ネットは氷河期世代の終の棲家か
ネットの普及で増えたものに『誹謗中傷トラブル』があります。特にsnsは個人による発信の場であるためか、感情が発露しやすい一面があることは否定てきません。感情に任せた物言いは攻撃的に取られることがあり、そこから訴訟などの法的トラブルに至る事例はままあります。ネットにおける攻撃的に取られる物言いはどの世代にも見られますが、中でも氷河期世代と称される40~50代の割合が突出している事実は見逃せません。
また、氷河期世代のネットトラブルは数が多いだけではなく、その質も他の世代とは異なります。他の世代は遊びや悪ふざけの度が過ぎたものなのに対し、氷河期世代によるネットトラブルは情念や妄執の域に達していることがあるからです。この点を見ても氷河期世代によるネットトラブルは異質と言えるでしょう。
実生活の氷河期世代はかげろうのように弱々しく誰からも顧みられないのに、ネットでは訴訟に至るまで虚勢を張ってイキがるのは何故か。X(旧ツイッター)のポストが仮開示の仮処分を受けた氷河期世代当事者から見た、氷河期世代のネット事情について記します。
まず、私はどうなのか
X(旧ツイッター)のポストが仮開示の仮処分を受けた私はどうなのか。
詳しくは添付したリンク先にありますが、私は創作物から読み取ったイメージや流言飛語の内容をポストに記しました。別のポストにはネットにある特定の層に向いた先入観に対する嫌悪感と、その先入観と男性嫌悪に相通じるものがあると解釈した心情を記しました。文面に過不足は無く、私がそう捉えたことをそのまま書いた次第です。
私は表現の自由原理派と称する通り、表現することそのものは一切否定されてはならないと考えます。また、言論の自由や思想良心の自由は表現の自由と直結するものであり、これらも一切否定されてはなりません。
表現されたものへの評価は内容を問わず言論の自由です。また、世間の風潮や価値観、そしてそれらに抱く感情はどのような内容でも思想良心の自由です。
私の年齢は氷河期世代に含まれます。収入も不安定ないわゆる底辺の層です。
ネットと氷河期世代の関係
何も得られなかったからネットで足掻く
『開示請求した相手は低収入の氷河期世代だった』。これは近年のネットトラブルでよく見られる事例です。ネットトラブルはどの世代でも起こるものですが、名誉毀損や侮辱などを問われる法的トラブルに至るほどの物言いを行う世代は氷河期世代が最多とされています。法的トラブルに至るまでの強い物言いが特定の世代に偏るのは社会構造の歪みが根底にあるとされていますが、氷河期世代が特にネットトラブルを起こしやすいのは何故でしょうか。
氷河期世代の多くは不況による就職難から収入や社会的地位が安定せず、公的なサポートも受けられなかったことから底辺層への下降を余儀なくされました。
金を得られずキャリアも積めない、社会は助けてくれない。本来なら会社で役職について収入も高値安定し、家族を養いながら住宅ローンを組もうと悩むはずの年齢なのに、実際は最低賃金のアルバイトか、いつ雇い止めを喰らうかと不安に怯える派遣社員。人生設計の土台を作るはずの新卒時代が不安定だったから、40や50になっても不安定なまま。そんな暮らしで結婚して家庭を持つなど無理な話で、生涯の伴侶や愛する子供も持てない。
氷河期世代は何も得られなかったため、誰からも顧みられない存在になりました。資産も地位も無いし、安定した暮らしだから身につく自信や余裕も当然無い。そんな者に魅力を見いだすことなどできません。残酷に思えますが、世間の氷河期世代への冷たさは当然の評価だったりします。そこに至るまでの経緯は関係ありません。あくまでも今現在の状況への評価が氷河期世代への冷遇に繋がっています。
氷河期世代はその不遇な立場の中でふつふつと、自身が受けた仕打ちへの恨みを募らせたのです。
また、氷河期世代はマンガやゲームなどのオタク趣味を大っぴらにできなかった最後の世代でもあります。氷河期世代まではオタク趣味は性犯罪の前兆と言われ、忌み嫌われていました。
反面、氷河期世代よりも新しい世代であるゆとり世代が社会に台頭するころにはオタク趣味が市民権を得ていました。たったひとつの世代の違いから社会の手の平返しが発生し、氷河期世代はその切り替えの余波をまともに受けてしまった世代です。
そのような光景の中で氷河期世代が次第にひねくれ、社会にそっぽを向けるようになりました。ネットトラブルもその事例のひとつで、相手をまるで威嚇や攻撃するかのような物言いは氷河期世代に顕著となります。氷河期世代の物言いはどれもこれも怒りや憎しみが込められているように思えてなりませんし、だいたいはその通りだったりします。
氷河期世代は政治や経済から、はてはオタク趣味に至るまで口を挟み、一端の批評家を気取って攻撃的とも取れる強気な態度をとります。実生活では会話もおぼつかないのにネットでは自分が様々な物事に一家言あるインテリの如く、すごく饒舌に語るのが氷河期世代です。
氷河期世代が匿名で顔が見えないネットでこうも横柄になるのはひとえに、自身の境遇に不満を抱いていることの裏返しと言えるでしょう。
実生活で何も成し遂げられず、誰からも尊重されないからネットの世界でひとかどの存在になりたがる、それが氷河期世代です。氷河期世代がネットで吠えるのは彼らが何も得られず、無為に歳ばかり取ってしまった焦りや不安の為せる技と言わざるを得ません。
(※もちろん、あらゆる世代あらゆる層が何らかの事柄に対してどのような感想を抱くことや、自身の感想や評価を物申す事は何ら否定されるものではありません)
時代遅れのネットフーリガン
不況による生活基盤の脆弱化が氷河期世代を追い詰めたことは先述しましたが、経済的社会的な苦境だけでは氷河期世代のネットトラブルの多さは説明できません。氷河期世代にも勝ち組と称される富裕層は存在しますが、彼らも大抵は似たり寄ったりだからです。
金持ち喧嘩せずという言葉は少なくとも氷河期世代には当てはまりません(実生活でも勝ち組の氷河期世代は我が強く周囲と衝突しやすいと見なされますが、ここではネットでの振る舞いに絞ります)。
開示請求された、名誉毀損や侮辱で告訴された者のうちで氷河期世代が多いのは実生活に不満があるのも理由ですが、この世代が日本のネット黎明期からの古参だからなのも大きな要因です。
日本でネットの通信網が整備されて個人での情報発信が容易になった時代は氷河期世代が時代の流行の最先端を行く、新しいものに真っ先に染まる若者層だった時代です。ネットの黎明期は現在と比べると無法地帯と言えるほどの荒れた状態で、喧嘩腰が当たり前との認識がまかり通っていました。
未知の世界であるネットに触れた最初の世代が氷河期世代ですが、その初めてが荒れた世界でした。そのため、氷河期世代は『ネットでは強気で我を通すのが当たり前』な意識を持ってしまったのです。
時代と共に価値観や倫理観は変わるものですが、氷河期世代はその点が変わりません。自分がネットの最初の世代、先駆者という老害的な優越感を無自覚に抱いているのは否定できない事実です。実生活が貧困だったり惨めであったりするからネットでは強者でいたい。意識をアップデートするのは負けだとさえ思っている節があります。
Jリーグが発足してサッカーファンが急増した際に暴力的なファンであるフーリガンが問題視されましたが、氷河期世代はネットのフーリガンと言っても差し支えありません。フーリガンは周りからどう見られているかを考えもせず暴れ回りますが、氷河期世代もネットでは好き勝手に喚き散らします。そしてどちらもコミュニティ(サッカーとネット)のイメージを悪くする厄介者です。誰もこんな者を好きにはなりません。
実生活では富裕層な者もその富を得るまでの経緯が苛烈だったことから攻撃的とも言える物言いをしがちで、その価値観をそのままネットに持ち込んでしまいます。結果、ある日突然開示請求されてしまい、ネットでイキがる間抜けな中年と見なされて広く拡散されてしまうのです。
空虚であっても繋がりたい
氷河期世代が開示請求されやすいのはネットでの物言いが現代社会のリテラシーにそぐわないからです。他の世代はそれが分かっているので同じ意図でも言い方を工夫します。
『バカと言うのは失礼だから頭が不自由な人と言いなさい』というお笑いネタがありますが、現在のネットリテラシーはまさにこれです。とにかく言い回しに気を配ることが第一であり、言葉選びは至上の命題となっています。
氷河期世代にネットリテラシーはありません。認識はあるものの、それに準ずることは無いと端っから軽視する傾向にあります。単に何も考えていない者もいるでしょうが、氷河期世代の中には少なくない割合で『トラブルという形であっても繋がりたい』と歪な孤独感を抱いているものがいます。
実生活で誰からも顧みられない氷河期世代は相手にされない、存在を認識されないことを何よりも嫌がります。実生活で孤立しているのにネットでも孤立するのは嫌だという、稚拙で身勝手な被害者意識を抱く氷河期世代は『相手にされないくらいなら告訴されてでも他者と繋がるほうがマシだ』とさえ思っていてもおかしくありません。
そのような“構ってちゃん”な者は告訴されたことによる繋がりが空虚なものと分からないのでしょうか?いいえ、分かっています。むしろ分かっているから空虚な形で繋がろうとします。
空虚な繋がりは深みがなく、長く続くこともありません。氷河期世代は実生活が不安定なために他者との繋がりが上手くいかない傾向にあります。自身の劣等感から他者を遠ざけながら、それでいて一方的に浅く繋がりたがるのが氷河期世代の望む人付き合いです。
自分は何もしなくても(告訴されるような物言いはしましたが)相手から繋がってくれるうえに、示談や判決などの形で一方的に繋がりを終わらせる。社会から孤立して人付き合いによる“責任”を負いたくない氷河期世代にとって、ネットトラブルからの法的措置に至る一連の流れは人生と引き換えにした、好都合な人付き合いと見ることができます。
氷河期世代はネットと心中する世代?
ネットトラブルを引き起こす最多層である氷河期世代が、これからのネット社会に適応するのは容易ではありません。氷河期世代は黎明期に横行していた“ネットとリアルは別”という価値観に未だにすがっているからです。
他の世代はネットを単なる便利ツールと見なして適度に扱いますが、氷河期世代にとってネットは生きることそのものです。実生活が恵まれず、誰からも愛されない氷河期世代はネットの世界に逃げ込みました。ネットで自由奔放にできたからこそ、氷河期世代は絶望をこじらせて死に絶える事態を回避できたと言えるでしょう。
しかしこれからのネット社会は氷河期世代には優しくありません。ネットリテラシーの強化はあらゆる世代や層が快適にネットを楽しめる環境作りに繋がりましたが、社会から孤立してネットを逃げ場にしていた氷河期世代の居場所を奪ったのも事実です。
実生活で社会の底辺に追いやられ、生きる意味が見いだせない氷河期世代はネットが最後のパーソナルゾーンでした。実生活で縮こまってもネットなら好きにできる、こんな思い込みが氷河期世代の心の支えになっていたのです。
しかし今のネット社会は氷河期世代の心の支えを許容しません。黎明期の価値観のままな氷河期世代はいわばネットの原始人であり、リテラシーが染み付いた文明人である他世代からすれば相容れない異物です。異物だからアップデートが出来ず、昔の常識のままに動いて開示請求からの訴訟を食らう。氷河期世代がいくら足掻いても時代が違う、ルールが違うのは曲げられない事実であり、氷河期世代が望む何でもありな混沌のネット社会の再来はありません。
ネットリテラシーが強まる現在、ネットと実社会は繋がるどころかほぼ同一です。端末を介するか否かの差でしかなく、他世代はそれを理解したうえで接しています。他世代のネットトラブルの多くが“実社会でもよくあること”に留まっているのはこのためです。氷河期世代特有の怨念にも似た、粘着質で陰気なトラブルとは違います。
氷河期世代はネットを自分の人生としつつネットと実社会は別と、虫のいいわがままを今まで通していました。しかしsnsでの開示請求が簡略化されるなどネットリテラシーが強まった現在、氷河期世代はもはやネットの先駆者ではなく厄介者にまで落ちぶれています。
これからのネット社会に適応できない氷河期世代に先はありません。このまま緩慢と、しかし確実に滅んでいきます。何でもありだった古き良き?ネット社会の幻と心中するのが氷河期世代のハッピーエンドかもしれません。
終


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