「若さ」という美は花の命のようにはかないと、止めようのない散り際にようやく気付くもの。満開の桜のように平安朝に咲き誇った絶世の美女、小野小町も老いの悲しみにさいなまれ、慢心していた頃を後悔したかもしれない。
彼女の晩年には、あまりに悲惨な伝承が多い。能「卒都婆(そとば、そとわ)小町」が描くのは、老いさらばえ、落ちぶれた100歳の小町の深い孤独と嘆きだ。
物乞いの老女が朽ちた卒都婆に腰掛けているのを見つけた僧が、卒都婆は仏体ゆえ別の場所で休むようにと諭す。だが、老女は反論し、仏法を巡る問答で僧を論破してしまう。感心した僧が名を尋ねると、恥じた様子で「小野小町のなれの果て」だと名乗った。
そこからは急展開で、深草少将の霊が取り憑き小町は狂乱。少将はその恋をかなえるため雨でも雪でも続けた「百夜(ももよ)通い」の99日目に死んだ恨みで怨霊となっていた。結局少将は成仏しないまま、小町は後世を願い仏道に入る決心をする。
実のところ、小町の晩年は不明。この物語は平安時代の漢詩「玉造小町子壮衰書(たまつくりこまちしそうすいしょ)」に書かれたある女性の話が基になっている。女性の正体は定かでないが、小町の栄枯盛衰譚として読まれてきた背景にあるのが、小町が残した数々の歌だ。
若かりし日の小町は男性たちとの恋のかけひきや、振った男性の恨みを買ったことなども歌に詠んだ。そして全盛期を過ぎたと思われる頃の作品に、百人一首で有名なこの歌がある。
《花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに》
色あせた桜の花と、衰えた己の容姿を重ねて詠んだとされる歌で、老いの入り口に立った嘆きとも諦念ともとれる胸中が伝わる。
「卒都婆小町」は、人々の輪の中心で美貌と才知におごっていた小町を容赦なくみじめな孤独に突き落とした。その姿は観客のサディスティックな欲望を満たす一方で、老後の幸不幸とは若き日の結果なのだと、因果応報の厳しさを突き付ける。(田中佐和)
小野小町
平安初期の女流歌人。優れた和歌を残し、当時の代表的な歌人「六歌仙」の一人。その美貌で楊貴妃、クレオパトラと並んで世界三大美人にも数えられる。出羽国の郡司、小野良実(良真とも)の娘。昼は朝廷に出仕し、夜は冥界で閻魔大王を補佐した伝説がある小野篁(おののたかむら)の孫という説も。宮中で仁明天皇に仕えたとされるが、生涯は謎に包まれている。恋多き女性で、深草少将に百夜通いをさせた伝承が有名。ただ、少将が実在の人物かは判然としない。