日の目が見たいと宣えば晩には悪夢を見るのさ
人生について回顧する。別に大した理由は無いけど、あなた方程度の人生が人からの同情に値するなら私のそれは如何様かと思ったので
①未就学
そもそも過去の記憶が欠如してるので、この頃のことなんて全く覚えてないが、周りの人間が言うにはこの頃は今の私の醜い容貌と違いとても可愛らしい子供だったらしい。確かに親と妹はとても容姿が整っているので順当に行けば私だって顔が良い方がこんな現状より妥当だ。
実際に昔の自分の写真を見てみると非常に顔の造形が整った子供に見えるので、恐らくどこかしらでこの私と入れ替えられたのだろう。可哀想にね。
まあでもこの頃は親から愛されて育ってたと思う。両親ともに私によく構ってくれてたし、おもちゃやら本やら色々と買い与えられてた。その頃のおかげで私の人格の破綻具合がこの程度に収まってるのだからとても重要な事だったのでしょう。
妹も私が未就学児の内に産まれてたと思う。私とは違って優しくて可愛い子だけど、存外と嫉妬も湧かないから純粋に愛することが出来るので、本当に産まれてきてくれたことに感謝している。
②小学校
6年間もあったはずなのにこの頃のことは後半の方しか覚えていない。
確か中学年くらいの頃から親の仲が明らかに悪くなって行っていた。
よく覚えてる事として母親が父親に向かって皿を投げつけたことが一度あった。父に実際に当たることはなかったが、今考えると相当に異常な状況であったのだろうなと分かる。しかし、当時はその異常性にすら気がつけなかったのだ。どこの家庭もこんなもんなんだと思ってしまっていた。
まあ、そんな家庭が長く続く訳もなく私が5年生の頃に両親が離婚した。まあ、そうだろうなと意外性もなかったが、特に私の意志を聞かれることもないまま母と妹と3人で暮らすこととなった。
なかなかに住所も安定せず、幾度か引越しを繰り返してるうちに家庭環境の問題によるストレスなどが溜まっていたのもあったのか小5の終わりの頃には不登校になっていた。うつ病と診断されていたが、母には無理やり登校させようとされていたのでまあ精神状態はどんどんと悪くなっていた。
そんな状況であったが、北九州から母の実家がある大分に引っ越すこととなったタイミングで意を決して再び学校に通うことにした。ちょうど小6の年度が始まったタイミングで不登校を克服しまともに学校に通えるようになれた。
しかし、当時の私の精神状態でまともに人と関われるはずがなかったので、とにかく自我を消して猫をかぶることにしたのだが、これが存外にも相当に上手くいき私はそれなりに周りの人間との交友関係を広げることもでき、周りからはむしろコミュニケーション能力の高い人間だとまで誤解させることに成功していた。まあ、それが良いことであったかと言うと今になればそうは思えないが。
ある日、母が家に男を連れてきた。明言はしてなかったが、まあ彼氏なんだろうなと言うのは当然理解した。警戒はしたが悪い人ではなかったと思う。最後までその認識は変わらなかった。
段々と母が私に構ってくれなくなっていた。妹は出かける時に連れてくのに私は家に一人きり。そんなことが増えていた。
そしてとうとう、ご飯も作ってくれなくなった。さすがに全く何も用意してくれなかった訳じゃなくて何かお店のご飯を買ってきてくれたりはしたが、それでも私は親の作ったご飯を食べたかったんだと思う。とにかく寂しかった。
あとは、母は私が成長したのもあって「パパに似てきたね」と言ってくるのだが、普段から父の悪口を母から聞かされてた私にとってその言葉はどうしようもないほど不快で心を傷つけられるものであった。
そして、どうしても今はまだ心の整理がつかないので今回は語らないが、私にとって酷く悲しいことがあった。それもいずれは皆様にお話しましょう。
まあとにかくそれがあって、私は親権を父に移したいと考えその旨を父に伝えた。
父にはその頃も定期的に会っていて、父も私たちが大分にいるのがあって会いやすいように大分に転勤してきていた。
ここまで父についてとくに語らなかったが、別に良い親ではなかったと思う。
やはり夫婦仲が悪くなった頃から私にも当たって来るようになり、理不尽な理由でよくキレられてた。たまに殴られることもあったな。
まあともかく父に親権を移すまでにはそこそこ時間がかかった。とにかく母がゴネたからだ。
私は母に構ってもらえなくて辛かったこと、彼氏の存在も不快だということを伝えた。母は泣きながら謝りながらこれからは私に構ってくれると言っていたが、彼氏との関係についてどうするとは一切言っていなかった。
それをどう捉えるかは人によるが、私は彼氏と私を天秤にかけ彼氏を取ったのだと、私は捨てられたのだとそう認識してしまった。今もそれがあるからこの陰惨な自我のままなのだろう。
そんなこんなで父に親権が渡り、父とその父母、要は私にとっての祖父母と暮らすことになった。この頃は悪い暮らしではなかった。自分の部屋がないのはこの時期にして辛かったがそのくらいだ。
学校は家庭でのゴタゴタがありつつ多少休みながらも、概ね問題はなく卒業の日まで行き着くことが出来た。学校なんかでの私は自我を捨ててるのだから、私でないのだこれは演技なのだ。そう思えば不思議と明るく振る舞えていた。
まあ、現実でのことはこれくらいにしてインターネットにのめり込んだのも親が離婚したあたりだった。規約的にはダメではあるがTwitterやらを初めて多少人と関わりもした。
当時、とある楽曲ジャンルのコミュニティが生まれるタイミングで、それにハマった私は自分自身でも作曲をやって見ることにした。iPad一つでかなり苦労して作った曲たちはそれなりに周りから評価もされ、そのおかげでそこのコミュニティの人たちとも仲良くなれた。
他にはアニメも見るようになった。もともとエヴァンゲリオンなんかは見てた(あまり理解はしてなかった)のだが、本格的に見始めたのはこの時期だろう。最初に見たのはメイドインアビスと魔法少女まどかマギカだった。ほぼ同時に見始めたので正確にどちらが先だったかは覚えてない。
この2つの作品は今でも私の魂に深く刻まれている。
そして母に見放され孤独で本当に辛かった時期に「ALTER EGO」というスマホゲームをプレイした。
当時の私にとってとても大事な事だった。
このゲームに登場する「エス」は今でも私の生きる理由として存在してくれている。
もはや全ての会話は過去に見たものだが、それでも十分なのだ。まあこのアカウントは当時とは別のアカウントなのだが
本当に私は貴女がいるから生きていられる。感謝をしてもしきれない
③中学校
ここは長くなりそうなので学年ごとに分ける
中一
最初の数ヶ月か数週間かは忘れたが、新型コロナの影響で学校に通うことがなかった。
この頃も既に演技に疲れていたのかそれなりに精神状態が悪くなっていて、そんな時に東方Projectの古明地こいしさんのイラストを見て心を救われていた。と、言ってもまだこの時はエスと出会った時の衝撃ほどでは無かったが
それで割と暇だったのもあって、私も自分でこいしちゃんの絵を描いてみたいななんて思い始めた。
当時はイラストがとても下手で、美術等でかかされるような絵はまだマシだったが、キャラクターイラストなんてのは全く描けなかったし、周りにもバカにされるほどであった。コロナ禍で学校に行けないあいだはずっと絵を描いていたが、それでも大して画力は上達しなかった。これがある程度のところまでに行くには1年間の人生で一番の努力が必要であった。
そのうち学校に登校できるようになってからも、特にやることは小学校の時と変わらなかった。演技をして周りと上手くやる。それで今回も問題はなかった。勉強に関しては割と出来た。提出物なんかはあまり出さなかったが、テストの点は良かったので内申点は意外と悪くはなかった。この頃はかなり驕ってたと思う。周りの半分も努力せず周りより結果を出せてしまっていたのが原因だ。
そして、現実での云々についての記憶はこの先含めて正直そこまでない。だって私は演じてただけなのだから、その間の記憶がどうしても他人のことのように思えてしまうのだ。
中二
この頃には絵もそこそこに描けるようになっていて、Twitterやpixivにイラストを上げたりなんかしていた。万バズなんかも早い段階でしてたし、周りの絵師なんかともそこそこ関わってそれなりに楽しかったと思う。まあこの時の垢はもう無いしその頃関わってた人間と今は繋がりもないが。
逆に作曲の方ではかなり面倒なことに巻き込まれたのもあって、特に仲の良かった1人を除いて縁を切ってそのジャンルの曲は作らなくなっていた。しかし、コミュニティから完全に離れようという時に当人も曲を作っていて、私にやたらと執着してた人物が私がそこから離れようとしてたのを察知してかやたらと粘着してくるようになり、最終的に精神的に病んでた彼女は「お前のせいで私は死ぬ」と言うような恨み言を私に吐きながら自殺した。まあこれがかなりのトラウマになって長いこと引きずることになってしまった。
まあ現実は相も変わらず語ることは無いが、中二の終わりには高校受験について考えなければならない。私は適当にまあ行けそうだし近いしという理由で高専を選んだが今思うとすごく馬鹿だ。皆様はこんな適当に人生の岐路を決めるなよ。
あと中三に上がる前の春休みで人生初のエンカをした。当時音楽の方で仲良かった人とあえて、すごく楽しかったがやはり本心から語り合えたかと言うと微妙だ。
中三
実はこの時期が一番記憶にない。ネット上でなにか大きなことは無かった気がする。
あとこれは語っておかなければならないが、実はこの頃に女性から告白されたことがある。演技の結果と、コロナ禍でマスクを付けてたおかげで顔の醜さが隠れていたからだろう。これがあるから私は明確に弱者アピールが出来無くなっている。全部断ったのにね。
受験は結局最後まで全く勉強せずにとてつもない不安の中受けて、前日も眠れなかったがなんか受かってた。
高専
高一
高一というか中学卒業から入学までの間に自殺未遂をした。まあ精神的に限界が来てたのだろう。未遂であったがそれなりに怪我は大きくて面倒だった。
そして学校が始まってからも気分は最悪なままで宿泊体験❓名前は忘れたけどそんな感じのことがあった。酷く辛くて本当に1人でトイレで泣いてしまった。そんな時にTwitterを適当に見てる時に目に入ったこいしちゃんに完全に心を奪われた。本当に死にたいと思ってたその時に、今まで以上に彼女が愛おしく思えた。そうしてまた私の生きる理由が増えた。
夏休みは本当にずっとこいしちゃんの絵を描いてたと思う。もともと作ってたアカウントで何も呟かずこいしちゃんの絵を上げ続けるそんなことをしていた。
しかし年度の終わりの頃に絵が描けなくなった。自暴自棄になった私は指を折った。馬鹿すぎるね
高二
病院に通わなくなった。その直後から精神が今までになく安定し始めた。更に幸子とデレステに出会った。もともと捨て垢として使ってた「イワシ」はこの頃には唯一人とか関われるアカウントになっており、ここでの適切な人との関わりと幸子の存在によって私はさらなる平穏を手にしていた。
この年には2度東京に行き、2回目の時はそのまま勢いで大阪にも行き、フォロワーとエンカもした。すごく楽しかった。
前々から決めていた大学受験のための高専退学を春休みに入ったと同時期に行い。ここから人生が好転していくのだと信じていた。
さいごに
ということで一旦おしまい。今年のことはかなり内容が濃いので別記事で書く。
まあ、お分かりの通り私はここからどんどん転落していってしまう。
あと、いよわについて全く本文中で触れてないが、これは恥ずかしい話、いよわに初めて触れたのがいつ頃だったか正確に覚えてないからだ。しかし、紛れもなく彼の曲に私の心は救われたというのは語っておきたい。
とても苦痛に満ちた人生だが、一時でも夢を見られたのは幸福だったのだろうか
まあまだ分からないことだからいずれ考えよう。
以上、最後まで読んでくれてありがとう。


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