「いじめ自殺」隠ぺいされた調査メモ
またもや、いじめ自殺をめぐる教育委員会幹部による〈背任事件〉の報道である。地元の『神戸新聞』は2018年4〜6月にかけて次のように報じている。
神戸市垂水区の市立中学3年の女子生徒が自殺した。市教委の主席指導主事は、生徒から事情を聞いた調査メモの存在を隠ぺいするよう、当時の校長に指示した。
校長は指示どおりに、遺族にメモは存在しないと虚偽の回答をした。証拠保全手続きにおいては、裁判所に対してもメモは存在しないと虚偽の回答をした。
校長はメモを共有する教職員に対し「今さら出せない」などと説明した。新しい校長は教員にメモの存在を教えられ、当時の校長に経緯を確認したうえで、これを市教委に報告していた。報告を受けた市教委は、内部調査を指示しながらも、対応を放置した。
ことが露見した後、市教委は主席指導主事と当時の校長以外に経緯を知る教職員はいなかったとして、組織ぐるみの隠ぺいを否定した。
市教委は、当時の校長が教職員に「今さら出せない」などと説明したことについても、「経過説明のようなもので、隠ぺいの指示ではない」とする。新しい校長から報告を受けていた部長や課長たちは「意味がわからなかった」などと言っている。
遺族は次のように訴える。
「こうしたメモの隠ぺいは、単なる特定の職員個人の判断や職務怠慢ではなく、いじめの事実自体を隠そうとする学校そして教育委員会の姿勢そのものから生じたものと言わざるを得ません。
(中略)
『第三者委員会』の調査は、聞き取りメモを隠ぺいした教育委員会が事務局となり、一次調査を行った上で出来上がったものであり、昨年8月の『第三者委員会』の調査報告書はもはや全く信用できません。市長のもとで始まる再調査委員会において真実が解明されることを願ってやみません」
学校でいじめ自殺などの重大事態が生じた際、教育委員会は隠ぺいへと誘引されやすく、その腐敗ぶりは、最悪の部類といってもよい。
それは以下の二条件が重なって、最悪の相乗効果をもたらしているからだ。
1. 制度の不備
2. 学校および学校業者(教育委員会など)の聖域あつかい
学校および学校業者の聖域あつかいについては、「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」などで説明したので、そちらをご覧いただきたい。
さらに、学校が全体主義の聖なる場所になりがちであることについては、「いじめ研究の第一人者が問う、日本の学校が染まる『全体主義』の核心」を参照されたい。
法の不備を指摘しよう
今回は、制度の不備について論じる。
まずは罰則が不十分であることを指摘しよう。
報道が正しいならば、今回の神戸市教委の幹部による隠ぺいは、あきらかな背任行為であり、隠ぺいに手を染めた者は、〈背任罪〉によって刑事罰を受けるべきである。
しかしこういった教委や学校関係者によるいじめなどの隠ぺいは、背任罪が適用されない。これは法の不備だ。以後このような隠ぺいに手を染めた教委幹部や学校関係者に刑事罰が科されるような、法改正が必要である。
また、隠ぺいに手を染めたことが明らかであれば、処分は退職金なしの懲戒免職にしなければならない。
さらに根幹的な法の不備を指摘しよう。
教育委員会は、いじめなどの重大事態が「なかった」ことになれば利益になる、純然たる利害当事者である。
このような利害当事者に、第三者委員会を設置させるのは、マフィアに警察署長をさせるようなものである。あるいはヤクザに十手をもたせるようなことである。
いじめ隠ぺい推進法?
ところが、いじめ防止対策推進法では、重大事態への対処として、利害当事者である学校の設置者(教育委員会)または学校が調査をするとある(第二十八条第一項)。この法にもとづいて、教育委員会が第三者委員会を設置している。
このように利害当事者に調査をさせるいじめ防止対策推進法は、公共的な正義の論理を逸脱した悪法である。この法の内実は、「いじめ防止対策推進法」ではなく「いじめ隠ぺい推進法」になっている。
皮肉なことに、調査を受け持つ教委や学校が悪質であった場合、メディアから集中砲火をあびる見込みが大きい。
組織防衛という点では、正直である方が理にかなうのであるが、なぜか多くの教委幹部たちは、組織内部の人間関係しか見えない視野狭窄に陥りがちである。
そして、リスク管理としても愚かな大失敗をする。
いじめの隠ぺいにせよ、殺人などその他の犯罪にせよ、「完全犯罪」が可能なのは、目立たないという条件があって、メディアや警察もやる気がないときだけである。
この条件がそろっていなければ無理だという現実的な認識ができないのは、幼稚としかいいようがない。
腹黒いことをしているはずの教委幹部たちは、裏の手段は目立たないときにのみ合理的で、目立つ場合は表の手段しか使えないという、悪事のイロハがわかっていないのではないか。
利害損得を考えるなら正直であれ
また、教育委員会が善良であった場合、まじめな対応と調査のための過重労働にあえぎ、どれほど正直であっても利害当事者であることから信頼されず、厳しい疑惑のまなざしで見られる。これは大きな苦痛である。
このように正しい教委が苦しむのも、利害当事者に第三者委員会を設置させる悪法のおかげである。
筆者は、教育委員会の教員研修で講師をするときは、いつも教委幹部に向けて、次のように話している。
「隠ぺいをする側とそれを暴露する側のたたかいでは、絶対にマスコミに勝てません。マスコミは、たたかえば必ず負けるあなたがたの天敵です。本当に利害損得を考えるなら、一に正直、二に正直、三四がなくて、五に正直。これが組織防衛の基本です。あなたたちが善人であれ、腹黒い悪人であれ、いずれにしても、きちんと正直をつらぬいて、組織を守り抜いてください」
このような言い方は、きれいごとを言うよりも、組織人(組織のしもべ)に成り下がって隠ぺいをしかねない悪人たちには説得力がある。
逆に正しい人たちにとっては、これはいうまでもないことだ。つまり上記の説得法は、教育委員会内部の、悪人と善人、双方にとって一致する正義への方向づけになる。
現実には、おなじ教育委員会幹部や学校関係者のなかに、天使と悪魔の両方が住んでいる。
最悪のケースがいくつも起きている
これまで述べたように、教育委員会幹部や学校関係者が隠ぺいに手を染めても背任罪が成立しないのは、法の不備である。
利害当事者である教育委員会に第三者委員会を設置させる現行のいじめ防止対策推進法は、実質的には、「いじめ隠ぺい推進法」になっている。これは最低最悪の法である。
このような法の環境条件が、教育委員会幹部や学校関係者のなかの、悪魔の部分を肥大させ天使の部分を小さくする。
その典型的な姿については、取手市教育委員会についての報道をもとに、『現代ビジネス』の連載でくわしく分析した(「日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動」に続く4回の連載)。
法を整備し、隠ぺいに対し背任罪を適用し、利害当事者である教育委員会に第三者委員会を設置させないようにすれば、逆に、悪魔の部分が小さくなり、天使の部分が大きくなる。法環境の整備は、教育委員会をよいものにする改善効果がある。
また、これは教育委員会にとっても利益になる。幹部も一般職員もふくめて、調査をめぐるストレスに満ちた過重労働から解放される。また愚かにも隠ぺいをやってしまって破滅するリスクをゼロにする。
「時すでに遅し」が多すぎる…
最後に、いじめ防止対策推進法のもう一つの欠陥を指摘しよう。
同法の第三十条第二項では、教育委員会や学校が設置した第三者委員会による調査について、地方公共団体の長が付属機関を設けて再調査を行うことができるとしている。
しかしこの条文は、調査の有効性に影響する時間経過というファクターを考慮にいれていない(図)。
つまり調査は鮮度が命なのである。
やったやらない、言った言わない、といった事実関係は、時間がたてば記憶が曖昧になり、わからなくなっていく。
調査によって有用な情報を得ることができると見込まれる時期は、ほとんどの場合、重大事態が起きてから時間があまりたっていない時期である。
この貴重な時期の初動調査を、利害当事者である教委が設置した第三者委員会が独占し、被害者側がそれに不服を申し立てて再調査を入れても、時すでに遅しなのだ。
利害当事者ではない組織が設置する本当の第三者委員会が、貴重な初動調査を行うよう、法を改正しなければならない。