そこに、工作機関指導部を震撼させる決定的な事件が起きた。拉致被害者が“脱出”を試みたのである。

 1978年7月、マカオで自称日本人の男性に観光案内を頼まれた3人の若い女性が、北朝鮮に拉致された。翌79年の春、彼女らは救助を求めて平壌のインドネシア大使館に駆け込むという挙に出た。

 しかしインドネシア大使館は、「自国民でなければ保護できない」と救助を断り、彼女らを北朝鮮当局に引き渡した。脱出は失敗に終わった。

 だが、脱出・逃亡の企てはこの一度きりではなかった。

 レバノンでは1978年8月、若い女性4人が「日本に良い就職口がある」と言葉巧みに誘われ、北朝鮮に拉致された。家族が騒ぎ出すと、北朝鮮は1979年4月と9月の二度、4人のうち2人を監視付きで旧ユーゴスラビアに送り、首都ベオグラードのホテルから「元気で暮らしているので心配しないで」と家族に電話させた。北朝鮮から国際電話をかけると交換手を通して発信地が判明するため、海外から電話させたのである。

 ところが9月の2度目の「電話作戦」のさい、2人はすきをみてホテルから逃走し、レバノン大使館に保護されて帰国を果たした。その後、さらに1人がレバノン政府の要請で帰国し、元米兵と結婚した1人だけが今も北朝鮮に残されている。

「外国人は信じられない」

 この2件の脱走事件は、北朝鮮当局に拉致被害者に対する深刻な警戒心を持たせた。その結果、北朝鮮指導部は、「従順」なふりをしていても、いつ逃亡するかわからない拉致被害者を秘密工作員に利用するのは危険すぎると判断するに至ったと蓮池薫さんは分析する。

「最初は多くの若い日本人を北朝鮮の秘密工作員として教育・利用する目的で拉致したが、それが思うようにいかず、ある段階から北朝鮮工作員の日本語教育をさせるようになった」と。

 金賢姫もまた、同様の認識を語っている。

「拉致した人に対し、徹底して思想教育をおこない、自国あるいは外国で工作活動させようと計画したらしい。ところが試験的に外国に送り込んでみると、その人たちはみな裏切って、北朝鮮当局を失望させた」

「外国人は信じられない、それなら国内で工作員を養成したほうがましだ」と結論づけた北朝鮮当局は、いったん拉致してきた外国人を送り返すこともできず、そうかといって殺してしまうわけにもいかず、「国内工作員の養成のために利用するようになった」(金賢姫『忘れられない女(ひと)』文春文庫P250-251)。

 ただし、金賢姫が言及する「試験的に外国に送り込んで」裏切った例はまだ確認されておらず、“電話作戦”でベオグラードに送られたレバノン人女性たちの件を指すと思われる。

 こうして北朝鮮当局は、1979年春のマカオ女性の脱出未遂事件で、拉致被害者を工作員にするプロジェクトを停止し、同年9月のレバノン女性脱出事件を経て最終的に断念したとみられる。そして拉致被害者たちを、国内工作員が「日本人に成り済ます」ための教育係へと“転用”する方針に切り替えたのである。

 北朝鮮の拉致プロジェクトを挫折させたのは武力でも外交でもない。それは拉致被害者たちの脱出事件だった。次回、この教訓が示すものを検証する。

(つづく)