「(手術を)お願いしますと即答しました。今は珍しくありませんが、当時、肘にメスを入れて復帰したのはロッテの村田兆治さんと三井雅晴さんくらい。不安もありましたが、それまでの3カ月は何だったんだと思いましたからね。11月に肘の神経の周囲に付着した脂肪を除去する2度目の手術を受けましたが、『リハビリが後退することはない』とのことでした」
翌89年は復帰を目指してリハビリの毎日だった。
「リハビリ担当コーチなんていないし、日本語に訳してもらったメニューを、ひたすら一人でこなすだけ。使うのは、主にダンベルです。『痛みが出たらやめること』という注意事項がありましたが、痛くはならないし、いくらやってもストップをかける人はいません。走った後は他にやることもないので、ずっと続けました。6月にブルペンに入れるようになりましたが、夏に肘の内側がピンポン球を一回り小さくしたくらいに腫れて、痛みも出ました。渡米すると、ジョーブ博士の顔色が変わり、口調から『何をやったんだ』と怒っていることが分かりました。左手首から移植した腱が切れていたんです」
9月に右手首の腱を移植する手術を受け、復帰は大幅に遅れることになった。
「米国までの旅費、手術費、入院費はすべて球団が負担してくれました。3度の手術で、球団にも随分と迷惑をかけましたね」。