オタクの「反表現規制論」が説得力を失った理由
最近、といっても私のTwitterのTLだけかもしれないが、またしてもオタクが表現規制云々の話題で五月蠅い。春だからね。
だが、オタクの反表現規制論は説得力を失った。元々出鱈目な主張ではあったが、一昔前は声が大きかったのもまた事実だ。しかし、昨今は彼らの主張にはSNSで論破ごっこをする程度の威力しかなく、オタク以外のまともな社会人には反表現規制の訴えは全く通用しなくなっている。
象徴的な事例は、いわゆるAV新法の制定である。これは出演契約にまつわる規制であり、正確な意味では表現規制ではない。そもそも出演強要被害を防ぐためのものだから、業界からすれば身から出た錆というほかない。とはいえ、こうした法律が女性の権利に関心が薄い自民党からも吹き出し、業界団体がロビイングしたにもかかわらず成立した意味は重い。オタクたちの声が大きい頃には成立しなかったのではないかとも思える事例だ。
では、なぜオタクたちの反表現規制論は説得力を失ったのだろうか。今回の記事ではそれを紐解いていく。
ちなみに、声ばかり大きなオタク連中に勝手に決めつけられるが、私は「表現規制派」などではなく、むしろ、表現規制はなくて済むならそれに越したことはないと考えている立場だ。山田太郎とは異なり国旗損壊罪にも明確に反対している。
ただし、表現の自由がその他の権利に無条件に優越するとも、すでに野放しになっている表現が現時点で問題を起こしていないとも考えていない。それ以外に打つ手がないなら権利の調整手段としての表現規制もやむを得ないと考えているだけだ。
暇アノンの圧倒的エビデンス性
改めて、暇アノンとは何だったのか
オタクの表現規制論が説得力を失った最大の理由として、暇アノン問題に触れないわけにはいかない。
暇アノンについての説明は今更不要だろうが、あえて重要な点を挙げておさらいをしておく。暇アノンには様々な要素があるが、彼らが「表現の自由」を過度に信奉するオタク集団による暴走現象であったという側面は否定できない。今回はこの側面が重要となる。
(なお、ここでは「表現の自由」を括弧つきで表現しているが、これは一般的な意味での表現の自由ではないことを意味している。彼らにとって「表現の自由」とは、自分が好きな表現が一切批判されないことだ。括弧つきで「表現の自由」と書いたときはオタク文脈的な意味で使っていると理解して欲しい)
なぜ、暇アノンが表現の自由やオタクと関係あると言えるのか。それは、暇アノンの名前の由来となった暇空茜自身が明言しているからだ。
暇アノン現象最大の要点は、女性支援団体に対する誹謗中傷である。とはいえ、女性支援団体とオタクとの間に直接的な関連は本来ない。なぜ、彼らは女性支援団体への誹謗中傷に走ったのだろうか。
この動機について、暇空茜は自身のTwitterアカウントで以下のように発言している。(なお、彼らが女性支援団体の疑惑に対する批判だと主張したもののほとんどすべては民事訴訟で損害賠償が命じられるレベルの事実無根の中傷であったことは申し添えておく)
ここで「作品を燃やす」と表現されているのは、Colaboの代表である仁藤夢乃氏が『温泉むすめ』に対する批判を行ったことを指していると考えていい。実際、訴訟の代理人を務めた神原元弁護士の所属する武蔵小杉合同法律事務所は、判決文について以下のように述べている。
なお、判決の中で重要なのは、以下の部分です(27頁)。
「被告(暇空)が自らの好む漫画やアニメなどのコンテンツを批判する原告仁藤に対し強い敵意を抱き、原告らを批判する動機がそのような点にあることを自認しているもので、上記活動報告書等の記載をあえて曲解している可能性を否定できない」
つまり、判決によれば、暇空は、仁藤夢乃さんが10代の少女を性的に描く「温泉むすめ」を批判したことに対して、仁藤さんに敵意を抱き、Colaboの報告書をあえて曲解した可能性があるというのです。
このことを判決が認定したことは大きな意味があると考えられます。
加えて、暇空本人はデイリー新潮に対する取材でも以下のように述べている。
その活動をあらかた終えた後、次なるターゲットとしたのが仁藤氏だった。仁藤氏は、同じくイラストが問題視された「温泉むすめ」批判の急先鋒だった。「温泉むすめ」とは日本各地の温泉地を美少女キャラクター化し、アニメーションや漫画、ゲームなどのメディアミックスが展開したプロジェクトで、観光庁も後援している。仁藤氏はそのイラストや紹介文に対して、「性差別で性搾取」などとTwitterで批判していた。
「僕は温泉むすめのファンではありません。ただ、宇崎ちゃん騒動と同様に、仁藤さんは作品に対して一方的に自分たちの倫理観によって、悪と決めつけ断罪して攻撃してきた。仁藤さんの批判によって、温泉むすめの運営会社は『スポーツ文化ツーリズムアワード2021』の表彰を辞退までさせられたのです。あのやり方は魔女狩りのレベルです。あれを見て、じゃあ、あなた方がやっている事業は後ろ暗いところはないんだろうな、徹底的に調べあげてやると覚悟を決めた。それでColaboの運営や会計についての調査を開始したのです」
これらのことから、暇空のColabo批判の動機が「表現を守る」ことにあったのは明白だろう。
もっとも、「燃やす」だの「魔女狩り」だのと不穏当な言葉が飛び交うが、仁藤氏による批判は批判として不当な程度や強度を持つものではなく、せいぜい言葉遣いが痛烈だったという程度である (記憶だと言葉遣いだってさほどでもなかった印象すらあるが)。少なくとも、暇空茜のように在宅起訴されるほどではなかった。オタクは女の子がデレデレするアニメしか見ていないから、女性からの否定がより一層染みたのかもしれない。
ひまそらあかね11万票
さておき、暇アノンが「表現の自由」を信奉するオタクの暴走現象であることははっきりした。とはいえ、ここまでではまだSNSで暴れる一部の厄介オタクの集合体に過ぎない。が、その認識、というよりは事実関係が大きく崩れる出来事が起こる。
ひまそらあかねの都知事選出馬、そして11万票の得票である。
読売新聞のサイトによれば、この得票は投票者の1.6%に迫る。この得票はレイシストとして一世を風靡した桜井誠の1.2%を上回り、陰謀論者・疑似科学者として著書も多い内海聡の1.8%に肉薄するものだ。いずれも現実社会で盛んに活動している人物だが、インターネットから出ず顔写真すら掲載されていない人物の得票としてはあまりにも多い。
オタクの世界では、表現の悪影響はないことになっている。その妥当性自体は後述の通り怪しい。が、この節では一旦、少なくとも一般的には悪影響はないことにしよう。だから、暇アノンになってしまうオタクもあくまでごく少数の例外だ。
しかし、11万人だ。いくら1.6%の例外でも都内だけで11万人いたら普通に社会問題である。
冷静に考えれば、ひまそらあかねを挟むレイシズムも陰謀論も、普通に社会問題だった。なら、そのあいだにいる暇アノンだって社会問題だと言わざるを得ない。
ちなみに、2024年時点の15歳から64歳の人口は約7300万人である。その1.6%だとだいたい120万人くらいになる。日本全体で120万人が暇アノンというのは笑えない冗談だし、やはり普通に社会問題だ。小中学校の不登校児童生徒数は35万人で過去最高とか言ってるのに。
そして、その暇アノンを導いているのが「表現の自由」――オタク的表現への批判は一切許さず、批判者をどれだけ攻撃してもよいとする社会的風潮である。であれば、そうした社会的風潮に待ったをかけるべく、表現への規制が提唱されてもおかしくはない。
論文なんか消し飛ぶ「実例」
とはいえ、まだオタクは「エビデンス」にしがみついて頑張るかもしれない。表現に悪影響はないーだとか、暇アノンは表現と無関係だーだとか。その「エビデンス」が妥当なら、その主張も間違いではないだろう。
だが、無駄である。
暇アノンが大暴れし、そして現在進行形でまだ大暴れしているのに、論文の紙ぺらに何の意味があるというのだろうか。
オタクの大半が勘違いしていることだが、あるものを規制するか否かはエビデンスのぶつけ合いによる「正論ベイブレード」で決まるわけではない。この議論において科学は重要だが、最終的な決定権を持っているわけではない。規制すべきか否かはあくまで価値判断に過ぎない。
もし規制すべきかどうかがエビデンスだけで決まるなら、酒やたばこは世界中で全面禁止されているはずだ。特に酒だ。一気に飲めば死に、だらだら飲んでも死に、酔っぱらえば他人を殺し、挙句性犯罪の道具にもなる。あんなものが年齢制限ありとはいえ合法だというのは、科学的なエビデンスからすれば正気の沙汰ではない。が、許されている。それは科学的なエビデンスよりも「酒は合法であるべき」という価値判断が優越しているからに他ならない。
(こういうことを言うと早まったオタクが「禁酒法の失敗ガー」とか「チカニモグルー!」とか言い出す (オタクは禁酒法の話をすれば勝てると思っているので)。が、そういうのも含めて科学的エビデンスであり、規制すべきかどうかはそれらをひっくるめた価値判断でなされているという話をしている)
表現規制に関する議論では、表現が悪影響を持つかどうかは科学的エビデンスの一部に過ぎない。それらは議論において重視される「べき」だが、原子炉がぶっ飛んでるときに「原発は他の発電より安全でぇ」という「科学的事実」が意味をなさないように、暇アノンが大暴れしているときに表現に悪影響がないらしいというエビデンスに価値は見出されないだろう。
「オタクが大暴れしてヤバいので表現規制で抑えようと思います。科学的なご意見とはあるとは思うんですけどね、どうしようもなくてね」と言われたらこちらとしても「アッハイ」としか言いようがない。
誤解しないで欲しいが、私は科学的なエビデンスを軽視して欲しいと思っているわけではない。心理学の専門家なのだから、そんなことを思うはずもない。だが、現実問題として、表現規制の議論で「エビデンス」が説得力を持てる状況にあるかといえばいささか怪しい。
その状況を作っているのはほかならぬオタクたちである。彼らは自らの手で表現の自由の首を絞めまくっている。
「外国人犯罪」と重ね合わせるのは禁止
念のために書いておけば (オタクは屁理屈が達者なので、念のための記述がどうしても多くなる)、ここまでの議論の言葉尻を拾って「じゃあ外国人を厳しく取り締まるのもいいんだナー」と言い出すのは禁じる。全く違う話だからだ。
そもそも、外国人犯罪は特別な規制や対処が不要である。日本人同様に取り締まればいいからだ。なので、外国人だけ特別に取り締まりや規制を強化するという主張はただの差別に過ぎない。
もっとも、レイシズムの蔓延がこうした正論を通りにくくしているのも事実だ。そういう意味ではここまでの議論と共通点がないではない。ただし、外国人犯罪云々では暴れているのが外国人ではなくレイシストである一方、暇アノン問題ではオタク自身が大暴れして自らの自由を失おうとしているという決定的な違いがある。
そのため、今回の議論を外国人犯罪やその他の事例に当てはめるのは間違っている。
自分たちで大暴れしながら規制するなと叫ぶという事例は結構珍しい。類似事例をあえて探すなら、暴走行為を繰り返しながら同行法の改正に逆ギレする暴走族や、AV出演強要を繰り広げながらAV新法に逆ギレするアダルトビデオ業界とかに近い。
科学的エビデンスの無視
非科学に陥ったオタクたち
ここまで、議論の都合のため「表現に悪影響はない」という前提で話を進めていた。それはオタクの妄想に過ぎないが、その妄想が事実だったとて、ということを示すためだ。
だが、実際には表現に悪影響はあるし、エビデンスもある。もっとも、下記の記事などで繰り返し取り上げているのでここで深掘りすることはない。
もちろん、そうしたエビデンスをどのように評価するかという問題はある。私自身、表現に触れた人間が全員揃って性犯罪者になるほどの悪影響があるとは思っていないし、悪影響のみを考慮するなら法的な規制は不要だと考えている。
とはいえ、少なくとも、表現の悪影響を示すエビデンスがあるのもまた事実だ。社会科学においては、矛盾する結果の学術論文が同程度の信頼性をもって現れることなど珍しいことではない。それだけ難しい内容を扱っているということに過ぎない。
この記事は『九段新報+α』の連載記事です。メンバーシップに加入すると月300円で連載が全て読めます。
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