第8回差別恐れ、アイヌを否定し生きた ルーツ取り戻し「もう沈黙しない」

大滝哲彰

 「日本人として生きること」「アイヌの血を薄めるために日本人と結婚すること」

 光野智子=札幌市=が、アイヌ民族の母から言われ続けてきた言葉だ。

 アイヌ民族が多く住む北海道平取町に生まれ育った。貧乏な家庭が多く、学校では周りのアイヌ民族たちがいじめられていた。

 かけられる言葉といえば「犬が来た」「外人」「熊」……。いじめに遭うのを恐れ、見て見ぬふりをしてアイヌ民族であることを隠した。

アイヌの刺繡を習い、美しさにハマった

 母は小さな民芸品店を営んでいたが、「アイヌ民芸」と書かれた店の車に乗ることが嫌だった。

 「誰にも知られたくない」。40年間、出自を隠し、アイヌの血を引くことを否定して生きた。

 離婚が転機となった。住宅を買う資金を借りるため、札幌アイヌ協会に入会。「どうせなら」と刺繡(ししゅう)を習い始め、その鮮やかさ、美しさにハマっていった。

 手先が器用ではないが、「縫い目がきれいですね」と褒められると、「アイヌの血なのかな」と思った。

 少しずつだが、胸の内に押し込んでいたルーツを目覚めさせ、取り戻す作業のようだった。

 2006年から、アイヌ教育相談員になった。修学資金補助制度の対応や子どもたちの学力向上をめざして設けられた相談員制度だが、その始まりは、ある事件がきっかけだった。

 1980年、札幌市内の小学校の入学説明会で、教務主任だった教員が「アイヌは勘定もできない。アイヌのようにならないためにちゃんと勉強しよう」と話した。

 同じ時期には、市内の公立高校で教員が「アイヌとの結婚を避けること」と発言し、それを聞いたアイヌ民族の親たちが抗議。翌年から始まったのが、相談員制度だった。

 毎年秋ごろには、公立小学校でアイヌ文化を伝える出前授業が増える。光野は年間30校ほどに講師として派遣される。

 アイヌ民族の衣装を着て、「イランカラ小書きのプテ(こんにちは)」とアイヌ語であいさつ。簡単なアイヌ語会話、歌や踊りといった体験を通して、アイヌ文化に触れてもらう。

 「子どもたちには温かい心を持ってほしい。差別を生まない心は、教育によって育まれると思うから」

アイヌだから、女性だからと差別を受ける実態

 相談員として教育に限らない様々な相談を受けてきた。その中で、アイヌ民族だからと差別を受け、女性だからと差別を受ける複合差別の実態を目の当たりにしてきた。

 「小さい頃から歌や踊りをさせられ、アイヌから逃げるように東京へ移り住んだ」

 「結婚相手から『女は飯を作るもの』と言われ、セックスの道具にされ、子ども2人を連れて逃げた」

 光野はアイヌ民族の多原良子=札幌市=らと、アイヌ女性が受ける複合差別の実態を調査。16年にはスイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれた女性差別撤廃委員会の日本審査で、同じく複合差別を受ける在日コリアン女性らとともに、その実態を訴えた。

 光野は言う。「アイヌだからと差別された過去があるのに、アイヌ女性はまだ二重三重の差別に苦しんでいる。私たちは、もう沈黙しない」=敬称略

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