【社説】広がる「戦争反対」の声 「デモをできる社会」の意義とは
この社説のポイント
●戦争や改憲に反対するデモが広がっている。政府は声に耳を傾けて欲しい
●戦争反対の声を上げるだけで中傷される風潮は見過ごせない
●デモは憲法で保障された権利であり、権利は行使することで確かなものとなる
戦争が嫌だ。怖い。そう声を上げる人々が街頭に集まり始めた。一方でそうした声を塞ごうとする風潮も広がる。だが意思を表明する自由は、主権者が手放してはならない民主主義の基盤だ。失ってから気づくのでは、遅すぎる。
国際的規範を無視した理のない戦いが中東などに広がる中、デモが相次いでいる。3月25日には国会前に主催者発表で2万4千人が参加し、日本各地でも時間帯をあわせて人々が集った。週末にも「オタクによる反戦デモ」や音楽家ら主催のイベントなど様々な形で声が上がった。ここまでのうねりは、安保法案で揺れた2015年以来だろう。
街頭へ駆り立てるものは
現場で耳を傾けると、戦争反対の旗の下に集う人たちの関心が、目下のイラン情勢や改憲にとどまらぬことに気づく。急な衆院解散や予算案審議に表れる政権の強引さ、社会保障への不安。排外的な外国人政策にも及ぶ。
同じ週末、全米で800万人超とされる人々が「ノー・キングス(王はいらない)」の声を上げた。こちらも、訴えは米国のイラン攻撃だけでなく、強引な移民取り締まりや物価高など多岐にわたる。
法の支配を重んじる。意見の異なる相手と対話し合意点を探る。説明責任を果たす。保守、リベラルといった政治信条にかかわらず一昔前は当たり前だった道理を権力者が軽んじる。民主主義の底が抜けるという切迫感が、人々を街頭に駆り立てるのだろう。
戦争反対というシンプルな言葉のもとに人々がなぜ集まるのか。その警鐘に政府は耳を傾けているだろうか。
懸念されるのは、戦争への率直な忌避感を表明するだけで誹謗(ひぼう)中傷を浴びる風潮だ。SNSでは「戦争がなくなりますように」といった言葉を添えたイラストが批判され、削除に至る事態も起きた。一方、連帯を示す絵をSNSやデモで掲げる動きも広がる。
市民が声を上げると、「知識や解決策がないのに口を出すな」と軽んじられることもある。しかし、為政者は「現実的」で市民は無知、などと決めつけられるのか。米大統領らの行きあたりばったりの言動を見ていると、とてもそうは言えないだろう。
根付いたデモの形
国会周辺の歩道に、様々な人が集まって声を上げる。このデモの形は東京電力福島第一原発事故以来、特定秘密保護法や安保法制への反対などを経て、今に根付いている。
憲法には、言論の自由や集会・結社の自由が記されている。権利は行使することで具体的な姿を現す。デモをする意義は「デモをできる社会」を絶やさないことにもある。
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