映画「愛のコリーダ 修復版」 | シャンパン好きの、映画と観劇と浜田省吾

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大島渚監督の最大の問題作が、デジタル修復されて蘇る。
昭和初期の「阿部定事件」を映画化した、1976年の作品。


未見なので、この機会に鑑賞しようかと。
地上波じゃあ絶対無理だろうし、配信でも厳しいだろうし。(笑)


映画「愛のコリーダ 修復版」

 


昭和11年、東京・中野の料亭。住み込みで働き始めた仲居の女性、定。

 

ちょっと先輩に言われたことで逆上し、包丁を手にして暴れる。

激情型というか、非情に感情が激しく気性が荒い事が分かる。

 

そんな定は主人の吉蔵と出会い、たちまち強く惹かれ合う。

女将さんの存在も気にせず、あっという間に肉体関係に発展する速さにビックリ。

この時代の倫理観が寛容で緩いのか、単純に人間性の問題なのか。

 

その女将さんも、あえて性行為を見せつける事もあるので、揃いも揃って変態ばかり。(笑)

 

やがて二人は料亭を出て、数々の待合を転々として、昼夜を問わず体を求めあう。

7~8割はセックスシーン、というくらいの勢いで、延々と性描写が続く。

ボカシはあるものの、かなり濃厚で生々しく、本格的でリアル。

 

確かに、大胆で過激、センセーショナルな性描写の連続で衝撃的。

身体の相性が良いと、愛情もより一層深く、強くなるものだと分かる。

 

定を演じた松田英子さんって、特別に美人というわけじゃないんだけど。

性欲と愛憎に溺れていく様を、体を張って体現していてお見事だった。

 

二人の愛はエスカレートし、時と場所も選ばずセックス三昧の日々。

吉蔵が好きで好きでたまらない定の、クレイジーなほどの執着ぶりが凄まじい。

 

若い定にそれほどまでに愛される吉蔵も、定の愛に応えようとする。

定がしたい事には全て応えてやる、という吉蔵の懐の深さと優しさ。

 

藤竜也さんが、ジゴロなところもある男で、渋くてカッコいい。

 

だがこの二人、似た者同士の変態で色情狂、ニンフォマニアック同士なんだと思う。

 

定は一途に吉蔵だけを愛するのかと思えば、昔の客との関係を続けるし。

女中が来ようが、誰に見られようとお構いなし、というのも変態チック。

 

吉蔵の方も、いきなり太った女中に襲い掛かったりと見境が無い感じ。

後半、やって来た68歳の高齢の芸者とも、定がやれと言えば目の前でやって見せる。

 

二人の愛欲にまみれたセックスシーンは、エロスを感じさせて美しくもあるが。

これはさすがに見たくないなぁ、と眉を顰めるような場面もしばしばある。

 

一番うげっ!とゲンナリしてしまった場面は、ゆで卵を入れちゃうところ。

定が座ってその卵を出した場面は、衝撃映像で可笑しかったが気持ち悪かった。

 

また、小さい男女の子供二人が全裸で駆けまわって遊んでいるところも。

もちろんモザイクはかかっているけど、定のある行為で途端に場が凍り付く。

 

それまで笑って無邪気にはしゃいでいた子供二人が、一瞬にして・・・。

さすがに子供を・・・というのは、卑猥だと非難されても仕方ないかも。

この場面は物語の本筋と関係ないし、カットすべきだと思った。

 

やがて二人は互いの首を絞めて快感を味わうなど、危険な性戯に溺れていく。

貪るようにセックスと愛に溺れてのめり込み、破滅への道を突き進む二人。

 

定は吉蔵の愛を独占したいと願うようになり、自分だけのものにしようと考える。

まさに究極の、極限の愛の形、永遠に愛と体を独占出来る到達点だ。

 

そして、首を絞めて死んだ後は男性器を切り取る・・・という阿部定事件となる。

 

官能的で激しい性描写は息をのむ迫力だが、あまり芸術性を感じなかった。

ワイセツだとは言わないが、色情狂が愛に狂った顛末という感じで。

 

この機会に見れて良かったけど、もっと綺麗に芸術的に撮れたら違ったんじゃないかな。

・・・と思ってしまったが、面白かったし世界に衝撃を与えたのも納得だった。

 

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