弐
柚丸は目抜き通りを外れて、隘路に入った。
まさか大通りに面した空き家に入るわけにもいかないし、また、そのように立地のよい家ならば、すぐに次の誰かが入るだろうと考えたからだ。
そのため裏通りで適当なあばら家でも探す算段であった。それが叶わぬならば、そのときはいっそ狐の姿に戻り、適当な軒下で眠るまでである。
ふと、柚丸は目を細めた。
後ろから三つ、前から二つ。
不揃いではあるが、妙に肩肘を張ったような足音が迫っている。
そこに明確な殺意と害意をにじませている。
日差しが陰る。そんな気がした。むせ返る悪臭のような胸糞の悪い色が差し込んだのだ。
言うまでも無いが錯覚である。しかし。
確かなものもあった。それは、殺意を放つ五人。
歩み寄る影があり、柚丸は爪先に力を込めた。
前後で挟まれている。
(誘い込まれた)
否……。
(俺が迂闊に縄張りに入り込んだのか)
おそらく後者だろう。このような連中が、ここまで巧みに個人を誘い込めるとは思えぬ。
路上で暮らす無宿人の類か。あるいは浪人か。
どのような手合であれ、餓鬼一人
いずれにせよ。
柚丸は二、三度肩を回した。
村の奴らはせいぜい、チャンバラごっこにしか付き合ってくれなかった。
その程度のやり取りで己が鍛えられた気にはなっていないが。
他ならない山で多くの獣を狩り、打ち倒してきた。
――自負は、ある。
――殺れる。
――殺る。
――こわい。
(弱気に飲まれるな)
柚丸は己を叱咤する。
「よう坊主」
後ろから声をかけられた。低い男の声である。
柚丸はあくまで落ち着いた振る舞いであった。狼狽を見せれば何かとつけ入れられることはわかりきっている。
男らは痩せた体にぼろを纏い、腰には、数打ちですらなく、木剣、あるいは、ただの棒切れを差している程度だ。
銭差し二貫ほどで買える、安物さえ差していない。
髪は伸び放題、あるいは鬱陶しくて剃り上げているようだが、中途半端に生え始めた毛が、いかにもといった風体を醸している。
まさしく場末のごろつきという身なりだ。
この程度の連中に、己が妖怪であるという事実は露見するまいが、厄介ではあった。
妖力や妖気を抑えるすべの一つ二つは、大抵のあやかしが持っている。
今のあやかしにとって肩身の狭い時代、嫌でも身につく技能であり、生き抜く知恵だった。
(妖術を使える人間はいる。とはいえ、見せれば厄介だ)
術さえ使えば五人を一瞬で殺れるが、のちのち、面倒に巻き込まれることを考えると控えるべきだ。
そうなると当然、木刀でコイツラを叩くわけだが。
(五対一。やるしかねえ)
男たちは下卑な笑みを浮かべて腰から棒切れを抜く。
「やい。おめえ、銭もってんだって?」
「見てたぜ、俺らァ」
「うまそうに喰ってたなァおい」
柚丸は無言であった。
内心、こういうときにどうすべきかわからなかったというのもある。人の世の法のすべてを知っているわけではない。
いやそれは、人の身であってもそうか。すべての法を知っているものなどめったにいるものではない。
とはいえ、柚丸に関しては、触書の類さえまだ読んでいない田舎者なのだ。
(込油ではどの程度打ちのめすことが許されておるのだろうな)
すでに柚丸は相手を叩き伏せることに決めていた。それ自体を、わざわざ、己に戒めるつもりなどはなかった。
やると決めた。
(まあ、どうせこの程度の奴ら。それに今は戦さの世。乱れた世の、場末のごろつき。叩っ殺しても構わんか)
柚丸は腰から木刀を抜く。
削って形成し、硬く焼きしめたものだ。
「おい、この餓鬼、やる気だぞ」
「かまやしねえ、やっちまえ!」
男らが檄を飛ばすやいなや、打ちかかってきた。
柚丸は素早くその場で旋回し、前方の二人の足を己の払い蹴りで跳ね飛ばす。
そのままの勢いで柚丸は蹴り倒した二人の間を抜けた。
後ろの三人が、つんのめるように倒れた二人にひかかって、もつれ合う。
柚丸はそのもつれ合いの中、一人、前に出てきた月代の男の顔面を、思い切り殴りつけた。
「ごぁっ」
ぐしゃり、と月代の鼻面がひしゃげる。柚丸の左の拳骨が、相手の鼻っ柱を殴り潰していた。
鼻血と折れた前歯が散って、柚丸は顔を抑える月代男の首を、木刀で思い切り打った。
ごきゃっと首の骨が砕ける凄まじい音がして、月代男は「げぁあああっ」と悲鳴を上げる。
「あがっ、ががっと」痙攣し、死に絶える男。
柚丸はそれでは止まらない。無論、男らも。
「野郎!」「平太ッ! やいゴラァ、手足もいで鳥の餌にするぞァ!」
怒鳴り声。
柚丸は猛然と迫る総髪の額に木刀を全力で殴りつけて、額を叩き割る。
すかさず右手から棒を突きこんでくる、髪を結わえた年嵩の棒先を木刀で払って逸らすと、その鼻面を左手で掴み、脇の家屋の壁に叩きつけた。
頑丈な木板が砕ける。柚丸は、棘々しいその木板の折れた断面に、年嵩の首を叩きつけてとどめを刺した。
ざくりと、板の断面がねじ込まれた男が激しく震える。
これで三人。
体力的にはまだ柚丸に余裕がある。しかし、厄介なのは精神的な重圧だ。
命を奪うという行為への罪悪感はさほどない。罪の意識による重みではない。しかし、一人一つの命を、その人生を終わらせた自覚が、重たくのしかかってくる。
まるで、死んだ三人の霊魂が見えない手となり、体にしがみついてくるように。
柚丸は軽く手を振った。木刀に粘りついた血が糸を引いて垂れ落ちる。
二回、柚丸は跳んで、
相手が呼吸を荒く、再び打ちかかってくるのに合わせ、
ぶつかる。
至近距離。振り下ろされる寸でのところで、相手の棒の根本に木刀を添えて勢いを殺し、頭上で押さえる。
足払いをかける。
転がった男に、もう一人が渾身の力で木剣を殴りつけてしまう図になった。
頭をかち割られた方は激しくのたうち絶命。
「ひっ、ぁ……」
柚丸は容赦なく、残った最後の一人の首を、木刀で打ち、打って、叩き砕いた。
都合七度首を打たれた男は、目玉と舌を飛び出させ、顔をくろぐろとうっ血させて絶命。
おおよそ。人道、というものを逸脱している。
むろん。この時勢に、人権思想などというものはない。宇宙も世界もまるで違う。人権宣言などというものは生まれるべくもない歴史世界である。
しかし、だとしても。人の心、人の道はあって然るべき。
残酷なだけが、乱世ではない。
そも暴力だけ支配できるほど、人の世は甘くはない。暴力による支配など、遠からず、瓦解するのが常である。
(殺った。……くそ、なんだ、気が晴れねえ!)
柚丸は血に塗れた木刀を振って、血と脂をはね落とすと、袖口に刀身をあてて拭った。
その顔は、人間の童に化けてこそいるが、どう見ても妖怪、妖狐のそれ。
血に染まり、不快感と後悔と、
――ある種の達成を経て得た、満足げな笑みが、顔に浮かんでいる。
「旦那、こっちでさぁ。さっき、悲鳴やら物音がね」
「何言っとぉだ。国境いならまだしも、こんな宿場のど真ん中で誰が――」
声がする。多分、騒ぎを聞いた誰かが奉行を呼んできたのだ。宿場にいる奉行は、いわゆる、道中奉行と言うやつだろうか。
いずれにせよ牢に入れられてもかなわない。
柚丸は身のこなし軽やかに、すばやく屋根の上に駆け上がると、その場を離れた。
路地に入ってきた奉行の「おいっ、なんだよォこらあ!」という大声、宿場の者らのざわめき、野次馬の蛮声。
それらを背に、柚丸は舌打ちをして、さっさと遠のくことにした。
武者修行の初日にしょっ引かれるなど、たまったものではない。
それでも柚丸は後ろ髪ひかれる思いで、事の顛末を見たかったが、首を振ってその場を去ることにした。
そんな騒ぎを、遠巻きに眺めるのは、一匹の狸である。
狸はついと顔を上げた。
そこには、幼い童女がいて、彼女は狸に干した
「すまんの」
狸はたおやかな女の声で言うと、その
しかし実際に答えたのは狸ではない。その隣りにいる、少しふっくらした女性である。
大荷物を背負い、腰には、道中差しを帯びている。
「
「流れるままさ。いつも通り、行商をするよ」
「そっか。頑張ってね。お土産ちょうだいね」
「ふふ。良いものを持ってくるよ。じゃあ、またしばらく出るかね」
狸河は微笑んで、歩き出した。
干鰯をばりばりと食っていた狸はおいていかれるまいとぽてぽて走り、狸河の大荷物にしがみつくのだった。
【お詫び】
※戦国乱世が舞台ですが、手元資料の不足に伴い、江戸時代の歴史観や貨幣価値、また、文明水準を取り入れています。
空想世界の出来事と思ってお楽しみいただければ幸いです。
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