沢山の神社を巡ってきましたが、ある頃に気がつきました。
「あれ?ここにも蛙の置物がある…」
「蛙が意味するものは?」疑問が湧くようになりました。
「求めよ さらば与えられん」という言葉は実際にそうなんですね。
疑問が湧き、それを知りたいと強く願った時、それが天に向かって発せられます。
その後、必要なタイミングでその答えが与えられます。
ある切っ掛けがあり…
私のガイドたちが「ザ・ライト~エクソシストの真実~」という映画を観なさいと言っているように感じたため観てみました。
悪霊祓いの映画なのですが、ある神父にかなり強力な霊が憑りついてしまい、それを他の男性が祓います。
祓う渦中で神父に憑りついた悪魔とやらが「私の名はバール、バエル!」などと叫んでいたように記憶しています。
「バアル(バール)」という悪魔的存在はなんとなく知っていましたが、「バエルさんとは?」調べてみました。
バアルとバエルは同一の存在ということのようです。
「バエル」のWikipediaには、その姿のイラストが掲載されています。
バエルの姿は「爺様」を中央に、左側に「猫」、右側に「蛙」、そして体は蜘蛛で表されています。
蛙は悪魔を表すものの一つであるようです。
多くの方たちは、神社仏閣や、そこにあるものというだけで、何から何まで「ありがたいもの」と受け止める傾向が強いように思います。
しかし、そうとは限らないということを、この数年で私はうんざりするほど学びました。
神社仏閣で働いている方でさえ、それが意味するものを知らずに、「良いものである」と思い込んでいる方たちがほとんどなのだろうと思います。
神社本庁と安倍晋三の繋がりは多くの人が指摘しています。
興味深いことにフリーメイソンの国内のロッジ(拠点)のマークには「鳥居」が使われているものが多くあります。
これまでに書いてきた通り、堕落した存在(堕天使)としては、ニニギ(ザドキエル)とサクヤ(サクヤはガブリエルだと教えてきています)がまず挙げられます。
バエルに描かれる蛙と猫は、ニニギとサクヤを表しているのだろうと私の感覚が反応しました。
どちらが蛙でどちらが猫なのか…
強く「内側の自分」に問いかけると、「キティちゃん」が思い浮かびました。
もうだいぶ前のことですが、米国のセレブがやたらと「キティちゃん愛」をアピールしていた時期がありました。
その頃に私はキティちゃんに違和感を感じ始めました。
キティちゃんは、まぁせいぜい子どもが好むキャラクターではないかと思います。
それが「自立している女性」や「かっこいい女性」を演じることを好むように見受けられる米国の女性たちが持て囃すのですから、大きな違和感を感じずにはいられませんでした。
近年のサンリオキャラクターには悪魔的な要素が盛り込まれているものもありますね。
「キティちゃん」は雌の猫ですね。
ですから、サクヤなのだろうと気がつきました。
確かに猫は女性的に描かれることが多いように思います。
そして、蛙がニニギを表しているのだと思います。
グリム童話にも「カエルの王子様」というものがあり、蛙が男性として描かれます。
サンリオのキャラクターにも蛙のものがあり、それは男の子という設定のようです。
阿弥陀などと同じく、知らず知らずのうちに悪魔的存在に親しんでもらおうというやり方なのかもしれません。
セレブたちの「キティちゃん愛」は、言い換えると一部の者たちが悪魔的存在として崇める「猫=サクヤ(リリス、カーリーなど)」に対する支持とも言えそうです。
このバエルという存在。
爺様と猫と蛙で表していますが、おそらく「369 みろく」のパクリなのではないかと思います。
「369 みろく」は光側の代表的存在である三者のエネルギーが統合した状態ですが、バエルの姿はそれを真似しているのではないかと思います。
しかしながら、爺様と猫と蛙の間では、当然のことながら「特殊な統合状態」など作り得ませんから、張りぼて的な匂いが漂います。
さて、猫と蛙が意味するものはわかりましたが、中央の「爺様」は誰を表しているのでしょうか。
…溜息