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[平成17年・終戦60年]戦没者の慰霊へ尽くされた大御心 ―両陛下のサイパン行幸啓を仰いで 渡邉允(わたなべまこと)侍従長に聞く【特別インタビュー】(「日本の息吹」平成17年8月号より)


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渡邉允氏

わたなべ まこと
昭和11年東京生まれ。34年東京大学卒業後、外務省に入省。平成7年、宮内庁へ。8年12月より現職。曾祖父は宮内大臣の渡邉千秋氏。父は昭和天皇とご学友で元貴族院議員の渡邉昭氏。

(編注:渡邉允・元侍従長は、令和2年2月8日に85歳でお亡くなりになられました。謹んで哀悼の意を表します)


天皇陛下ぎょせい 平成十七年歌会始「歩み」

いくさなき世を歩みきて思ひ出づかのかたき日を生きし人々

皇后陛下うた 平成八年「終戦記念日に」

うみくがのいづへを知らず姿なきあまたのみたま国護るらむ

慰霊に集中された濃厚な二十四時間のご滞在

― この度のサイパンご訪問は、これまでになかった「慰霊」が目的の海外ご訪問でありました。通常の行幸啓などでは両陛下は、マスコミの取材陣などにもご配慮を示されると聞きましたが、今回、両陛下は取材のカメラマンもハッとするほど慰霊に集中されていたと伺いました。


渡邉 今回のサイパンご訪問は、現地にお着きになってから空港をお発ちになるまで、ほぼ二十四時間のご滞在という短い時間でしたが、お供していて、非常に密度の濃い凝縮された時間であったと感じました。それはご日程がつまっていたということ以上に、両陛下が戦歿者に祈りを捧げ、遺族のことを思われるお気持ちの強さ、そこに集中されるお気持ちが、そのような印象を強く与えたのだと思います。

 外国ご訪問の折、羽田空港ご出発に際して、今回のようにお気持ち―サイパンとはどのようなところで、何が起こったのか。なぜそこに行くのか―を仰られたことは、これまでありません。お言葉(※記事末尾に全文) では「先の大戦によって命を失った全ての人々を追悼し」とお述べになられましたが、このことは十年前、終戦五十年の「慰霊の旅」をなされた後に、今後も「この戦いに連なる全ての死者の冥福を祈りたい」と仰ったことと繋がっていると思います。今回は、サイパンのご訪問でしたが、両陛下には、サイパンに限らず、中部太平洋、さらには、先の大戦で命を失った全ての人々の冥福をお祈りになったのだと思います。

 最初にご拝礼になった中部太平洋戦歿者の碑から車で坂を上っていくと、道の両脇に灌木の密林が見えてきます。私もサイパンは初めてだったのですが、本当に六十一年前に、あの中で戦ったんだなと実感しました。

遺族に寄せられる深いお気持ち

 もう一つ感じたのは遺族に寄せられる御心です。「現地では時間も少なく、暑いのでゆっくり話を聞く機会がないかもしれないから」という両陛下のお思召しで、「日本遺族会」「マリアナ戦友会」「南洋会」の各代表が御所にみえて一人一人から体験談をお聞きになりました。

 現地では、二十七日の夜にご宿泊のホテルで日本から来られていた戦友・遺族の皆さん(「日本遺族会」「マリアナ戦友会」「愛知県マリアナ献水会」「偕行会」)の話を聞かれました。当初は、代表からご挨拶を頂き、陛下に一言お言葉を頂こうと考えていたのですが、両陛下は、「それでは足りない、現地までわざわざ来られるのだから、直接話がしたい」と仰られ、予定をオーバーして三十分間にわたり一人一人から話をお聞きになりました。遺族会の皆さんは二十八日の朝にもホテルで奉送迎をされました。

 二十八日の早朝には、予定にはなかったことでしたが戦友会の代表から砂浜でお話を聞かれました。(※)それら遺族・戦友の団体の代表は、慰霊碑ご参拝にも一緒に行かれましたが、両陛下には、遺族のお気持ちを深くお偲びになられたと拝察いたします。終戦五十年に「癒えることのない悲しみをもつ遺族の上に深く思いをいたし」と述べられた御心の延長線上にあるものだと私は思います。


※註
マリアナ戦友会の代表二人が、両陛下に、ご説明申し上げた海岸は最後の戦闘が行われた場所。敵の攻撃を避けるため、暑い中、砂浜に伏せていた状況をうつぶせになってご説明申し上げた大池清一氏は「みんな同胞の安泰、皇室の安泰を願って喜んで死んでいきました。戦友たちへの最後のご奉公ができた。私自身、旧軍人の一人として光栄に思う。戦友の英霊は本当に喜んでいると思う。一緒に祈りを捧げてくださった両陛下には、感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。

― サイパンの方々とのご交流についてお聞かせ下さい。

渡邉 ホテルでの夕食会に現地の日本人関係者が招かれました。そのお一人西川キミ子さんは、戦前からサイパンに在住、子供の時に戦争で両親を失い現地の人の養子に入り、カソリックの修道女になられた方でした。ご苦労をされたのでしょう、立派な方でした。それから慰霊碑を清掃して下さっている「日本人会」の会長、副会長もお招きになり謝意を表されました。

 また、昭和の時代に日本ミクロネシア協会がミクロネシアの子供たちを毎年日本に呼んで交流事業をしていましたが、当時、皇太子殿下、皇太子妃殿下でいらした両陛下は、昭和五十八年と六十二年に来たサイパンの子供たちを、東宮御所に招かれています。サイパンご出発の前に、今は青年になった子供たちについての記事をご覧になって、「あの人達に会いたい」と仰られまして、早速連絡を取りました。サイパン国際空港で三人程がお出迎えをしました。

 またサイパンでは、敬老センターをご訪問になり、現地のお年寄りとお話をされました。お年寄りたちは日本語、英語それぞれでしたが、歓迎のダンスのあと「歓迎の歌を歌います」として最初に歌ったのが「海ゆかば」でしたので驚きました。


限りない「慰霊の旅」

― 今回、サイパンご訪問に至った経緯についてお聞かせください。

渡邉 両陛下は、かねてから、広く中部太平洋のマーシャル諸島など昔の日本の委任統治領を訪ねたいとのお気持をお持ちでした。その大きな目的は慰霊、もう一つの理由はこの地域は日本との歴史的な繋がりが深く、日本の血を引いた人々が今でも大勢いるということでした。しかし諸般の事情から実現は難しく、一旦は、またいつの日かということになりましたが、やはりどうしてもという御心が残っておられて、このたびのご訪問になったということです。

 このご訪問に込められた両陛下のお気持ちについては、簡単に説明したり、忖度できないことですが、一般人であれ、軍人であれ、先の大戦で命を失った人々とその遺族に御心を寄せられるということが長い間、両陛下のご活動の底流にあると拝察いたします。毎年、八月十五日の全国戦没者追悼式典でのお言葉は、心を込めて仰っていることを感じます。また、日本遺族会、傷痍軍人会の節目節目の大会にご臨席になり、お言葉をお述べになり、御製、御歌を詠まれたりということをずっとされてこられています。

 十年前の平成七年、終戦五十年にあたっての「慰霊の旅」は、その一つの大きな象徴的なものであったと思います。最も被害の大きかった東京、広島、長崎そして沖縄をご訪問になりました。その前年の平成六年には、小笠原諸島復帰二十五周年に際して、硫黄島を訪問されました。そのことも含めて、両陛下の「慰霊の旅」の延長線上に、この度のサイパンご訪問があると私は思います。

― 天皇陛下は、かつて「日本人として忘れてはならない四つの日」として、終戦の日、広島、長崎への原爆投下の日、沖縄戦終結の日の四つをあげられ、慰霊の旅で四地域を行幸された後に「これら四地域にとどまらず、広く日本各地、また遠い異境にあってかけがえのない命を失った多くの人々」とお言葉を述べておられます。ここに「遠い異境」とありますが、この当時からのお気持ちが、今回のサイパンご訪問になったということでしょうか。

渡邉 そうですね。

― 終戦五十年に四地域を行幸啓され、一昨年には鹿児島行幸啓をもって全国四十七都道府県ご巡幸を果たされ、そして終戦六十年の今年「異境の地」に赴かれて、これでやっとホッとなされたのでしょうか

渡邉 確かに一つの区切りではあるかもしれませんが、畏れ多いことですが、ある意味で言えば一生ホッとなさることはないと思います。これからもずっと御心を寄せ続けられるのだと思います。

苦難の歴史を忘れることなく

― このたびのサイパン行幸啓を国民としてどのように受け止めたらいいでしょうか。

渡邉 今回、両陛下は、今日の日本が大勢の人々の犠牲の上に築かれていることを、決して忘れてはならないということを身をもって示されたという感じがいたします。陛下は、世代が段々変わっていくなかで、歴史を次の世代に語り継いでいくことは非常に大事なことだと度々仰っています。例えば、日本遺族会の五十五周年記念式典で「終戦から五十七年を経て、我国は戦後に生まれた人々が中心となる社会になりました。先の戦争の事が人々の心から遠くなっていく今日、戦争による深い悲しみを経験した遺族たちの持つ、世界の平和と我が国の平らかな行く末に対する強い思いを伝えていくことは誠に大切なことと思います」と仰られました。そのお気持ちはずっと続いていると思われます。

― 昭和天皇は最晩年の昭和六十三年の八月十五日に「やすらけき世を祈りしもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」と詠まれて、戦歿者の心からの慰霊を願われました。そして平成十七年の年頭ご発表の今上陛下の御製は「戦なき世を歩みきて思ひ出づかの難き日を生きし人々」でした。昭和天皇のお気持ちを受け継がれた今上陛下の今回のサイパンご訪問であったと思いますが。

渡邉 そうです。そして、今上陛下ご自身のお気持ちが強くあられるのだと思います。陛下は、物心ついた時から子供時代で戦争の無いときはなかったと仰っていますが、疎開先の日光から焼け野原の東京にお戻りになったご体験をお持ちの陛下が、その困難な日々を必死に歩んできた人々の上をお思いになられたのでしょう。

 終戦六十年という節目に両陛下のお気持ちを仰ぎ、国のために命を捧げられた戦歿者と戦後の苦難の道を切り拓いて来られた先達の歩みに心を寄せる時間を多く持つことは大切なことと思います。


サイパン島ご訪問ご出発にあたっての天皇陛下のおことば

 終戦六十年に当たり、サイパン島を訪問いたします。
 サイパン島は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になり、沖縄県民を始めとする多くの人々が島に渡り、島民と共にさとうきび栽培や製糖業に携わるなど、豊かな暮らしを目指して発展してきました。しかし先の大戦によりこの平和な島の姿は大きく変わりました。昭和十九年六月十五日には米軍が上陸し、孤立していた日本軍との間に、二十日以上にわたり戦闘が続きました。六十一年前の今日も、島では壮絶な戦いが続けられていました。食料や水もなく、負傷に対する手当てもない所で戦った人々のことを思うとき、心が痛みます。亡くなった日本人は五万五千人に及び、その中には子供を含む一万二千人の一般の人々がありました。同時に、この戦いにおいて、米軍も三千五百人近くの戦死者を出したこと、また、いたいけな幼児を含む九百人を超える島民が戦闘の犠牲となったことも決して忘れてはならないと思います。
 私どもは十年前、終戦五十年に当たり先の大戦で特に大きな災禍を受けた東京、広島、長崎、沖縄の慰霊の施設を巡拝し、戦没者をしのび、尽きることのない悲しみと共に過ごしてきた遺族に思いを致しました。
 また、その前年には小笠原を訪れ、硫黄島において厳しい戦闘の果てに玉砕した人々をしのびました。
 この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。
 私ども皆が、今日の我が国が、このような多くの人々の犠牲の上に築かれていることを、これからも常に心して歩んでいきたいものと思います。
 終わりに、この訪問に当たり、尽力された内閣総理大臣始め我が国の関係者、また、この度の私どもの訪問を受け入れるべく力を尽くされた米国並びに北マリアナ諸島の関係者に深く感謝いたします。

 平成十七年六月二十七日(月)

NHKアーカイブス 天皇皇后両陛下 サイパン訪問

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009170145_00000




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