弁護士による門前払いが多すぎる~お金にならない案件は相談すらさせてもらえない現状~
「門前払い」という言葉の響きには、冷たい鉄格子の閉まる音が含まれています。
自分が抱える切実な問題、夜も眠れずに悩み抜いた末にようやく絞り出した「助けてほしい」という声が、その入り口で遮断される。
その絶望感は、単なる事務的な拒絶を超え、社会の公正そのものへの不信感へと繋がりかねない重いものです。
弁護士という存在が、正義の門番ではなく、利益の番人に見えてしまった瞬間の落胆は察するに余りあります。
法律相談の予約を入れようとした段階で、あるいは電話一本の段階で、「それはうちの扱う案件ではありません」や「受任できる見込みがありません」と、ろくに話も聞かずに断られる。
こうした事態が、どれほど市民と法の距離を遠ざけているか、私たちは今一度、真剣に考え直すべき局面に立たされています。
本来、法はすべての人に平等に降り注ぐ光であるべきです。
しかし、現実の運用においては、その光を浴びるための窓口である弁護士が、高すぎる障壁となって立ちふさがることがあります。
弁護士が職業として成立するためには、経済的な合理性が無視できないことは理解できます。
事務所を維持し、スタッフを雇い、自らの生活を支えるためには、一定の報酬が見込める事案を優先せざるを得ないという側面はあるでしょう。
しかし、弁護士法第一条に刻まれた「社会正義の実現」という使命を思い返すとき、利益が出ないからという理由だけで相談の機会すら奪うことは、専門職としての魂を売り渡す行為に近いと言わざるを得ません。
市民にとって、弁護士に連絡を取るという行為は、人生における一大事です。
それは、自力ではどうしようもなくなった際の「最後の砦」を叩く行為に他なりません。
それにもかかわらず、その砦が鉄壁の門を閉ざし、中から顔も出さずに追い返してしまう。
これでは、法律は力のある者、あるいは金のある者のための武器でしかないという誤解を広めてしまいます。
法へのアクセスの難しさは、単なる物理的な距離や費用の問題だけでなく、こうした「心理的な拒絶」によって形成されているのです。
弁護士が身近な存在にならない最大の要因の一つは、多くの弁護士が「紛争が巨大化してから解決するビジネスモデル」に固執している点にあります。
離婚、遺産相続、多額の損害賠償といった、結果として動く金額が大きいものだけを「案件」と呼び、日常の小さな困りごとや、金額に換算できない尊厳の毀損を「些末なこと」として切り捨ててしまう。
しかし、市民の苦しみは、数字で測れるものばかりではありません。
むしろ、少額であっても、あるいは金銭にすらならない問題であっても、その人にとっては人生を揺るがす大問題であるはずです。
それを聞き届ける耳を持たない弁護士は、もはや法律のプロフェッショナルではなく、単なる法律事務の処理業者に成り下がっているのではないでしょうか。
この状況に一石を投じるためには、まず弁護士側の意識改革が必要です。
相談を「受任するかどうかの選別」と捉えるのではなく、たとえ受任に至らなくても、市民が抱える不安を法的な枠組みで整理し、道筋を示す「診断」の場として捉え直すべきです。
医者が「この病気は儲からないから診察しない」と言えば、それは社会的な倫理に反します。
弁護士も同様に、法的な困りごとを抱えた人々に対して、少なくともその現状を診断し、適切なアドバイスを与える公的な責任を負っているはずです。
また、市民の側からも、法を特別なものとして崇めるのではなく、日常的な生活のツールとして使いこなす姿勢が求められます。
しかし、そのためには、法曹界が市民に対して「私たちはあなたの味方である」という明確なメッセージを発信し続けなければなりません。
門前払いを繰り返す姿勢は、その正反対のメッセージを社会に撒き散らしています。
一度拒絶された市民は、二度と弁護士を頼ろうとはしないでしょう。
そして、その背後には、同じように「どうせ相談しても無駄だ」と諦めてしまう何万人もの潜在的な被害者が生まれることになるのです。
ここで、もっと弁護士が身近になり、市民の真の味方となる社会を実現するための提言を述べたいと思います。
まず第一に、弁護士の評価軸を「売上」や「勝訴率」といった数字だけでなく、「どれだけ社会の紛争を未然に防ぎ、市民の不安を取り除いたか」という定性的な貢献度に移していく必要があります。
例えば、地域のコミュニティセンターや商店街に弁護士が日常的に出入りし、コーヒーを飲みながら雑談の延長で相談に乗るような、ハードルの低い接点を増やすべきです。
専門特化することも重要ですが、かつての「町医者」のような、何でも気軽に相談できる「街の弁護士」を、制度的にも精神的にも再興させなければなりません。
第二に、IT技術を駆使した「初期相談の自動化と効率化」を、市民を排除するためではなく、より丁寧に受け入れるために活用すべきです。
多くの弁護士が「時間がない」ことを理由に門前払いをするのであれば、AIなどを用いて事案の概要をあらかじめ整理し、弁護士が短い時間でも的確なアドバイスを行える体制を整えるべきです。
テクノロジーは、効率化という名の切り捨てのためにあるのではなく、一人ひとりの声に耳を傾ける余裕を生み出すために使われるべきなのです。
第三に、弁護士費用保険の普及や、法テラスの機能強化といった公的な支援をさらに拡充し、「金にならないから助けない」という事態を構造的に解消していくことが不可欠です。
しかし、制度以上に重要なのは、弁護士個々人のマインドセットです。
どんなに優れた制度があっても、目の前の困っている人を「案件」としてしか見ない冷徹な眼差しがあれば、市民の心は離れていきます。
弁護士は、法律という冷たい道具を扱いながら、それを血の通った手のひらで包んで差し出す温かさを持たなければなりません。
最後になりますが、今回あなたが経験された門前払いは、決してあなたの問題が軽微であったからでも、価値がなかったからでもありません。
それは、現代の法曹界が抱える、想像力の欠如と使命感の摩耗という深い病理の結果です。
法は本来、弱き者の声を拾い上げるための網であるはずです。
その網の目が、利益という物差しによってあまりに粗くなってしまった現代、私たちはもう一度、その目を細かく編み直す必要があります。
弁護士が、権威の椅子に座って選別を行う存在から、市民と同じ地面に立ち、共に悩む伴走者へと変わる。
そんな当たり前のことが実現される社会。
そこでは、最初の電話で「それは無理です」と言われる代わりに、「まずは、何が起きているかお聞かせください」という言葉が返ってくるはずです。
その一言こそが、法の支配を形骸化させず、真に人間的な社会を構築するための最初の一歩となります。
門前払いを経験したあなたが、それでも法への希望を捨てず、こうした問いを投げかけること自体が、澱んだ法曹界に一石を投じ、やがて大きな波紋を広げていく原動力になると信じています。
法の門は、常に開かれていなければなりません。
そして、その門を開け続ける責任は、弁護士という職業を許された者たちが、市民に対して負っている最も重い義務なのです。
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