大内松華の作風に迫る 江戸時代に活躍、登米の日本画家 市歴史博物館で企画展

旧錦織小に保管されていた冬景色を描いた山水画=3月15日、登米市迫町

 明治時代に活躍した登米市の日本画家大内松華(しょうか)(1836~1909年)の作品を集めた企画展「大内松華 多年、筆硯(ひっけん)を耕す」が、同市迫町の市歴史博物館で開かれている。創作活動に謎も多い知られざる芸術家の作風に迫る。5月31日まで。

 松華は、江戸時代に伊達家の家臣として、現在の登米市東和町錦織や嵯峨立(さがたち)地区、米川の狼河原(おいのがわら)、中田町上沼の桜場を治めた西郡大内家の10代目。地元の街道整備で人員集めに協力するなど地域発展に尽くした。

 日本画家としては、明治時代の仙台南宗三大画家の1人、山内耕烟(1828~1907)から日本画を学んだとされ、雅号は竹渓(ちっけい)、三谷(さんこく)とも名乗った。風景画と絵の余白に漢詩を載せる「南画」を特徴とする。

 企画展では10作品と大内家の古文書など計14点を展示。中国北宋時代の詩人蘇軾(そしょく)の代表作「赤壁賦(せきへきのふ)」を題材にした図や、雅号にちなみ、松林をふすま4枚にわたって表現した大作もある。

 山水画「山水冬景図」は1887(明治20)年の作と伝わる作品で、縦1・6メートル、横2・6メートルの大きさに、馬にまたがる文人と従者が橋を渡って山中に向かう様子を描いている。

 作品は、長らく地元の旧錦織小で飾られ、昨春に3校統合校「東和小」開校に伴い閉校するまで保管されていた。松華は1873(明治6)年の旧錦織小の開校時に屋敷の一部を仮校舎として提供し、父・義房が初代校長を務めるなど同校とは深い縁がある。

 市歴史博物館によると、松華の作品目録は見つかっておらず、正確な作品数は分からないという。今回の展示作の漢詩には「誤って画家の称号を得てしまった。世間の人々は私を嘲笑しているだろう」と、自虐的なユーモアを交えた一文もあり、必ずしも芸術家に固執していなかったことがうかがえる。

 学芸員の小野寺智哉副館長は「松華は、領主として地域に奉仕することを第一に考えていたのだろう。素晴らしい作品を残した一方で、画家としては不明な点も多い。作品展を通じ、功績を知り、情報を集めるきっかけにしたい」と話す。

 常設コーナーには、三谷の雅号時代の3作品も展示されている。

 午前9時~午後4時半。月曜休館。無料。学芸員による展示解説の日もある。連絡先は同館0220(21)5411。(山並太郎)

大内松華の肖像写真
ふすま4枚に松林を描いた松柏図=3月15日、登米市迫町

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