事故後からの流れ 3月19・20日
事故後4日目、5日目の内容を時系列で記します。内容は、学校、ツアー会社、海上保安部に対し、大きな誤りがないことを確認済みです。
調査や捜査に影響を与える可能性のある内容は省いております。
内容は主に、長女のメモをベースにしています。
時刻表記はおおよそのものです。
移動手段やホテルについては、記述がないものは全額学校負担でツアー会社手配のものとなっています。
報道機関の方々へ:Noteで私が投稿するすべての文面や写真については、報道や記事において、自由に利用いただいて問題ありません。
3月16日 (月) https://note.com/beloved_tomoka/n/n55f4f69741a2
3月17日 (火) https://note.com/beloved_tomoka/n/n91d4a369efae
3月18日 (水) https://note.com/beloved_tomoka/n/n36d6acd6962e
3月19日(木)
6:30
知華が事故当日の朝に友達と写真を撮ったビーチへ。知華の写真とともに家族写真を撮る。
8:30
ホテルをチェックアウトし、安置所へ。
9:30 安置所
安置所にはすでに校長先生、学年主任、法人部長、ツアー会社社長含む3名が待っていた。出棺前にお化粧直しをして納棺。空港まで一緒に向かう。
11:00 空港着
カーゴエリアで遺体の搬入に立ち会う。
貨物としてではなく、乗客として乗せてあげたく、長女がJALの搭乗の音楽をスマホで流す。大勢のJAL職員の方の温かい心遣いに救われた。
11:30 海上保安部の方が今後の流れを説明
午後 羽田空港に到着
到着ロビーではツアー会社副社長含む数名が待機しており、謝罪を受ける。
カーゴエリアでは、職員の方々が、遺体の積み下ろしが他の方から見えないよう、知華を車に乗せるまでコンテナで壁を作り、到着の音楽を流してくれていた。
葬儀社手配の車で遺体を実家近くの安置所へ(私と妻が同乗)。長女と妻の両親は別の車で安置所へ。
21:30
渋滞の中、安置所に到着。妻の兄弟・親族が知華の帰りを待っていた。地元まで戻ってきたことを知華に告げ、おかえり、と皆が涙とともに知華を労う。
22:30
退館時間となる。
3月20日(金)
午前中
知華に会いに安置所へ。
その後、葬儀の詳細について打ち合わせ。
知華の名前が書かれている死体検案書、死亡届を直視できない。子を失った親は皆こんな思いをしてきたのか。
午後
棺の中に入れてあげる思い出の品物、洋服などを京都の自宅に取りに向かう。(同行:私・妻・長女・妻の弟2人 / 移動:電車等)
移動中、長女は、葬儀の返礼品の手配、手書きメッセージなど、準備を進めた。この時点まで長女がまとめていた参列者リストを学校に引き継ぐこととした。
20:30
京都の自宅に到着。
4日前と変わらない知華の部屋。
妻は知華のベッドに顔を埋めたまま嗚咽し動かない。
21:30
同志社国際高校にて教頭先生と面談。春休み期間中にも関わらず、知華の下駄箱には友達が置いてくれた沖縄のお土産が置かれていた。
学校へ届いた一般の方からの弔電、手紙、近隣の方が手向けてくださった花束が、教室の知華の机の上に並べられていた。
知華のロッカーの扉には、友達からのメッセージが書かれていた。
通夜・葬儀への参列希望生徒数が200人近くになっていること、参列希望の生徒全員のホテル、交通費、駅から葬儀場へのシャトルバスは、学校が全額負担する旨の報告を受ける。
23:00
再度帰宅し、棺に入れてあげたいもの、知華が好きだった食べ物、洋服、葬儀場に飾るための遺品を選び、車に積み込む。「これはあの時の」、「あれはあそこで買ったやつ」。妻と長女が、知華が好きだったものを迷いなく選んでいく傍ら、私にはわからず、知華のことをよく見ていなかったことを悔いる。一緒に遊んだプレステのコントローラーを一つ選んだ。
翌 02:00
京都を出発。 移動手段:京都に置いてあった自家用車(運転は弟たち)
翌 10:00
実家に到着。
ここで書いた数日間、私はただそこにいることしかできませんでした。
いつも通りの妻の行動力、いつの間にか立派な大人に成長していた長女、妻と長女に声をかけ続けてくれた両親のおかげで、知華の「体」と「心」を連れて帰ってこれたこと、忘れないようにメモとして残しました。
中城海上保安部の方々
キャンプ・シュワブの方々
ホテルスタッフやタクシー運転手、JAL職員など、一期一会の沖縄の方々
私がここで書かなければ誰にも知られない所で、知華の死に一緒に心を痛め、私たちに時間と心を割いていただきました。本当に温かかった。心から感謝をしております。ありがとうございます。
学校から 校長、教頭、法人事務部長、学年主任
東武トップツアーズから 社長、副社長含めた役員、担当者の方々
責任云々の話とは別ですが、組織の責任者達が沖縄で私たちの怒りと悲しみを正面から受け止めながらも、逃げることなく、対応してくれました。
一方、日記で記した数日間に登場しない方達がいます。
書きたくても書ける内容が無い人たちです。
平和丸の船長、乗組員、ヘリ基地反対協議会その他の関係責任者達
沖縄にいる間、知華や私たちへ対面しての直接の謝罪、面会可否の問い合わせ、託された手紙、弔電、何ひとつありませんでした。学校、ツアー会社、中城海上保安部のいずれのルートでも問い合わせがなかったことを確認しています。
私はこれを、どう理解すれば良いのでしょうか。
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belovedtomoka@gmail.com
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最後の8行に心が締め付けられます。。。
『書ける内容が無い人たち』には、沖縄県知事、沖縄県文化観光スポーツ部もですね。 関係ないでは済まされない事です。
複雑な想いのなか、このNoteを届けて頂きありがとうございます。 拝読して、言葉がありません。心よりお悔やみ申し上げます。 および、娘さんを事故へ巻き込んだ当事者たちに対しては、怒りの感情しか湧きません。彼らの事故に至る過程やその後の姿勢でも、人として到底理解できる行動ではなく、…
一言だけ。 玉城デニー、政治家各位、 活動家各位、マスコミ各位、 絶対に風化させないからな! 生きてる限り訴え続けるぞ!