「魔の池」(3) 大正9年9月30日の惨事
◇1920年(大正9年)9月30日の惨事
土佐沖より東北東に進行した台風は、房総南端をかすめ、横浜に豪雨をもたらした。
9月30日の一日の降水量は262.5mmとなり、現在(2018年7月)までの記録を見ても、観測史上3位の日降水量となっている。
この豪雨による被害は、横浜市内において前述の「魔の池」の決壊による19人の犠牲者の他に、崖崩れ等により四十余名あまりの犠牲者が出たことを横浜貿易新報は伝えていた。
(横浜貿易新報 大正9年10月3日 より)
当時の様子をすぐ近くの願成寺の住職が次のように語っていた。「真夜中『池がおっこった!』という悲痛な叫びに目が覚めた。すわ!と飛び出してみると、ごうごうたる水音とともに、巾10メートル、長さ数10メートルの水流が激しくほとばしり出ていて、夜目にも白々と、下方の闇へ延びていった。
北側の堤が切れたのだ。やがてドシャぶりの中を子どもや老入を背おった人々が続々と寺に避難してくる。
早速達者な者たちによる救出作業や女たちによる炊き出しが始まった。外ははげしい嵐、ほのぐらいローソクの灯がゆらいで、はぐれた家族や見当らない知人の身の上が察じられ、不安にみちた一夜であった。
夜が明けると一帯は海のようで、その光景は実に惨たんたるものであった。
下方の民家十数軒がおし流され、寝こみをおそわれた人々の枕や、ふとん、その他諸々の家財が流れていて、その間に水死体の黒い頭が浮いていた.遺体は寺に収容され、火葬の後、遺族に引き取られたが、犠牲者の数、実に19人、まれにみる大惨事であった。これらの人々の霊をなぐさめる供養塔が、今願成寺の入口に立っている」と。(ものがたり西区の今昔より)
この惨劇の後、危険極まりないことから埋立てられ、大正の大震災の後、人家が一面に建ち並んだという。
そして今でも願成寺の入口に犠牲者の霊をなぐさめる慰霊塔がひっそりと立っている。
- 関連記事
-
- 横浜かながわ浦島太郎伝説(5) (2019/04/19)
- 横浜かながわ浦島太郎伝説(4) (2019/04/12)
- 横浜かながわ浦島太郎伝説(3) (2019/04/07)
- 横浜かながわ浦島太郎伝説(2) (2019/04/05)
- 横浜かながわ浦島太郎伝説(1) (2019/04/02)
- マーテン地蔵(しばられ地蔵) (2019/03/13)
- 後に残る狐の舌 (2019/02/28)
- 花咲町の無縁さま (2019/02/26)
- 「魔の池」(3) 大正9年9月30日の惨事 (2018/08/16)
- 「魔の池」(2) なぜ「魔の池」と呼ばれたのか (2018/08/09)
- 「魔の池」(1) 魔の池はどこにあったのか? (2018/07/30)