に関する記述が豊富で興味深い。

  • われわれはすぐに、日本家屋が立ち並ぶ一帯を通り抜けることになった。これらの日本家屋は、最近外国人たちとの商売で大きな利益を上げている小商人たちが建てたものだった。 こうした種類の家は、あえて比較するなら、日本領事館のような高級建築と、そこで働きながら仮住まいをする朝鮮人たちのあばら家の中間程度だった。 日本家屋はすべて魅力的な反面、朝鮮人たちの家は、通風装置がまったくなっておらずにおいがひどい道路の両側に散らばって立つ、草ぶき屋根と土塀の家だった。 (p.16-17)
  • 身分が低い他の女性たちは子どもに乳を吸わせ、家の門の前をうろついたり家事をしたりしていた。 長衣を着けない彼女たちの顔は、天然痘をわずらった痕跡と、重労働の卑賤な待遇を受けたことが歴然としていた。 肩の上に着る短く窮屈な服は、乳房をあらわにしており、彼女たちの陋醜な服とみすぼらしく不潔な所に住む様子を見て、われわれは朝鮮女性たちに対し好ましからぬ印象を持つようになった。 (p.28)
  • 朝起きてみると、大型カバンがなくなっていた。捜索をして、船首でそれをすぐに見つけたが、私が朝鮮の骨董品を買おうと持って来た数ドルの金は既になくなっていた。 朝鮮人の従僕がその金を盗んだことは、疑うべくもなかった。彼は釜山に行く途中で、私のカバンの中身を見たことがあった。上陸する前に彼を身体検査したが、なくなった金は出て来なかった。 彼は私に笑みを浮かべて惜別のあいさつをして、次に会ったときも同じようにあいさつした。田舎に行くと部屋が不足なため、われわれは荷物を露天に置いておいたが、荷物がなくなったことはなかった。 このような点から見て、朝鮮人は西欧の文物が入ってくる前は正直だった。しかし西洋の文物が入って来て後では事情が大きく変わり、窃盗に対する適切な処罰が必要だという話をわれわれはよく聞いた。 (p.81)
  • きわめて経済的な日本人でさえ、朝鮮で貿易をすることが決して金儲けにならないと考えるほどだ。多くの日本の貿易業者が、朝鮮での事業に失敗した。またこの地域で事業を行うわずかなヨーロッパ人たちは、自分たちが輸入する商品に対する銀貨支給や現物支給の方法が難しいと不平を言っている。 (p.101)
  • ところが平安監司は突然話題を変え、ゴッチェ博士と朝鮮政府の関係や彼の旅行目的について尋ねた。そしてそれと同じように平安道の資源、貿易、人口に対する質問をあげ、私はひどく苦しかった。彼は私の旅行目的に対し警戒している様子で、礼儀にもとることを言い、自分の国のあらゆることを非難した。彼はいかなる貿易の存在も認定するまいとした。彼の言葉によると、大同江もまったく運行に耐えず、鉱山も価値がなく、ほとんど3000年の歴史を持つこの都市には関心に値するものはひとつもなく、陶磁器や青銅等のいかなる商品も購買する価値がないと言った。 (p.160)
  • 観察使が私を訪ねて来て長いこと居座り、私が持っている異国的な品物に強い関心を見せた。彼は特に西洋の革製品の際立った仕上がりに驚き、それが使われる用途の数をほとんど信じようとしなかった。彼は価格について尋ね、私が彼に見せてやった少数の品物の価格にひどく驚いた。最後に彼は押さえつけていた感情をあらわにした。「朝鮮はひどく貧しい国です。朝鮮には金も製品もありません。われわれは外国製品を買うだけの余裕がありません。」もちろん私は彼に朝鮮の貿易を発展させられることを願うという印象を与えた。しかし彼は私の言うことにほとんど関心を見せず、多少沈鬱な様子で出て行った。 (p.169)
  • すべての朝鮮人は鄭重だが、県令の態度はさらに鄭重だった。彼が私のために用意した部屋は、気分がよい程度に清潔で、彼は私にもう少しとどまるよう鄭重に勧めた。 しかし少し長くとどまるには、日程があまりに多く遅滞していた。彼は私が自分の管轄地域内にいる間、自分の小間使いと同行するよう勧め、多くの真情あふれる言葉で私の旅行を督励した。 (p.190)
  • われわれが義州を発つ日に、3ヶ月に1度開かれる市場が開かれた。相当な数の人々が既に都市に集まっており、他の人々は他の道から来る途中だった。 しかし私は、市場で記念品として買って行くほどの物を見つけられなかった。私はソウル近郊にいるものよりずっと劣る家畜に大きく失望した。 (p.208)
  • 江界で印象的だったのは、県監の随行員の中に女性がいたという点だ。私が答礼で彼を訪問したとき、彼はごくわずかな男子随行員しか連れておらず、一般的に朝鮮の官衙で働く少年たちは一人もいなかったが、顔を隠さない数人の女性たちがいた。私がさらに驚いたことは、県監が彼女たちの美貌をどう思うかと私に意見を尋ねた点だ。その少女たちは、県監自身と同じくらい私の答えを聞きたがっているように見えた。幸い彼女たちの器量について良く言うのは簡単だった。なぜなら彼女たちは背が高く体躯が優雅であるのみならず、彼女たち自身が体をよく管理しており、天然痘の痕もなかったからだ。彼女たちは明らかに、私が見た朝鮮の女性たちのうちで最高の美人たちだった。 (p.241-242)
  • ある都市が清潔な都市だと呼ばれる権利を持つとすれば、元山こそその都市だ。 日本人たちの高級住宅、広い道、都市を二分して流れる河川、その前に広がる海。他の都市と比較して見ると、この都市は私にはとてつもなく清潔に見えた。 (p.275)



G・W・ギルモア『ソウル風物誌』 (1892年)

Internet Archive

G・W・ギルモア (George William Gilmore, 1857~?) は米国の神学者で、プリンストン大学を卒業しニューヨークのユニオン神学校で神学を学んだ。1886年7月、ギルモアは妻を伴い、ハルバート (Homer B. Hulbert) やバンカー (Dalzell A. Bunker) とともにソウルの育英公院の教師に赴任した。しかし学生たちの向学心のなさに失望し、1889年に帰国した。

  • 人々は怠け者で、放心しているように見える。村は非衛生的で、家々も興味を引かない。観光客の記憶に皮相的にでも残るものがあるとしたら、ただ長居をしたという記憶の他にはない。 (p.17)
  • ある人が相当な量の金を貯蓄しているという事実が知られれば、官吏たちは借用を要求するだろう。万一それが拒絶されれば、その人は何種類かのでっち上げられた罪状で投獄されるだろう。その罪人ならぬ罪人は、その要求を充足するか、頑固に切り捨てることでその官吏たちに自分の安全を憂慮させるか、自分の親戚たちが要求額を支払うか、あるいは何らかの妥協案を出すまで、毎朝鞭打たれるだろう。 (p.28)
  • 固有言語とともに、通信文や公式文書等々の媒体として漢字が通用するという事実を、われわれは知っている。固有言語で文を書かないわけではないが、高級文学では固有言語を使わず、安価な小説類でのみ用いる。ほとんどすべての哲学・宗教・倫理に関する文は、漢字で書く。このような事実は、中国の文化と文字が朝鮮半島を掌握していることを示している。中国の孔子や孟子の古典が、ここでは聖典として通用しており、学者を自認する人は必ず漢字をたやすく読めて速く書けなければならない。それが出世の方便で、さもないと官職につけない。朝鮮人男子の1/3以上、もしくは1/2が両方の文字に堪能だが、その理由は出世のためである。 (p.63)
  • 朝鮮半島にやって来た人さえ、この国の国民の体格に関する誤った印象を持っているのが事実である。旅行者や新聞社の特派員らは、朝鮮人の背がまるで平均よりずっと高いかのように述べたり記述したりするが、これには二種類の解釈が可能である。第一は、日本や中国を訪問したりそこに住んでいた人が、そこの国民の背の低さを見慣れた後で、それに比べて大きい朝鮮人の間にいるときには、自然に朝鮮人が拡大されて見えることである。第二は、朝鮮人の服装のせいである。 (p.75)
  • 朝鮮人の体格は、彼らの地理的位置のように、中国人と日本人の中間に思われる。平均して後者よりかなり背が高く、多分前者の平均には達しないと思われる。 (p.77)
  • 日本を旅行すれば、人々の間にある種の活気が感じられる。日本女性の目には、ほとんど常に楽しげな快活さがあり、愉快な生気を発している。そして彼女らの目は、微笑に応えるよう誘惑する。 彼女らの人生は、遊びや遠足のように見える。ところが朝鮮女性には、このような活気や快活さ、そして生気のようなものが不足している。 彼女らの人生は深刻で真摯だ。したがって憂鬱さが、朝鮮女性の特徴的な姿である。 (p.79)
  • 一方では、朝鮮人は日本人ほど気まぐれではない。1890年春のように、現在も日本人はまったくどうということのない理由で抵抗の意思がない外国人を、群れをなして襲撃したりする。しかし朝鮮に長く住んでみた人々は、この国が日本人の気まぐれさよりは中国人の沈着さにより近く、国民をより高い水準の生活に導き得る立派な感覚の底流があると考えている。 (p.85)
  • 朝鮮人のまた別の特徴は、祖国に対する愛である。かれらの熱誠的な愛国心は、スイス人に劣らない。 (p.89)
  • 朝鮮人は、清潔さの問題では多くの非難を浴びるだろう。東洋では警句を学ぶ。外国人たちは、朝鮮人をさかなにジョークを言うことを好む。 ある英国人は、朝鮮では最も清潔だという人物が、彼がこれまでに見た中で最も汚い人物だったと言ったことがある。彼が意味するところは、朝鮮人が地球上で最も汚い人々だということだ。 (p.92)
  • 朝鮮人たちは家庭的で、一般的に純粋である。純粋さという面で見れば、彼らは隣人である日本人よりずっと高い。 (p.106)
  • しかしだからと言って朝鮮の婦女子が、生活面でなんら影響力がないと受け取ってはならない。王妃は王と同様にきわめて強力な影響力を行使しており、実に多くのことが王妃の意に沿って行われているということは、広く知られた事実である。 (p.106)
  • 朝鮮で疑う余地もなく国家の発展を妨げている伝統があるが、それは他でもない両班たちである。たとえ自分の財産で暮らしを建てて行けなくても、彼らは生計のために肉体労働や生産活動をすることはない。両班は飢えても物乞いをしても、働くことはない。親戚の援助を受けたり妻が生計を建てる場合でも、両班は絶対にその手で土を触ることはない。 (p.111)
  • 前の章では朝鮮人の際立った特徴として、謹厳さを保持する反面、決して楽しみを避けるわけではないことを示す事項を十分に説明した。彼らは精神面で日本人ほど軽薄ではないが、だからと言って中国人ほど鈍感でもない。 (p 158)
  • 朝鮮人の知的能力は優秀である。しかしわれわれは、単純に記憶力を養うだけの学習を警戒せねばならないという事実を悟った。そうした学習はひたすら文章に依存し、後に引用できるようにする貯蔵作業に過ぎない。それにもかかわらずわれわれは、彼らが立派な論理学者で、聡明な数学者であり、才能によっては前途有望な哲学者であることを知った。 (p.231)
  • 士官候補生たちは、起床点呼ラッパの音を聞いても起きて来なかった。兵士たちは、どんな軍事訓練もほとんど受けなかった。一糸不乱さや時間厳守などというものは、全く見られなかった。 軍人たちは単に飯のために服務し、軍人精神がなかった。教官たちは歓待と高い待遇を受けた反面、将校たちの怠慢と無関心、そして不信のため軍事装備を効果的に使えなかった。 (p.236)
  • 朝鮮は独立国なのか、それとも中国の属国なのか? これに対する結論は、簡単には下せない。 (p.250)
  • 公式的に見ると、日朝関係は最も優秀である。朝鮮の庶民と日本の商人の間で、ときに心理的な摩擦があるが、これは日本人が無理やり取引に持ち込んで途方もない要求をするためである。しかし一般的に、日本人の立場は善意で貫かれており、日本政府は朝鮮の繁栄を強く願っている。 (p.263)
  • 朝鮮の使用人たちは勉強熱心だが、彼らを訓練するには大変な我慢強さが要求される苦しさがある。まず朝鮮人たちは、風呂に入る必要性を感じないらしい。 家庭内の暮らしで絶対に必要な清潔さを彼らに維持させるには、絶え間ない注意が必要である。 (p.273)



ジョージ・N・カーゾン『極東の諸問題』 (1894年)

Internet Archive

ジョージ・N・カーゾン (George Nathaniel Curzon, 1859~1925) は英国の政治家で、インド総督、外務大臣を歴任した。ケドルトンの男爵家に生まれ、オックスフォード大で学び、1886年に国会議員になった。1891~92年インド政務次官、1895~98年外務政務次官をつとめた。この間世界旅行をしており、1892年には日本・朝鮮・中国を訪れた。

  • 確かに両国の男子は異なっている。朝鮮人男子が長身で頑丈で見ばえが良いが怠惰なのに対し、日本人男子は矮小で不細工だが敏捷で不屈である。 ところが女子の違いはさらに際立っている。朝鮮人女子が仏頂面でがっしりして有能な主婦なのに対し、日本人女子はだらしなくガニ股だがよく笑い男をたぶらかす。 (p.95)
  • 個々人は多くの魅力的な性格を有している。上流階級は外国人に対し鄭重で文明的で友好的であり、礼儀正しさを誇っている。下流階級は興奮しやすいが温和で、活気がありお喋り好きである。 (p.98)
  • ソウルの政治家は文明的だが、説得に全く耳を貸さない。苦力は一日働くと次の二日間で稼ぎを使い果たしてしまう。 (p.99)
  • また通りや小路には一方に蓋がない溝が掘ってあり、人間と動物のあらゆる排泄物が流れている。ソウルはつまるところ不快で悪臭に満ちた場所である。 迷路のような小路を探検することは、鼻にも目にも良くない。 (p.128)
  • そうした欠点にもかかわらず、ソウルには間違いなくそれを補って余りある個性的な点がふたつある。すなわち独特で絵画的な路上生活と、それとは逆に厳粛で戯画的な宮廷で、時には両方が同時に見られる。 (p.130)
  • 「妓生」と呼ばれるこれらの少女は、日本の芸者に相当する。どんな小さな町にも妓生の一団がいて、本来の仕事に加えて売春も行っている。彼女らの多くはかなかなかの美形だが、顔立ちが特徴に乏しく、日本の少女のような女性的な魅力を欠いている。 (p.133)
  • 国王陛下は温厚な性格で、その性格と態度の個人的魅力はよく知られている。国王には父親のような頑迷さは見られない代わりに、その決断力も受け継いでいない。これまで訓練不足と伝統のため、難局に陥った際の国王は常に準備ができておらず、目的の動揺と行為の不徹底が何度も見られた。国王は新しい発見や発明に強い興味を持っているが、自身の人種と国の迷信から自由でない。 (p.156)
  • 宮廷内、そして国中で最大の権力者は女王であると言われている。閔氏として知られる彼女の親族は、宮廷と政府の重要であるかもしくは俸給が高い地位のほとんどを占め、日の出の勢いを誇っているため、激しい政治的嫉妬と陰謀のもとになっている。 (p.156)



A・H・サヴェジランダー『朝鮮-静かなる朝の国』 (1895年)

Internet Archive
A・H・サヴェジランダー(1865年 - 1924年)は、イギリスの画家、探検家、作家、人類学者であった。彼は、しばしばウィットのあるスタイルで本を書いた。 彼はイタリアのフィレンツェにあるチャールズ・サヴェジランダー家に生まれ、しこで幼少時を過ごした。作家のウォルター・サヴェジランダーは彼の祖父である。 彼は15歳でパリに行き、ギュスターヴ・ブーランジェとジュール・ルフェーブルが主催するアカデミー・ジュリアンで勉強した。 その後、アメリカ、日本、韓国などの世界を旅し、多くの風景や肖像画を描いた後、イングランドに戻った際に、ビクトリア女王にバルモラル城に招かれ、冒険を語ったり、絵を描いた。
  • 現在朝鮮人が自国を呼ぶときの名は朝鮮で、高麗という国名は完全に捨て去られている。朝鮮という語の意味はきわめて詩的で、「静かなる朝の国」というものである。これは現在の朝鮮人にふさわしい。 彼らは祖先である高麗人の活気と力強さを、すっかり失ってしまったようだから。 (p.30)
  • 朝鮮の住民は、私の経験から言うと、あまり洗濯をせず、入浴はなおさらしない。彼らが手を洗うところは何度も見たし、顔を洗うところは時々見た。毎日顔を洗う人は、ごく少数である。清潔を保つための水の使用がそれほど少なく不規則だとしたら、朝鮮人はとてつもなく不潔に見えるだろうと思われるかもしれないが、そうでもない。私がいつもこの上なくイライラしたのは、この不潔な人々が、見た目は清潔に見えるということだった! (p.57)
  • 朝鮮文学には、男に見られたというだけで自殺したり夫や兄弟に殺された愛すべき女性たちの悲劇が数え切れないほどある。今日でさえ、夫が自分以外の男に話しかけられたという大罪のため妻を殺すことは、法に照らしてきわめて正当なことと考えられている! 上流階級の寡婦は再婚を許されない。亡父に愛されていたと言い張るのであれば、できるだけ早い機会に「自刎」し、夫に従ってあの世に旅立たねばならない。貞淑な妻には、咽喉を掻き切るか、鋭利な刀の上に身を投げることが期待される。 (p.67)
  • 朝鮮音楽は、平均的なヨーロッパ人には不愉快以外の何ものでもない。これは全音と半音、および音階の飛びの違いによるところが大きいが、慣れた後ではその風変わりなところと独創的なところが個人的に気に入った。 (p.76)
  • 朝鮮人のホスピタリティは極端なほどで、実際それは外国人に対してもそうである。最も貧しい人々の家を訪れた時でさえ、私は食べ物と飲み物を出され、一緒に食事して行くように誘われた。 (p.81)
  • 都市としてのソウルの名所は少ない。建物の貧弱さと街路の不潔さ以外に、世界中を歩き回る旅行者の関心を引きそうなものは思いつかない。そうした旅行者は、わざわざソウルまで来るまでもないだろう。 ソウルには美しいものは何もない。しかしあなたが何か風変わりで独創的なものを探しているなら、ソウルほどおもしろい都市はないだろう。 (p.91)
  • 彼の言葉は、朝鮮人が心の奥底ではきわめて善良かつ利他的で、常に友人や隣人を助ける用意があり、自身の不便さを甘受してでも他人を助けることを証明してくれた。しかしこうした善良さは、本質は同じで、おそらくわれわれのそれを上回るとしても、われわれのような形態を取らない。彼らはずっと単純な人々で、彼らの偽善は文明化の段階に達していない。 (p.96)
  • 朝鮮人によると、人生は食べるためのものでなければ生きる価値がない。このような体制下で育てば、彼らの食べる能力が驚くべきものになるのは当然である。 私はある朝鮮人が、平均的なヨーロッパ人三人を満足させるほどの昼食を貪り食うのをみた。その後、破裂しないか心配して見ていたとき、彼はこの世で最も消化しにくい食物である干柿の大皿に飛びついたのである。 (p.146)
  • 当然ながらこうした生活は、上流階級を柔和でいささか脆弱にする。朝鮮人の男は色欲に耽り、最盛期であるべき年齢には完全に廃人になってしまう。 適量以上に飲むことは全国的に制度化されており、大食・飲酒その他の悪い習慣のために上位10パーセントが貴族らしく見えないのも無理はない。 (p.148)
  • ソウルの街路は、これ以上ないほど不規則に曲がりくねっている。主な大通りを除いて、ほとんどの通りは四人が横に並んで歩けないほど狭い。 下水は家の横の街路の中の、蓋をしていない溝に流される。 下水溝のすぐ上に窓があるため、朝鮮の善男善女は家の中では、すぐ下で腐って行く悪臭を放つゴミの臭いを嗅がずには呼吸できない。 (p.149)
  • 誰もが「搾取」すなわち人の金を横取りする恐ろしいシステムに気づいていると思われる。朝鮮全域にわたって人々の顔にやつれと悲しみの表情が見られるのは、実に痛ましいことである。 人々はけだるく憂鬱そうに寝そべり、明日は自分たちの運命がどうなるのかわからずにいる。 誰もが政府の形態がどう改革されるのか気にしているが、誰もがあまりに怠惰で、自己の地位向上を試みさえしない。 これが何世代にもわたって続いて来たのである! (p.162)
  • 朝鮮で最も典雅で好ましい慣習は、敬老の精神である。この点に関し、支配層が模範を示すことほど素晴らしいことはない。毎年王と王妃は、宮殿で90歳以上の男女をもてなす。それらの老人の出身階層に関係なく、彼らは常に自分たちの指図どおりに世話を受け、最高のもてなしを受ける。 (p.191)
  • 王族と貴族の生活は、全体として言えば、きわめて怠惰なものである。運動は下品な習慣で、自分で稼ぐ人々がするものとみなされる。朝鮮の貴族は、肉体労働のようなみっともないことをするよりは、自殺した方がましだと考える。 (p.197)
  • 私が聞いたところでは、今日の科挙は単なるいんちきで、人々が熱望する学位が得られるのは、文学その他の知識や高い達成度ではなく、単純な買収のシステムによってである。さらに聞いたところでは、ときに本当に才能がある男子が毎年のように失望を重ねる一方、貴族や金持ちの愚鈍な息子は好成績で合格し、落とされることはほとんど、あるいはまったくないと言う。 (p.209)
  • かつて朝鮮人は、特に10~14世紀の高麗時代には熱心な仏教徒だったらしいが、現在は一般に宗教的ではない。 (p.216)
  • 朝鮮人はしばしば野蛮人に分類されるが、その性質をよく見ればきわめて知的であり、知識を獲得する速さには驚嘆せざるを得ない。 彼らにとって外国語の習得は朝飯前のようで、研究対象に興味を抱いたときは、常に大いなる粘り強さと熱意を見せる。 彼らは素晴らしく敏感な推理力と、驚くほど素早い理解力を有しており、これはその外見からは想像もつかないことである。 一見すると彼らは、眠たげで頭が鈍いような印象を与えるからである。朝鮮人はまた、良い記憶力とかなりの芸術的パワーにも恵まれている。 (p.291)
  • かわいそうな朝鮮! お前に悲しみの日が訪れた! あまりにも古風で内気なため魅力に溢れたお前は、愛国的な息子たちが切望したあの静けさを二度と手に入れることはない! お前の行く手には多くのわざわいが待ち受けているが、お前に降りかかる多くの不幸の中でも、お前を文明国にしようとする試みほどの災難はないだろう! (p.300)



時事新報 『事実を見る可し』 (明治30年, 1897年)

時事新報 社説
時事新報は、かつて存在した日本の日刊新聞である。1882年(明治15年)3月1日、福澤諭吉の手により創刊。
福澤諭吉は清国の圧迫下にある朝鮮国の真の独立をあくまで望んでいた。 諭吉の本来の目的は西洋列強の東侵阻止であり、日本の軍事力は日本一国のためだけにあるのではなく西洋諸国から東洋諸国を保護するためにあるというものだった。 そのため李氏朝鮮の金玉均などアジアの「改革派」を熱心に支援した。朝鮮人の慶應義塾への入塾を許可し、また朝鮮人に親近感を抱きながら接していた。 (wikipedia)
この社説は、諭吉の主張とは異なっている。したがって、これは福澤の手によるものではなく、「時事新報論集」の主要な起筆者である石河幹明によるものと考えられる。
本来朝鮮人は数百年来儒教の中毒症に陥りたる人民にして、 常に道徳仁義を口にしながらその衷心の腐敗醜穢しゅうわい、 殆んど名状すべからず。上下一般、共に偽君子の巣窟にして、一人として信を置くに足るものなきは、我輩が年来の経験に徴するも明白なり。 ればかかる国人に対して如何いかなる約束を結ぶも、 背信違約は彼等の持前にしてごうも意に介することなし。 既に従来の国交際上にもしばしば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自から実を収むるの外なきのみ。



イザベラバード 『朝鮮紀行』 (1898年)

Internet Archive
英国人女性旅行家 Isabella L. Bird が朝鮮を訪れたのは、1894年、62歳の時である。以後3年余、Bird は 4度にわたり朝鮮各地を旅した。折りしも朝鮮内外には、日清戦争、東学党の反乱、閔妃暗殺等の歴史的事件が続発する。 国際情勢に翻弄される李朝末期の不穏な政情や、開国間もない朝鮮に色濃く残る伝統的風土・民俗・文化等々、Bird の眼に映った朝鮮の素顔を忠実に伝える名紀行。
「朝鮮紀行」("Korea and Her Neighbours")に書かれている李朝末期(約100年前)の朝鮮の姿は凄まじい。
  • 体格はよい。男子の平均身長は165㎝である。 女子の平均身長は確かめられていないが、不釣り合いに小さい。女たちの不格好な容姿は、この世で一番醜い服装によってその欠点が誇張され、ずんぐりして幅が広く、下品である。 (p.13)
  • 朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。 (p.13)
  • 美術は皆無である。 (p.18)
  • 道路はひどい。主要幹線道路さえ未完成で、でこぼこした轍以上のものではない。 (p.20)
  • 肥後丸が寄港した対馬は、私が日本を最後に見た所である。 紅葉した楓と花が咲いた西洋李、寺が頂部にある高台、森の中の神社へ続く荘厳な石段、青緑色の松林、金の羽のような竹の葉、それらは木が切られた褐色の釜山の丘が産み出す風景と対称的であった。 そこは夏は心地よいが、日の差さない2月の日中には厳しく近づきがたい。
    釜山の外国人居留地は、上部に仏教寺院がある険しい絶壁の上にそびえたっており、1592年に日本の占領中に植えられた見事な杉木立で隠されている。 (p.23)
  • 私は、ソウル市内のことを描写するのを躊躇する。北京を見るまでは地球上最も悪臭のひどい都市、そして紹興の悪臭に出会うまでは最も不愉快な都市と思っていた。! 大都市で首都であるにしては、そのみすぼらしさは言葉に言い表せない。 (p.40)
  • これらのドブに接している家屋は通常、深い庇と藁葺き屋根のあばら屋で、泥壁以外には通りに何も見せていない。 (p.40)
  • 南山の斜面に日本公使館の簡素で控えめな白い木造建築があった。その下で、5000人の日本人居留地には茶屋、劇場、そして日本人の安寧に欠かせない様々な設備が整えられていた。 そこは、韓国人のすべてのものと全く正反対である。店や家屋のある通りは、清潔、上品、倹約がこの上なく支配している。 (p.43)
  • ソウルから漢江の上流50里ほどの所にある村は全部「農村」と言える。
    村で使用される鉄製器具は、塩や正装用の外国反物と共に、ソウルより運び込まれている。
    貨幣はほとんど通用しない。商取引は、物々交換でなされるか、農夫が労働で支払う。
Bird が見たソウルは都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
  • 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。 (p.40)
  • 路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。 (p.40)
  • 酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。 (p.40)
  • ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。 (p.45)
  • 蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。 (p.45)
  • 周囲の山々は松の木が点在しているものの、大部分は緑がなく、黒い不毛地のうねりとなってそびえている。 (p.45)
  • ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。 (p.60)
  • 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。 (p.60)
  • 結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。 (p.60)
胸を露出している女性の服装は、現在の韓国の民族衣装であるチマチョゴリの原型である。家の跡取りである長男を出産した女性にしか胸の露出は許されず、乳出しは当時の女性の誇りだった。

リリアス・H・アンダーウッド 『まげの国の一五年』 (1904年)

Internet Archive

リリアス・ホートン・アンダーウッドは1851年6月21日にアルバニー・ニューヨークで生まれた。彼女は医学の学位を取得するためにシカゴに行き、女子医科大学(現在はノースウェスタン大学の一部)に入学した。 彼女は1888年に医療宣教師として韓国に行った。 リリアスは、韓国の仁川の済物浦に到着して間もなく、個人医師としてリリアスの診察を希望していた女王を訪ねた。 1889年、リリアスは牧師ホレイス・グラント・アンダーウッドと結婚した。ホレイスはすでに4年間韓国に滞在していて、危険な地域を旅行をする方法を知っていた。 その年の11月から翌年5月まで、夫妻は日本に滞在した。 韓国ではほとんどの外国人は信用されていなかったが、アンダーウッドは韓国の当局者に感銘を与え、北方まで遠く旅をすることが許された。彼らは変装することなく宣教師として旅をした。

  • ソウルの庶民は貧しく、家はアメリカ人にはどうしようもなく貧しく不快に見える。しかしロンドンやニューヨークの最下層に比べ、寒さや飢餓に苦しむ者は少ない。 (p.4)
  • すぐに私は、王妃が高い知性を備えていることを悟った。すべてのアジア人と同じく、王妃の教養は主に中国の古典から成っていたが、世界の強国とその政府に対するきわめて知的な観念を持っており、多くの質問をして聞いたことを記憶した。王妃は明敏で有能な外交官で、最も老獪な政敵をも翻弄した。さらに王妃は広汎で進歩的な政策を採る君主で、愛国者で、東洋の王妃に期待されるよりはるかに自国とその人民の幸福に関心を抱いていた。それに加えて王妃は暖かい心を持ち、子どもたちを優しく愛し、少なくとも私たち宣教師との関係では細やかな配慮を示し、その点ではヨーロッパの身分の高い淑女にも劣らなかった。外国の宮廷社会を一度も見たことがない朝鮮人であるにもかかわらず、王妃は完璧な淑女だった。 (p.24)
  • 朝鮮の宿屋は不潔さ、狭さ、悪臭と不快さにおいて、中国内陸部の宿屋に次ぐものである。女性用の部屋は通常ひとつしかなく、紙を張った扉か窓がひとつから四~五ヶ所ある。それらはほとんど常に同じ大きさで同じ名称で呼ばれ、厨房・中庭・書斎に通じている。この部屋は8×10または12フィートを超えることは少なく、床は低い。扉を覆う紙は一様に汚れで黒ずんでおり、光線がほとんど差し込まないため、部屋は陰鬱な感じがする。 (p.39)
  • 朝鮮人に悪意はなく、極度に徴発しない限り執念深くも冷酷でもない。 (p.49)
  • その美しい春の日々、一方に中国、もう一方に朝鮮を見ながら鴨緑江を舟で下って行くと、両国は川よりは大海で隔てられているかのように際立った対照をなしていた。慣習の違いもそうだが、物理的な違いも同じくらい際立っていた。朝鮮側の木はほとんど松だが、中国側は樫と様々な落葉樹が茂っていた。朝鮮の小農の小屋は泥造りの藁葺きだが、中国人の家は煉瓦造りか石造りで瓦葺きだった。朝鮮人は白衣を着て牛で耕し、中国人は青衣を着て馬で耕していた。ツツジが両岸の岩に美しいバラ色の色合いを添えていた。通りすがりの旅人にとって、どちらの国がより富裕で倹約が行き届いているか、見分けるのは簡単だった。 (p.81)
  • 同じ階級に属す者たちと同様、彼女たちも最も哀れで絶望的な女性だが、自分から身を持ち崩す者とは違い、同情にこそ値するが非難すべきところはほとんどない。このかわいそうな少女たちは、恐ろしい生活苦から両親によって売られた身で、自身の運命に選択の余地がなかったのである。たくさんのかわいそうな朝鮮人の子どもが、米国の少女が子ども部屋でお人形ごっこをしている年頃に、数袋の米と引き換えに奴隷に売られ、妓生として仕込まれたり、ふつうの下女として使われたり、見たこともない男と結婚させられたりする。 (p.93)
  • ところで朝鮮人は宴会に招かれると、その場で信じられないくらいの量を平らげることを期待する(さらに袖に入れて持ち運べるだけの量を持ち帰ることも、ふつうに行なわれる)。時々彼らは宴会前の数日間絶食し、できるだけ詰め込む準備をする。一般に、食べ物の質より量の方がはるかに重視されている。 (p.96)
  • 翌日、やせ衰え賢くなった彼は、なぜ日本人が金持ちになって朝鮮人が貧乏になったかわかったとアンダーウッド氏に悲しげに告げた。「朝鮮人は日に百銭を稼いで千銭分食べるが、日本人は逆に千銭稼いで百銭分しか食べない」と。少なくとも日本人に関する限り、これ以上に正しい言葉はないだろう。最悪の敵でさえ否定できない日本人の美点があるとすれば、それは彼らの勤勉と倹約だろう。 (p.96)
  • 似たような例で、私たちと一緒に済物浦と釜山へ行ったある朝鮮人が、二階建ての家や停泊中の船や様々な文明の驚異を見て、「かわいそうな朝鮮、かわいそうな朝鮮」と叫んでいたが、日本領事館で外国の楽団が演奏するのを聞いて大喜びで言った。「日本がわれわれに匹敵できないものが、少なくともひとつある。われわれの音楽だ!」 (p.118)
  • あらゆることが絶望的に思えたその夜、アジア・コレラが発生した。なぜこの疫病が毎年夏に朝鮮全域に蔓延しないのか、謎のひとつである。すべての下水は汚くて狭い溝に流されるが、それはしょっちゅう詰まってあふれ出し、緑色の泥水が道路から中庭まで流れ込んで来る。井戸はすぐそばで洗濯される衣類の汚れで汚染され、大量の腐りかけの野菜くずが道路と窓の下に投げ捨てられ、腐るにまかせられる。 (p.133)
  • そのころ海州での伝道は、始まったばかりだった。ここは黄海道の道都だが、未開な国の中でも陰鬱な都市だった。官僚のたかりが甚だしく、人々は欺瞞、買収、圧制、「搾取」といったあらゆる政治的腐敗と堕落の中で生き抜くことに慣れていた。邪悪な男と、さらに邪悪な女がこの小都市に癌のような病根を蔓延させ、誰もが「肉の欲望、目の欲望、そして人生の矜持」にとらわれ、現世の神の崇拝者に見えた。 (p.188)
  • 松川の人々はきわめて親切で、いつも私たちに鶏や卵や柿のような贈り物を持って来てくれた。人々は貧しく、こうした贈り物が大きな犠牲の上に成り立っていることを知っていたため、私たちはひどく困惑した。 (p.191)



アンガス・ハミルトン 『朝鮮』 (1904年)

Internet Archive

アンガス・ハミルトン (Angus Hamilton, 1874~1913) は英国生まれのジャーナリストで、日露戦争中の1904年に朝鮮を訪れ、ソウルから金剛山、元山、江華島等に足を伸ばした。 本書は、日韓合邦以前のソウルの発展を示すためによく引用される。 ブルース・カミングスは、そのような発展が主に米国資本によってもたらされたことを指摘し、日本資本なら植民地化、それ以外の資本なら近代化とみなす韓国人のダブル・スタンダードを皮肉った。

  • かつてのソウル、その膿んだ路地、冬のあらゆる汚物の堆積、泥まみれのあたりを覆いつくす不潔さは、首都の城内から消え去った。通りは堂々としており、広々として清潔で、排水溝もよく整備されている。狭くて汚い路地は拡張され、どぶは蓋をされ、車道はひろげられた。列車と自動車と電灯と数マイルにおよぶ電線、駅前のホテル、煉瓦造りの家、ガラス窓によって、ソウルは遠からず東洋で最も高級で、最も興味深く、最も清潔な都市になるだろう。 (p. 34)
  • この隠者の王国の住民たちは、泰然として何もしないことにきわめて慣れ切っている。そのため、朝鮮の日常には無限の魅力と多様性がある。住民たちは受動的に快楽を得て、体質的な無能さゆえに、明るい日差しのなかで優雅な散歩に耽るか、家の陰にあぐらをかいて坐る以外することがないかのようである。彼らは不活発そのもので、活発な動きほどその固有の特性に似つかわしくないものはない。 (p. 43)
  • 外国の教育方法が導入され、近代的な学校ができるまで、朝鮮人の知力には有望な徴候が認められなかった。 現在でさえ、文化的階級が持つ知識といえば中国の古典についての曖昧な知識に限られ、習得したといえる人は稀である。 上流階級の男女は中国の文献と言語を理解しているふりをしているが、中流階級には、純粋に朝鮮語の文法で書かれた国内新聞の漢字・ハングルまじり文を読める人はほとんどいない。 (p. 108)
  • 女性の肌の露出、店主たちの騒音と暴行、街路の散らかり具合、そこには日本の繊細な文化を思わせるものはない。日本に特有の謙虚さ、清潔さ、礼儀正しさは、朝鮮の日本人居住区には著しく欠けている。 (p. 136)
  • これらの漁村の貧困ときたならしさは、驚くほどである。人々は精神がなく、寝て伸びをして食べてを繰り返す怠惰でだらしない存在でいることに満足しているように見える。金を出すと言っても、日中釣り舟を出させるのは不可能だった。もっとも彼らは、舟も網も綱も予約されているわけでないことは認めた。原住民のこのような無関心な精神の結果として、日本人漁師たちが急速に沖合いの漁場を確保しつつある。この怠惰で瞑想的で汚い人々がすぐにも立ち上がらないと、自分たちの海域における水産業は彼らの手からすり抜けて行ってしまうだろう。 (p. 249)



ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』 (1905年)

Internet Archive

ウィリアム・グリフィス (William Elliot Griffis, 1843~1928) は米国の牧師・東洋学者で、1870~74(明治3~7)年に日本に滞在し、福井と東京で西洋式教育制度の導入に尽力した。 帰国後の1876年に出版した『皇国(The Mikado's Empire)』がベストセラーになり、東洋学者としての名声を確立した。 1882年に初版が出た『隠者の国・朝鮮』も非常によく売れ、1911年までに9版を重ねた。 グリフィスは朝鮮を訪れたことはなく、本書は英語・フランス語・ドイツ語・オランダ語等で書かれた既存文献と、日本・中国の史料に依拠している。 しかし米国では、最初のまとまった朝鮮関連書として多大な影響力を持ち、「隠者の国」というフレーズは朝鮮の代名詞として有名になった。
朝鮮を日本・中国・ロシアの三大国いずれかの餌食となるべき、特に後進的で弱体な国と描き、自主独立の可能性は全く認めていない。

  • 日本を除外して朝鮮の歴史を書くのはほとんど不可能で、それはフランスを無視して中世イングランドを語るようなものである。ありのままの歴史が純粋な日本の起源としてまっすぐ西方を指し示しているのみならず、日本神話の源流はスンガリ川の渓谷や白頭山脈の影に見出される。 (p.51)
  • すべての準備が整った西暦202年10月、この勇猛な女王は肥前の海岸から出航し、無事に新羅の海岸に上陸した。新羅王はそれまで九州の未開な部族しか見たことがなく、この東国から来た精強な軍隊と巨大な船団を見て大いに驚愕した。恐れおののいた新羅王は、直ちに服従の意を示した。彼は自分の手を縛って女王に拝謁し、自分は日本の奴隷であると宣言した。神功皇后は自分の矛を王宮の門に立て、新羅王の服従のしるしとした。彼女は門に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書いたとさえ言われている。 (p.54)
  • 19世紀に目覚めた日出る王国は隠者の王国にかつての自分を見出し、何世紀も前に朝鮮が日本にしてくれたことをするために、隣国に喜んで手を差し伸べたのである。 (p.61)
  • これは朝鮮人による歴史の塗装作業の良い見本である。つらい現実には国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。 さらに後世の事件に対しても、公的な虚飾が巧妙に施され、敗戦すら輝かしい勝利に変えられる。 (p.150)
  • ソウルに護送されたオランダ人一行は、まるで見せ物の野獣のようだった。白い顔と赤い髭を持つこの外国人を見に、群衆が押し寄せた。男たちよりも女たちが、よく見える場所を確保しようと必死になった。誰もがオランダ人がものを飲むのを見たがった。西洋人はものを飲むとき、鼻を耳より上につまみ上げると信じられていたからである。 (p.171)
  • 朝鮮は人にたとえられ、王はその頭、貴族は胴、人民は足である。胸と腹は膨れる一方、頭と下肢はやせ細っている。貴族はその強欲で人民の生き血をすするのみならず、王の大権をも侵している。国は充血を起こし、官僚主義の浮腫を患っている。 (p.229)
  • 拷問の豊富さは、朝鮮がいまだに半文明国にとどまっていることを示すに十分である。法院と監獄の発明品としては、鉄鎖、背中を打つための竹、尻を打ち据えるためのパドル状の器具、肉が裂けるまでふくらはぎを叩くための鞭、肉と内臓を苛むためのロープ、手かせ、杖、そして膝とむこうずねを叩くための板等がある。 (p.234)
  • 結婚後は、女との接触は不可能である。女はほとんど常に内房に引きこもり、許しを受けずに家の外を覗くことすらできない。隔離があまりに厳しいため、部外者の指が触れたというだけで父は娘を、夫は妻を殺し、妻は自殺することがある。 (p.245)
  • 朝鮮の建築はきわめて原始的な状態にある。城郭、要塞、寺院、修道院および公共建築は、日本や中国の壮麗さにまるで及ばない。 この国は古い歴史を誇っているのに、石造の遺跡がほとんどない。住居は瓦葺きか藁葺きで、ほとんど例外なく一階建てである。小都市では規則的な通りに配置されておらず、あちこちに散在している。大都市や首都でも、通りは狭くて曲がりくねっている。 (p.262)
  • 朝鮮の百姓は一般に文盲である。おそらく農民階級の男の十人に四人が中国語か朝鮮語を読めるだろうが、女も勘定に入れると約85パーセントの人々は読むことも書くこともできない。ただし地域差は大きい。 (p.444)
  • 朝鮮にはサムライがいない。日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。 (p.450)



荒川五郎 『最近朝鮮事情~朝鮮の人々』 (明治39年, 1906年)

国立国会図書館デジタルコレクション (p.86-91)

荒川 五郎(1865年 - 1944年)は、日本の政治家、ジャーナリスト、教育者。広島県生まれ。
衆議院議員だった1906年(明治39年)、朝鮮半島を視察して記した『最近朝鮮事情』は20世紀初頭の朝鮮半島文化を伝える貴重な資料となっている。

朝鮮の人
  • 衛生観念は全く無く、獣に近い。
  • 勤勉とか責務という観念は無く、雨が降ったらそこらじゅう水だらけになるので仕事をしないで呆然としている。 雨が降ると動かないので雨具が無い。日本の傘を入手すると嬉しそうに周囲に自慢している。 ようするに、治水という概念が無い。
  • 雨が降って水が濁っても、ろ過して使うという事をしないで濁ったまま水を使う。とにかく衛生観念が無く、伝染病がはびこっている。
  • 濁っている水だろうが、小便や糞が混ざっている水でも平気で飲む。とにかく不潔で、味噌と糞も朝鮮人にとっては一緒だ。
  • 壁は馬糞を混ぜる。壁が固くなるそうだ。
  • 驚くべき事に小便で顔を洗う。肌のきめが細かくなるそうだ。
  • 肺結核や解熱として小便を飲む・いよいよ病気が酷くなると、大便を食べる。
  • 穴で暮らしているから夏は暑く、家の外で寝るが、顔の近くを大便や小便が流れているが、 朝鮮人にとっては臭くないらしく、平気で寝る。
  • 小便壷が家の中にあり、客がいても平気で小便をする。また、痰を吐くときは口の近くに壷を持ってくる。
  • 雨が降るとこれらの不潔物と雨水が一緒になりすねの上まで浸かり、家の中の物が水に浸るが、 洗うという事はしないでそのまま使っている。
  • 婦人が洗濯をしているので見てみると小便水と見分けの付かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。



H・N・アレン『朝鮮見聞記』 (1908年)

Internet Archive

H・N・アレン (Horace Newton Allen, 1858~1932) は米国の医療宣教師・外交官で、初期の米朝関係の確立に大きく貢献した。マイアミ医科大学を卒業後、一年間中国で活動したアレンは、1884年ソウルの米国公使館の医師に採用された。この年に起きた甲申政変で負傷した閔泳翊を治療したのが契機となり、翌年韓国最初の病院である廣惠院が建てられると医師・教師として働いた。1887年には全権公司・朴定陽の渡米に随行し、米朝外交に深く関与するようになった。1890年にはソウルの米国公使館の書記官となり、以後公使、総領事、全権公使を歴任した。1904年の乙巳条約によって朝鮮の外交権が剥奪されると、1905年帰国した。

  • 船の甲板から眺めると、朝鮮の海岸はあまりに荒涼としており、まったく上がって見たいという気がしない。この現象は、朝鮮人が自分たちの国土がそう見えるようにした結果である。 (p.50)
  • 朝鮮は国土が狭い小国だが、悠久な文化を持っている。この点で朝鮮は日本の師匠である。彼らの血統と家系に対する矜持は、この固陋な民族の顕著な民族性のひとつになっており、数世紀にわたってその隠蔽された領土内に閉じもるようになっただけでなく、自分たちがその基盤の中に生まれたということにきわめて満足するようになり、自分たちの絶縁した生活の中で一人きりでいたいと欲求するようになったという事実は、少しも驚くべきでない。 (p.52)
  • かわいそうな朝鮮人たちよ! あなたたちはあまりにも長いあいだ無事安逸の歳月を過ごした。もしも朝鮮の地が他国によって亡ぼされたのではなく、地震と火山によって廃墟になったなら、朝鮮は今ごろけだるい眠りから覚めたかも知れない。しかし朝鮮の民衆が夢をむさぼり外の世界に関心を向けなかった間に、朝鮮の仇敵たる日本は今あなたたちが見ている見慣れぬ西洋人の技術を学ぶことに奔走し、あなたたちの先王が築いたあの要塞にかつてくり貫いた道を這い上がって来ている。技術を学んだ後、日本人はかつて自分たちに文明を伝えた師匠の国を征服し、元気旺盛なかつての弟子があなたたちの国土を見下す状況で、かつて彼らの先生だったが今は老いさらばえた隠居になった現王朝に、あなたたちはこれ以上何を期待できるかというのか? (p.59)
  • 濃褐色の油紙で覆われたオンドルとセメントの床は、一日に二度飯を炊くために燃やす火だけでもきわめて暖かい。朝鮮人はこの点では、隣国の人々より優秀である。なぜなら日本の家屋は体に障るほど寒く、手をあぶる火鉢が唯一の在来式暖房装置であり、一方中国人は冬の酷寒でも何ら暖かくする方法を知らないからである。彼らは北部地方のやり方である火で焼いた石以外には、家を暖める方法がない。しかし中国の家屋は寒いときでもそのまま全く暖房ができず、体を暖めるためには服を重ね着するのみである。英国の旅行家であるノーマン (Henry Norman) は、朝鮮を旅行した際に驚くほど美しいこの国を大いに賞賛した。彼は北京を訪問した後に首都ソウルに着いて書いた文で、北京に比べればソウルは天国だと述べた。 (p.67)
  • 朝鮮人は体格が良く力が強い。済物浦の埠頭から1マイル離れた所の米国人の商品倉庫へ荷物を運ぶ仕事に従事していたある労働者が、500パウンドの重さの荷物を運んで見せると同僚の人夫たちと賭をした。そこで数人がかりで荷物を彼の背負子に載せてやったところ、その男はそれ以上他人の助けを借りずに荷物を1マイル運んだ。すると荷役労働者の組合が彼を猛烈に攻撃し、ひどく殴りつけた。その理由は、ひとりで力自慢をして労働市場を台無しにしてしまったということだった。その後には、誰もが力自慢をすればひどく殴られることを知って、力自慢をする者はいなくなった。 (p.96)
  • 中国と朝鮮の女たちは虐待を受けている。忍耐心も強い。しかしあまりにひどく圧迫を受けて反抗するとき、彼女たちの憤怒は想像するだに恐ろしい。そうなればきぬたを打つ棒が無視できない武器になり、男たちもその棒を恐ろしがる。 (p.98)
  • 朝鮮人は望みどおりに近い形の鋳型を作って鋳物を注ぎ込むことで、きわめて立派な真鍮の食器を作る。経済的余裕がある人々の食事に使われる食器は、すべて立派で重い真鍮製品である。食後に指を洗う器として使うため、外国人は食器を何個かずつ本国に持ち帰る。外国人はこの食器が割れることがなく、色合いが金と似ているため、この食器を驚くほど愛用している。 (p.101)
  • 木に真珠できれいで魅力的な模様の象嵌をする以外にも、朝鮮人は漆板に銀でとても美しく象嵌をする。まず漆板で型をとった後銀を塗るが、その模様が非常に美しい。朝鮮人は日本人のように巧みではないが、木工・家具・組立品に立派な腕前を持つ。朝鮮のタンスの中には、外国人たちが激讃する芸術品がある。竹を編んで日光を透す簾はよく使う品物で、寝具にも使えるほど長くとても精巧なむしろも作る。 (p.102)
  • 私の友人にきわめて有能な「搾取師」がいたが、今度は彼が最高法廷に引っ張られて自分より官職が高い官吏に搾取された。この事情を説明しながら彼が言うには、朝鮮人が財産を持っていればまるで犯罪のように扱われると言う。 (p.103)
  • 朝鮮人たちは、長年の経験からこのようなにおいに慣れている。しかし彼らは8フィート四方の寝室でこの有害な空気を呼吸し、この小さな部屋で火を炊き、6~8人が同じ部屋に寝てどうやって生命を維持できるのか、まったく驚かされる。このような部屋に入ろうとして扉を開いた瞬間、ぶわっと押し寄せるにおいは筆舌に尽くし難く、こんなとき白人なら誰でも、外の天気がいかに悪くても、息を止めて外に飛び出してしまうだろう。 (p.109)
  • 朝鮮人たちはとても親切な人々である。以前には事実上朝鮮には乞食がいなかった。 (p.115)
  • こうした現象は朝鮮の富者に負担になる。そして誰であれ成功すれば、以前には見たこともない親戚が大勢押しかけて来て、はなはだしくは友人まで連れて来る。しかしこのことには、それだけの補償がある。なぜなら多くの人々がそのようにやって来る家は、繁盛しているかまたは朝廷に勢力があることを意味しているからである。 (p.119)
  • そんなことがあった後、労働者たちの口からもキムチのにおいがした。彼らはそのにおいを好んだのかも知れないが、私は到底耐えられなかった。このことがあった後に、ある人からニンニクを抜いて作ったキムチを味見してみろと勧められた。すると私は、最初の一口でその味に魅了された。 (p.121)
  • ソウル周辺の近郊は、きわめてよく美化されている。市内の不潔な道路を抜け出し、静かな少し離れた墓地を見回せば、墓地がある丘のすぐ下には供物を供えるための祠のような芸術的な建物が、墓の正面に立っているのが見られる。 (p.153)
  • ある朝、私の患者が、補身湯を食べたから自分は仇敵の肉を食って生きる唯一の方法を持っていると宣言した。なぜそうなのか説明してくれと言うと、道端で日本人の死体を食っている犬を見たその患者がその犬を食ったから、仇敵の肉を食って生きることではないかと言った。 (p.198)
  • 朝鮮人は陰謀の名手で、母親の乳首に吸いついているときから陰謀を企むことを好むらしかった。こうした陰謀の結果として、進歩的な官吏たちがたびたび米国公使館に避難して来た。 (p.225)



F・A・マッケンジー『朝鮮の悲劇』 (1908年)

Internet Archive

F・A・マッケンジー (Frederick Arther McKenzie, 1869~1931) はカナダ生まれのジャーナリストで、1904年にロンドン・デイリー・メイルの特派員として朝鮮に渡り、日露戦争が勃発すると日本軍に従軍取材した。1906年にも同紙特派員として朝鮮を訪れ、日本軍に抵抗する義兵団を取材した。英国に帰ると、マッケンジーは反日親韓派の急先鋒として論陣を張り、1907年に『東洋の正体(The Unveiled East)』を、1908年に本書(The Tragedy of Korea)を出版した。 日本に対してはきわめて批判的だが、朝鮮に対しては過度にロマンチックな幻想を抱いているように思われる。

  • ごく初期のころ朝鮮に居住していたある外国人が、私に、つぎのように語ったことがある。 「私が最初朝鮮に行ったとき、私はあたかも、現世からほんとうのアリスの不思議な国に来たような錯覚を覚えた。 すべてがたいへん幻想的であり、この世のどこよりもあまりに異質的であり、不条理であり、よそよそしく、そして奇妙であったので、私はしばしば、自分自身がいま目覚めているのか、それとも夢をみているのか、と自問せざるをえなかった」と。 (p.25)
  • 繁盛して富裕になったような人は、たちまちにして守令の執心の犠牲となった。 守令は、とくに秋の収穫の豊かであった農民のところへやってきて、金品の借用を申し出る。 もしも、その人がこれを拒否すれば、郡守はただちに彼を投獄し、その申し出を承認するまで、半ば絶食同様にさせたうえ、日に一、二回の笞刑を加えるのであった。 (p.26)
  • 貴族に対する収租地の特許は、民衆にとってのもう一つの重荷であった。 貴族すなわち両班(ヤングバン)は、自分たちは勤労階級に依存して生活する権利がある、と考えていた。 (p.26)
  • 上流社会の婦人たちはきびしい隔離生活を営むが、その隠蔽の厳重さは彼女らの夫に対する尊敬の念の証左とみなされている。 下層階級の婦人たちは、たいていはその家族を養うために一生懸命働く。 彼女らは異様な衣服をまとうが、それは乳房はあけっぴろげにしておりながら、しかもその乳房の上の方の胸部はこれを丹念に覆うているのである。 たとえ、女性が男性に対して屈従的地位におかれているとはいえ、この国の道徳は全体としてよく、日本のそれと比較してたしかに、非常に良好にそれが持せられている、と言いうるであろう。 (p.29)
  • この国には乞食はほとんどおらず、いてもほんの僅かであった。 ここでは、貧民のために苦心してつくられた貧民救済制度はその必要がない。 地方の人たちは、自らの土地をもち、そこで働き、特別な窮迫時は別として、自分の家族を養うための、今後一ヵ月の生計を維持するに足るだけの、十分な収穫をその秋に得ることができた。 (p.30)
  • 朝鮮に滞在したことのある外国人は誰でも、その最初の数週間、嫌悪感と恐怖感でいっぱいになったであろう。 しかし、彼がその民衆をよりよく理解すればするほど、彼らが、親切で、正直で、ほんとうに素朴で、好学心に富み、かつそのほかにもいろいろと数多くの愛すべき、愛さるべき性質をそなえていることをただしく見てとるようになるであろう。 (p.31)
  • 古い制度下の韓国の貨幣は、世界中の悪貨のうちでも最たるものであった。 あるイギリス公使の公式報告の中での有名な嘲笑、それは、韓国の貨幣は良貨・良い偽造貨・悪い偽造貨・あまりにも粗悪なので暗い所でしか通用しないような偽造貨、の四つに分類することができる、としているが、これは必ずしもつくり話ではない。 (p.111)
  • 私は、韓国のイタリアとも言うべきこの忠清道地方のことをいろいろと聞いていた。 しかし、その美しさと繁栄はまことに百聞一見にしかずである。 それは、ほこりと無感動のソウルとは驚くべきコントラストをなしている。 ここでは誰もがみな働いている。 (p.182)



H・B・ハルバート『朝鮮滅亡』 (1909年)

Internet Archive

H・B・ハルバート (Homer B. Hulbert, 1863~1949) は米国の神学者・ジャーナリストで、ダートマス大学を卒業しニューヨークのユニオン神学校で神学を学んだ。1886年7月、ギルモア (George W. Gilmore) やバンカー (Dalzell A. Bunker) とともにソウルの育英公院の教師に赴任した。1891年12月にいったん帰国したが、1893年9月に再度来韓し『コリア・レビュー』の編集を主管した。日露戦争直後の1905年10~11月、高宗の密書を持ち米国の政府要人と接触して第二次日韓協約を妨害しようとした。1907年7月、ハーグ万国平和会議で李儁ら高宗の密使を列強諸国の代表と会わせようとしたが失敗、朝鮮に戻れなくなり米国に帰国した。1949年7月、李承晩大統領の招請で来韓したが1週間で死去、馬浦楊花津の外国人墓地に安葬された。1950年建国功労勲章を追叙された。  ハルバートは当然キリスト教至上主義者で、それが彼の反日・親韓の立場に影響しているらしい。朝鮮に比べキリスト教が普及しない日本を野蛮視し、日本の朝鮮支配を「第一級の国際的な誤謬」と非難している。欧米列強の植民地支配はキリスト教の普及という崇高な目的に奉仕するものだから善だが、非キリスト教国の日本が列強のようにふるまうのはけしからんということらしい。  

  • 日本は物質的には大転換したけれども、婦人の地位はそれほど変わらなかったし、広い意味での宗教はといったら、明瞭に、維新以前とほとんど変わるところがない。それは、たしかに西欧の知的刺戟によって上層階級を仏教的な「空」から解放はしたものの、上層階級のうちで、仏教に代わるものを受け入れたものは、比較的少数にとどまる。日本でのキリスト教は、朝鮮ほどにも発展せず、万事が証明するように、日本は、西欧文化の泉を掘りすすめることは断念し、いくつかの、目に見え、手に触れ得る成果を貯めるタンクをつくっただけだった。 (p.6)
  • 大部分は南部にある紙桑は大切な木材で、その内皮はもっぱら朝鮮人が日常生活で使う堅紙を作るのに用いられる。その名声は国境を越えてひろまり、それは日本の良質紙とまったく同じだ。 (p.14)
  • 朝鮮人の民族性は、ちょうどその国土が日本と中国との間にあるように、日本人と中国人との中間にある。この二つの特性をあわせもっているところから、朝鮮人は合理的かつ理想主義的ということになる。 (p.31)
  • そのころから今まで、朝鮮は中国思想の奴隷となってきた。模倣が朝鮮の最高の野心となり、この狭い地平を越えるいっさいの展望を失ってしまった。表面にははっきり出ないが、朝鮮民族は高度の知的可能性の持主であるけれども、抑圧と教育のため、形のうえでは現在のようななさけない状態になっている。朝鮮民族をこの環境から脱出させ、自由奔放に発展させるチャンスを与えてやれば、極東民族の中でも出色の頭のいい民族になるはずだ。 (p.33)
  • 私は、しぶしぶ冷たい素ぶりに出るといったが、朝鮮人はケチといわれるのを死ぬほど恐れる。彼は嘘つきとか道楽者とかいわれても、さっぱり気にしない。しかしケチといわれると、それはまさしく急所に命中する。親戚を丁寧にもてなすのは特別の義務となっていて、この風習がはびこっているのが、朝鮮にとっての最大の問題の一つなのである。 (p.38)
  • さらにもう一つ、朝鮮人の特性は、その誇りたかさだ。朝鮮人ほど、外観をととのえるのに夢中になる民族はない。 (p.38)
  • 誠意という点からいうなら、朝鮮人の場合は、ともかくそれほど高くはない東洋全体の最良の水準に位置する。 (p.40)
  • もっと狭い意味での個人道徳についていうならば、朝鮮人はだらしがない。朝鮮語には「家庭[ホーム]」に相当する言葉がなく、この言葉に含まれる意味は、朝鮮人はあずかり知らないも同然だ。 (p.41)
  • 朝鮮人は、本当に怒ると正気を失うといえるかもしれない。自分の生命などどうなってもいいといった状態になり、牙のある動物になってしまう。口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。私の印象では、飲酒が節制されれば、喧嘩の数は相当に減るだろう、と思う。朝鮮人は、酒を飲むと、ゴール人ふうというよりはゲール人ふうになる。遺憾なことだが、この怒りの衝動に我を忘れるといった悪癖は、男性だけの独占ではない。それに捉われた朝鮮の女は、ギリシャ神話の三女神を打って一丸としたような、すさまじい凶暴さを発揮する。女は立ちあがってひどい大声でわめくので、しまいには喉から声が出なくなり、つぎには猛烈に嘔吐する。神経錯乱に陥るこうした女たちを見るだびに、私は、どうして脳卒中で倒れずに済んだのかと不思議に思う。どうも朝鮮人は、幼少のときから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。子どもも親を見ならって、自分の気に入らないことがあると、まるで気が狂ったように大あばれして、結局、我意を通すか、それとも長くかかって鎮静にもどるか、そのいずれかに落ちつく。 (p.43)
  • 朝鮮には極東全域が無視できそうにない、はっきりした理性と感情のうえでの特性がある。だからして、もし日本が自分勝手な政策を強行して朝鮮民族をふみにじることにでもなれば、日本は第一級の国際的な誤謬をおかした責めを負うことにもなりかねないであろう。 (p.44)
  • この朝鮮にどんなに長く住んでいる者でも、住民が公正な裁判を受けられるといういささかの望みもなしに生きていかねばならぬみじめな状態で案外平気であるわけが、どうしても納得いかないだろう。文明国ならただちに民衆の反乱を呼び起すに相違ないような不正かつ野蛮な事件を見聞しないで済む日は、無いに等しい。民衆がよくもこれを辛抱しているものだ。 (p.58)
  • 階層感情があまりにも強すぎて、結局朝鮮式アルファベットは、紳士の沽券にかかわるということで、もっぱら女・子どもの専用になってしまった。これが国民大衆に恐るべき害悪を与え、国王の善意は無に帰した。同じころ、国王は金属活字の鋳造を命じた。これは移動可能な金属活字の世界最初の発明であり、ヨーロッパの金属活字使用に先だつこと五十年である。 (p.92)
  • だが、日清戦争の戦場となった朝鮮の当面の状況の中から、独立国をつくりあげるという特殊な政治能力を日本がもっているかどうかを証明するのは、これからである。ところがまさにこの大切な一点では日本の弱さが暴露された。すなわち、日本のとったやり方は、日本が情勢を正しく把握していないことを証明したばかりか、直面する新たな奇妙な条件に適応する能力を欠いていることをも立証したのである。王妃を惨殺したり、朝鮮の民心をことさらに遠ざけたり、果ては国王を圧迫してロシアの保護を求めるよう仕向けたこと、これらはみな、複雑に入り組んだ政治問題を巧妙に解決するに必要な建設能力が日本人に欠けていることを示す証拠であった。 (p.127)
  • たとえロシアが日本を駆逐したとしても、朝鮮人民の日露両国への心底からの憎しみは変わりない。しかも、朝鮮がどちらか一国の牙にかけられたとき、その対立国に泣きつけば必ず助けてもらえると信じていた。問題をもっと広い観点からとらえ、個人的利益を離れて全体としての立場から朝鮮をどう救うかと考える朝鮮人は、皆無に近かった。 (p.206)
  • 日本人は朝鮮人をまるで捕獲自由の鳥獣のように見くだしているし、他方朝鮮人としては、受けた損害を償ってくれるための裁きの場をもたないから、あえて日本人の仕打ちに報復しようとするものもいない。 (p.214)



朝鮮総督府 『米国観光団の朝鮮人観』-『朝鮮人の思想と性格』より (大正13年, 1924年)

国立国会図書館デジタルコレクション (p.10-11)
 米国クラークス会社主催観光団一行米国人農ジエイ、ビー、ボウム外四十名は大正十三年三月二十四日午前八時京城駅着下り列車にて入城直に朝鮮ホテルに至り 同日はホテル専属鮮人通訳三名の案内にて昌徳宮、景福宮、其他著名の場所及市内を見物し翌二十五日午前八時二十五分京城駅発下り列車にて北京に向け出発したるが一行中のジエイ、ビー、ボウム外二名は左の如き感想を洩せり。
 「朝鮮は常に騒然たるものありて場合に依りては余等一行の旅行にも多少の危険あるやも知れずと懸念し居たるに意想外に平穏無事なるは日本の統治宜しきを証するものなり而して朝鮮の文化が我米領比律賓に比しより以上長足の進歩を睹漸次日本化し行く状態は日本の殖民政策の成功と謂ふべし本国に於ては朝鮮の山には草木なしと聞き居たるが今回の観光に依り鉄道沿線の状況を見るに今や山野に相当の樹木茂り居るを認めたり之亦日韓併合の賜なるべし
 尚渡鮮に当り異様に感じたるは朝鮮人の懶惰的民族なることなり彼等は動物の如く路上に起臥するあり又市中を徒に徘徊し何等為すことなく遊びつつあるもの多し斯くては亡ぶるも当然なり。」(大正十三年三月)

(現代語訳)
 米国クラークス会社主催観光団一行米国人農ジエイ、ビー、ボウム外四十名が大正十三年三月二十四日午前八時、京城駅着下り列車で入城した。 直ちに朝鮮ホテルに着いて、同日はホテル専属の朝鮮人通訳三名の案内で、昌徳宮、景福宮、その他有名な場所及市内を見物し、 翌二十五日午前八時二十五分京城駅発下り列車で北京に向け出発した。一行中のジエイ・ビー・ボウム外二名は次のような感想をもらした。
 「朝鮮は常に騒然としていて、場合によっては私たち一行の旅行にも多少の危険があるかも知れないと懸念していたが、予想外に平穏無事なのは、日本の統治がよいことを証明している。 そして朝鮮の文化がわがアメリカ領フィリピンに比べ、より以上長足の進歩いているのが見られる。だんだん日本化して行く様子は日本の植民政策の成功と言うことができる。 アメリカ本国で朝鮮の山には草木がないと聞いていたが、今回の観光で鉄道沿線の状況を見たところ、今や山野に相当の樹木が茂っているのがわかった。これも日韓併合の賜にちがいない。
 なお渡鮮に当たって、異様に感じるのは、朝鮮人が怠惰な民族であることである。 彼等は動物のように路上で寝起きする者があったり、市中をいたずらに徘徊し何もすることなく遊んでいたりする者が多い。これでは滅ぶのも当然である。」(大正十三年三月)


朝鮮総督府 『調査資料第二十五輯 民間信仰 第一部 朝鮮の鬼神』 (昭和4年, 1929年)

国立国会図書館デジタルコレクション (p.441-463)
朝鮮の飲食法 (迷信医療)
  • 腸チフスには乾かした犬の糞を粉にし水に溶かして服用する。また人糞を布袋に入れ煎じて飲めば完治する。
  • 豚の糞を水に溶かして飲む。小便器に鶏卵を入れて煮沸かしたものを服用する。
  • また、人糞にネギを混ぜて煮たものを食べる。馬の糞を煎じて食べる。白犬の糞を紙に包んだものを黒焼きにして食す。
  • 腐敗した藁(わら)に発生した白い虫を油で揚げて食べる。人糞か女の月経水を飲む。
  • 淋病は処女の尿に硫黄を混ぜて、一夜おいてこれを日光に晒して乾燥させた粉を食後に服用する。また、豚の糞を食べれば即効。
  • 梅毒には動物、とくに人間の陰茎(ペニス)を煎じて飲む。淋病には自分の尿か水銀を飲む。
  • 黴毒(梅毒と同じ性病)は人脳を食する。屍体に涌く虫を食べる。喘息(ぜんそく)には尿を飲む。
  • 熱病には処女の初月経および豚の糞を煎じて、お湯に入れて患者に知られぬよう飲ませれば治る。
  • 消化不良には豚の糞を食べればすぐに消化する。
  • 河豚(フグ)中毒・腸チフス・打撲には白色犬の糞および人糞を水に溶かして飲む。
  • 胸の痛みには白馬の尿を煮沸かして服用する。または、人糞を食べる。



W・F・サンズ, 『極東回想記』 (1930年)

Internet Archive

ウィリアム・フランクリン・サンズ(William Franklin Sands、1874年 - 1946年)は、日本の植民地化の前夜に韓国で奉仕したことで最も有名な米国外交官だった。
  • なぜこの国がこれほど荒廃しているのかに対するここの人々の説明は、実に朝鮮的である。彼らの言葉によると、できるだけ外国人を落胆させるために沿岸部は荒廃させ、内陸では虎を追い出すために森を焼き払い、山はその頂上にある土壌が流れて来るように崩したのだそうだ。 (p.31)
  • しかし朝鮮女性はあまりに厳格に保護されているため、侵入者から暴行を受けたときでも、告発するよりはこれを隠したほうが安全だと考える。 少し高い階級にいる女性たちが家の外に出るときは、長衣で顔を覆う。それにもかかわらず、彼女たちは家庭内では力がある。 (p.36)
  • 朝鮮人は、村に定着したばかりの遊牧民族のような印象を与える。都市には遺跡があり、規模も大きくきわめて栄えていたらしい王宮があり、人里離れたところにはイングランドやウェールズで見られるドルメンや石柱がある。西方世界の様子や発明品を眺める彼らの様子は、アブラハム時代のイスラエル人が鉄道や電車や複雑なヨーロッパの装置を見るように当惑している。何も理解できず、また理解しようともしない。彼らは「隠者の王国」であり続けることを願っている。 (p.37)
  • 家はぎっしりと固まって建っており、小川と路地に沿って集まっている。洪水の季節を除いて、青いごみだらけの下水は床に沿って染み出し、腸チフス・天然痘・コレラを伝染させる。 こんな井戸で女たちは楽しげに洗濯をし、毎日食物を洗う。 排水路の表面から悪臭がするこの浅い井戸よりひどいものはない。汚い下層民の家からは、土俗の食品であるキムチのすっぱい臭いがする。 (p.40)
  • 朝鮮はこのような過渡期的外交の最も良い事例である。なぜなら朝鮮は、内部的に脆弱であるのみならず、列強間に確実な公式的保護国や友好国がないという点で、極東国家の中で最も弱い国だったからだ。 (p.56)
  • 私は親切で心優しい皇帝が好きだった。彼は明らかに感情を調節できず、次第に変わり行く文化の中で自分の位置が複雑になって行くことに適応しようとしたが、それには向かない人物だった。彼は自分が理解も統制もできず厭わしく思った勢力によって、幼い頃から苦痛を被って来た。 (p.61)
  • 閔妃はあらゆる面で特別な女性だった。彼女は怜悧で教育もあったが、朝鮮女性がめったに教育を受けられなかった点を考慮すれば、これはきわめて稀なことだった。彼女は若い夫の関心事もよく心得ていた。際立った個性と強靭な意志の持ち主で、年齢と性別を超越した政治家だった彼女は、大院君には最初から恐ろしい強敵になった。 (p.62)
  • 朝鮮人の下人は、中国人や日本人のように有能でもなく、社会的身分も同じでなかった。守衛、駕籠かき、警備員は絶え間なく悶着の原因になった。 女中を置いている日本とは異なり、朝鮮ではふつう下男しかおらず、あらゆる階層が慢性的な賭博依存症だった。 日本人や中国人はときどき自分たちだけで集まって気分転換をすることはあっても、面倒を起こすことはほとんどなかった。 しかし朝鮮人の下人たちは彼らどうしで放っておくことができなかった。彼らは支配を受けなければならなかった。 (p.103)
  • 科挙制度は最も低い水準まで転落した。公職に任命されれば、ある程度の貴族の序列が付与されるため、「涜職」と社会的な理由のために科挙に応試した。 文科に合格するためには、家柄がよいか、おびただしい賄賂を使わねばならなかった。 (p.119)
  • 朝鮮の両班たちは深酒をしない。身分が低い人々は、北部ヨーロッパ人やアメリカ人ほどではないが、酒を多く飲む。彼らはそのように多く酒を飲めば、体を支えていられなくなる。 彼らはみなとんでもない愛煙家だが、米国人宣教師たちがそうした悪習を正そうと努力した。彼らはまたとてつもない大食漢である。 (p.137)
  • 人々は朝鮮人を、世界で最も臆病な人々だという。私が推測するところでは、彼らが国内外的に圧迫を受けて来たため、権威の前で萎縮するという点はある面で首肯できる。 そうかと思えば彼らは、これ以上耐えられなくなるまで何かが起これば、ロシアの農夫のように目に入るものを片っ端から破壊する。 (p.143)
  • なぜなら朝鮮の民衆は、絶望的なほどに虐待されない限り、常に平和的で他人に害を及ぼさないからだ。朝鮮人ほど統治しやすい民衆はない。 (p.149)
  • 朝鮮人は外国人に慣れておらず、疑いを抱いていると知られている。私は朝鮮人が、小説の中のアラブ人のように信頼できて親切だという事実を常に見出した。 (p.181)
  • 指導者に対する朝鮮国民の厳格な監視と、国民に対する寛大で一貫した正直な統治が指導者たちによって行われれば、朝鮮人は立派な民族に育成できるものと、私は今でも確信している。 中国や日本を旅行する際の危険な感じは、朝鮮にはない。 (p.188)
  • 朝鮮の芸能人は東洋の他の国でよりも身分が低く、妓生が権力者の家や宮中に出入りを許されるとは言っても、日本の芸者ほどの待遇を受けていなかった。妓生たちは顔もきれいではなかった。 私は朝鮮女性のどの階級ででも、美貌の女性を見たことがない。 (p.193)
  • 朝鮮人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。 私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、 日本の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。 (p.227)



link
欧米から見た朝鮮

韓国とはどういう国か?
韓国人の国民性 - 韓国のニュースより
韓国の偽物
日本人と中国人と韓国人を見分ける方法

inserted by FC2 system