参
柚丸は村で勉学を盗み聞きしていた際、もとは浪人であったという師匠と直に話す機会が何度かあった。
その人物は女だてらに剣客であるという一風変わった者であったが。
女は浪人という性質上、様々なことに精通していると見え、ある面白い話を聞かせてくれた。
宿に困ったら、まず、川を見つけよ。
したら、大抵は川沿いに水車場がある。
水車場の梁の上ならばそれなりに休めよう。
いかんせん仕事場である。連中は手元の仕事に忙しく、上に何があろうかなどまず気にはしない。
女浪人は、どうもそういう方法で「寝床」を確保していたといい、なるほど、柚丸はこの話に妙な感銘を受けたものであった。
そのようなわけで、柚丸は込油に流れるある程度の川量のある河川を探していた。
しばらくすると、
そこには川が流れていた。どのような名前で、どのような由来のある川なのか、それはあまり興味がない。
柚丸は川を睨み、そして、川上に水車場があるのを見つけた。
(あれだ)
水車は米を搗いたり、木を挽いたり、鉱石を砕いたり、菜種などから油を搾るのに欠かせない。
あたりには働き手が見られる。職人街だろう。ふいごの動力にもなるから、川沿いには鍛冶師も多い。
柚丸は、ある鍛冶場の隣りにある、卸売りをしている刀屋を少し覗いた。
鉄の香りがする。
店主は、「餓鬼か」と呟いて、興味をなくした。
(んだよ。愛想ねえな)
刀はやはり高い。銭差し二貫、
和深は広大故に、土地によって銭の価値もまるで違う。しかし、銀のほうが高価値で知られる。
理由は、妖術の媒体としての性能である。御札に銀を混ぜた済で呪印やら祝詞を刻むと、金よりも、効果が上がるのだ。
端的に言えば、銀は、金の十倍から二十倍の価値と言っていいだろう。
(安くても銭差し二貫。金一両ならまだまだ手頃。んだよ、銀三本って)
銭差し一貫は千文である。ここ、美河では一文がだいたい二十五現代日本円。すなわち、千文は二万五千円。
数打物でさえ五万円から、十五万円である。
そしてその十から二十倍(百五十万円から三百万円)の刀でさえ、「まあふつうかな」というような扱いであった。
高いものなど、
「銀五本……」
という巨額も、当たり前。
しかしながら、これでさえ、大業物という肩書と折り紙がつくような品には程遠いのが現実であった。
(だめだ、逆立ちしたって出せる額じゃねえ)
店主をちらとみると、とうに興味をなくして、春本を眺めて退屈そうにしていた。
「ほらみん、買えんだら」
そう言われている気がした。
(くそっ、いつか金銀引っ提げて、和深の名刀を集めてやる)
柚丸はおかしな気持ちで奮起しつつも、どうにもならず、刀屋を出た。
空はすっかり、薄く夕陽に染まっている。己の影が、長く伸びている。
なんだか妙な敗北感があった。そこらの奴らでさえ刀を提げている。
無論それは、小太刀や脇差し、道中差しなどだ。そうでないのならば、やはりそれは長刀大刀の類。具足に身を包んでいる武士の身なりでなければ、大方、浪人であろう。
大小差しに槍、そういった類のものは、どこかに己を売り込もうという者が大半である。
ときには鉄砲も見られた。しかし大半の武士はこれを忌み嫌う。卑怯といって。
柚丸にしてみれば、妖術がもてはやされて、鉄砲がだめな理由が、よくわからなかった。
どっちも、剣客の努力を一瞬で無に帰すという意味では同じである。
「っと、水車場だ」
柚丸はさも川の方に用事があるかのような振る舞いで水車場の裏手に回るなり、さっと身を躍らせて壁をよじ登り、入母屋の脇にある煙出しから侵入する。
梁の上には板が張ってあり、そこには、ありがたいことに備えと見られる干し飯や、兵糧丸がおいてあった。さらに、酒、塩、味噌まである。
(俺に喰ってくれと言わんばかりだ。ありがてえ)
柚丸はありがたくそれを頂戴することにした。
ばりばりと干し飯をかっくらって、味噌玉をかじって、酒で喉を潤す。
眠くなってきて、柚丸は丸くなって木刀を抱き、眠った。
夜明け前。水車場では、もう仕事が始まる。
水車式の臼と杵が動き始める。油を搾るのだろう。ヒマワリの種を潰している。絞り濾し取った油を陶器の瓶に入れている。
(
柚丸は起き抜けにそう思った。
天から風のごとく降りてきた仏様が、食えば楽しくなる。そのように伝えた揚げ物を、
(一串四文だっけ……くそっ、一串くらいなら買ってもいいかな)
先日、鬼のごとく悪漢を叩っ殺したとは思えぬ、いかにも童めいた考えだ。
柚丸は、梁の上の飯をまたしても貪って、それからいくばくか行李にもらい、腰に芋がら縄を巻いて、酒を瓢箪に移して栓をする。
ふと、昨日は夕暮れゆえわからぬ物陰に、なにやら、一振り隠れているのが見えた。
それは刀剣である。
黒い鞘。打刀ではない。太刀だ。柄には足間があり、糸が巻かれている。いわゆる渡巻というやつか。
このときの柚丸には知らぬことであったが、これは糸巻太刀拵と言うやつである。
正式名称を、
――
という。美河の隣国、尾梁国からもたらされた贈答品、ないし戦利品と見える。
武家の儀仗刀だろうか? おおよそ実戦刀とは言い難い、華美な作りである。
「失礼」
柚丸は手を合わせてから刀の鯉口を切って刀身を検める。
こういうとき、ちゃんと口に拭い紙を食むとか、手入れされた刀であれば丁子油を拭って打ち粉で落とすとか、作法はいくつもある。
が、当然そんな道具は見当たらないので、手間は省く。
刀身は鍔元で曲りがきつくなる典型的な太刀である。
柚丸にはまだ、刀の真贋や、そこに用いられる
(飯盛が必死に媚び売ってるみてえな刀だ)
思わず、そのような感想を持ってしまった。贈答品としてはそれくらいがいいのかもしれぬが。
柚丸にとって刀とは、「斬れるか、なまくらか」それだけであった。
そして、斬れる刀を、彼は己の内で、業物と勝手に定義していた。
こと、この儀仗刀――。
鋼が、妙にギラついている。輝きは凄まじい。しかし、それだけだった。それ以上の魅力を、感じない。
磨いた鏡のように鋭く輝くものの。けれど、これでひとを切れるかと問われると、柚丸は首を傾げたくなる。
(典型的な儀仗刀だな。こいつはだめだ、使えない)
そう思って、しかし。
(売り物にはなるか)
考えを改める。
柚丸はその三尺二寸、世間一般には、大太刀とも言うようなそれを背負った。
あらかた品を物色する。適当な着物があった。
それに着替える。藍染、木綿の着流しだ。
(悪いな)
悪びれもせず内心謝る。こういうときは形だけでも手を合わせて謝っておけと、寺子屋の女師匠が言っていたのだ。
今の世では、おそらくは人間もそうであろう。申し訳ないと口で言いつつ、暴力、殺人、強姦強盗など当たり前。
末法の世に、まずもって秩序など望めまい。
お武家の連中は、自らの行いがそうした世の終わりのような光景をもたらしていると知ったうえで、なお、天下国家をほざく。
(くだらねえ。せいぜい、俺が天下無双になるまでの間、お前らの乱れた世を利用させてもらうさ)
だが妖怪と人間とでは、ものの捉え方、考えが根本から違う。
ただそれだけのことであり、両者の善悪など、そも、比較するだけ馬鹿げたことであった。
柚丸は煙出しから外へ出る。すとんと着地した。
何事もなかったかのように柚丸は歩き出した。
近場で太刀を売れば足がつく。そう考えた。そしてそうした知恵から、柚丸は盗んだ儀仗刀を晒しで巻いている。
柚丸は盗みに入ることは初めてではない。村にいた頃は日常的、常習的にこれを行っていた。
こそこそしていては怪しまれることなどわかっているので、恐ろしいほどに堂々と通りを歩く。
柚丸は立場から一旦東へ。昨日の騒ぎがどうなったのかをそれとなく探ろうと思った。
なのだが、
「
「おい、すぐそこじゃねえか」
「吉多で兵を募ってるそうだ」「謀反の鎮圧か。徳河の旦那も必死だァ」
「馬鹿野郎、お侍に聞かれたらどうするっ!」
柚丸はそうした物騒な空気があたりに満ちているのを、声音と、そして浪人らの野心混じりの汗臭さとともに感じていた。
(吉多、東だ。三十四番目の宿)
吉多城がある。城下町も。そこで兵を募っている。
(
柚丸の、くすぶり続けていた野心が、赤く、紅蓮のごとく息をし始める。
(この戦さを頼りに一歩、天下無双に近づく)
柚丸は内心、思い上がってすらいた。
――俺が天下無双だ!
居ても立っても居られない。
吉多で太刀を売る。気に食わぬほどに儀礼的な作りとはいえ、かえって、売り物としては上物。
柚丸はこれで一式、安物とはいえ具足も揃えられるのではないかとほくそ笑んだのだが――。
――無論、そんなうまい話というのは、まずないものなのだった。
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