レジルナの村から、燃え滓邸に帰還したテオは、その日と翌日は殆ど寝て過ごさざるをえなくなった。
無理をして限界以上の呪装顕現を使ったことがばれ、アーチボルド管理官に安静を言い渡されたのだ。
結局、テオが訓練再開の許可を貰ったのは、帰還してから三日目のことであった。
「明日からは訓練に参加していいよー」
燃え滓邸の司令室にて、紙袋を被った中年こと、灰色騎士団団長のJJは緩い口調でそう言った。
念のため、テオは訊ねる。
「訓練は明日から……ということですが、今日は軽い運動ぐらいなら、しても構わないでしょうか?」
「あー……そんなに元気なら、ちょっとお使いしてくれる? カルラもつけるから」
「はい! お任せください」
テオが元気に答えると、JJはゴソゴソと机の引き出しを漁って、外出許可証らしき書類を二枚取り出した。テオとカルラの分だ。そこにハンコをポンと押す。
この手の書類は大抵、アーチボルド管理官がするのだが、今日は朝から姿を見かけないのだ。元々の所属は近衛歩兵連隊だというし、そちらに顔を出しているのだろうか。
「ほい、書類はこれで良し。出かける時に、チョーカー着けるの忘れずにな。ちゃんと申請してチョーカー着けるんなら、首都内は見張りなしで外出して良いから」
「分かりました。えぇと……あのチョーカーは、どういった物なのですか?」
特に変哲のないチョーカーに見えるが、外出時に着用を義務付けられるということは、それなりに意味があるはずだ。
呪魔との戦闘で首を切断したカルラは、血まみれのそれをわざわざ回収して、装着し直していた。
「あれはね、レイエル聖区のすごい人が作った物に、俺がパワーを込めて、なんかこう良い感じにしたアレです」
雑な説明である。ただ、パワーを込めたというのは、呪装顕現のことを指しているのだろう。
「それが、団長の能力なのですか?」
「そう。チョーカーを着けている人間の所在地が分かるし……いざとなったら、チョーカーで首を切断して処刑できる」
最後の一言にゾクリとした。処刑。裏切り者や逃走者には死を、ということだ。
「ただし一定距離を離れると、探知の精度は落ちるし、処刑もできない。だから、遠出する時は聖騎士の同行が必須なわけね」
なるほど色々と腑に落ちた。
西の最果ての戦線で行方不明になったカルラを探しに、炭鉱街ウォルグまで来たベリルは、カルラの正確な居場所が分かっていないようだった。それには、こういう理由があったのだ。
おそらく、JJの能力が正確に働く領域が、首都なのだろう。
「やー、『首を切断』とか物騒な話でゴメンネ。でも、どこかで言っとかないといけないことだからさー、言い出すタイミングが難しくてぇー……」
モゴモゴと口ごもるJJに、テオは最上級の敬意をもって応じた。
「以前の灰色騎士は、自由な外出が殆どできなかったと聞きました。貴方が団長になってから、こうして任務以外の外出が許されるようになった、と」
歩く呪いは難しい立ち位置だ。僅かな自由を得るために、沢山の交渉が必要だったのだろう。
「団長の配慮に、心から感謝いたします」
JJは無言で紙袋の中に手を突っ込む。どうやら頭をかいているらしい。
「いやー、本当良い子が来て、おじさんビックリー……うん、おつかい楽しんでおいで。ゆっくりでいいから」
* * *
今日はなんだか、いつもと違うこと続きの日だなぁ、とテオは思った。
アーチボルドとベリルが基地を留守にしているし、いつも通り厨房の手伝いを申し出たら断られた。そしてなんと……毎日酔っ払いお姉さんのロゼが酒を飲んでいなかった! これが今日一番の衝撃である。
ちなみにレニーとヒューゴはいつも通りだ。白い毛玉は今日も床をコロコロしているし、ヒューゴはベッドでゴロゴロしている。
(でも、あの村での任務が終わってから、ヒューゴはこっそり発声練習してるんだよな)
この間の呪魔との戦闘で、何か思うところがあったのだろうか。
そんなことを考えつつ、テオは足下を転がるレニーを拾い上げた。街を歩くなら、ポケットに入れておいた方が良いだろう。
レニーの体はフワフワが大部分を占めているため、その体は意外とコンパクトなのだ。毛皮を潰せば、簡単にポケットに収まる。
ポケットにレニーを詰め込み終えたテオは、玄関ホールの近くに白髪頭を見つけた。カルラだ。
「カルラ、団長に頼まれたんだ。一緒に買い物に……」
カルラに近づいたテオは、驚きに目を見開いた。
今日はやっぱりいつもと何かが違う日だ。カルラの髪の毛が、ウサギの耳みたいになっている。
ウサギの耳──つまりは高い位置で二つに分けて結んでいるのだ。ただ、左右で高さが揃っておらず、バランスが悪い。
カルラはいつも通り顔の上半分を覆う仮面をつけていた。なので、どういう感情でその髪型にしたのかが分からない。
「今日は、髪型が違うんだな。えぇと……」
どういう心境の変化か訊くべきか、左右で高さが揃っていないよと指摘するべきか……どちらも失礼な気がする。
テオがかける言葉に悩んでいると、カルラがボソボソと言った。
「最近、首都で人気の歌姫が、こういう髪型だって、聞いて……」
そうか、カルラはその歌姫の真似がしてみたかったのか。とテオは納得した。
もし面倒見の良いベリルがいたら、上手に結んでくれたかもしれない。だが、ベリルは朝から出かけているのだ。
テオは少し考え、提案した。
「左右の高さを揃えたら、ウサギみたいで可愛いと思うんだけど……僕が結び直しても構わないかな?」
カルラはコクンと頷く。表情は変わらないけれど、小さな手が制服の裾をギュッと握りしめていて、それがなんだかとても可愛く見えた。
テオはカルラの背後に回り、結んだ髪を片方結び直す。手櫛だが、とりあえず左右で高さは揃った筈だ。
「これでどうかな?」
「……ありがとう」
ペコリと頭を下げるカルラは、腕に薄い冊子を抱いていた。それは? とテオが訊ねると、カルラはおずおずと冊子をテオに差し出す。
「ゴードレール城……テオが見たがってたから、よく見える場所、ベリルに教えてもらったの」
冊子には首都の簡易地図が書かれていた。
更には美味しい屋台が多い通りや、観光名所であるヴァルガン宮殿、赫鋼大橋、そして橋の向こう側にあるレイエル聖区が見える場所なども、細かく書き込まれている。
カルラは地図を指差して、「ここをこう回って、最後におつかいの買い物をすると、いいって」と解説を始めた。
ふとテオは気づく。JJは最初からカルラに観光案内させるつもりで、おつかいに同行させたのではないか? ゆっくりしていい、という発言もそういうことなのだろう。
「案内してくれる?」
テオが訊ねると、カルラは無言で頷いた。頭の上下に合わせて、二つ結びの髪がフワリと揺れる。やっぱりウサギだ。
「ありがとう! それじゃあ、早速行こう……と、その前に」
任務ではなく、ささやかな休暇なら──これぐらいは許されても良いと思うのだ。
「その仮面、外しちゃ駄目かな?」
「……え」
カルラが顔を隠しているのは、彼女の呪いが不老不死だから。何年経っても容姿の変わらぬ彼女が、一般人に不審に思われないようにするためだ。
だが、いつもと違う装いをしているのなら、仮面を外しても良いのではないだろうか。
もしカルラの同行者が目立つ人物ならそうもいかないが、テオは忘却の呪い持ち。今日一日街を歩いて、誰にも顔を覚えてもらえない自信があった。悲しい自信である。
「今日のカルラはいつもと髪型が違うから、それはそれで変装みたいなものだし……」
カルラはしばし戸惑っているようだったが、ぎこちなく仮面を外した。
二つ結びの白髪に赤い眼──やっぱりウサギみたいだ。
「行こう、カルラ!」
「うん」
カルラの目尻が少し下がり、笑っているみたいに見えて、それがやけに嬉しかった。