安倍総理の家族葬に陸自儀仗隊が動員された例も

 近年、特定の政党や政治家による自衛隊の「私物化」への懸念が徐々に高まっている。

 その象徴的な事例として想起されるのが、安倍総理の家族葬における陸上自衛隊儀仗隊の参加である。

安倍氏の「家族葬」に陸自の儀仗隊が参列 戦後の首相経験者で初:朝日新聞

 内閣府が主催した内閣府設置法を根拠とする国葬儀において自衛隊が儀仗を行うことは、国家の儀式としての法的制度的な位置づけに基づくものであるため、一定の理解ができるだろう。

 元首相が銃撃されて亡くなったこと自体は極めて痛ましいことだが、しかしその「家族葬」という、あくまで私的な性格を持つ弔いの場に、陸上自衛隊の儀仗隊が参加したことは前代未聞の事態であったといえる。

 家族葬という私的な行事に自衛隊という公的な実力組織が動員されることは、自衛隊と特定の政治家、あるいは特定の政治勢力との間の境界線が曖昧になっているようにも思われる。

 今回の自民党大会における国歌斉唱の問題も、この「境界線の融解」の連続線上にある出来事として位置づけられるのではないか。

 制度的な位置づけが明確でないまま、白黒がはっきりしないグレーな領域へと、政権与党が自衛隊を巻き込みながらどんどんと踏み込んでいる。

 このような既成事実の積み重ねが、将来的に実力組織の政治的利用に対する心理的なハードルを下げてしまうことが危惧されよう。

 また、こうした自衛隊の中立性を巡る隙や規範の緩みは、国家安全保障の観点からも無視できないリスクを孕んでいる。特定の政党と実力組織が過度に密着しているような印象を国内外に与えることは、海外からの影響工作の格好の標的とされる危険性を高めることになりかねない。

 法律の不備やグレーゾーンを突いて既成事実を作っていく手法は、長期的に見て国家のガバナンスを劣化させる要因となりかねない。

 自衛隊員という実力を行使し得る立場の人間が、政治的な境界線を越えることに無自覚であってはならず、また政治の側もそれを都合よく利用してはならないことは改めて厳に確認されるべきだ。

 むろん自衛隊員による党大会での国歌斉唱リードが、ただちに自衛隊法に基づく刑事罰や懲戒処分の対象となるかといえば、解釈が分かれるだろう。

 加えてここで述べておきたいのは、筆者が求めているのは自衛隊員の違法性の結論ではないし、ましてや懲戒ではない。

 問題の要諦は「処罰されるか否か」という法的判断の次元ではないのである。

「法的に違反しているかもしれない」と疑われるようなグレーな領域の行為に対し、政府や政党、政治家が率先して「問題ない」と強弁し、実質的な議論や慎重な検討を封殺しようとする姿勢をこそ懸念する。

 本来であれば、政権を担う側こそが、実力組織である自衛隊の政治的中立性を守るために、自らを律する高い規範意識を持たなければならないはずだからだ。

 こうした長く培われた「政治的常識」の軽視は大きな綻びや分断の源泉だと考えられている。

 そのことを改めて提起しておきたい。