学際的パンデミック対策

スウェーデンの新型コロナ対策を「国家疫学者」が振り返ったエッセイ。訳者の宮川絢子先生にご恵贈いただきました。献本御礼です。

おそらく、訳者の意図とは異なる読後感想を私は持った。あと、アマゾンの書評もちょろっと読んだけどあれらは見当違いだな、とも思った(アマゾンの書評あるあるですが)。もちろん、以下はあくまでも個人の感想ですけどね。

これは多くの専門家が首肯することだと思うが、新型コロナ対策に極端な見解の相違はない。そのような相違、あるいは対立を作ろうとするのはラージメディアであり、近年ではソーシャルメディアであるが、基本的には我々が見解を違えるのはストラテジーの各論的問題である。ウイルスや感染症の基本や原則、感染対策の基本方針についてはほとんど異論がない。

野球やサッカーにおいては、相手よりもたくさん得点を取り、逆に相手に得点を取らせないことが勝利に関する基本方針だ。しかし、細かい戦術は(プレミアの呼称を用いるならば)マネジャーによって異なる。しかし、サー・アレックスとペップとベンゲルとモウリーニョが異なる戦術を用いたからと言って、彼らの見ているビジョンがバラバラということはない。彼らが互いに尊敬、敬愛し合っている仲なのも間違いない。

本書の「主人公」であるテグネル氏は、COVID-19パンデミックを深刻な公衆衛生上の問題と認識していた。往時の報道で言われ、本書でも言及されたように本問題を放置して集団免疫をつければよいのだ、というまるで反ワクチン論者の言うような見解は持っていなかった。ここを断固として否定していたのが、本書の最大の特徴の一つだ。

コロナワクチン以前の時代においては、感染回避だけが取りうる戦略だった。ただ、その方法論は各氏で異なる。ちょうど、3バックでいくか、5枚で守るかみたいな選択だ。だからといって「別に失点したっていいじゃん。コロナはただの風邪なんだから」みたいに思ってるプロは皆無だったということだ。

よってテグネル氏はソーシャルディスタンスやリモートワークを推奨し、「自主的な外出自粛」は推奨し(本書からそのまま引用したが213p、若干馬から落ちて落馬感はある(笑))、ロックダウンはやりすぎだ、と主張する。実はこれって日本がやったのと同じだ。

これはロックダウンがダメだというよりも、メリデメで考えてデメリットが大きく、スウェーデンの国民性にフィットしないという判断だったのだろう。そこには、エイズ患者を無意味に隔離して、返って裏目に出たというスウェーデンの苦い歴史的記憶もあったらしい。まあ、歴史から学び続けるスウェーデンは、ことが終わるとすべて水に流してリセットし、ゼロに戻る日本の私からするととても羨ましい。

テグネル氏はマスクの効果に懐疑的だが、いわゆる「反マスク派」のように全否定しているわけではない。混雑した公共交通機関ではマスクの着用は必要だと考えるし、病院内では自らもマスクを着用する。これは私が現在も取っている行動基準と同じだ(私はパンデミック中も外をジョギングするときはマスクは着けなかった。現在も診療時はマスクを着けている)。テグネル氏のロジックはマスクの効果そのもののみならず、その入手コストや、正しく着用できるかといった実際面にまで考慮したうえでのメリデメでの判断だ。だから「マスクの効果は環境によって大きく異なる」と述べるのだ。

テグネル氏は、スウェーデンのコロナ対策が(メディアが煽ったほど)悪くはなかったと主張する。そのために本書を執筆したのだと私は思う。4月3日時点でスウェーデンの人口100万あたり2798人で、これはEUの平均と大差ない。ただし、テグネル氏が比較の対象とするノルウェーは1050、デンマークは1696であり、ここをどう解釈するかは人によって見解が異なるだろう。

とはいえ、日本の597とは大きく異なる。本書でテグネル氏は日本についてほとんど言及していない。巻末ボーナストラックのインタビューでは「政治的に正しい」コメントに終止しており、具体的な言及は意図的に回避しているように見える。もっとも、学校閉鎖には否定的で、これは我々の研究が示唆したものと同じだ(少なくともオミクロン以前では)。

いずれにしても、テグネル氏は「文脈が大事だ」と繰り返し述べており、それは実に正しい。だから、本書はスウェーデンが正しかったとか、他の国はなぜ真似しなかったのか、といった主張を論ずる本ではない(だから、アマゾン書評が失当なのである)。テグネル氏自身、ノルウェーその他の国のやり方を否定しているわけではない。

念のため申し上げておくが、私自身も「スウェーデンより日本のほうが良かった」と主張したいわけではない(そして、その逆でもない)。

コロナの死者数は大事なアウトカムであるが、アウトカムの一つでしかないのもまた事実だ。日本はいろいろ上手くやってきたが、いくつかはしくじったし、日本の「文脈」でしかできない手法もあったのもまた事実だ。初期のトレーシングは日本のような人的リソースを使い尽くす(使い倒す)国でないと実戦不可能だったし、「緊急事態宣言」も欧州でやったら空振っただろう。アベノマスクや休校は見当違いだったし、クルーズ船に至っては苦々しいストーリーしかない(そして、そのほとんどは国民には非公開なままだ。オーストラリアのようにちゃんと検証しなかったからね)。

最大の問題は、ワクチンで事態収集の目処が立ったのに、規制緩和、De-escalationが遅れてしまったことだ。これは実に日本的な失敗だった。しかし、例えば病院内の感染対策を緩和しようという見解を早期に述べていたのはむしろ感染症の専門家たちである。面会とか、ご遺体の扱いとか、受診、入院、手術時の検査とか。それを断固として拒んだのは「安心できない」と主張した医療現場だ。「安全安心」という謎ワードが普及する日本ならではなのだが、そこはどこぞの人文系の学者とか(の一部)が主張するものはまったく見当違いなのだ、とは申し上げておきたい。

いずれにしても、他国との比較は常に勉強になる。良い面も、悪い面も。渦中にいるときは他国の詳細は知りえなかった。当方にもそれを知る余裕はなく、彼の地でもアウトプットの余裕はなかっただろう。今こそそれを顧みる良い時期なのだ。とはいえ、日本では大抵の人が「もう終わったことなのだから」と忘れ去ってしまうのだけど。

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学際的パンデミック対策|岩田健太郎 K Iwata
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