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形式は痛みを整序できるが、倫理を回復するとは限らない。むしろ形式が整っているからこそ、空虚な自己正当化が「正常さ」として通用してしまうことがある。本作が描くのは、まさにその瞬間である。悪は露骨な異形として現れるのではなく、常識、良識、合理性、そして正しさの形式のなかに沈み込む。