永遠の歓喜への扉——五つの鞘の彼方へ
「ともに我らを護りたまえ。ともに我らを養いたまえ」——今からおよそ二千六百年も昔、古代インドの深い森にたたずむ庵で、師と弟子は声高らかに祈りを捧げました。その静謐にして力強い祈りとともに幕を開ける探究の旅が、『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』の核心を成す「ブラフマーナンダヴァッリー(梵歓喜の篇)」です。
十大ウパニシャッドの一つに数えられる本聖典は全三篇から成り、第二篇である本篇は、読者を宇宙の究極的実在「ブラフマン」の深淵へと一気に導きます。その教えは、三つの壮大な柱によって支えられています。
第一の柱は、ブラフマンの「三重定義」です。冒頭において「ブラフマンは真理であり、知識であり、無限である」と高らかに宣言されます。永遠に変わらぬ実在、純粋な意識、いかなる限定も受けない無限——この三つの側面から、言語を絶する実在の本質が指し示されます。
第二の柱は、「パンチャコーシャ(五鞘)」の教説です。人間の存在を覆う五つの層が説かれます。食物の精髄から成る「肉体」に始まり、「生気」「意」「識別知」、そして最奥に秘められた「歓喜」へ。玉ねぎの層を一枚ずつめくるように、探究の眼差しは外側から内側へと深まります。各層は「頭・両翼・胴体・尾」を備えた鳥の姿で美しく描写され、精緻な霊的解剖図を描き出します。
第三の柱は、「至福の階梯(アーナンダ・ミーマーンサー)」です。最高の「人間の至福」を基準に、百倍ずつ上昇する十一段階の圧倒的な階梯が提示されます。ガンダルヴァ、祖霊、神々を経て、ついにブラフマンの至福へと至る飛躍は、読者の意識を日常から引き剥がし、無限の宇宙へと解放するでしょう。
そして、この探究の果てに明かされる真理は、私たちの認識を根底から覆します。「この人の中にある者と、かの太陽の中にある者——それは一つである」。宇宙の彼方に想定された絶対者は、実は自己の最も深い内奥に最初から存在していました。五つの鞘を通り抜けた先で出会うのは、見知らぬ神ではなく、紛れもない「真の自己」にほかなりません。
本書では、サンスクリット原文にデーヴァナーガリー文字とIAST表記を併記し、日本語訳・逐語訳・解説という三層構造でこのテキストを紐解きます。逐語訳では詳細な文法情報を付記し、学習者の学びに寄り添いました。解説においては伝統的解釈を踏まえ、ウパニシャッド哲学の真髄を現代の言葉で丁寧にひもときます。
さあ、古代の森に響いた「ともに力ある学びをなさん」という祈りの中へ、あなたも一歩を踏み出してください。言葉と心が退き還るところ——その歓喜の源泉が、いま静かに開かれます。
この記事の概要
テキストについて
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聖典名: タイッティリーヤ・ウパニシャッド(
तैत्तिरीयोपनिषत्, Taittirīya-upaniṣat) -
篇: 第2篇「ブラフマーナンダヴァッリー(
ब्रह्मानन्दवल्ली, Brahmānandavallī)」——梵歓喜の篇 -
主題: ブラフマンの本質論、パンチャコーシャ(五鞘説)、アーナンダ(至福)の階梯
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出典: クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ、タイッティリーヤ・シャーカー(学派)。紀元前7-6世紀頃の成立。十大ウパニシャッドの一つ
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構成: 9アヌヴァーカ(13節)
パンチャコーシャ(五鞘)の鳥形対応表
各鞘は鳥(पुरुषविध, puruṣavidha)の姿で描写され、外側から内側へと段階的にアートマンの本質に迫ります。
| コーシャ | 頭 | 右翼 | 左翼 | 胴体 | 尾・基盤 |
|---|---|---|---|---|---|
食物精髄鞘(अन्नरसमय) |
— | — | — | — | — |
生気鞘(प्राणमय) |
プラーナ | ヴィヤーナ | アパーナ | 虚空 | 大地 |
意鞘(मनोमय) |
ヤジュス | リク | サーマン | 教説 | アタルヴァーンギラス |
識別知鞘(विज्ञानमय) |
信 | 真理 | 真実 | ヨーガ | 偉大 |
歓喜鞘(आनन्दमय) |
愛 | 喜び | 歓喜 | 至福 | ブラフマン |
至福の階梯(アーナンダ・ミーマーンサー)
人間の至福を基準に、100倍ずつ上昇する11段階の階梯です。各段階に「聖典に通じ、欲望に打たれない者の(श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य)」という限定句が付されます。
| 段階 | 存在 | 至福の倍率 |
|---|---|---|
| 1 | 人間(मानुष) |
基準(1) |
| 2 | マヌシヤ・ガンダルヴァ | ×100 |
| 3 | デーヴァ・ガンダルヴァ | ×100² |
| 4 | 長久世界の祖霊 | ×100³ |
| 5 | アージャーナジャの神々 | ×100⁴ |
| 6 | カルマデーヴァ | ×100⁵ |
| 7 | 神々(देव) |
×100⁶ |
| 8 | インドラ | ×100⁷ |
| 9 | ブリハスパティ | ×100⁸ |
| 10 | プラジャーパティ | ×100⁹ |
| 11 | ブラフマン | ×100¹⁰ |
各アヌヴァーカの構成
| アヌヴァーカ | テーマ | 節数 |
|---|---|---|
| 第1 | ブラフマンの三重定義と宇宙創造。食物精髄鞘 | 1 |
| 第2 | 食物の称讃。生気鞘 | 1 |
| 第3 | 生気の称讃。意鞘 | 1 |
| 第4 | 「言葉が及ばぬ」詩節。識別知鞘 | 1 |
| 第5 | 識別知の称讃。歓喜鞘 | 1 |
| 第6 | 存在と非存在の問い。宇宙創造。サッティヤの定義 | 1 |
| 第7 | ラサ(精髄)としてのブラフマン。恐れなき基盤 | 1 |
| 第8 | 至福の階梯(100倍の上昇)。五鞘の遡行 | 5 |
| 第9 | 結語:至福の知者は恐れず、善悪の悔いから自由 | 1 |
中心的な教え
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ブラフマンの三重定義: 「
सत्यं ज्ञानमनन्तं ब्रह्म——ブラフマンは真理・知識・無限である」。三つの語は属性ではなく、非本質的要素を否定することでブラフマンの本質を指し示す -
五鞘の段階的超越: 食物→生気→意→識別知→歓喜と、外側から内側へ各層を貫いてアートマンの真の姿に迫る
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ラサとしてのブラフマン: 「
रसो वै सः——かの者はまさにラサ(精髄)である」。このラサを得ることで人は歓喜に満たされる -
恐れなき状態(アバヤ): ブラフマンの中に恐れなき基盤を見出す者は、一切の恐れから解放される
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アートマンとブラフマンの同一性: 個我の最も深い内奥に宿るアートマンと、宇宙の究極的実在ブラフマンは一つである
重要な用語
| サンスクリット語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
ब्रह्मन् (brahman) |
ブラフマン | 宇宙の究極的実在 |
आत्मन् (ātman) |
アートマン | 真の自己、内なる本質 |
पञ्चकोश (pañcakośa) |
パンチャコーシャ | 五鞘——アートマンを覆う5層の鞘 |
आनन्द (ānanda) |
アーナンダ | 至福、歓喜 |
रस (rasa) |
ラサ | 精髄、味わい、歓喜の本質 |
अभय (abhaya) |
アバヤ | 恐れなき状態 |
सत्य (satya) |
サティヤ | 真理、変化しない実在 |
ज्ञान (jñāna) |
ジュニャーナ | 知識、意識そのもの |
अनन्त (ananta) |
アナンタ | 無限、一切の限定を超えるもの |
सृष्टि (sṛṣṭi) |
スリシュティ | 創造、放射 |
वल्ली (vallī) |
ヴァッリー | 蔓、篇(テキストの区分単位) |
अनुवाक (anuvāka) |
アヌヴァーカ | 復唱の単位(篇内の区分) |
ブラフマーナンダヴァッリー 開始シャーンティ・マントラ
तैत्तिरीयोपनिषत्
ॐ श्री गुरुभ्यो नमः । हरिः ॐ ।
ब्रह्मानन्दवल्ली
ॐ सह नाववतु । सह नौ भुनक्तु । सह वीर्यं करवावहै ।
तेजस्विनावधीतमस्तु मा विद्विषावहै ।
ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ॥
taittirīyopaniṣat
oṃ śrī gurubhyo namaḥ | hariḥ oṃ |
brahmānandavallī
oṃ saha nāv avatu | saha nau bhunaktu | saha vīryaṃ karavāvahai |
tejasvināv adhītam astu mā vidviṣāvahai |
oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ ||
タイッティリーヤ・ウパニシャッド
オーム。聖なる師たちに帰命する。ハリ、オーム。
ブラフマーナンダヴァッリー(梵歓喜の篇)
オーム。かの御方が我ら両者をともに護りたまわんことを。ともに我らを養いたまわんことを。ともに我らが力ある学びをなさんことを。
我らの学びしものが光輝あるものとならんことを。我らが互いに憎み合うことなかれ。
オーム。平安あれ、平安あれ、平安あれ。
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तैत्तिरीयोपनिषत् (taittirīyopaniṣat)←तैत्तिरीय उपनिषत् (taittirīya upaniṣat): タイッティリーヤ・ウパニシャッド(タイッティリーヤ学派のウパニシャッド、女性・単数・主格)तैत्तिरीय (taittirīya): ティッティリ仙に由来する学派の(形容詞)उपनिषत् (upaniṣat): ウパニシャッド(師の近くに座して受ける秘教、upa「近く」+ ni-√sad「座する」)
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ॐ (oṃ): 聖音オーム(神聖な原初の音、不変化辞) -
श्री (śrī): 聖なる、吉祥なる(尊称の接頭辞、不変化辞) -
गुरुभ्यो (gurubhyo)←गुरुभ्यः (gurubhyaḥ): 師たちに(guru「師、導師」、男性・複数・与格) -
नमः (namaḥ): 帰命、礼拝(namas「帰命」、中性名詞。与格を伴う帰敬句として不変化的に用いられる) -
हरिः (hariḥ): ハリ(ヴィシュヌ神の名、「〔罪を〕取り除く者」の意、男性・単数・主格) -
ब्रह्मानन्दवल्ली (brahmānandavallī)←ब्रह्म आनन्द वल्ली (brahma ānanda vallī): ブラフマーナンダヴァッリー(梵歓喜の篇、女性・単数・主格)ब्रह्म (brahma): ブラフマン(宇宙の究極的実在)आनन्द (ānanda): 歓喜、至福वल्ली (vallī): 蔓、篇(テキストの区分単位)
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सह (saha): ともに、一緒に(不変化辞) -
नाववतु (nāvavatu)←नौ अवतु (nau avatu): 我ら両者を護りたまえ(nau「我ら両者を」一人称代名詞・双数・対格 + avatu「護りたまえ」√av「護る」命令法・三人称・単数) -
नौ (nau): 我ら両者を(一人称代名詞・双数・対格/属格/与格) -
भुनक्तु (bhunaktu): 養いたまえ、食を与えたまえ(√bhuj「養う、享受する」命令法・三人称・単数) -
वीर्यं (vīryaṃ)←वीर्यम् (vīryam): 力、活力、精進(vīrya「英雄的力、精神力」中性・単数・対格) -
करवावहै (karavāvahai): 我ら両者がなさんことを(√kṛ「なす」命令法・アートマネーパダ・一人称・双数) -
तेजस्विनावधीतमस्तु (tejasvināvadhītamastu)←तेजस्वि नौ अधीतम् अस्तु (tejasvi nau adhītam astu): 我ら両者の学びしものが光輝あるものとならんことを(tejasvi「光輝あるもの」中性・単数・主格 + nau「我ら両者の」一人称代名詞・双数・属格 + adhītam「学ばれたもの」中性・単数・主格 + astu「あらんことを」√as 命令法・三人称・単数) -
मा (mā): 〜するなかれ(禁止の不変化辞) -
विद्विषावहै (vidviṣāvahai): 我ら両者が互いに憎み合う(vi-√dviṣ「互いに憎む」命令法・アートマネーパダ・一人称・双数) -
शान्तिः (śāntiḥ): 平安、寂静(śānti「平安」女性・単数・主格、√śam「鎮まる」より)
表題と帰敬偈
冒頭の तैत्तिरीयोपनिषत् (taittirīyopaniṣat) は、本ウパニシャッドの正式な表題です。तैत्तिरीय (taittirīya) はクリシュナ・ヤジュル・ヴェーダに属するタイッティリーヤ学派の名称であり、伝説ではヴァイシャンパーヤナ仙の弟子ティッティリ仙に由来するとされます。उपनिषत् (upaniṣat) は उप (upa) 「近くに」+ नि (ni) 「下に」+ √सद् (√sad) 「座する」から成り、師の足元に座して秘義を受けるという古代インドの口伝による教授形態を如実に表しています。
ॐ श्री गुरुभ्यो नमः (oṃ śrī gurubhyo namaḥ) は、学習の開始にあたり師の系譜(パランパラー)に帰敬する定型句です。नमस् (namas) は与格を伴って「〜に帰命する」の意で慣用的に用いられる中性名詞で、ここでは गुरुभ्यः (gurubhyaḥ) (師たちに、複数与格)とともに機能しています。ヴェーダの深遠な知識は、書物からではなく、覚醒した師から弟子へと直接伝達されるものであり、師への絶対的な帰依が学びの不可欠な出発点となります。続く हरिः ॐ (hariḥ oṃ) は、一切の罪や無知を取り除く者(ハリ)であるヴィシュヌ神の名を冠した伝統的な吉祥句であり、心身を浄化して聖典朗唱の開始を告げるものです。
ブラフマーナンダヴァッリーの名称
ब्रह्मानन्दवल्ली (brahmānandavallī) は「梵歓喜の篇」と訳されます。ब्रह्मन् (brahman) は宇宙の究極的実在、आनन्द (ānanda) は至福・歓喜、वल्ली (vallī) は「蔓(かずら)」を原義とし、テキストの区分単位を意味します。蔓が大地から天へと伸びゆくように、教えが段階的に深まっていく様を表す美しい名称です。本篇は、第一篇(シクシャーヴァッリー)での実践的な準備を終えた学習者に対し、ブラフマンの本質が至福そのものであることを、パンチャコーシャ(五鞘)の教説と至福の階梯を通じて体系的に説き明かします。
シャーンティ・マントラの構造と意義
ॐ सह नाववतु (oṃ saha nāv avatu) に始まるシャーンティ・マントラ(平安の祈り)は、ブラフマーナンダヴァッリーおよび第三篇ブリグヴァッリーに共通する開始祈祷です。第一篇の冒頭マントラ शं नो मित्रः (śaṃ no mitraḥ) とは異なる祈りであり、より深い哲学的探究へ向かう師弟の結びつきが強調されています。
このマントラの顕著な特徴は、師弟二者を示す双数形が要所に用いられている点です。代名詞 नौ (nau) は「我ら両者を/の」(一人称・双数)であり、करवावहै (karavāvahai) や विद्विषावहै (vidviṣāvahai) は一人称・双数の命令法(アートマネーパダ)です。一方、अवतु (avatu) 「護りたまえ」や भुनक्तु (bhunaktu) 「養いたまえ」、अस्तु (astu) 「あらんことを」は三人称・単数の祈願形であり、師弟二者を護り養う唯一の神的存在に向けられた祈りです。このように双数と単数が織り交ぜられた構造は、師と弟子の二者による共同の営みでありながら、その背後に常に神的な加護を仰ぐ、ヴェーダ的な学びの三者関係を浮き彫りにしています。
祈りは四つの段階で構成されます。第一に अवतु (avatu) 「護りたまえ」——無知の闇へと向かう旅における霊的な加護の祈り。第二に भुनक्तु (bhunaktu) 「養いたまえ」——真理を悟るために必要な知的・霊的な栄養(食)への願い。第三に वीर्यं करवावहै (vīryaṃ karavāvahai) 「力ある行いをなさん」——困難な探究に耐えうる強靭な精神力と共同の精進への決意。第四に मा विद्विषावहै (mā vidviṣāvahai) 「互いに憎み合うことなかれ」——厳格な学びの過程で生じうる誤解や傲慢、師弟間の不和という最大の障害への強い戒めです。
そして、तेजस्विनावधीतमस्तु (tejasvināvadhītamastu) は「我ら両者の学びしものが光輝あるものとならんことを」という核心の祈りです。तेजस् (tejas) は単なる知的な「輝き」ではなく、内なる無知を焼き尽くす知的光明・霊的な火を意味します。学んだ知識が単なる情報に留まらず、自己を変容させる生きた悟りの光となることへの願いが込められています。
三度のシャーンティによる浄化
末尾の शान्तिः शान्तिः शान्तिः (śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ) は「平安」を三度唱えるもので、ヴェーダの伝統では探究の妨げとなる三種の障害の鎮静を祈るものと解釈されます。第一は आध्यात्मिक (ādhyātmika) (自己の心身に起因する病や煩悩)、第二は आधिभौतिक (ādhibhautika) (他の人間や動物など外界の存在に起因する障害)、第三は आधिदैविक (ādhidaivika) (天災や見えない精霊など超自然的な力による障害)です。心が完全に波立たない静寂(平安)の境地に至って初めて、ブラフマンという究極の真理を映し出すことができます。
このシャーンティ・マントラは、これから展開される壮大なブラフマン探究の旅への、師弟共同の厳かな出発の宣言であり、ウパニシャッドの精神性を象徴する最も美しい祈りの一つです。
第1アヌヴァーカ 第1節
उपनिषत्सारसङ्ग्रहः
ॐ ब्रह्मविदाप्नोति परम् । तदेषाऽभ्युक्ता ।
सत्यं ज्ञानमनन्तं ब्रह्म ।
यो वेद निहितं गुहायां परमे व्योमन् ।
सोऽश्नुते सर्वान् कामान्सह । ब्रह्मणा विपश्चितेति ॥
तस्माद्वा एतस्मादात्मन आकाशः सम्भूतः । आकाशाद्वायुः ।
वायोरग्निः । अग्नेरापः । अद्भ्यः पृथिवी ।
पृथिव्या ओषधयः । ओषधीभ्योन्नम् । अन्नात्पुरुषः ।
स वा एष पुरुषोऽन्नरसमयः । तस्येदमेव शिरः ।
अयं दक्षिणः पक्षः । अयमुत्तरः पक्षः ।
अयमात्मा । इदं पुच्छं प्रतिष्ठा ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 1.1 ॥
upaniṣatsārasaṅgrahaḥ
oṃ brahmavid āpnoti param | tad eṣā ‘bhyuktā |
satyaṃ jñānam anantaṃ brahma |
yo veda nihitaṃ guhāyāṃ parame vyoman |
so ‘śnute sarvān kāmān saha | brahmaṇā vipaściteti ||
tasmād vā etasmād ātmana ākāśaḥ sambhūtaḥ | ākāśād vāyuḥ |
vāyor agniḥ | agner āpaḥ | adbhyaḥ pṛthivī |
pṛthivyā oṣadhayaḥ | oṣadhībhyo ‘nnam | annāt puruṣaḥ |
sa vā eṣa puruṣo ‘nnarasamayaḥ | tasyedam eva śiraḥ |
ayaṃ dakṣiṇaḥ pakṣaḥ | ayam uttaraḥ pakṣaḥ |
ayam ātmā | idaṃ pucchaṃ pratiṣṭhā |
tad apy eṣa śloko bhavati || 1.1 ||
ウパニシャッドの精髄の集成
オーム。ブラフマンを知る者は最高なるものに到達する。これに関して、次の〔詩節が〕語られている——
「ブラフマンは真理であり、知識であり、無限である。
〔ブラフマンを〕洞窟の中に、最高の虚空に蔵されたるものとして知る者、
その者は、あらゆる望みのものを、叡智あるブラフマンとともに享受する」と。
かのアートマンより虚空が生じた。虚空より風が、
風より火が、火より水が、水より大地が、
大地より薬草が、薬草より食物が、食物より人間が〔生じた〕。
この人間はまさに食物の精髄から成るものである。これがその頭である。
これが右の翼である。これが左の翼である。
これが胴体(アートマン)である。これが尾であり基盤である。
これについてまた次の詩節がある。
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उपनिषत्सारसङ्ग्रहः (upaniṣatsārasaṅgrahaḥ): ウパニシャッドの精髄の集成(男性・単数・主格。本アヌヴァーカの伝統的な題名)उपनिषत् (upaniṣat): ウパニシャッド(秘教)सार (sāra): 精髄、本質सङ्ग्रह (saṅgraha): 集成、要約(sam + √grah「掴み取る」)
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ब्रह्मविदाप्नोति (brahmavid āpnoti)←ब्रह्मवित् आप्नोति (brahmavit āpnoti): ブラフマンを知る者は到達する(brahmavit「ブラフマンの知者」男性・単数・主格。語末 -t が後続母音の前で有声化し -d となる連声により brahmavid の形を取る + āpnoti「到達する」√āp 現在・三人称・単数・パラスマイパダ)ब्रह्मन् (brahman): ブラフマン(究極的実在)विद् (vid): 知る者(√vid「知る」の行為者名詞)
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परम् (param): 最高のもの、至高(para「最高の」中性・単数・対格) -
तदेषाऽभ्युक्ता (tad eṣā 'bhyuktā)←तत् एषा अभ्युक्ता (tat eṣā abhyuktā): それについてこの〔詩節が〕語られている(tad「それについて」中性・単数・主格/対格 + eṣā「この」女性・単数・主格 + abhyuktā「語られた」abhi-√vac 過去受動分詞・女性・単数・主格) -
सत्यं (satyaṃ)←सत्यम् (satyam): 真理(satya「真実、変わらぬ実在」中性・単数・主格。ब्रह्म と同格) -
ज्ञानम् (jñānam): 知識、純粋意識(jñāna「知ること、認識」中性・単数・主格。√jñā「知る」より。ब्रह्म と同格) -
अनन्तं (anantaṃ)←अनन्तम् (anantam): 無限の(ananta「終わりなき」中性・単数・主格。ब्रह्म と同格)अन् (an): 〜でない(否定接頭辞)अन्त (anta): 終わり、限界
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ब्रह्म (brahma): ブラフマン(究極的実在。brahman 中性・単数・主格) -
यो (yo)←यः (yaḥ): 〜するところの者は(関係代名詞 yad 男性・単数・主格) -
वेद (veda): 知る(√vid「知る」完了・三人称・単数。現在の意で用いられる) -
निहितं (nihitaṃ)←निहितम् (nihitam): 蔵された、秘められた(ni-√dhā「置く、蔵す」過去受動分詞・中性/男性・単数・対格) -
गुहायां (guhāyāṃ)←गुहायाम् (guhāyām): 洞窟の中に、心の洞窟に(guhā「洞窟、秘所」女性・単数・処格) -
परमे (parame): 最高の(parama「最高の、至上の」中性・単数・処格) -
व्योमन् (vyoman): 虚空に、大空に(vyoman「天空、虚空」中性・単数・処格) -
सोऽश्नुते (so 'śnute)←सः अश्नुते (saḥ aśnute): その者は享受する(saḥ「その者は」男性・単数・主格 + aśnute「享受する、到達する」√aś 現在・アートマネーパダ・三人称・単数) -
सर्वान् (sarvān): すべての(sarva「一切の」男性・複数・対格) -
कामान् (kāmān): 望みのものを、欲せられる対象を(kāma「欲望の対象、望むもの」男性・複数・対格) -
सह (saha): 〜とともに(後置の不変化辞。具格を支配し、ここでは ब्रह्मणा を伴う) -
ब्रह्मणा (brahmaṇā): ブラフマンと(brahman 中性・単数・具格。सह と結合して「ブラフマンとともに」の意) -
विपश्चितेति (vipaściteti)←विपश्चिता इति (vipaścitā iti): 叡智ある〔ブラフマンと〕(vipaścit「叡智ある者、遍く知る者」男性/中性・単数・具格 + iti 引用の不変化辞) -
तस्माद्वा (tasmād vā)←तस्मात् वा (tasmāt vā): かの〔アートマン〕より実に(tasmāt「かの〔アートマン〕より」男性/中性・単数・奪格 + vā 強調の不変化辞) -
एतस्मादात्मन (etasmād ātmana)←एतस्मात् आत्मनः (etasmāt ātmanaḥ): このアートマンより(etasmāt「この」男性・単数・奪格 + ātmanaḥ「アートマンより」男性・単数・奪格) -
आकाशः (ākāśaḥ): 虚空が(ākāśa「虚空、空間」男性・単数・主格) -
सम्भूतः (sambhūtaḥ): 生じた(sam-√bhū「生ずる」過去受動分詞・男性・単数・主格) -
आकाशाद्वायुः (ākāśād vāyuḥ)←आकाशात् वायुः (ākāśāt vāyuḥ): 虚空より風が(ākāśāt「虚空より」男性・単数・奪格 + vāyuḥ「風」男性・単数・主格) -
वायोरग्निः (vāyor agniḥ)←वायोः अग्निः (vāyoḥ agniḥ): 風より火が(vāyoḥ「風より」男性・単数・奪格 + agniḥ「火」男性・単数・主格) -
अग्नेरापः (agner āpaḥ)←अग्नेः आपः (agneḥ āpaḥ): 火より水が(agneḥ「火より」男性・単数・奪格 + āpaḥ「水」女性・複数・主格) -
अद्भ्यः (adbhyaḥ): 水より(ap「水」女性・複数・奪格) -
पृथिवी (pṛthivī): 大地が(pṛthivī「大地」女性・単数・主格) -
पृथिव्या (pṛthivyā)←पृथिव्याः (pṛthivyāḥ): 大地より(pṛthivī 女性・単数・奪格) -
ओषधयः (oṣadhayaḥ): 薬草が、植物が(oṣadhi「薬草、植物」女性・複数・主格) -
ओषधीभ्योन्नम् (oṣadhībhyo 'nnam)←ओषधीभ्यः अन्नम् (oṣadhībhyaḥ annam): 薬草より食物が(oṣadhībhyaḥ「薬草より」女性・複数・奪格 + annam「食物」中性・単数・主格) -
अन्नात्पुरुषः (annāt puruṣaḥ)←अन्नात् पुरुषः (annāt puruṣaḥ): 食物より人間が(annāt「食物より」中性・単数・奪格 + puruṣaḥ「人間」男性・単数・主格) -
स (sa)←सः (saḥ): この(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
वा (vā): まさに、実に(強調の不変化辞) -
एष (eṣa)←एषः (eṣaḥ): この(指示代名詞 etad 男性・単数・主格) -
पुरुषोऽन्नरसमयः (puruṣo 'nnarasamayaḥ)←पुरुषः अन्नरसमयः (puruṣaḥ annarasamayaḥ): 人間は食物の精髄から成る者である(puruṣaḥ「人間」男性・単数・主格 + annarasamayaḥ「食物の精髄から成る」男性・単数・主格)अन्न (anna): 食物(√ad「食べる」より)रस (rasa): 精髄、汁液、味わいमय (maya): 〜から成る、〜に満ちた(接尾辞)
-
तस्येदमेव (tasyedam eva)←तस्य इदम् एव (tasya idam eva): その〔人間の〕これがまさに(tasya「その」男性・単数・属格 + idam「これ」中性・単数・主格 + eva 強調の不変化辞) -
शिरः (śiraḥ): 頭(śiras「頭」中性・単数・主格) -
अयं (ayaṃ)←अयम् (ayam): これが(指示代名詞 idam 男性・単数・主格) -
दक्षिणः (dakṣiṇaḥ): 右の(dakṣiṇa「右」男性・単数・主格) -
पक्षः (pakṣaḥ): 翼(pakṣa「翼、側面」男性・単数・主格) -
अयमुत्तरः (ayam uttaraḥ)←अयम् उत्तरः (ayam uttaraḥ): これが左の(ayam「これが」男性・単数・主格 + uttaraḥ「左の、北の」男性・単数・主格) -
अयमात्मा (ayam ātmā)←अयम् आत्मा (ayam ātmā): これが胴体、自己、本質(ayam「これが」男性・単数・主格 + ātmā「胴体」ātman 男性・単数・主格。ここでは鳥形描写における「胴体」の意) -
इदं (idaṃ)←इदम् (idam): これが(指示代名詞 idam 中性・単数・主格) -
पुच्छं (pucchaṃ)←पुच्छम् (puccham): 尾(puccha「尾」中性・単数・主格) -
प्रतिष्ठा (pratiṣṭhā): 基盤、拠り所(pratiṣṭhā「確立された基盤」女性・単数・主格。prati + √sthā「立つ」) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad「それ」+ api「また」+ eṣaḥ「この」男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka「詩節」男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある、存在する(√bhū「ある」現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
題名「ウパニシャッドの精髄の集成」
本アヌヴァーカの伝統的な題名 उपनिषत्सारसङ्ग्रहः (upaniṣatsārasaṅgrahaḥ) は「ウパニシャッドの精髄の集成」を意味し、この一節がブラフマーナンダヴァッリー全篇の核心を凝縮した宣言であることを示しています。ここには、ブラフマンの本質的定義、宇宙創造の下降系列、そして五鞘説の端緒という三つの根本主題が、驚くべき密度で織り込まれています。
ブラフマンの三重定義
冒頭の ॐ ब्रह्मविदाप्नोति परम् (oṃ brahmavid āpnoti param) は「ブラフマンを知る者は最高なるものに到達する」という、ブラフマーナンダヴァッリー全篇を貫く根本命題です。ब्रह्मवित् (brahmavit) は ब्रह्मन् (brahman) と विद् (vid) から成る複合語で、語末の -t が後続母音の前で有声化し -d となる連声を経て ब्रह्मविद् (brahmavid) の形を取ります。आप्नोति (āpnoti) 「到達する」は、ブラフマンの知がたんなる知的理解に留まらず、最高なるもの परम् (param) への実存的な到達であることを示しています。後代のアドヴァイタ・ヴェーダーンタでは、これをブラフマンとの本質的同一性の覚知と解釈しますが、テキスト自体は「到達する」という端的な動詞で表現しており、その具体的内実は以降のアヌヴァーカを通じて段階的に明かされていきます。
続く सत्यं ज्ञानमनन्तं ब्रह्म (satyaṃ jñānam anantaṃ brahma) は、ウパニシャッド哲学における最も重要なブラフマンの定義の一つです。シャンカラはこれを स्वरूपलक्षण (svarūpalakṣaṇa) 「本質的定義」と位置づけ、三つの語がブラフマンに「属性を付加する」のではなく、非本質的要素を順次否定することでブラフマンの本質を浮き彫りにすると解釈しました。すなわち、सत्य (satya) 「真理」は変化する虚妄を否定し、ज्ञान (jñāna) 「知識」は無意識の物質性を否定し、अनन्त (ananta) 「無限」は時間・空間・対象による一切の限定を否定します。三語はいずれも中性・単数・主格で ब्रह्म (brahma) と同格に置かれ、ブラフマンの唯一不二の本質を三つの側面から指し示しています。
洞窟と最高の虚空
निहितं गुहायां परमे व्योमन् (nihitaṃ guhāyāṃ parame vyoman) は「洞窟の中に、最高の虚空に蔵されたもの」と訳されます。गुहा (guhā) 「洞窟」は心臓の洞窟 हृदयगुहा (hṛdayaguhā) を指し、ブラフマンが外界ではなく自己の最も深い内奥に秘められていることを表します。同時に परमे व्योमन् (parame vyoman) 「最高の虚空」は、内なる洞窟が無限の大空へと通じていることを示唆し、個我の奥底と宇宙の究極が同一であるという「ブラフマン=アートマン」の根本教説を暗示しています。カタ・ウパニシャッド(1.2.12)やムンダカ・ウパニシャッド(2.1.10)にも同様の「洞窟に隠されたブラフマン」の表現が見られ、ウパニシャッド文学に共通する重要なモチーフです。
宇宙創造の下降系列
तस्माद्वा एतस्मादात्मनः (tasmād vā etasmād ātmanaḥ) 以下の創造系列——アートマン → 虚空 → 風 → 火 → 水 → 大地 → 薬草 → 食物 → 人間——は、ブラフマンから物質世界が段階的に流出する過程を描いた、インド哲学における宇宙論の原型です。各段階は奪格 तस्मात् (tasmāt) で連鎖的に結ばれ、原因から結果への因果の連鎖を明確に示しています。この系列はサーンキヤ哲学における二十五原理の展開論(プラクリティからの順次展開)の先駆的形態と見ることができ、後のインド哲学の諸体系に深い影響を与えました。注目すべきは、この系列が最も微細な आकाश (ākāśa) 「虚空」から始まり、最も粗大な पृथिवी (pṛthivī) 「大地」を経て、再び生命体(薬草、食物、人間)へと上昇する点です。ここには、精神から物質へ、そして物質から再び生命ある存在へという、壮大な循環の構造が見て取れます。
食物精髄鞘(アンナラサマヤ)と鳥形の描写
創造系列の帰結として現れた पुरुष (puruṣa) 「人間」は、अन्नरसमय (annarasamaya) 「食物の精髄から成るもの」と定義されます。これがパンチャコーシャ(五鞘)の第一鞘、すなわち食物精髄鞘です。रस (rasa) は単なる「汁」ではなく「精髄」「エッセンス」を意味し、食物から抽出された最も精妙な養分が肉体を構成するという考えを表しています。
この鞘は鳥の姿 पुरुषविध (puruṣavidha) 「人の形をしたもの」で描写されます。頭 शिरस् (śiras)、右翼 दक्षिणः पक्षः (dakṣiṇaḥ pakṣaḥ)、左翼 उत्तरः पक्षः (uttaraḥ pakṣaḥ)、胴体 आत्मा (ātmā)、尾=基盤 पुच्छं प्रतिष्ठा (pucchaṃ pratiṣṭhā) の五部位で構成されますが、第一鞘ではこれら五部位の具体的な対応要素は示されず、ただ肉体の構造そのものが鳥形として提示されています。以降のアヌヴァーカでは、各鞘の五部位に具体的な原理が割り当てられていきます。
आत्मा (ātmā) が「胴体」の意で用いられている点に注目してください。本来「自己、本質」を意味する आत्मन् (ātman) が身体の胴体部分を指す用法は、外なる身体と内なる本質の間に横たわるウパニシャッド的な二重性を端的に表しています。
末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) 「これについてまた次の詩節がある」は、散文的論述から韻文的要約への転換を告げる定型句であり、ブラフマーナンダヴァッリー全篇を通じて繰り返される構造的マーカーです。次のアヌヴァーカ冒頭に置かれる詩節が、ここで予告されています。
第2アヌヴァーカ 第1節
पञ्चकोशोविवरणम्
अन्नाद्वै प्रजाः प्रजायन्ते । याः काश्च पृथिवीꣳश्रिताः ।
अथो अन्नेनैव जीवन्ति । अथैनदपि यन्त्यन्ततः ।
अन्नꣳहि भूतानां ज्येष्ठम् । तस्मात् सर्वौषधमुच्यते ।
सर्वं वै तेऽन्नमाप्नुवन्ति । येऽन्नं ब्रह्मोपासते ।
अन्नꣳहि भूतानां ज्येष्ठम् । तस्मात् सर्वौषधमुच्यते ।
अन्नाद् भूतानि जायन्ते । जातान्यन्नेन वर्धन्ते ।
अद्यतेऽत्ति च भूतानि । तस्मादन्नं तदुच्यत इति ।
तस्माद्वा एतस्मादन्नरसमयात् । अन्योऽन्तर आत्मा प्राणमयः ।
तेनैष पूर्णः । स वा एष पुरुषविध एव ।
तस्य पुरुषविधताम् । अन्वयं पुरुषविधः ।
तस्य प्राण एव शिरः । व्यानो दक्षिणः पक्षः ।
अपान उत्तरः पक्षः । आकाश आत्मा ।
पृथिवी पुच्छं प्रतिष्ठा । तदप्येष श्लोको भवति ॥ 2.1 ॥
pañcakośovivaraṇam
annād vai prajāḥ prajāyante | yāḥ kāś ca pṛthivīṃ śritāḥ |
atho annenaiva jīvanti | athainad api yanty antataḥ |
annaṃ hi bhūtānāṃ jyeṣṭham | tasmāt sarvauṣadham ucyate |
sarvaṃ vai te ‘nnam āpnuvanti | ye ‘nnaṃ brahmopāsate |
annaṃ hi bhūtānāṃ jyeṣṭham | tasmāt sarvauṣadham ucyate |
annād bhūtāni jāyante | jātāny annena vardhante |
adyate ‘tti ca bhūtāni | tasmād annaṃ tad ucyata iti |
tasmād vā etasmād annarasamayāt | anyo ‘ntara ātmā prāṇamayaḥ |
tenaiṣa pūrṇaḥ | sa vā eṣa puruṣavidha eva |
tasya puruṣavidhatām | anvayaṃ puruṣavidhaḥ |
tasya prāṇa eva śiraḥ | vyāno dakṣiṇaḥ pakṣaḥ |
apāna uttaraḥ pakṣaḥ | ākāśa ātmā |
pṛthivī pucchaṃ pratiṣṭhā | tad apy eṣa śloko bhavati || 2.1 ||
五鞘の解明
食物よりまさに生きとし生けるものは生まれ出づる。大地に依りて住まうすべてのものは。
しかして食物によってこそ生き、しかしてまた食物の中へと帰り往く、最後には。
食物こそ万物の長子である。それゆえ一切の薬と称される。
まことに、食物をブラフマンとして瞑想する者たちは、あらゆる食物を得る。
食物こそ万物の長子である。それゆえ一切の薬と称される。
食物より万物は生まれ、生まれたるものは食物によって成長する。
食物は万物に食され、また自ら万物を食す。それゆえ、それは食物(アンナ)と呼ばれる——と。
かの食物精髄から成るものよりも、内なる別のアートマンが生気から成る(プラーナマヤ)。
これ〔食物精髄鞘〕はそれ〔生気鞘〕によって満たされている。これはまさに人の形をしたものである。
その〔外鞘の〕人の形に従って、この〔内鞘の〕人の形がある。
その頭はプラーナ(主気)そのものである。ヴィヤーナ(遍充気)が右の翼である。
アパーナ(下降気)が左の翼である。虚空が胴体(アートマン)である。
大地が尾であり基盤である。これについてまた次の詩節がある。
-
पञ्चकोशोविवरणम् (pañcakośovivaraṇam): 五鞘の解明(中性・単数・主格。本アヌヴァーカの伝統的題名)पञ्च (pañca): 五つのकोश (kośa): 鞘、覆いविवरण (vivaraṇa): 解明、詳説(vi + √vṛ「開く」)
-
अन्नाद्वै (annād vai)←अन्नात् वै (annāt vai): 食物よりまさに(annāt「食物より」anna 中性・単数・奪格 + vai 強調の不変化辞「まさに、実に」) -
प्रजाः (prajāḥ): 生きとし生けるもの、子孫(prajā「生類、子孫」女性・複数・主格。pra + √jan「生まれる」) -
प्रजायन्ते (prajāyante): 生まれ出づる(pra-√jan「生じる」現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
याः (yāḥ): 〜するところの者たちは(関係代名詞 yad 女性・複数・主格) -
काश्च (kāś ca)←काः च (kāḥ ca): いかなるものも、すべての(kāḥ「いかなるものも」疑問代名詞 kim 女性・複数・主格 + ca「そして」不変化辞。yāḥ kāḥ ca で「いかなるものであれ」の意) -
पृथिवीꣳश्रिताः (pṛthivīṃ śritāḥ)←पृथिवीम् श्रिताः (pṛthivīm śritāḥ): 大地に依りて住まう(pṛthivīm「大地を」女性・単数・対格 + śritāḥ「依存する、依って住む」√śri 過去受動分詞・女性・複数・主格) -
अथो (atho)←अथ उ (atha u): しかしてまた(atho = atha u「そしてまた」不変化辞。文脈の展開を示す) -
अन्नेनैव (annenaiva)←अन्नेन एव (annena eva): 食物によってこそ(annena「食物によって」anna 中性・単数・具格 + eva 強調の不変化辞「こそ」) -
जीवन्ति (jīvanti): 生きる(√jīv「生きる」現在・三人称・複数・パラスマイパダ) -
अथैनदपि (athainad api)←अथ एनत् अपि (atha enat api): しかしてまたそれへ(atha「しかして」+ enat「それを」指示代名詞 enad 中性・単数・対格 + api「また」不変化辞。文脈上は食物へ帰ることを指す) -
यन्त्यन्ततः (yanty antataḥ)←यन्ति अन्ततः (yanti antataḥ): 最後には帰り往く(yanti「往く」√yā 現在・三人称・複数・パラスマイパダ + antataḥ「最後に、ついには」不変化辞) -
अन्नꣳहि (annaṃ hi)←अन्नम् हि (annam hi): 食物こそは実に(annam「食物は」anna 中性・単数・主格 + hi「なぜなら、実に」理由・強調の不変化辞) -
भूतानां (bhūtānāṃ)←भूतानाम् (bhūtānām): 万物の、生きとし生けるものの(bhūta「存在するもの」中性/男性・複数・属格) -
ज्येष्ठम् (jyeṣṭham): 最も優れたもの、第一のもの(jyeṣṭha「最も優れた、第一の」中性・単数・主格。最上級形) -
तस्मात् (tasmāt): それゆえ(指示代名詞 tad 中性・単数・奪格。理由を示す) -
सर्वौषधमुच्यते (sarvauṣadham ucyate)←सर्वौषधम् उच्यते (sarvauṣadham ucyate): 一切の薬と称される(sarvauṣadham「一切の薬」中性・単数・主格 + ucyate「称される」√vac 受動態・現在・三人称・単数)सर्व (sarva): 一切の、すべてのओषध (oṣadha): 薬、治療薬(oṣadhi の中性形)
-
सर्वं (sarvaṃ)←सर्वम् (sarvam): すべての(sarva「一切の」中性・単数・対格) -
वै (vai): まことに(強調の不変化辞) -
तेऽन्नमाप्नुवन्ति (te 'nnam āpnuvanti)←ते अन्नम् आप्नुवन्ति (te annam āpnuvanti): 彼らは食物を得る(te「彼らは」指示代名詞 tad 男性・複数・主格 + annam「食物を」中性・単数・対格 + āpnuvanti「得る」√āp 現在・三人称・複数・パラスマイパダ) -
येऽन्नं (ye 'nnaṃ)←ये अन्नम् (ye annam): 食物を〜するところの者たちは(ye「〜するところの者たちは」関係代名詞 yad 男性・複数・主格 + annam「食物を」中性・単数・対格) -
ब्रह्मोपासते (brahmopāsate)←ब्रह्म उपासते (brahma upāsate): ブラフマンとして瞑想する(brahma「ブラフマンとして」+ upāsate「瞑想する」upa-√ās 現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
अन्नाद् (annād)←अन्नात् (annāt): 食物より(anna 中性・単数・奪格。語末 -t が後続有声子音の前で -d となる) -
भूतानि (bhūtāni): 万物は(bhūta「存在するもの」中性・複数・主格) -
जायन्ते (jāyante): 生まれる(√jan「生まれる」現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
जातान्यन्नेन (jātāny annena)←जातानि अन्नेन (jātāni annena): 生まれたるものは食物によって(jātāni「生まれたるもの」√jan 過去受動分詞・中性・複数・主格 + annena「食物によって」anna 中性・単数・具格) -
वर्धन्ते (vardhante): 成長する(√vṛdh「成長する」現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
अद्यतेऽत्ति (adyate 'tti)←अद्यते अत्ति (adyate atti): 食され、また食す(adyate「食される」√ad 受動態・現在・三人称・単数 + atti「食す」√ad 現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
च (ca): そして、また(接続の不変化辞) -
तस्मादन्नं (tasmād annaṃ)←तस्मात् अन्नम् (tasmāt annam): それゆえ食物と(tasmāt「それゆえ」中性・単数・奪格 + annam「食物」中性・単数・主格) -
तदुच्यत (tad ucyata)←तत् उच्यते (tat ucyate): それは称される(tad「それは」中性・単数・主格 + ucyate「称される」√vac 受動態・現在・三人称・単数。韻律上 -e が脱落) -
इति (iti): 〜と(引用の不変化辞) -
तस्माद्वा (tasmād vā)←तस्मात् वा (tasmāt vā): かの〔鞘〕よりまさに(tasmāt「かの〔鞘〕より」男性/中性・単数・奪格 + vā 強調の不変化辞) -
एतस्मादन्नरसमयात् (etasmād annarasamayāt)←एतस्मात् अन्नरसमयात् (etasmāt annarasamayāt): この食物精髄から成るものより(etasmāt「この」男性・単数・奪格 + annarasamayāt「食物精髄から成るものより」男性・単数・奪格)अन्न (anna): 食物रस (rasa): 精髄、汁液मय (maya): 〜から成る(接尾辞)
-
अन्योऽन्तर (anyo 'ntara)←अन्यः अन्तरः (anyaḥ antaraḥ): 内なる別の(anyaḥ「別の」男性・単数・主格 + antaraḥ「内なる」男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): アートマン、自己(ātman 男性・単数・主格) -
प्राणमयः (prāṇamayaḥ): 生気から成る(男性・単数・主格)प्राण (prāṇa): 生気、生命力(pra + √an「呼吸する」)मय (maya): 〜から成る(接尾辞)
-
तेनैष (tenaiṣa)←तेन एषः (tena eṣaḥ): それ〔内鞘〕によってこれ〔外鞘〕は(tena「それによって」男性・単数・具格 + eṣaḥ「これは」指示代名詞・男性・単数・主格) -
पूर्णः (pūrṇaḥ): 満たされている(pūrṇa「満ちた」√pṝ 過去受動分詞・男性・単数・主格) -
स (sa)←सः (saḥ): これは(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
वा (vā): まさに、実に(強調の不変化辞) -
एष (eṣa)←एषः (eṣaḥ): この(指示代名詞 etad 男性・単数・主格) -
पुरुषविध (puruṣavidha)←पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたもの(男性・単数・主格)पुरुष (puruṣa): 人、人間विध (vidha): 形、様態
-
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
तस्य (tasya): その〔外鞘の〕(指示代名詞 tad 男性・単数・属格) -
पुरुषविधताम् (puruṣavidhatām): 人の形であることに(puruṣavidhatā「人の形であること」女性・単数・対格)पुरुष (puruṣa): 人विध (vidha): 形ता (tā): 〜であること(抽象名詞接尾辞)
-
अन्वयं (anvayaṃ)←अन्वयम् (anvayam): 従って、に対応して(anvaya「随順、対応」男性・単数・対格。anu + √i「行く」) -
पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたものである(puruṣavidha 男性・単数・主格。ここでは内鞘である生気鞘を指す) -
प्राण (prāṇa)←प्राणः (prāṇaḥ): プラーナ、主気(prāṇa「呼気、主たる生命力」男性・単数・主格) -
शिरः (śiraḥ): 頭である(śiras「頭」中性・単数・主格) -
व्यानो (vyāno)←व्यानः (vyānaḥ): ヴィヤーナ(遍充気)が(vyāna 男性・単数・主格。vi + √an「呼吸する」、全身に遍く行き渡る気) -
दक्षिणः (dakṣiṇaḥ): 右の(dakṣiṇa「右」男性・単数・主格) -
पक्षः (pakṣaḥ): 翼(pakṣa「翼、側面」男性・単数・主格) -
अपान (apāna)←अपानः (apānaḥ): アパーナ(下降気)が(apāna 男性・単数・主格。apa + √an「呼吸する」、下方に向かう気) -
उत्तरः (uttaraḥ): 左の(uttara「左の、北の」男性・単数・主格) -
आकाश (ākāśa)←आकाशः (ākāśaḥ): 虚空が(ākāśa「虚空、空間」男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): 胴体である(ātman 男性・単数・主格。鳥形描写における「胴体」の意) -
पृथिवी (pṛthivī): 大地が(pṛthivī「大地」女性・単数・主格) -
पुच्छं (pucchaṃ)←पुच्छम् (puccham): 尾(puccha「尾」中性・単数・主格) -
प्रतिष्ठा (pratiṣṭhā): 基盤、拠り所(pratiṣṭhā「確立された基盤」女性・単数・主格) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad「それ」+ api「また」+ eṣaḥ「この」男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
題名「五鞘の解明」
本アヌヴァーカの伝統的題名 पञ्चकोशोविवरणम् (pañcakośovivaraṇam) は「五鞘の解明」を意味します。前アヌヴァーカで食物精髄鞘(アンナラサマヤ)が導入されましたが、本アヌヴァーカ以降、五つの鞘(コーシャ)が順次解き明かされていきます。この題名は後代の注釈伝統に由来しますが、テキストの核心的主題を的確に示しています。
食物の称讃——宇宙的循環の讃歌
冒頭の韻文部分は、前アヌヴァーカ末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) で予告された要約詩節に相当し、食物(अन्न (anna))の宇宙的重要性を称えます。食物は三重の機能を持つものとして讃えられています。第一に万物の生成の源泉——「食物より生きとし生けるものは生まれ出づる」。第二に万物の維持の力——「食物によってこそ生きる」。第三に万物の帰滅の場——「食物の中へと帰り往く」。この生成・維持・帰滅という三相は、万物の存在が食物という一つの原理に収斂するウパニシャッドの宇宙観を端的に表現しています。後代のインド思想において宇宙の三大作用(創造・維持・壊滅)として体系化される根本発想の源流を、ここに読み取ることもできるでしょう。
अन्नꣳहि भूतानां ज्येष्ठम् (annaṃ hi bhūtānāṃ jyeṣṭham) 「食物こそ万物の長子である」という宣言は二度繰り返され、食物の至上性が強調されます。ज्येष्ठ (jyeṣṭha) は「最も優れた、第一の」を意味する最上級形であり、ここでは食物が万物を養い支える第一義的な存在、すなわち生類にとって最も重要なものであることを示しています。前アヌヴァーカの宇宙創造系列では、食物は虚空・風・火・水・大地の後に位置しますから、時間的に「最初に生じた」という意味ではありません。あらゆる生命を支え養うがゆえに「第一のもの」と称えられています。そして सर्वौषधम् (sarvauṣadham) 「一切の薬」と称されるのは、食物が生命のあらゆる不調を癒す普遍的な治癒力を持つという古代ヴェーダ的な認識を反映しています。
語源的瞑想——食物はなぜ「アンナ」と呼ばれるか
अद्यते अत्ति च भूतानि (adyate 'tti ca bhūtāni) は、食物が「食される」(受動)と同時に「食す」(能動)という逆説的な二重性を表現しています。√अद् (√ad) 「食べる」という同一の動詞根から受動態 अद्यते (adyate) と能動態 अत्ति (atti) が引き出され、語源的説明(ニルクティ)として अन्न (anna) の名が導かれます。食物は万物に食されるだけでなく、万物を自らの内に呑み込む——この円環的な相互作用の中に、生と死の不断の循環が凝縮されています。
移行定型句——外鞘から内鞘へ
तस्माद्वा एतस्मादन्नरसमयात् अन्योऽन्तर आत्मा प्राणमयः (tasmād vā etasmād annarasamayāt anyo 'ntara ātmā prāṇamayaḥ) は、五鞘の段階的深化を構造的に示す最重要の移行定型句です。「この食物精髄から成るものよりも、内なる別のアートマンが生気から成る」——外側の鞘を超えて、より内なる層へと探究を深めていく道程がここに宣言されます。続く तेनैष पूर्णः (tenaiṣa pūrṇaḥ) 「これ〔外鞘〕はそれ〔内鞘〕によって満たされている」は、内鞘が外鞘の中に浸透し充満している関係を示す重要な表現です。ちょうど水が布に染み渡るように、生気は肉体の隅々にまで行き渡り、それを生かしています。
生気鞘(プラーナマヤ)の鳥形描写
生気鞘は前の食物精髄鞘と同様に鳥の姿で描写されますが、ここで初めて五部位に具体的な原理が割り当てられます。
| 部位 | サンスクリット | 対応する原理 |
|---|---|---|
| 頭 | शिरस् (śiras) |
प्राण (prāṇa) 主気(呼気) |
| 右翼 | दक्षिणः पक्षः (dakṣiṇaḥ pakṣaḥ) |
व्यान (vyāna) 遍充気 |
| 左翼 | उत्तरः पक्षः (uttaraḥ pakṣaḥ) |
अपान (apāna) 下降気 |
| 胴体 | आत्मा (ātmā) |
आकाश (ākāśa) 虚空 |
| 尾=基盤 | पुच्छं प्रतिष्ठा (pucchaṃ pratiṣṭhā) |
पृथिवी (pṛthivī) 大地 |
五種の生気(パンチャ・プラーナ)のうち、ここでは प्राण (prāṇa) (主気・呼気)、व्यान (vyāna) (全身に遍く行き渡る遍充気)、अपान (apāna) (下方に向かう下降気)の三つのみが頭と両翼に配されています。残る समान (samāna) (等化気)と उदान (udāna) (上昇気)は本文では直接言及されていません。胴体に置かれた आकाश (ākāśa) 「虚空」と基盤に置かれた पृथिवी (pṛthivī) 「大地」は、気の種類ではなく元素であり、生気が活動する内的空間とそれを支える物質的基盤をそれぞれ表しています。注目すべきは、食物精髄鞘では五部位への具体的な対応要素が示されなかったのに対し、生気鞘で初めてプラーナ・ヴィヤーナ・アパーナという特定の原理が頭と両翼に割り当てられ、鳥形の構造がより明瞭に描かれている点です。この傾向は、以降の意の鞘・識別知の鞘・歓喜の鞘へと進むにつれてさらに精妙化していきます。
五鞘の入れ子構造
ここで提示される構造を、玉ねぎの層にたとえて理解するとよいでしょう。最も外側に食物精髄鞘(肉体)があり、その内部に生気鞘が存在します。しかし内鞘は外鞘に「閉じ込められている」のではなく、外鞘を内側から「満たしている」(पूर्ण (pūrṇa))——すなわち、生命力は肉体のあらゆる細胞に浸透し、肉体を生かしています。この入れ子構造は、以降のアヌヴァーカで意の鞘、識別知の鞘、歓喜の鞘へと段階的に深められ、最終的にアートマン=ブラフマンという究極の核心へと導いていきます。
第3アヌヴァーカ 第1節
प्राणं देवा अनु प्राणन्ति । मनुष्याः पशवश्च ये ।
प्राणो हि भूतानामायुः । तस्मात् सर्वायुषमुच्यते ।
सर्वमेव त आयुर्यन्ति । ये प्राणं ब्रह्मोपासते ।
प्राणो हि भूतानामायुः । तस्मात् सर्वायुषमुच्यत इति ।
तस्यैष एव शारीर आत्मा । यः पूर्वस्य ।
तस्माद्वा एतस्मात् प्राणमयात् । अन्योऽन्तर आत्मा मनोमयः ।
तेनैष पूर्णः । स वा एष पुरुषविध एव ।
तस्य पुरुषविधताम् । अन्वयं पुरुषविधः ।
तस्य यजुरेव शिरः । ऋग्दक्षिणः पक्षः । सामोत्तरः पक्षः ।
आदेश आत्मा । अथर्वाङ्गिरसः पुच्छं प्रतिष्ठा ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 3.1 ॥
prāṇaṃ devā anu prāṇanti | manuṣyāḥ paśavaś ca ye |
prāṇo hi bhūtānām āyuḥ | tasmāt sarvāyuṣam ucyate |
sarvam eva ta āyur yanti | ye prāṇaṃ brahmopāsate |
prāṇo hi bhūtānām āyuḥ | tasmāt sarvāyuṣam ucyata iti |
tasyaiṣa eva śārīra ātmā | yaḥ pūrvasya |
tasmād vā etasmāt prāṇamayāt | anyo ‘ntara ātmā manomayaḥ |
tenaiṣa pūrṇaḥ | sa vā eṣa puruṣavidha eva |
tasya puruṣavidhatām | anvayaṃ puruṣavidhaḥ |
tasya yajur eva śiraḥ | ṛg dakṣiṇaḥ pakṣaḥ | sāmottaraḥ pakṣaḥ |
ādeśa ātmā | atharvāṅgirasaḥ pucchaṃ pratiṣṭhā |
tad apy eṣa śloko bhavati || 3.1 ||
生気(プラーナ)に随順して神々は呼吸する。人間たちも、また獣たちも。
生気こそ万物の寿命である。それゆえ一切の寿命と称される。
まことに、生気をブラフマンとして瞑想する者たちは、寿命をことごとく全うする。
生気こそ万物の寿命である。それゆえ一切の寿命と称される——と。
これ〔生気鞘〕が前のもの〔食物精髄鞘〕の身体的アートマンである。
かの生気から成るものよりも、内なる別のアートマンが意から成る(マノーマヤ)。
これ〔生気鞘〕はそれ〔意の鞘〕によって満たされている。これはまさに人の形をしたものである。
その〔外鞘の〕人の形に従って、この〔内鞘の〕人の形がある。
その頭はヤジュス(祭詞)そのものである。リク(聖句)が右の翼である。サーマン(聖歌)が左の翼である。
アーデーシャ(教説)が胴体(アートマン)である。アタルヴァーンギラスが尾であり基盤である。
これについてまた次の詩節がある。
-
प्राणं (prāṇaṃ)←प्राणम् (prāṇam): 生気を(prāṇa「生命力、呼吸」男性・単数・対格) -
देवा (devā)←देवाः (devāḥ): 神々は(deva「神」男性・複数・主格) -
अनु (anu): 〜に随順して、〜に従って(前置詞・不変化辞) -
प्राणन्ति (prāṇanti): 呼吸する、生きる(pra-√an「呼吸する」現在・三人称・複数・パラスマイパダ) -
मनुष्याः (manuṣyāḥ): 人間たちは(manuṣya「人間」男性・複数・主格) -
पशवश्च (paśavaś ca)←पशवः च (paśavaḥ ca): 獣たちも(paśavaḥ「獣、家畜」paśu 男性・複数・主格 + ca「そして、も」不変化辞) -
ये (ye): 〜するところの者たちは(関係代名詞 yad 男性・複数・主格) -
प्राणो (prāṇo)←प्राणः (prāṇaḥ): 生気こそは(prāṇa 男性・単数・主格) -
हि (hi): なぜなら、実に(理由・強調の不変化辞) -
भूतानामायुः (bhūtānām āyuḥ)←भूतानाम् आयुः (bhūtānām āyuḥ): 万物の寿命である(bhūtānām「万物の」bhūta 中性/男性・複数・属格 + āyuḥ「寿命」āyus 中性・単数・主格) -
तस्मात् (tasmāt): それゆえ(指示代名詞 tad 中性・単数・奪格。理由を示す) -
सर्वायुषमुच्यते (sarvāyuṣam ucyate)←सर्वायुषम् उच्यते (sarvāyuṣam ucyate): 一切の寿命と称される(sarvāyuṣam「一切の寿命」中性・単数・主格 + ucyate「称される」√vac 受動態・現在・三人称・単数)सर्व (sarva): 一切の、すべてのआयुस् (āyus): 寿命、生命力
-
सर्वमेव (sarvam eva)←सर्वम् एव (sarvam eva): ことごとく、余すところなく(sarvam「完全に」sarva 中性・単数・対格、副詞的用法 + eva 強調の不変化辞「まさに」) -
त (ta)←ते (te): 彼らは(指示代名詞 tad 男性・複数・主格。te の連声による形) -
आयुर्यन्ति (āyur yanti)←आयुः यन्ति (āyuḥ yanti): 寿命を全うする(āyuḥ「寿命を」āyus 中性・単数・対格 + yanti「行く、達する」√yā 現在・三人称・複数・パラスマイパダ。āyur yanti で「完全な寿命に到達する」の意) -
प्राणं (prāṇaṃ)←प्राणम् (prāṇam): 生気を(prāṇa 男性・単数・対格) -
ब्रह्मोपासते (brahmopāsate)←ब्रह्म उपासते (brahma upāsate): ブラフマンとして瞑想する(brahma「ブラフマンとして」+ upāsate「瞑想する」upa-√ās 現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
सर्वायुषमुच्यत (sarvāyuṣam ucyata)←सर्वायुषम् उच्यते (sarvāyuṣam ucyate): 一切の寿命と称される(sarvāyuṣam「一切の寿命」中性・単数・主格 + ucyate「称される」√vac 受動態・現在・三人称・単数。ucyata は iti との連声による形) -
इति (iti): 〜と(引用の不変化辞) -
तस्यैष (tasyaiṣa)←तस्य एषः (tasya eṣaḥ): その〔前の鞘の〕これ〔内鞘〕が(tasya「その」男性・単数・属格 + eṣaḥ「これが」指示代名詞・男性・単数・主格) -
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
शारीर (śārīra)←शारीरः (śārīraḥ): 身体に属する、身体的な(śārīra「身体の」śarīra「身体」から派生した形容詞・男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): アートマン、本質、自己(ātman 男性・単数・主格) -
यः (yaḥ): 〜するところのもの(関係代名詞 yad 男性・単数・主格) -
पूर्वस्य (pūrvasya): 前のもの〔食物精髄鞘〕の(pūrva「前の」男性・単数・属格) -
तस्माद्वा (tasmād vā)←तस्मात् वा (tasmāt vā): かの〔鞘〕よりまさに(tasmāt「かの〔鞘〕より」男性・単数・奪格 + vā 強調の不変化辞) -
एतस्मात् (etasmāt): この(指示代名詞 etad 男性・単数・奪格) -
प्राणमयात् (prāṇamayāt): 生気から成るものより(男性・単数・奪格)प्राण (prāṇa): 生気、生命力मय (maya): 〜から成る(接尾辞)
-
अन्योऽन्तर (anyo 'ntara)←अन्यः अन्तरः (anyaḥ antaraḥ): 内なる別の(anyaḥ「別の」男性・単数・主格 + antaraḥ「内なる」男性・単数・主格) -
मनोमयः (manomayaḥ): 意から成る(男性・単数・主格。manas の語末 -as が複合語内で -o に変化)मनस् (manas): 意、思考器官(√man「思う」より)मय (maya): 〜から成る(接尾辞)
-
तेनैष (tenaiṣa)←तेन एषः (tena eṣaḥ): それ〔内鞘〕によってこれ〔外鞘〕は(tena「それによって」男性・単数・具格 + eṣaḥ「これは」男性・単数・主格) -
पूर्णः (pūrṇaḥ): 満たされている(pūrṇa「満ちた」√pṝ 過去受動分詞・男性・単数・主格) -
स (sa)←सः (saḥ): これは(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
वा (vā): まさに(強調の不変化辞) -
एष (eṣa)←एषः (eṣaḥ): この(指示代名詞 etad 男性・単数・主格) -
पुरुषविध (puruṣavidha)←पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたもの(男性・単数・主格)पुरुष (puruṣa): 人、人間विध (vidha): 形、様態
-
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
तस्य (tasya): その〔外鞘の〕(指示代名詞 tad 男性・単数・属格) -
पुरुषविधताम् (puruṣavidhatām): 人の形であることに(puruṣavidhatā「人の形であること」女性・単数・対格)पुरुष (puruṣa): 人विध (vidha): 形ता (tā): 〜であること(抽象名詞接尾辞)
-
अन्वयं (anvayaṃ)←अन्वयम् (anvayam): 従って、対応して(anvaya「随順、対応」男性・単数・対格) -
पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたものである(男性・単数・主格。ここでは内鞘である意の鞘を指す) -
यजुरेव (yajur eva)←यजुः एव (yajuḥ eva): ヤジュスこそが(yajus「祭詞、ヤジュル・ヴェーダの聖句」中性・単数・主格 + eva 強調の不変化辞) -
शिरः (śiraḥ): 頭である(śiras「頭」中性・単数・主格) -
ऋग्दक्षिणः (ṛg dakṣiṇaḥ)←ऋक् दक्षिणः (ṛk dakṣiṇaḥ): リクが右の(ṛk「リグ・ヴェーダの聖句」女性・単数・主格 + dakṣiṇaḥ「右の」男性・単数・主格) -
पक्षः (pakṣaḥ): 翼(pakṣa「翼、側面」男性・単数・主格) -
सामोत्तरः (sāmottaraḥ)←साम उत्तरः (sāma uttaraḥ): サーマンが左の(sāma「サーマ・ヴェーダの聖歌」中性・単数・主格 + uttaraḥ「左の」男性・単数・主格) -
आदेश (ādeśa)←आदेशः (ādeśaḥ): 教説が、教令が(ādeśa「教示、教説」男性・単数・主格。ā + √diś「指し示す」。ブラーフマナ文献に含まれる教示・規定を指す) -
आत्मा (ātmā): 胴体である(ātman 男性・単数・主格。鳥形描写における「胴体」の意) -
अथर्वाङ्गिरसः (atharvāṅgirasaḥ): アタルヴァーンギラスが(atharvāṅgiras「アタルヴァ・ヴェーダの古名」男性・複数・主格)अथर्वन् (atharvan): アタルヴァン仙(火の祭司の名)अङ्गिरस् (aṅgiras): アンギラス仙(古代聖仙の名)
-
पुच्छं (pucchaṃ)←पुच्छम् (puccham): 尾(puccha「尾」中性・単数・主格) -
प्रतिष्ठा (pratiṣṭhā): 基盤(pratiṣṭhā「確立された基盤」女性・単数・主格) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad + api + eṣaḥ 男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
生気の称讃——万物の寿命としてのプラーナ
本アヌヴァーカの冒頭は、前アヌヴァーカ末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) で予告された要約詩節に当たり、प्राण (prāṇa) の宇宙的意義を称えます。前アヌヴァーカが食物(अन्न (anna))の三重の機能——生成・維持・帰滅——を讃えたのと見事な対称をなし、ここでは生気が万物の生命を支える根源的な力として称讃されています。
प्राणं देवा अनु प्राणन्ति (prāṇaṃ devā anu prāṇanti) 「生気に随順して神々は呼吸する」——この一行は、生気が単に人間の呼吸作用に限定されるものではなく、神々をも含む宇宙的な生命原理であることを宣言しています。अनु प्राणन्ति (anu prāṇanti) の अनु (anu) 「〜に従って」は、すべての存在が生気の律動に従属していることを強調する重要な前置詞です。続く मनुष्याः पशवश्च ये (manuṣyāḥ paśavaś ca ye) により、神々から人間、獣たちへと、存在の全階層が生気の支配下にあることが明示されます。
前アヌヴァーカでの食物の称讃では ज्येष्ठ (jyeṣṭha) 「第一のもの」と सर्वौषध (sarvauṣadha) 「一切の薬」という称号が与えられましたが、ここでは आयुस् (āyus) 「寿命」と सर्वायुष (sarvāyuṣa) 「一切の寿命」が対応する称号として用いられています。食物が万物の身体を養う「一切の薬」であるならば、生気は万物の存在そのものを時間の中で持続させる「一切の寿命」です。この並行構造は、外鞘(食物精髄鞘)から内鞘(生気鞘)への深化が、空間的な養いから時間的な持続へという次元の移行でもあることを示唆しています。
सर्वमेव त आयुर्यन्ति (sarvam eva ta āyur yanti) は「寿命をことごとく全うする」と訳されます。सर्वम् (sarvam) は副詞的な対格として「余すところなく、完全に」の意味で機能し、एव (eva) の強調と相まって、生気をブラフマンとして瞑想する者が寿命の全体を余すところなく享受することを示しています。
身体的アートマン——内外の鞘を結ぶ重要な句
तस्यैष एव शारीर आत्मा यः पूर्वस्य (tasyaiṣa eva śārīra ātmā yaḥ pūrvasya) は、本アヌヴァーカで初めて現れる重要な構造的宣言であり、以降のアヌヴァーカでも繰り返されます。शारीर (śārīra) は शरीर (śarīra) 「身体」から派生した形容詞で「身体に属する」の意であり、आत्मा (ātmā) は「本質、自己」です。すなわち、生気鞘は食物精髄鞘の「身体的な本質」——外側の鞘に生命を与え、それを内側から活かしている核——であることが宣言されています。肉体は食物の精髄から成りますが、その肉体を真に「生きたもの」にしているのは、内に宿る生気の力にほかなりません。
移行定型句——生気鞘から意の鞘へ
तस्माद्वा एतस्मात् प्राणमयात् अन्योऽन्तर आत्मा मनोमयः (tasmād vā etasmāt prāṇamayāt anyo 'ntara ātmā manomayaḥ) は、前アヌヴァーカの移行句と完全に同形の定型句です。生気鞘のさらに奥に、意(मनस् (manas))から成る第三の鞘が存在し、それが生気鞘を内側から満たしていることが宣言されます。मनस् (manas) は √मन् (√man) 「思う」に由来する中性名詞で、思考・意志・感情を司る内的器官を意味します。生気が肉体に生命を吹き込むように、意は生気に方向性と目的を与えます。呼吸という無意識的な営みの奥に、思考と意志の働きが潜んでいる——この日常的な経験の中にこそ、五鞘の段階的深化の真意が宿っています。
意の鞘(マノーマヤ)の鳥形描写——ヴェーダ四部の配置
意の鞘の五部位には、ヴェーダの四つの聖典的区分が割り当てられます。
| 部位 | サンスクリット | 対応する原理 |
|---|---|---|
| 頭 | शिरस् (śiras) |
यजुस् (yajus) ヤジュス(祭詞) |
| 右翼 | दक्षिणः पक्षः (dakṣiṇaḥ pakṣaḥ) |
ऋच् (ṛc) リク(聖句) |
| 左翼 | उत्तरः पक्षः (uttaraḥ pakṣaḥ) |
सामन् (sāman) サーマン(聖歌) |
| 胴体 | आत्मा (ātmā) |
आदेश (ādeśa) アーデーシャ(教説) |
| 尾=基盤 | पुच्छं प्रतिष्ठा (pucchaṃ pratiṣṭhā) |
अथर्वाङ्गिरस् (atharvāṅgiras) アタルヴァーンギラス |
この配置は極めて意味深いものです。यजुस् (yajus) 「祭詞」が最も重要な部位である頭に据えられていますが、これは本ウパニシャッドがクリシュナ・ヤジュル・ヴェーダに属するという学派的背景を反映している可能性があります。ऋच् (ṛc) 「リグ・ヴェーダの聖句」と सामन् (sāman) 「サーマ・ヴェーダの聖歌」が両翼を構成し、知識の鳥が飛翔するための二枚の翼として機能します。
胴体に置かれた आदेश (ādeśa) は आ (ā) + √दिश् (√diś) 「指し示す」から成り、「教説」「教示」を意味します。シャンカラの注釈によれば、これはブラーフマナ文献に含まれる教示・規定を指すとされ、ヴェーダの知識体系の中核を担う解釈的・実践的教示を意味しています。基盤に置かれた अथर्वाङ्गिरस् (atharvāṅgiras) はアタルヴァ・ヴェーダの古名であり、アタルヴァン仙とアンギラス仙に帰せられる聖典です。これが「基盤」に位置するのは、生活の一切の側面を支える実践的な知がすべてのヴェーダ的営みの土台であることを示しています。
五鞘の深化と認識論的意義
生気鞘では五種の気という生理的原理が割り当てられていましたが、意の鞘ではヴェーダの聖典群という認識論的・知的原理が配されている点に注目してください。これは、五鞘の段階的深化が、物質的身体(食物精髄鞘)から生命活動(生気鞘)へ、そして思考・知識の領域(意の鞘)へと、存在の次元を確実に内面化・精妙化していることを示しています。意の鞘においてヴェーダの知が配されるのは、मनस् (manas) が単なる世俗的な思考ではなく、聖典的知識を受容し理解する器官として捉えられているためです。つまり、意の鞘の完成とは、ヴェーダの知識体系をその全体性において自己の内に受容することと等しいと言えるでしょう。
第4アヌヴァーカ 第1節
यतो वाचो निवर्तन्ते । अप्राप्य मनसा सह ।
आनन्दं ब्रह्मणो विद्वान् । न बिभेति कदाचनेति ।
तस्यैष एव शारीर आत्मा । यः पूर्वस्य ।
तस्माद्वा एतस्मान्मनोमयात् । अन्योऽन्तर आत्मा विज्ञानमयः ।
तेनैष पूर्णः । स वा एष पुरुषविध एव ।
तस्य पुरुषविधताम् ।
अन्वयं पुरुषविधः । तस्य श्रद्धैव शिरः ।
ऋतं दक्षिणः पक्षः ।
सत्यमुत्तरः पक्षः । योग आत्मा । महः पुच्छं प्रतिष्ठा ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 4.1 ॥
yato vāco nivartante | aprāpya manasā saha |
ānandaṃ brahmaṇo vidvān | na bibheti kadācaneti |
tasyaiṣa eva śārīra ātmā | yaḥ pūrvasya |
tasmād vā etasmān manomayāt | anyo ‘ntara ātmā vijñānamayaḥ |
tenaiṣa pūrṇaḥ | sa vā eṣa puruṣavidha eva |
tasya puruṣavidhatām |
anvayaṃ puruṣavidhaḥ | tasya śraddhaiva śiraḥ |
ṛtaṃ dakṣiṇaḥ pakṣaḥ |
satyam uttaraḥ pakṣaḥ | yoga ātmā | mahaḥ pucchaṃ pratiṣṭhā |
tad apy eṣa śloko bhavati || 4.1 ||
言葉が心とともに到達し得ず、そこより退き還るところの——
ブラフマンのアーナンダ(至福)を知る者は、いついかなる時も恐れることがない——と。
これ〔意の鞘〕が前のもの〔生気鞘〕の身体的アートマンである。
かの意から成るものよりも、内なる別のアートマンが識別知から成る(ヴィジュニャーナマヤ)。
これ〔意の鞘〕はそれ〔識別知の鞘〕によって満たされている。これはまさに人の形をしたものである。
その〔外鞘の〕人の形に従って、この〔内鞘の〕人の形がある。
その頭はシュラッダー(信)そのものである。
リタ(宇宙的真理)が右の翼である。
サティヤ(真実)が左の翼である。ヨーガが胴体(アートマン)である。マハス(偉大)が尾であり基盤である。
これについてまた次の詩節がある。
-
यतो (yato)←यतः (yataḥ): そこから、〜するところの(関係副詞 yataḥ「そこから」。語尾の -aḥ が後続の有声子音 v の前で -o に変化) -
वाचो (vāco)←वाचः (vācaḥ): 言葉が(vāc「言葉、発話」女性・複数・主格) -
निवर्तन्ते (nivartante): 退く、引き返す(ni-√vṛt「退く、戻る」現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
अप्राप्य (aprāpya): 到達せずして(a-pra-√āp「到達しない」の絶対分詞。「到達できずに」の意)अ (a): 〜しないで(否定接頭辞)प्राप्य (prāpya): 到達して(pra + √āp の絶対分詞)
-
मनसा (manasā): 心と(manas「意、心」中性・単数・具格) -
सह (saha): 〜とともに(後置の不変化辞。具格を支配し、ここでは मनसा「心と」を伴い「心とともに」の意を成す。主語 वाचः「言葉」が心とともに退くことを表す) -
आनन्दं (ānandaṃ)←आनन्दम् (ānandam): 至福を、歓喜を(ānanda「至福、歓喜」男性・単数・対格) -
ब्रह्मणो (brahmaṇo)←ब्रह्मणः (brahmaṇaḥ): ブラフマンの(brahman 中性・単数・属格) -
विद्वान् (vidvān): 知る者は(√vid「知る」完了能動分詞・男性・単数・主格。「知った者、知者」の意) -
न (na): 〜ない(否定の不変化辞) -
बिभेति (bibheti): 恐れる(√bhī「恐れる」現在・三人称・単数・パラスマイパダ。重複語根形) -
कदाचनेति (kadācaneti)←कदाचन इति (kadācana iti): いついかなる時も——と(kadācana「いかなる時にも」不変化辞 + iti 引用の不変化辞。na kadācana で「いかなる時も〜しない」の意) -
तस्यैष (tasyaiṣa)←तस्य एषः (tasya eṣaḥ): その〔前の鞘の〕これ〔内鞘〕が(tasya「その」男性・単数・属格 + eṣaḥ「これが」指示代名詞・男性・単数・主格) -
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
शारीर (śārīra)←शारीरः (śārīraḥ): 身体に属する、身体的な(śarīra「身体」から派生した形容詞 śārīra・男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): アートマン、本質、自己(ātman 男性・単数・主格) -
यः (yaḥ): 〜するところのもの(関係代名詞 yad 男性・単数・主格) -
पूर्वस्य (pūrvasya): 前のもの〔生気鞘〕の(pūrva「前の」男性・単数・属格) -
तस्माद्वा (tasmād vā)←तस्मात् वा (tasmāt vā): かの〔鞘〕よりまさに(tasmāt「かの〔鞘〕より」男性・単数・奪格 + vā 強調の不変化辞) -
एतस्मान्मनोमयात् (etasmān manomayāt)←एतस्मात् मनोमयात् (etasmāt manomayāt): この意から成るものより(etasmāt「この」男性・単数・奪格 + manomayāt「意から成るものより」男性・単数・奪格) -
अन्योऽन्तर (anyo 'ntara)←अन्यः अन्तरः (anyaḥ antaraḥ): 内なる別の(anyaḥ「別の」男性・単数・主格 + antaraḥ「内なる」男性・単数・主格) -
विज्ञानमयः (vijñānamayaḥ): 識別知から成る(男性・単数・主格)विज्ञान (vijñāna): 識別知、直観的認識(vi + √jñā「知る」。対象を区別して深く知る知性)मय (maya): 〜から成る(接尾辞)
-
तेनैष (tenaiṣa)←तेन एषः (tena eṣaḥ): それ〔内鞘〕によってこれ〔外鞘〕は(tena「それによって」男性・単数・具格 + eṣaḥ「これは」男性・単数・主格) -
पूर्णः (pūrṇaḥ): 満たされている(pūrṇa「満ちた」√pṝ 過去受動分詞・男性・単数・主格) -
स (sa)←सः (saḥ): これは(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
वा (vā): まさに(強調の不変化辞) -
एष (eṣa)←एषः (eṣaḥ): この(指示代名詞 etad 男性・単数・主格) -
पुरुषविध (puruṣavidha)←पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたもの(男性・単数・主格)पुरुष (puruṣa): 人、人間विध (vidha): 形、様態
-
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
तस्य (tasya): その〔外鞘の〕(指示代名詞 tad 男性・単数・属格) -
पुरुषविधताम् (puruṣavidhatām): 人の形であることに(puruṣavidhatā「人の形であること」女性・単数・対格)पुरुष (puruṣa): 人विध (vidha): 形ता (tā): 〜であること(抽象名詞接尾辞)
-
अन्वयं (anvayaṃ)←अन्वयम् (anvayam): 従って、対応して(anvaya「随順、対応」男性・単数・対格) -
पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたものである(男性・単数・主格。ここでは内鞘である識別知の鞘を指す) -
श्रद्धैव (śraddhaiva)←श्रद्धा एव (śraddhā eva): シュラッダー(信)こそが(śraddhā「信、信仰、確信」女性・単数・主格 + eva 強調の不変化辞) -
शिरः (śiraḥ): 頭である(śiras「頭」中性・単数・主格) -
ऋतं (ṛtaṃ)←ऋतम् (ṛtam): リタ(宇宙的真理)が(ṛta「宇宙の秩序、真理」中性・単数・主格) -
दक्षिणः (dakṣiṇaḥ): 右の(dakṣiṇa「右」男性・単数・主格) -
पक्षः (pakṣaḥ): 翼(pakṣa「翼、側面」男性・単数・主格) -
सत्यमुत्तरः (satyam uttaraḥ)←सत्यम् उत्तरः (satyam uttaraḥ): サティヤ(真実)が左の(satyam「真実」中性・単数・主格 + uttaraḥ「左の」男性・単数・主格) -
योग (yoga)←योगः (yogaḥ): ヨーガが(yoga「結合、集中、修行」男性・単数・主格。√yuj「結ぶ」より) -
आत्मा (ātmā): 胴体である(ātman 男性・単数・主格。鳥形描写における「胴体」の意) -
महः (mahaḥ): マハス(偉大)が(mahas「偉大さ、広大な光」中性・単数・主格。しばしばヴェーダの第四のヴィヤーフリティとも解される) -
पुच्छं (pucchaṃ)←पुच्छम् (puccham): 尾(puccha「尾」中性・単数・主格) -
प्रतिष्ठा (pratiṣṭhā): 基盤(pratiṣṭhā「確立された基盤」女性・単数・主格) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad + api + eṣaḥ 男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
「言葉が退くところの」——ブラフマンの言語的不可把握性
本アヌヴァーカは、前アヌヴァーカ末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) で予告された要約詩節で始まります。यतो वाचो निवर्तन्ते अप्राप्य मनसा सह (yato vāco nivartante aprāpya manasā saha) ——「言葉が心とともに到達し得ず、そこより退き還るところの」——この詩行は、ウパニシャッド文学全体を貫く最も重要な主題の一つを、簡潔にして深遠な表現で凝縮しています。冒頭の यतः (yataḥ) は「そこから」の意を持つ奪格的な関係副詞であり、ブラフマンの至福(आनन्द (ānanda))に言葉と心が到達を試みながらも及ばず、そこから退き還ってくる動きを鮮やかに描きます。統語的には、वाचः (vācaḥ) 「言葉」が主語(女性・複数・主格)であり、मनसा (manasā) 「心と」が具格として सह (saha) 「ともに」に支配されます。言語と思考という人間の認識能力の二大柱が、ともにブラフマンに到達できずに退くことが宣言されています。
カタ・ウパニシャッドやムンダカ・ウパニシャッドにも類似の表現が見られますが、本ウパニシャッド独自の点は、この詩節が意の鞘(マノーマヤ)から識別知の鞘(ヴィジュニャーナマヤ)への転換の境目に置かれていることです。मनस् (manas) 「意」によって構成される第三の鞘を超えるにあたり、まさに「意が及ばない」という宣言が響きます。これは、通常の思考作用ではブラフマンの至福に到達できないことを認めた上で、विज्ञान (vijñāna) という、より深い直観的認識の次元への移行を促す構造的転換です。
恐れなき境地——至福の知者
आनन्दं ब्रह्मणो विद्वान् न बिभेति कदाचनेति (ānandaṃ brahmaṇo vidvān na bibheti kadācaneti) 「ブラフマンの至福を知る者は、いついかなる時も恐れることがない」は、知の究極的成果を恐怖からの解放として提示しています。बिभेति (bibheti) は √भी (√bhī) 「恐れる」の重複語根現在形で、恐れという根源的な感情を鮮やかに表現する動詞です。注目すべきは、この同一の詩節が第9アヌヴァーカ(結語)でほぼ同形で再び現れる点です。ただし結語では कदाचन (kadācana) 「いついかなる時も」が कुतश्चन (kutaścana) 「いかなるところからも」に変化し、時間的な無限性から空間的な全方位性へと恐れなき状態の完全性が拡張されます。この環状構造は、ブラフマーナンダヴァッリー全篇を一つの大きな円環として統合する文学的技法です。
移行定型句——意の鞘から識別知の鞘へ
तस्माद्वा एतस्मान्मनोमयात् अन्योऽन्तर आत्मा विज्ञानमयः (tasmād vā etasmān manomayāt anyo 'ntara ātmā vijñānamayaḥ) は、これまでと同形の移行定型句です。मनस् (manas) が日常的な思考・意志・感情を司る器官であるのに対し、विज्ञान (vijñāna) は वि (vi) 「特別に」+ √ज्ञा (√jñā) 「知る」から成り、対象を区別して深く洞察する直観的な認識力を意味します。シャンカラの注釈では、विज्ञान (vijñāna) は ब्रह्मन् (brahman) の直接的認識と結びつく बुद्धि (buddhi) (知性)の機能として解釈され、単に情報を処理する मनस् (manas) とは質的に異なる認識の次元に位置づけられます。
識別知の鞘(ヴィジュニャーナマヤ)の鳥形描写
識別知の鞘の五部位には、霊的修行の核心を成す徳目が配されます。
| 部位 | サンスクリット | 対応する原理 |
|---|---|---|
| 頭 | शिरस् (śiras) |
श्रद्धा (śraddhā) 信 |
| 右翼 | दक्षिणः पक्षः (dakṣiṇaḥ pakṣaḥ) |
ऋत (ṛta) 宇宙的真理 |
| 左翼 | उत्तरः पक्षः (uttaraḥ pakṣaḥ) |
सत्य (satya) 真実 |
| 胴体 | आत्मा (ātmā) |
योग (yoga) ヨーガ |
| 尾=基盤 | पुच्छं प्रतिष्ठा (pucchaṃ pratiṣṭhā) |
महस् (mahas) マハス(偉大) |
前アヌヴァーカの意の鞘ではヴェーダの聖典群が配されていましたが、ここではより内面的・実存的な原理が割り当てられており、外的な知識から内的な覚智への深化が明瞭に示されています。
頭に置かれた श्रद्धा (śraddhā) 「信」は、単なる盲信ではなく、真理を求めて止まない魂の根源的な志向性を意味します。師や聖典の教えを受容し、それを自己の内に実現しようとする確固たる信念——これが識別知の出発点となります。
両翼の ऋत (ṛta) と सत्य (satya) の区別は注目に値します。ऋत (ṛta) はリグ・ヴェーダ以来の古い語で、宇宙を支配する根源的な秩序・法則を指し、सत्य (satya) はその秩序が人間の言動において実現された「真実」「誠実」を意味します。シャンカラは ऋत (ṛta) を思考における真理、सत्य (satya) を言葉における真理と解釈しています。宇宙的な真理と個人的な誠実——この二枚の翼によって、識別知の鳥は飛翔します。
胴体に置かれた योग (yoga) は、√युज् (√yuj) 「結ぶ」に由来し、知性を真理に集中させる実践的な修行の営みを指します。後代のヨーガ・スートラに体系化される以前の、より根源的な「心の統一」「精神集中」の意味がここには生きています。信が頭で知の方向を定め、真理と誠実が両翼で知を支え、ヨーガが胴体として全体を統合する——この有機的な配置は、識別知の鞘が単なる知的能力ではなく、信・真理・実践の統合体であることを示しています。
基盤に置かれた महस् (mahas) は、しばしばヴェーダのヴィヤーフリティ(聖なる発声)の第四番目と解されます。通常の三つのヴィヤーフリティ——भूः (bhūḥ)(地)、भुवः (bhuvaḥ)(空)、स्वः (svaḥ)(天)——を超えた「偉大な光の世界」を指すとする解釈のほか、√मह् (√mah) 「偉大である」から派生した「偉大さ」「広大な力」そのものと解する見方もあります。いずれにせよ、識別知の鞘が通常の三界を超越する広大な基盤の上に立っていることを示唆する語と言えるでしょう。
第5アヌヴァーカ 第1節
विज्ञानं यज्ञं तनुते । कर्माणि तनुतेऽपि च ।
विज्ञानं देवाः सर्वे ।
ब्रह्म ज्येष्ठमुपासते । विज्ञानं ब्रह्म चेद्वेद ।
तस्माच्चेन्न प्रमाद्यति । शरीरे पाप्मनो हित्वा ।
सर्वान्कामान् समश्नुत इति । तस्यैष एव शारीर आत्मा ।
यः पूर्वस्य । तस्माद्वा एतस्माद्विज्ञानमयात् ।
अन्योऽन्तर आत्माऽऽनन्दमयः । तेनैष पूर्णः ।
स वा एष पुरुषविध एव । तस्य पुरुषविधताम् ।
अन्वयं पुरुषविधः । तस्य प्रियमेव शिरः ।
मोदो दक्षिणः पक्षः ।
प्रमोद उत्तरः पक्षः । आनन्द आत्मा । ब्रह्म पुच्छं प्रतिष्ठा ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 5.1 ॥
vijñānaṃ yajñaṃ tanute | karmāṇi tanute ‘pi ca |
vijñānaṃ devāḥ sarve |
brahma jyeṣṭham upāsate | vijñānaṃ brahma ced veda |
tasmāc cen na pramādyati | śarīre pāpmano hitvā |
sarvān kāmān samaśnuta iti | tasyaiṣa eva śārīra ātmā |
yaḥ pūrvasya | tasmād vā etasmād vijñānamayāt |
anyo ‘ntara ātmā ānandamayaḥ | tenaiṣa pūrṇaḥ |
sa vā eṣa puruṣavidha eva | tasya puruṣavidhatām |
anvayaṃ puruṣavidhaḥ | tasya priyam eva śiraḥ |
modo dakṣiṇaḥ pakṣaḥ |
pramoda uttaraḥ pakṣaḥ | ānanda ātmā | brahma pucchaṃ pratiṣṭhā |
tad apy eṣa śloko bhavati || 5.1 ||
識別知(ヴィジュニャーナ)は祭祀を遂行する。諸々の祭式行為をもまた遂行する。
識別知を、すべての神々は、
最も優れたるブラフマンとして瞑想する。もし識別知をブラフマンとして知り、
しかもその〔知〕において放逸でなければ、身体において罪悪を捨て去り、
すべての願望を余すところなく享受する——と。
これ〔識別知の鞘〕が前のもの〔意の鞘〕の身体的アートマンである。
かの識別知から成るものよりも、内なる別のアートマンが歓喜から成る(アーナンダマヤ)。
これ〔識別知の鞘〕はそれ〔歓喜の鞘〕によって満たされている。
これはまさに人の形をしたものである。その〔外鞘の〕人の形に従って、
この〔内鞘の〕人の形がある。その頭はプリヤ(愛)そのものである。
モーダ(喜び)が右の翼である。
プラモーダ(歓喜)が左の翼である。アーナンダ(至福)が胴体(アートマン)である。ブラフマンが尾であり基盤である。
これについてまた次の詩節がある。
-
विज्ञानं (vijñānaṃ)←विज्ञानम् (vijñānam): 識別知は(vijñāna「直観的認識、識別知」中性・単数・主格)वि (vi): 特別に、区別してज्ञान (jñāna): 知識(√jñā「知る」より)
-
यज्ञं (yajñaṃ)←यज्ञम् (yajñam): 祭祀を(yajña「祭祀、供犠」男性・単数・対格。√yaj「祀る」より) -
तनुते (tanute): 遂行する、展開する(√tan「伸ばす、遂行する」現在・アートマネーパダ・三人称・単数) -
कर्माणि (karmāṇi): 諸々の祭式行為を(karman「行為、祭式行為」中性・複数・対格) -
तनुतेऽपि (tanute 'pi)←तनुते अपि (tanute api): 遂行する、もまた(tanute「遂行する」√tan 現在・アートマネーパダ・三人称・単数 + api「もまた」不変化辞) -
च (ca): そして、また(接続の不変化辞) -
देवाः (devāḥ): 神々は(deva「神」男性・複数・主格) -
सर्वे (sarve): すべての(sarva「一切の」男性・複数・主格) -
ब्रह्म (brahma): ブラフマンとして(brahman 中性・単数・対格。ここでは同格的に「ブラフマンとして」の意) -
ज्येष्ठमुपासते (jyeṣṭham upāsate)←ज्येष्ठम् उपासते (jyeṣṭham upāsate): 最も優れたるものとして瞑想する(jyeṣṭham「最も優れた」最上級形・中性/男性・単数・対格 + upāsate「瞑想する」upa-√ās 現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
चेद्वेद (ced veda)←चेत् वेद (cet veda): もし知るならば(ced「もし」条件の不変化辞 + veda「知る」√vid 完了・三人称・単数。現在の意味で用いられる) -
तस्माच्चेन्न (tasmāc cen na)←तस्मात् चेत् न (tasmāt cet na): それゆえもし〜しないならば(tasmāt「それゆえ、そこから」中性・単数・奪格 + ced「もし」条件の不変化辞 + na「〜ない」否定の不変化辞。cen na = ced + na の連声。意味は「それゆえ、もしその〔知〕において放逸でなければ」) -
प्रमाद्यति (pramādyati): 怠る、放逸にふける(pra-√mad「怠る、不注意になる」現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
शरीरे (śarīre): 身体において(śarīra「身体」中性・単数・処格) -
पाप्मनो (pāpmano)←पाप्मनः (pāpmanaḥ): 罪悪を(pāpman「罪悪、悪」男性・複数・対格。पाप्मनः (pāpmanaḥ)の連声形。हित्वा (hitvā)「捨てて」の目的語として「身体にある罪悪を捨て去って」の意を成す) -
हित्वा (hitvā): 捨て去って(√hā「捨てる、放棄する」の絶対分詞) -
सर्वान्कामान् (sarvān kāmān)←सर्वान् कामान् (sarvān kāmān): すべての願望を(sarvān「すべての」sarva 男性・複数・対格 + kāmān「願望を」kāma 男性・複数・対格) -
समश्नुत (samaśnuta): 余すところなく享受する(sam-√aś「享受する、獲得する」現在・三人称・単数・アートマネーパダ。samaśnute + iti の連声により e + i → a + i となった形) -
इति (iti): 〜と(引用の不変化辞) -
तस्यैष (tasyaiṣa)←तस्य एषः (tasya eṣaḥ): その〔前の鞘の〕これ〔内鞘〕が(tasya「その」男性・単数・属格 + eṣaḥ「これが」指示代名詞・男性・単数・主格) -
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
शारीर (śārīra)←शारीरः (śārīraḥ): 身体に属する、身体的な(śarīra「身体」から派生した形容詞・男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): アートマン、本質、自己(ātman 男性・単数・主格) -
यः (yaḥ): 〜するところのもの(関係代名詞 yad 男性・単数・主格) -
पूर्वस्य (pūrvasya): 前のもの〔意の鞘〕の(pūrva「前の」男性・単数・属格) -
तस्माद्वा (tasmād vā)←तस्मात् वा (tasmāt vā): かの〔鞘〕よりまさに(tasmāt「かの〔鞘〕より」男性・単数・奪格 + vā 強調の不変化辞) -
एतस्माद्विज्ञानमयात् (etasmād vijñānamayāt)←एतस्मात् विज्ञानमयात् (etasmāt vijñānamayāt): この識別知から成るものより(etasmāt「この」男性・単数・奪格 + vijñānamayāt「識別知から成るものより」男性・単数・奪格) -
अन्योऽन्तर (anyo 'ntara)←अन्यः अन्तरः (anyaḥ antaraḥ): 内なる別の(anyaḥ「別の」男性・単数・主格 + antaraḥ「内なる」男性・単数・主格) -
आत्माऽऽनन्दमयः (ātmā ānandamayaḥ)←आत्मा आनन्दमयः (ātmā ānandamayaḥ): アートマンが歓喜から成る(ātmā「アートマン」男性・単数・主格 + ānandamayaḥ「歓喜から成る」男性・単数・主格。原文の二重アヴァグラハ ऽऽ は長母音 ā の省略を示す)आनन्द (ānanda): 歓喜、至福मय (maya): 〜から成る(接尾辞)
-
तेनैष (tenaiṣa)←तेन एषः (tena eṣaḥ): それ〔内鞘〕によってこれ〔外鞘〕は(tena「それによって」男性・単数・具格 + eṣaḥ「これは」男性・単数・主格) -
पूर्णः (pūrṇaḥ): 満たされている(pūrṇa「満ちた」√pṝ 過去受動分詞・男性・単数・主格) -
स (sa)←सः (saḥ): これは(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
वा (vā): まさに(強調の不変化辞) -
एष (eṣa)←एषः (eṣaḥ): この(指示代名詞 etad 男性・単数・主格) -
पुरुषविध (puruṣavidha)←पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたもの(男性・単数・主格)पुरुष (puruṣa): 人、人間विध (vidha): 形、様態
-
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
तस्य (tasya): その〔外鞘の〕(指示代名詞 tad 男性・単数・属格) -
पुरुषविधताम् (puruṣavidhatām): 人の形であることに(puruṣavidhatā「人の形であること」女性・単数・対格)पुरुष (puruṣa): 人विध (vidha): 形ता (tā): 〜であること(抽象名詞接尾辞)
-
अन्वयं (anvayaṃ)←अन्वयम् (anvayam): 従って、対応して(anvaya「随順、対応」男性・単数・対格) -
पुरुषविधः (puruṣavidhaḥ): 人の形をしたものである(男性・単数・主格。ここでは内鞘である歓喜の鞘を指す) -
प्रियमेव (priyam eva)←प्रियम् एव (priyam eva): プリヤ(愛)こそが(priya「愛しいもの、愛」中性・単数・主格 + eva 強調の不変化辞) -
शिरः (śiraḥ): 頭である(śiras「頭」中性・単数・主格) -
मोदो (modo)←मोदः (modaḥ): モーダ(喜び)が(moda「喜び、歓楽」男性・単数・主格。√mud「喜ぶ」より) -
दक्षिणः (dakṣiṇaḥ): 右の(dakṣiṇa「右」男性・単数・主格) -
पक्षः (pakṣaḥ): 翼(pakṣa「翼、側面」男性・単数・主格) -
प्रमोद (pramoda)←प्रमोदः (pramodaḥ): プラモーダ(歓喜)が(pramoda「大いなる喜び、歓喜」男性・単数・主格。pra + √mud「大いに喜ぶ」より) -
उत्तरः (uttaraḥ): 左の(uttara「左の、北の」男性・単数・主格) -
आनन्द (ānanda)←आनन्दः (ānandaḥ): アーナンダ(至福)が(ānanda「至福、歓喜」男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): 胴体である(ātman 男性・単数・主格。鳥形描写における「胴体」の意) -
ब्रह्म (brahma): ブラフマンが(brahman 中性・単数・主格) -
पुच्छं (pucchaṃ)←पुच्छम् (puccham): 尾(puccha「尾」中性・単数・主格) -
प्रतिष्ठा (pratiṣṭhā): 基盤(pratiṣṭhā「確立された基盤」女性・単数・主格) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad + api + eṣaḥ 男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
識別知の称讃——祭祀を遂行し、神々に崇められる知性
本アヌヴァーカは、前アヌヴァーカ末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) で予告された要約詩節で始まり、विज्ञान (vijñāna) 「識別知」の宇宙的な力と霊的な果報を称えます。前アヌヴァーカで食物の称讃(第2アヌヴァーカ)、生気の称讃(第3アヌヴァーカ)、そして「言葉が退くところの」という至福の不可言説性(第4アヌヴァーカ)が順次歌われてきた流れを受け、ここでは識別知が祭祀の遂行者であり、神々すらもこれをブラフマンとして崇拝するという、極めて高い位置づけが与えられます。
विज्ञानं यज्ञं तनुते (vijñānaṃ yajñaṃ tanute) 「識別知は祭祀を遂行する」——√तन् (√tan) 「伸ばす、展開する」は祭祀の文脈では「遂行する、執り行う」を意味し、識別知が祭式行為の真の主体であることを宣言しています。祭祀を行うのは手足ではなく、何を・いつ・いかに行うべきかを識別する知性であるという洞察がここに示されています。続く कर्माणि तनुतेऽपि च (karmāṇi tanute 'pi ca) は、祭祀のみならず「諸々の行為」をも識別知が遂行することを付加し、人間のあらゆる意味ある行為が識別知に根差していることを強調します。
विज्ञानं देवाः सर्वे ब्रह्म ज्येष्ठमुपासते (vijñānaṃ devāḥ sarve brahma jyeṣṭham upāsate) は注目すべき宣言です。すべての神々が識別知を「最も優れたるブラフマン」として瞑想する——すなわち、第2アヌヴァーカで食物について ज्येष्ठ (jyeṣṭha) 「第一のもの」と称されたのと同じ最上級の語が、ここでは識別知に対して、しかも「ブラフマンとして」という限定とともに用いられています。食物と生気がそれぞれ万物の「第一のもの」「寿命」として称えられたのに対し、識別知はブラフマンそのものとして崇拝の対象となる——鞘の段階的深化に伴い、称讃の次元もまた確実に高まっています。
知と不放逸の果報——罪の捨却と願望の成就
विज्ञानं ब्रह्म चेद्वेद तस्माच्चेन्न प्रमाद्यति (vijñānaṃ brahma ced veda tasmāc cen na pramādyati) には、二重の条件が提示されます。第一に「識別知をブラフマンとして知ること」、第二に「その知において放逸にならないこと」です。प्रमाद (pramāda) 「放逸、怠り」は後にバガヴァッド・ギーターやヨーガ・スートラでも修行の障害として繰り返し警告される重要な概念であり、ここではすでにウパニシャッドの段階で、知識だけでは不十分であり、不断の覚醒(不放逸)が伴わなければならないことが明示されています。
この二重の条件を満たす者の果報は शरीरे पाप्मनो हित्वा सर्वान्कामान् समश्नुत (śarīre pāpmano hitvā sarvān kāmān samaśnuta) 「身体において罪悪を捨て去り、すべての願望を余すところなく享受する」と示されます。पाप्मन् (pāpman) は単なる道徳的な罪だけでなく、存在を束縛するあらゆる不浄・障碍を含む語です。पाप्मनः (pāpmanaḥ) の語形は男性・単数・奪格/属格として、身体(शरीरे (śarīre))に存する罪悪を指し、それを हित्वा (hitvā) 「捨て去って」という絶対分詞と結び付けて「身体にある罪悪を脱ぎ捨てる」意を成します。蛇が古い皮を脱ぐように、知者が無明の束縛から解き放たれることを示唆する表現です。
移行定型句——識別知の鞘から歓喜の鞘へ
तस्माद्वा एतस्माद्विज्ञानमयात् अन्योऽन्तर आत्मा आनन्दमयः (tasmād vā etasmād vijñānamayāt anyo 'ntara ātmā ānandamayaḥ) は、五鞘の探究における最後の、そして最も重要な移行を告げる定型句です。識別知の鞘のさらに奥に、歓喜(आनन्द (ānanda))から成る第五の、最も内なる鞘が存在します。食物精髄鞘から始まった外から内への旅は、ここについに至福の次元に到達します。
歓喜の鞘(アーナンダマヤ)の鳥形描写——至福の三段階
歓喜の鞘の五部位には、至福体験の段階的深化を示す原理が配されます。
| 部位 | サンスクリット | 対応する原理 |
|---|---|---|
| 頭 | शिरस् (śiras) |
प्रिय (priya) 愛——愛しい対象を見た時に心に生じる喜び |
| 右翼 | दक्षिणः पक्षः (dakṣiṇaḥ pakṣaḥ) |
मोद (moda) 喜び——愛しい対象を得て享受する時の喜び |
| 左翼 | उत्तरः पक्षः (uttaraḥ pakṣaḥ) |
प्रमोद (pramoda) 歓喜——享受が満たされた後の充足の歓喜 |
| 胴体 | आत्मा (ātmā) |
आनन्द (ānanda) 至福——三段階を包含する根源的な至福 |
| 尾=基盤 | पुच्छं प्रतिष्ठा (pucchaṃ pratiṣṭhā) |
ब्रह्मन् (brahman) ブラフマン |
प्रिय (priya)・मोद (moda)・प्रमोद (pramoda) の三語は、至福体験の内的構造を精妙に分析したものです。シャンカラの注釈によれば、प्रिय (priya) は愛しい対象を見た瞬間に心に生じる喜び、मोद (moda) はその対象を実際に得て享受している時の喜び、प्रमोद (pramoda) は享受が満たされた後の充足の歓喜とされます。この三段階はすべて、胴体に置かれた आनन्द (ānanda) 「至福」の部分的な発現にすぎません。至福そのものは頭・両翼の個別的な喜びを超えた、存在の根底に流れる歓喜の全体性であり、三つの喜びはその全体性の異なる局面として現れたものと言えるでしょう。
ブラフマンが基盤に——五鞘の頂点
特に注目すべきは、歓喜の鞘の尾=基盤に ब्रह्मन् (brahman) そのものが置かれている点です。前四鞘では大地・虚空・アタルヴァーンギラス・マハスといった原理がこの位置を占めていましたが、最も内なる鞘においてついにブラフマンが直接に基盤として現れます。これは、歓喜の鞘がブラフマンそのものに直接根差していること——すなわち、アーナンダ(至福)がブラフマンの本質に最も近い体験であることを構造的に示しています。第1アヌヴァーカで सत्यं ज्ञानमनन्तं ब्रह्म (satyaṃ jñānam anantaṃ brahma) と定義されたブラフマンが、五鞘の旅の終着点として、至福の基盤に姿を現します。
アドヴァイタ・ヴェーダーンタの観点からは、歓喜の鞘もまた「鞘」であり、ブラフマンそのものとは区別されます。しかし、五鞘の中でブラフマンに最も近い薄い覆いとして、至福の鞘は解脱への最後の扉に立っていると言えるでしょう。次アヌヴァーカ以降、テキストは存在と非存在の弁証法、宇宙創造、そして至福の階梯的考察へと展開し、この最内の鞘を超えた究極の実在へと読者を導いていきます。
第6アヌヴァーカ 第1節
असन्नेव स भवति । असद्ब्रह्मेति वेद चेत् ।
अस्ति ब्रह्मेति चेद्वेद । सन्तमेनं ततो विदुरिति ।
तस्यैष एव शारीर आत्मा । यः पूर्वस्य ।
अथातोऽनुप्रश्नाः । उताविद्वानमुं लोकं प्रेत्य ।
कश्चन गच्छती३ उ ।
आहो विद्वानमुं लोकं प्रेत्य । कश्चित्समश्नुता३ उ ।
सोऽकामयत । बहुस्यां प्रजायेयेति । स तपोऽतप्यत ।
स तपस्तप्त्वा । इदꣳसर्वमसृजत । यदिदं किञ्च ।
तत्सृष्ट्वा । तदेवानुप्राविशत् । तदनु प्रविश्य ।
सच्च त्यच्चाभवत् ।
निरुक्तं चानिरुक्तं च । निलयनं चानिलयनं च ।
विज्ञानं चाविज्ञानं च । सत्यं चानृतं च सत्यमभवत् ।
यदिदं किञ्च । तत्सत्यमित्याचक्षते ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 6.1 ॥
asann eva sa bhavati | asad brahmeti veda cet |
asti brahmeti ced veda | santam enaṃ tato vidur iti |
tasyaiṣa eva śārīra ātmā | yaḥ pūrvasya |
athāto ‘nupraśnāḥ | utāvidvān amuṃ lokaṃ pretya |
kaścana gacchatī3 u |
āho vidvān amuṃ lokaṃ pretya | kaścit samaśnutā3 u |
so ‘kāmayata | bahu syāṃ prajāyeyeti | sa tapo ‘tapyata |
sa tapas taptvā | idaṃ sarvam asṛjata | yad idaṃ kiñca |
tat sṛṣṭvā | tad evānuprāviśat | tad anu praviśya |
sac ca tyac cābhavat |
niruktaṃ cāniruktaṃ ca | nilayanaṃ cānilayanaṃ ca |
vijñānaṃ cāvijñānaṃ ca | satyaṃ cānṛtaṃ ca satyam abhavat |
yad idaṃ kiñca | tat satyam ity ācakṣate |
tad apy eṣa śloko bhavati || 6.1 ||
もし「ブラフマンは非在なり」と知るならば、その者自身がまさに非在となる。
もし「ブラフマンは在る」と知るならば、人々はその者を在るものとして知る——と。
これ〔歓喜の鞘〕が前のもの〔識別知の鞘〕の身体的アートマンである。
さて、ここに順次探究すべき問いがある。
知らざる者は、果たして死してかの世界に行くだろうか。
あるいは、知る者は、果たして死してかの世界に達するだろうか。
かの〔ブラフマン〕は欲した——「我は多となろう、生まれ出よう」と。
かの者はタパス(熱ある凝念)を行じた。タパスを行じて、このすべてを創造した——ここに在るあらゆるものを。
それを創造して、それ自身がまさにその中に入った。その中に入って、
存在(サット)と形象(ティヤット)となった。
定義されるものと定義されないものとなり、基盤を持つものと持たないものとなり、
識別知と無識別知となり、真と偽となり——まさに真実となった。
ここに在るあらゆるもの、それをサティヤ(真実)と称する。
これについてまた次の詩節がある。
-
असन्नेव (asann eva)←असन् एव (asan eva): まさに非在と(asan「非存在の、存在しない」asat の現在分詞・男性・単数・主格 + eva 強調の不変化辞。asat は a + sat「存在する」の否定形) -
स (sa)←सः (saḥ): その者は(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): 〜となる、〜である(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
असद्ब्रह्मेति (asad brahmeti)←असत् ब्रह्म इति (asat brahma iti): 「ブラフマンは非在なり」と(asat「非存在」中性・単数・主格 + brahma「ブラフマン」中性・単数・主格 + iti 引用の不変化辞) -
वेद (veda): 知る(√vid「知る」完了・三人称・単数。現在の意味で用いられる) -
चेत् (cet): もし〜ならば(条件の不変化辞) -
अस्ति (asti): 在る、存在する(√as「ある」現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
ब्रह्मेति (brahmeti)←ब्रह्म इति (brahma iti): ブラフマンは〜と(brahma「ブラフマン」中性・単数・主格 + iti 引用の不変化辞) -
चेद्वेद (ced veda)←चेत् वेद (cet veda): もし知るならば(cet + veda の連声。cet「もし」条件の不変化辞 + veda「知る」√vid 完了・三人称・単数) -
सन्तमेनं (santam enaṃ)←सन्तम् एनम् (santam enam): この者を在るものとして(santam「存在するものとして」sat 現在分詞・男性・単数・対格 + enam「この者を」指示代名詞・男性・単数・対格) -
ततो (tato)←ततः (tataḥ): そこから、それゆえ(tatas 不変化辞「それゆえ、そして」) -
विदुरिति (vidur iti)←विदुः इति (viduḥ iti): 人々は知る——と(viduḥ「知る」√vid 完了・三人称・複数 + iti 引用の不変化辞) -
तस्यैष (tasyaiṣa)←तस्य एषः (tasya eṣaḥ): その〔前の鞘の〕これ〔内鞘〕が(tasya「その」男性・単数・属格 + eṣaḥ「これが」指示代名詞・男性・単数・主格) -
एव (eva): まさに(強調の不変化辞) -
शारीर (śārīra)←शारीरः (śārīraḥ): 身体に属する、身体的な(śarīra「身体」から派生した形容詞・男性・単数・主格) -
आत्मा (ātmā): アートマン、本質、自己(ātman 男性・単数・主格) -
यः (yaḥ): 〜するところのもの(関係代名詞 yad 男性・単数・主格) -
पूर्वस्य (pūrvasya): 前のもの〔識別知の鞘〕の(pūrva「前の」男性・単数・属格) -
अथातोऽनुप्रश्नाः (athāto 'nupraśnāḥ)←अथ अतः अनुप्रश्नाः (atha ataḥ anupraśnāḥ): さて、ここに順次探究すべき問いがある(atha「さて」+ ataḥ「ここに」+ anupraśnāḥ「順次の問い」男性・複数・主格)अनु (anu): 順次に、従ってप्रश्न (praśna): 問い(pra + √prach「尋ねる」)
-
उत (uta): 〜であるか(疑問の不変化辞。選言疑問文の第一項を導く) -
अविद्वान् (avidvān): 知らざる者は(a-vidvas「知らない者」√vid 完了能動分詞の否定形・男性・単数・主格。この問いの主語)अ (a): 〜しない(否定接頭辞)विद्वस् (vidvas): 知る者(√vid 完了能動分詞)
-
अमुं (amuṃ)←अमुम् (amum): かの(指示代名詞 adas「かの、あの」男性・単数・対格) -
लोकं (lokaṃ)←लोकम् (lokam): 世界を(loka「世界」男性・単数・対格) -
प्रेत्य (pretya): 死して、死後に(pra + √i「去る」の絶対分詞。「この世を去って」の意) -
कश्चन (kaścana)←कः चन (kaḥ cana): 果たして〜か(kaḥ + cana。疑問代名詞 kaḥ に不定辞 cana が結合した形。ここでは独立した主語ではなく、主語 अविद्वान्「知らざる者」を受けて疑問の語気を強める副詞的・強調的用法。「果たして〜だろうか」の意を添える) -
गच्छती३ (gacchatī3): 行くだろうか(√gam「行く」現在・三人称・単数・パラスマイパダ。語末の ī3 はプルータ(長延)母音。数字 ३ は3モーラ以上の延長を示すヴェーダ朗唱の特殊表記) -
उ (u): あるいは、一方(選言の不変化辞。uta…u で「〜か、それとも〜か」の選言疑問を構成) -
आहो (āho): あるいは、それとも(選言疑問の第二項を導く不変化辞) -
विद्वान् (vidvān): 知る者は(√vid「知る」完了能動分詞・男性・単数・主格。この問いの主語) -
कश्चित्समश्नुता३ (kaścit samaśnutā3)←कः चित् समश्नुते (kaḥ cit samaśnute): 果たして達するだろうか(kaḥ + cit。疑問代名詞 kaḥ に不定辞 cit が結合した形。主語 विद्वान्「知る者」を受けて疑問の語気を強める副詞的・強調的用法 + samaśnutā3「達する、到達する」sam-√aś 現在・三人称・単数・アートマネーパダ。語末にプルータ(長延)母音) -
सोऽकामयत (so 'kāmayata)←सः अकामयत (saḥ akāmayata): かの者は欲した(saḥ「かの者は」指示代名詞・男性・単数・主格 + akāmayata「欲した」kāmayate「欲する、望む」(√kam の名動詞的活用)・アートマネーパダ・不完了過去・三人称・単数) -
बहुस्यां (bahu syāṃ)←बहु स्याम् (bahu syām): 多となろう(bahu「多くの」不変化辞的用法 + syām「〜となろう」√as 願望法・一人称・単数) -
प्रजायेयेति (prajāyeyeti)←प्रजायेय इति (prajāyeya iti): 生まれ出よう——と(prajāyeya「生まれ出よう」pra-√jan 願望法・アートマネーパダ・一人称・単数 + iti 引用の不変化辞) -
तपोऽतप्यत (tapo 'tapyata)←तपः अतप्यत (tapaḥ atapyata): タパスを行じた(tapas「熱を帯びた凝念・霊的集中、苦行」中性・単数・対格 + atapyata「行じた、熱した」√tap 受動態/アートマネーパダ・不完了過去・三人称・単数。宇宙創造の文脈では内なる熱的エネルギーによる創造力を意味する) -
स (sa)←सः (saḥ): かの者は(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
तपस्तप्त्वा (tapas taptvā)←तपः तप्त्वा (tapaḥ taptvā): タパスを行じて(tapas「熱を帯びた凝念・霊的集中、苦行」中性・単数・対格 + taptvā「行じて、熱して」√tap 絶対分詞) -
इदꣳसर्वमसृजत (idaṃ sarvam asṛjata)←इदम् सर्वम् असृजत (idam sarvam asṛjata): このすべてを創造した(idam「この」中性・単数・対格 + sarvam「すべて」中性・単数・対格 + asṛjata「創造した」√sṛj 不完了過去・アートマネーパダ・三人称・単数) -
यदिदं (yad idaṃ)←यत् इदम् (yat idam): ここに在るところのあらゆるもの(yat「〜するところの」関係代名詞・中性・単数・主格 + idam「ここに在る」指示代名詞・中性・単数・主格) -
किञ्च (kiñca)←किम् च (kim ca): 何であれ(kim + ca。kim「何」疑問代名詞・中性・単数・主格 + ca「であれ」不変化辞) -
तत्सृष्ट्वा (tat sṛṣṭvā)←तत् सृष्ट्वा (tat sṛṣṭvā): それを創造して(tat「それを」中性・単数・対格 + sṛṣṭvā「創造して」√sṛj 絶対分詞) -
तदेवानुप्राविशत् (tad evānuprāviśat)←तत् एव अनुप्राविशत् (tat eva anuprāviśat): それ自身がまさにその中に入った(tad「それ」中性・単数・対格 + eva「まさに」+ anuprāviśat「中に入った」anu-pra-√viś 不完了過去・三人称・単数・パラスマイパダ) -
तदनु (tad anu)←तत् अनु (tat anu): その中に(tad「それに」+ anu「従って、中に」。anuprāviśat を受けて「その中に入って」の意を補強する) -
प्रविश्य (praviśya): 入って(pra-√viś「入る」の絶対分詞) -
सच्च (sac ca)←सत् च (sat ca): 存在(サット)と(sat「存在する、有」中性・単数・主格 + ca「と」接続の不変化辞) -
त्यच्चाभवत् (tyac cābhavat)←त्यत् च अभवत् (tyat ca abhavat): 形象(ティヤット)となった(tyat「形象」中性・単数・主格 + ca「と」接続の不変化辞 + abhavat「〜となった」√bhū 不完了過去・三人称・単数・パラスマイパダ) -
निरुक्तं (niruktaṃ)←निरुक्तम् (niruktam): 定義されるもの(nirukta「明確に述べられた、定義された」中性・単数・主格。nis + √vac の過去受動分詞) -
चानिरुक्तं (cāniruktaṃ)←च अनिरुक्तम् (ca aniruktam): と定義されないもの(ca + aniruktam「定義されない」中性・単数・主格。a + nirukta の否定形) -
च (ca): と(接続の不変化辞) -
निलयनं (nilayanaṃ)←निलयनम् (nilayanam): 基盤を持つもの、住処を持つもの(nilayana「住処、基盤」中性・単数・主格。ni + √lī「留まる」より) -
चानिलयनं (cānilayanaṃ)←च अनिलयनम् (ca anilayanam): と基盤を持たないもの(ca + anilayanam「基盤なき」中性・単数・主格) -
विज्ञानं (vijñānaṃ)←विज्ञानम् (vijñānam): 識別知(vijñāna「識別知、直観的認識」中性・単数・主格) -
चाविज्ञानं (cāvijñānaṃ)←च अविज्ञानम् (ca avijñānam): と無識別知(ca + avijñānam「識別知なきもの」中性・単数・主格) -
सत्यं (satyaṃ)←सत्यम् (satyam): 真と(satya「真実」中性・単数・主格) -
चानृतं (cānṛtaṃ)←च अनृतम् (ca anṛtam): と偽(ca + anṛtam「偽り」中性・単数・主格。a + ṛta「真理」の否定形) -
सत्यमभवत् (satyam abhavat)←सत्यम् अभवत् (satyam abhavat): 真実となった(satyam「真実」中性・単数・主格 + abhavat「〜となった」√bhū 不完了過去・三人称・単数) -
तत्सत्यमित्याचक्षते (tat satyam ity ācakṣate)←तत् सत्यम् इति आचक्षते (tat satyam iti ācakṣate): それをサティヤ(真実)と称する(tat「それを」中性・単数・対格 + satyam「真実と」中性・単数・対格 + iti 引用の不変化辞 + ācakṣate「称する、語る」ā-√cakṣ 現在・アートマネーパダ・三人称・複数) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad + api + eṣaḥ 男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
存在と非存在の弁証法——五鞘の彼方へ
本アヌヴァーカは、前アヌヴァーカ末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) で予告された要約詩節として、ブラフマンの存在論的地位に関する根本的な問いから始まります。असन्नेव स भवति असद्ब्रह्मेति वेद चेत् (asann eva sa bhavati asad brahmeti veda cet) 「もし『ブラフマンは非在なり』と知るならば、その者自身がまさに非在となる」——この宣言は単なる理論的命題ではなく、存在論的な因果をもつ認識の問題を提起しています。ブラフマンに対する認識が、認識者自身の存在の在り方を決定するという、極めて深い洞察がここに表明されています。
対句として अस्ति ब्रह्मेति चेद्वेद सन्तमेनं ततो विदुः (asti brahmeti ced veda santam enaṃ tato viduḥ) 「もし『ブラフマンは在る』と知るならば、人々はその者を在るものとして知る」と続きます。ブラフマンの存在を認める者は、自らも सत् (sat) 「存在するもの」として認知され、実在の充実の中に生きることになります。ここには、存在の根源を肯定するか否定するかが、その人の存在そのものを規定するという、認識と存在の不可分性が示されています。
順次の問い——死後の運命
अथातोऽनुप्रश्नाः (athāto 'nupraśnāḥ) 「さて、ここに順次探究すべき問いがある」は、五鞘の教説が完了した後に提起される新たな探究の幕開けを告げます。अनुप्रश्न (anupraśna) は अनु (anu) 「順次に」+ प्रश्न (praśna) 「問い」の複合語であり、前段の教えを踏まえた上での段階的な問いかけを意味します。
提示される二つの問いには、ヴェーダ朗唱に特有の प्लुत (pluta) (プルータ、長延母音)が現れます。गच्छती३ (gacchatī3) と समश्नुता३ (samaśnutā3) に付された数字 ३ は、朗唱の際にその母音を3モーラ以上延長することを示す特殊な表記です。この延長は、問いの荘厳さと、その答えを待つ厳粛な沈黙を音声的に表現しています。
二つの問いにおける कश्चन (kaścana) と कश्चित् (kaścit) は、それぞれ独立した主語ではなく、主語 अविद्वान् (avidvān) 「知らざる者」および विद्वान् (vidvān) 「知る者」を受けて疑問の語気を強める副詞的・強調的な語です。「果たして〜だろうか」という深い問いかけの響きを添え、死後の行方という問題の厳粛さを際立たせています。第二の問いの समश्नुते (samaśnute) は सम् (sam) + √अश् (√aś) 「到達する」であり、かの世界に「達する」こと——すなわちブラフマンの世界への到達の可否が問われています。
宇宙創造——ブラフマンの意志と自己放射
सोऽकामयत बहुस्यां प्रजायेयेति (so 'kāmayata bahu syāṃ prajāyeyeti) 「かの者は欲した——『我は多となろう、生まれ出よう』と」は、ウパニシャッド哲学における最も重要な宇宙創造宣言の一つです。チャーンドーギヤ・ウパニシャッド6.2.3にもほぼ同一の表現が見られますが、本ウパニシャッドでは五鞘の教説を経た後の文脈に置かれている点が独自です。創造は外部の素材からではなく、ブラフマン自身の काम (kāma) 「意志・欲求」と तपस् (tapas) によって遂行されます。ここでの तपस् (tapas) は一般的な「苦行」の意に限定されず、宇宙創造の文脈では「熱を帯びた凝念」「霊的集中」としてのより根源的な意味を持ちます。ブラフマンが内なる熱的エネルギーを凝集させ、万物を自らから放射する創造の力——それが तपस् (tapas) の宇宙論的含意です。
तत्सृष्ट्वा तदेवानुप्राविशत् (tat sṛṣṭvā tad evānuprāviśat) 「それを創造して、それ自身がまさにその中に入った」——この一句は、インド哲学史における最も深遠な形而上学的宣言の一つです。अनुप्राविशत् (anuprāviśat) は अनु (anu) + प्र (pra) + √विश् (√viś) 「入る」から成り、創造した後にその創造物の中にブラフマン自身が浸透していったことを示します。これは、世界がブラフマンの外に在る被造物ではなく、ブラフマン自身の自己展開であることを意味し、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの存在論の基盤を形成します。
二項対立の超越——サッティヤの定義
創造物の中に入ったブラフマンは、सत् (sat) と त्यत् (tyat) の両方となったと宣言されます。シャンカラの注釈によれば、सत् (sat) は定義された存在——名前と形(नामरूप (nāmarūpa))を通じて把握可能な実在——を指し、त्यत् (tyat) は तत् (tat) 「かのもの」の変化形で、言語的に把握されない形象的・現象的な側面を意味するとされます。ただし別の解釈では、त्यत् (tyat) を तत् (tat) の指示代名詞としてそのまま取り、「存在と彼方(=超越)」の対とする読み方も存在します。
続く四組の二項対立——निरुक्त (nirukta) と अनिरुक्त (anirukta) 「定義されるものと定義されないもの」、निलयन (nilayana) と अनिलयन (anilayana) 「基盤を持つものと持たないもの」、विज्ञान (vijñāna) と अविज्ञान (avijñāna) 「識別知と無識別知」、सत्य (satya) と अनृत (anṛta) 「真と偽」——は、存在のあらゆる対極をブラフマンが自らにおいて引き受けたことを列挙的に宣言します。原文では各対句が च...च (ca...ca) 「〜と〜」の並列で結ばれ、अभवत् (abhavat) 「〜となった」が全体を貫く述語として反復的に暗示されます。日本語訳で「〜となり」を対句ごとに反復したのは、この並列的な律動を再現するためです。最後に सत्यमभवत् (satyam abhavat) 「真実となった」と総括されることで、あらゆる二元性を超越しつつ包含する究極の実在が सत्य (satya) 「真実」と呼ばれることが明かされます。
यदिदं किञ्च तत्सत्यमित्याचक्षते (yad idaṃ kiñca tat satyam ity ācakṣate) 「ここに在るあらゆるもの、それをサティヤと称する」——この結語は、第1アヌヴァーカ冒頭の सत्यं ज्ञानमनन्तं ब्रह्म (satyaṃ jñānam anantaṃ brahma) で宣言された「真理」が、五鞘の教説と宇宙創造の記述を経て、あらゆる存在の根底に遍在する実在として再確認されたことを示しています。五鞘の入れ子構造を内側へと辿ってきた探究は、ここで一転して宇宙全体へと視野を広げ、外なる世界のすべてもまたブラフマンの自己展開にほかならないことを宣言しています。
第7アヌヴァーカ 第1節
अभयप्रतिष्ठा
असद्वा इदमग्र आसीत् । ततो वै सदजायत ।
तदात्मान स्वयमकुरुत । तस्मात्तत्सुकृतमुच्यत इति ।
यद्वै तत् सुकृतम् । रसो वै सः ।
रसꣳह्येवायं लब्ध्वाऽऽनन्दी भवति । को ह्येवान्यात्कः
प्राण्यात् । यदेष आकाश आनन्दो न स्यात् ।
एष ह्येवाऽऽनन्दयाति ।
यदा ह्येवैष एतस्मिन्नदृश्येऽनात्म्येऽनिरुक्तेऽनिलयनेऽभयं
प्रतिष्ठां विन्दते । अथ सोऽभयं गतो भवति ।
यदा ह्येवैष एतस्मिन्नुदरमन्तरं कुरुते ।
अथ तस्य भयं भवति । तत्त्वेव भयं विदुषोऽमन्वानस्य ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 7.1 ॥
abhayapratiṣṭhā
asad vā idam agra āsīt | tato vai sad ajāyata |
tad ātmānaṃ svayam akuruta | tasmāt tat sukṛtam ucyata iti |
yad vai tat sukṛtam | raso vai saḥ |
rasaṃ hy evāyaṃ labdhvānandī bhavati | ko hy evānyāt kaḥ
prāṇyāt | yad eṣa ākāśa ānando na syāt |
eṣa hy evānandayāti |
yadā hy evaiṣa etasminn adṛśye ‘nātmye ‘nirukte ‘nilayane ‘bhayaṃ
pratiṣṭhāṃ vindate | atha so ‘bhayaṃ gato bhavati |
yadā hy evaiṣa etasminn udaram antaraṃ kurute |
atha tasya bhayaṃ bhavati | tat tv eva bhayaṃ viduṣo ‘manvānasya |
tad apy eṣa śloko bhavati || 7.1 ||
はじめに非在のみがあった。そこから在が生じた。
それ〔在〕は自らを自ら作った。それゆえ、それはスクリタ(善く作られたもの)と称される——と。
まさにかの善く作られたもの——それこそラサ(精髄)である。
まさにこのラサを得て、人は歓喜する者となる。
もしこの虚空にアーナンダ(至福)がなかったならば、いったい誰が呼吸し、誰が生きるであろうか。
まさにこの〔アートマン〕こそが歓喜を与える者である。
まさにこの者が、不可視なる、非自我的なる、言表し得ぬ、基盤なき〔ブラフマン〕において、
恐れなき基盤を見出す時——その時、かの者は恐れなき境地に至る。
しかし、まさにこの者が〔ブラフマン〕においてわずかな裂け目を作る時——
その時、かの者には恐れが生じる。それはまさに、思慮を深めない知者にとっての恐れである。
これについてまた次の詩節がある。
-
अभयप्रतिष्ठा (abhayapratiṣṭhā): 恐れなき基盤(abhaya「恐れなき」+ pratiṣṭhā「基盤」女性・単数・主格)अभय (abhaya): 恐れなきप्रतिष्ठा (pratiṣṭhā): 基盤
-
असद्वा (asad vā)←असत् वा (asat vā): 非在がまさに(asat「非存在、非在」中性・単数・主格 + vā 強調の不変化辞) -
इदम् (idam): これは(指示代名詞 idam 中性・単数・主格。「この世界は」の意) -
अग्र (agra)←अग्रे (agre): はじめに、太初に(agre「はじめに」agra「最初、先端」の処格の副詞的用法。語末 -e が次の母音 ā の前で -a に変化した連声形) -
आसीत् (āsīt): あった、存在した(√as「ある」不完了過去・三人称・単数・パラスマイパダ) -
ततो (tato)←ततः (tataḥ): そこから(tatas「それから、そこから」不変化辞) -
वै (vai): まさに、実に(強調の不変化辞) -
सदजायत (sad ajāyata)←सत् अजायत (sat ajāyata): 在が生じた(sat「存在、在」中性・単数・主格 + ajāyata「生じた」√jan 不完了過去・アートマネーパダ・三人称・単数) -
तदात्मान (tad ātmāna)←तत् आत्मानम् (tat ātmānam): それは自らを(tad「それは」指示代名詞・中性・単数・主格 + ātmānam「自らを」ātman 男性・単数・対格。テキストでは対格語尾 -m が次の子音 s の前で脱落したヴェーダ的表記として ātmāna と記される) -
स्वयम् (svayam): 自ら、みずから(不変化辞) -
अकुरुत (akuruta): 作った(√kṛ「作る」不完了過去・アートマネーパダ・三人称・単数) -
तस्मात्तत्सुकृतमुच्यत (tasmāt tat sukṛtam ucyata)←तस्मात् तत् सुकृतम् उच्यते (tasmāt tat sukṛtam ucyate): それゆえそれはスクリタ(善く作られたもの)と称される(tasmāt「それゆえ」指示代名詞・中性・単数・奪格 + tat「それは」指示代名詞・中性・単数・主格 + sukṛtam「善く作られたもの」中性・単数・主格 + ucyata「称される」√vac 現在・受動態・三人称・単数 ucyate の連声形)सु (su): 善く(接頭辞)कृत (kṛta): 作られた(√kṛ 過去受動分詞)
-
इति (iti): 〜と(引用の不変化辞) -
यद्वै (yad vai)←यत् वै (yat vai): まさにかの〜であるところの(yad「〜であるところの」関係代名詞・中性・単数・主格 + vai「まさに」強調の不変化辞。前文の sukṛta を受ける関係詞) -
तत् (tat): それ(指示代名詞 tad 中性・単数・主格) -
सुकृतम् (sukṛtam): 善く作られたもの(sukṛta 中性・単数・主格)सु (su): 善く(接頭辞)कृत (kṛta): 作られた(√kṛ 過去受動分詞)
-
रसो (raso)←रसः (rasaḥ): ラサ(精髄)こそが(rasa「精髄、味わい、本質」男性・単数・主格) -
सः (saḥ): それは(指示代名詞 tad 男性・単数・主格。ラサを指す) -
रसꣳह्येवायं (rasaṃ hy evāyaṃ)←रसम् हि एव अयम् (rasam hi eva ayam): まさにこのラサを(rasam「ラサを」男性・単数・対格 + hi「実に」不変化辞 + eva「まさに」強調 + ayam「この〔人は〕」指示代名詞・男性・単数・主格) -
लब्ध्वाऽऽनन्दी (labdhvānandī)←लब्ध्वा आनन्दी (labdhvā ānandī): 得て歓喜する者と(labdhvā「得て」√labh 絶対分詞 + ānandī「歓喜する者」ānandin 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): なる(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
को (ko)←कः (kaḥ): いったい誰が(疑問代名詞 ka 男性・単数・主格。anyāt「呼吸するであろうか」の主語) -
ह्येवान्यात्कः (hy evānyāt kaḥ)←हि एव अन्यात् कः (hi eva anyāt kaḥ): 実にまさに呼吸するであろうか、誰が(hi「実に」強調の不変化辞 + eva「まさに」強調の不変化辞 + anyāt「呼吸するであろうか」√an「呼吸する」願望法・三人称・単数・パラスマイパダ + kaḥ「誰が」疑問代名詞・男性・単数・主格。前の ko は anyāt「呼吸するか」の主語、この kaḥ は次の prāṇyāt「生きるか」の主語となる) -
प्राण्यात् (prāṇyāt): 生きるであろうか(pra-√an「生きる、生気を保つ」願望法・三人称・単数・パラスマイパダ) -
यदेष (yad eṣa)←यत् एषः (yat eṣaḥ): もしこの(yad「もし」条件の不変化辞的用法 + eṣaḥ「この」指示代名詞・男性・単数・主格) -
आकाश (ākāśa)←आकाशे (ākāśe): 虚空に(ākāśa「虚空」男性・単数・処格。語末 -e が次の母音 ā の前で -a に変化した連声形) -
आनन्दो (ānando)←आनन्दः (ānandaḥ): アーナンダ(至福)が(ānanda 男性・単数・主格) -
न (na): 〜ない(否定の不変化辞) -
स्यात् (syāt): あったとしたら(√as「ある」願望法・三人称・単数。反実仮想を表す) -
एष (eṣa)←एषः (eṣaḥ): この〔アートマン〕は(指示代名詞 etad 男性・単数・主格) -
ह्येवाऽऽनन्दयाति (hy evānandayāti)←हि एव आनन्दयाति (hi eva ānandayāti): まさに歓喜を与える(hi「実に」+ eva「まさに」+ ānandayāti「歓喜させる」√nand の使役動詞・ヴェーダ語接続法(leṭ)・三人称・単数・パラスマイパダ。語尾 -āti の長母音はヴェーダ語接続法に特有の形態) -
यदा (yadā): 〜する時(関係副詞「〜の時に」) -
ह्येवैष (hy evaiṣa)←हि एव एषः (hi eva eṣaḥ): まさにこの者が(hi + eva + eṣaḥ) -
एतस्मिन्नदृश्ये (etasminn adṛśye)←एतस्मिन् अदृश्ये (etasmin adṛśye): この不可視なるにおいて(etasmin「この」指示代名詞・中性・単数・処格 + adṛśya「不可視なる」中性・単数・処格。a + dṛśya「見えるべき」√dṛś 未来受動分詞の否定形) -
ऽनात्म्ये ('nātmye)←अनात्म्ये (anātmye): 非自我的なるにおいて(anātmya「自我にあらざる、非自我的な」中性・単数・処格。an + ātmya「アートマンに属する」の否定形。ブラフマンが個別的な自我を超越していることを示す) -
ऽनिरुक्ते ('nirukte)←अनिरुक्ते (anirukte): 言表し得ぬにおいて(anirukta「定義されない、言葉で表し得ない」中性・単数・処格。a + nirukta の否定形) -
ऽनिलयने ('nilayane)←अनिलयने (anilayane): 基盤なきにおいて(anilayana「住処なき、基盤なき」中性・単数・処格。a + nilayana の否定形。ブラフマンがいかなる他の基盤にも依存しないことを示す) -
ऽभयं ('bhayaṃ)←अभयम् (abhayam): 恐れなき(abhaya「恐れなき状態」中性・単数・対格。ここでは pratiṣṭhā と同格で「恐れなき基盤」の意を成す)अ (a): 〜なき(否定接頭辞)भय (bhaya): 恐れ(√bhī「恐れる」より)
-
प्रतिष्ठां (pratiṣṭhāṃ)←प्रतिष्ठाम् (pratiṣṭhām): 基盤を(pratiṣṭhā「基盤、確固たる拠り所」女性・単数・対格) -
विन्दते (vindate): 見出す(√vid「見出す、獲得する」現在・アートマネーパダ・三人称・単数) -
अथ (atha): その時(不変化辞「さて、そこで」) -
सोऽभयं (so 'bhayaṃ)←सः अभयम् (saḥ abhayam): かの者は恐れなき〔境地〕に(saḥ「かの者は」男性・単数・主格 + abhayam「恐れなきもの」中性・単数・対格) -
गतो (gato)←गतः (gataḥ): 至った(gata「行った、到達した」√gam 過去受動分詞・男性・単数・主格) -
एतस्मिन्नुदरमन्तरं (etasminn udaram antaraṃ)←एतस्मिन् उदरम् अन्तरम् (etasmin udaram antaram): この〔ブラフマン〕においてわずかな裂け目を(etasmin「この」指示代名詞・中性/男性・単数・処格 + udaram「わずかな、微小な」中性・単数・対格 + antaram「裂け目を、隔たりを」中性・単数・対格) -
कुरुते (kurute): 作る(√kṛ「作る」現在・アートマネーパダ・三人称・単数) -
तस्य (tasya): かの者には(指示代名詞 tad 男性・単数・属格) -
भयं (bhayaṃ)←भयम् (bhayam): 恐れが(bhaya「恐れ」中性・単数・主格) -
तत्त्वेव (tat tv eva)←तत् तु एव (tat tu eva): それはまさに(tat「それ」中性・単数・主格 + tu「しかし」不変化辞 + eva「まさに」強調の不変化辞。tu + eva で u + e → ve となり tveva、さらに tat + tveva → tattveva と連声する) -
विदुषोऽमन्वानस्य (viduṣo 'manvānasya)←विदुषः अमन्वानस्य (viduṣaḥ amanvānasya): 思慮を深めない知者にとっての(viduṣaḥ「知者の」vidvas 男性・単数・属格 + amanvānasya「思慮しない者の」a-manvāna「思索しない」√man 現在分詞・アートマネーパダの否定形・男性・単数・属格) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad + api + eṣaḥ 男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka 男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ。定型句तदप्येष श्लोको भवतिの述語として「〔詩節が〕ある」の意)
太初の問い——非在からの創造
本アヌヴァーカは अभयप्रतिष्ठा (abhayapratiṣṭhā) 「恐れなき基盤」という表題を持ち、ブラフマーナンダヴァッリーの哲学的頂点の一つを成します。前アヌヴァーカで五鞘の教説と宇宙創造の概観が完了した後、ここでは रस (rasa) 「精髄」としてのブラフマンの本質と、अभय (abhaya) 「恐れなき境地」への到達が主題となります。
冒頭の असद्वा इदमग्र आसीत् (asad vā idam agra āsīt) 「はじめに非在のみがあった」は、リグ・ヴェーダ10.129(ナーサディーヤ・スークタ)の創造讃歌の伝統を受け継ぐ根源的な宣言です。ここで असत् (asat) の解釈には注意を要します。字義的には「非存在」「無」を意味し、この文を「絶対的な無から有が生じた」と読む可能性があります。しかしシャンカラをはじめとするヴェーダーンタの注釈伝統は、ここでの असत् (asat) を「絶対的な無」とは取りません。名前と形(नामरूप (nāmarūpa))が未だ分化していない未顕現(अव्याकृत (avyākṛta))の状態——すなわちブラフマンの潜在的な存在を指すと解釈します。この読みに従えば、ततो वै सदजायत (tato vai sad ajāyata) 「そこから在が生じた」とは、未分化のブラフマンから名前と形を備えた顕在的存在が展開したことを述べていることになります。チャーンドーギヤ・ウパニシャッド6.2.1-2が明確に सदेव सोम्येदमग्र आसीत् (sad eva somyedam agra āsīt) 「善き者よ、はじめに在のみがあった」と宣言していることとの対比は、この問題の哲学的重要性を物語ります。
「自らを自ら作った」(तत् आत्मानम् स्वयम् अकुरुत (tat ātmānam svayam akuruta))とは、ブラフマンが外的な創造者によらず自己原因として自らを顕現させたことを意味します。この自己創造のゆえに सुकृत (sukṛta) 「善く作られたもの」と称され、सु (su) 「善く」+ कृत (kṛta) 「作られた」には、創造そのものに善性が内在するという深い世界肯定が含まれています。
ラサとしてのブラフマン——存在の精髄
रसो वै सः (raso vai saḥ) 「ラサこそがまさにそれである」——この簡潔な宣言は、ブラフマーナンダヴァッリーの中核的教えの一つです。रस (rasa) は「味わい」「精髄」「液汁」など多義的な語であり、存在の最も凝縮された本質を指します。第1アヌヴァーカで食物の精髄(अन्नरस (annarasa))として始まった探究が、ここでブラフマンそのものが万物の रस (rasa) であるという究極の認識に到達しています。रसꣳह्येवायं लब्ध्वाऽऽनन्दी भवति (rasaṃ hy evāyaṃ labdhvānandī bhavati) 「このラサを得て、人は歓喜する者となる」——ブラフマンという精髄を獲得することが歓喜の源泉であることが明かされます。
修辞的問い——至福なくば誰が生きるか
को ह्येवान्यात्कः प्राण्यात् (ko hy evānyāt kaḥ prāṇyāt) 「いったい誰が呼吸し、誰が生きるであろうか」は、ウパニシャッド文学における最も力強い修辞の一つです。अन्यात् (anyāt) は √अन् (√an) 「呼吸する」の願望法・三人称・単数、प्राण्यात् (prāṇyāt) は प्र (pra) + √अन् (√an) 「生きる」の願望法・三人称・単数であり、いずれも反実仮想の条件文 यदेष आकाश आनन्दो न स्यात् (yad eṣa ākāśa ānando na syāt) 「もしこの虚空にアーナンダがなかったならば」を受けています。आकाश (ākāśa) 「虚空」は、第1アヌヴァーカの創造系列においてアートマンから最初に生じた元素であり、存在のすべてを包含する根源的な空間を象徴します。その虚空に至福が遍在しなければ、いかなる生命も呼吸することさえできない——この問いは、存在そのものがアーナンダに根差していることを鮮やかに宣言しています。
恐れなき基盤——四つの否定的属性
अदृश्य (adṛśya) 「不可視なる」、अनात्म्य (anātmya) 「非自我的なる」、अनिरुक्त (anirukta) 「言表し得ぬ」、अनिलयन (anilayana) 「基盤なき」——この四つの否定的属性は、ブラフマンが感覚・自我・言語・空間のいかなる限定をも超越していることを示す、否定神学的な定義です。前アヌヴァーカの二項対立(निरुक्त (nirukta) と अनिरुक्त (anirukta) など)で示された包括性が、ここでは徹底した否定の連鎖として再び現れます。この否定の彼方に अभयं प्रतिष्ठाम् (abhayaṃ pratiṣṭhām) 「恐れなき基盤」を見出す者は、恐れなき境地(अभयं गतः (abhayaṃ gataḥ))に至ります。
裂け目と恐れ——二元的認識の危険
対照的に、उदरम् अन्तरम् (udaram antaram) 「わずかな裂け目」をブラフマンにおいて作る者には恐れが生じます。この「裂け目」とは、ブラフマンとアートマンの間にわずかでも差異を認める二元的認識を意味します。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド1.4.2にも द्वितीयाद्वै भयं भवति (dvitīyād vai bhayaṃ bhavati) 「第二のもの(他者)から恐れが生じる」という並行表現があり、恐れの根源が二元性にあるというウパニシャッド哲学の一貫した教えを確認できます。
結語の तत् तु एव भयं विदुषः अमन्वानस्य (tat tu eva bhayaṃ viduṣaḥ amanvānasya) は、「知者であってもなお、思慮を深めない者には恐れがある」と警告します。विद्वस् (vidvas) 「知者」であっても अमन्वान (amanvāna) 「思索しない、熟慮しない」者——すなわち、ブラフマンの知識を得ながらもそれを絶えず省察し内面化しない者には、恐れが生じ得ます。この警句は、前アヌヴァーカの識別知の称讃における न प्रमाद्यति (na pramādyati) 「放逸でなければ」という条件と呼応し、知識だけでは不十分であり、不断の省察と覚醒が必要であることを改めて示しています。
第8アヌヴァーカ 第1節
ब्रह्मानन्दमीमांसा
भीषाऽस्माद्वातः पवते । भीषोदेति सूर्यः ।
भीषाऽस्मादग्निश्चेन्द्रश्च । मृत्युर्धावति पञ्चम इति ।
सैषाऽऽनन्दस्य मीमाꣳसा भवति ।
युवा स्यात्साधुयुवाऽध्यायकः ।
आशिष्ठो दृढिष्ठो बलिष्ठः ।
तस्येयं पृथिवी सर्वा वित्तस्य पूर्णा स्यात् ।
स एको मानुष आनन्दः । ते ये शतं मानुषा आनन्दाः ॥ 8.1 ॥
brahmānandamīmāṃsā
bhīṣā ‘smād vātaḥ pavate | bhīṣodeti sūryaḥ |
bhīṣā ‘smād agniś cendraś ca | mṛtyur dhāvati pañcama iti |
saiṣā ”nandasya mīmāṃsā bhavati |
yuvā syāt sādhuyuvā ‘dhyāyakaḥ |
āśiṣṭho dṛḍhiṣṭho baliṣṭhaḥ |
tasyeyaṃ pṛthivī sarvā vittasya pūrṇā syāt |
sa eko mānuṣa ānandaḥ | te ye śataṃ mānuṣā ānandāḥ || 8.1 ||
かの〔ブラフマン〕への畏怖から風が吹く。かの者への畏怖から太陽が昇る。
かの者への畏怖から火もインドラも〔その務めを果たし〕、死は第五のものとして走る——と。
これこそがアーナンダ(至福)の考察(ミーマーンサー)である。
若く、善き若者であり、学識を具え、
最も迅速で、最も堅固で、最も力強い者がいるとしよう。
この大地の全体が、富に満ちて彼のものであるとしよう。
それが一つの人間の至福である。かの人間の至福の百倍が——
-
ब्रह्मानन्दमीमांसा (brahmānandamīmāṃsā): ブラフマンの至福の考察(セクション表題。女性・単数・主格)ब्रह्म (brahma): ブラフマンआनन्द (ānanda): 至福、歓喜मीमांसा (mīmāṃsā): 考察、精査(√man の願望動詞から派生した名詞)
-
भीषाऽस्माद्वातः (bhīṣā 'smād vātaḥ)←भीषा अस्मात् वातः (bhīṣā asmāt vātaḥ): かの〔ブラフマン〕への畏怖から風が(bhīṣā「〜を恐れて、畏怖によって」ヴェーダ語の不変化詞。√bhī「恐れる」より派生し副詞的に固定化した形 + asmāt「かの者から」指示代名詞 idam 男性・単数・奪格 + vātaḥ「風が」vāta 男性・単数・主格) -
पवते (pavate): 吹く、清める(√pū「浄化する」現在・アートマネーパダ・三人称・単数。風の場合「吹く」の意) -
भीषोदेति (bhīṣodeti)←भीषा उदेति (bhīṣā udeti): 畏怖から昇る(bhīṣā「〜を恐れて」ヴェーダ語の不変化詞 + udeti「昇る」ud-√i 現在・三人称・単数・パラスマイパダ。bhīṣā + udeti → bhīṣodeti は ā + u → o の連声) -
सूर्यः (sūryaḥ): 太陽が(sūrya「太陽」男性・単数・主格) -
भीषाऽस्मादग्निश्चेन्द्रश्च (bhīṣā 'smād agniś cendraś ca)←भीषा अस्मात् अग्निः च इन्द्रः च (bhīṣā asmāt agniḥ ca indraḥ ca): かの者への畏怖から火とインドラと(bhīṣā「〜を恐れて」ヴェーダ語の不変化詞 + asmāt「かの者から」指示代名詞 idam 男性・単数・奪格 + agniḥ「火が」男性・単数・主格 + ca「と」+ indraḥ「インドラが」男性・単数・主格 + ca「と」) -
मृत्युर्धावति (mṛtyur dhāvati)←मृत्युः धावति (mṛtyuḥ dhāvati): 死が走る(mṛtyuḥ「死が」mṛtyu 男性・単数・主格 + dhāvati「走る」√dhāv 現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
पञ्चम (pañcama)←पञ्चमः (pañcamaḥ): 第五のものとして(pañcama「第五の」男性・単数・主格。風・太陽・火・インドラに次ぐ第五として死を数える) -
इति (iti): 〜と(引用の不変化辞。前アヌヴァーカで予告された要約詩節の結びを示す) -
सैषाऽऽनन्दस्य (saiṣā ''nandasya)←सा एषा आनन्दस्य (sā eṣā ānandasya): これこそがアーナンダの(sā「これが」指示代名詞・女性・単数・主格 + eṣā「この」指示代名詞・女性・単数・主格 + ānandasya「至福の」ānanda 男性・単数・属格。二重アヴァグラハ ऽऽ は eṣā の語末長母音 ā と ānandasya の語頭長母音 ā の連声による省略を示す) -
मीमाꣳसा (mīmāṃsā): 考察が(mīmāṃsā「考察、精査」女性・単数・主格。√man「思う」の願望動詞 mīmāṃsate から派生した名詞。ꣳ はアヌスヴァーラの特殊表記) -
भवति (bhavati): である(√bhū 現在・三人称・単数・パラスマイパダ) -
युवा (yuvā): 若者が(yuvan「若い者」男性・単数・主格) -
स्यात्साधुयुवाऽध्यायकः (syāt sādhuyuvā 'dhyāyakaḥ)←स्यात् साधुयुवा अध्यायकः (syāt sādhuyuvā adhyāyakaḥ): 〜であるとしよう、善き若者で学識ある者が(syāt「〜であるとしよう」√as 願望法・三人称・単数 + sādhuyuvā「善き若者」男性・単数・主格 + adhyāyakaḥ「学識ある者、学修者」男性・単数・主格)साधु (sādhu): 善き、優れたयुवन् (yuvan): 若者
-
आशिष्ठो (āśiṣṭho)←आशिष्ठः (āśiṣṭhaḥ): 最も迅速な(āśiṣṭha「最も速い」āśu「迅速な」の最上級形・男性・単数・主格) -
दृढिष्ठो (dṛḍhiṣṭho)←दृढिष्ठः (dṛḍhiṣṭhaḥ): 最も堅固な(dṛḍhiṣṭha「最も堅固な」dṛḍha「堅固な」の最上級形・男性・単数・主格) -
बलिष्ठः (baliṣṭhaḥ): 最も力強い(baliṣṭha「最も強い」balin「力ある」の最上級形・男性・単数・主格) -
तस्येयं (tasyeyaṃ)←तस्य इयम् (tasya iyam): 彼のこの(tasya「彼の」指示代名詞 tad 男性・単数・属格 + iyam「この」指示代名詞 idam 女性・単数・主格) -
पृथिवी (pṛthivī): 大地が(pṛthivī「大地」女性・単数・主格) -
सर्वा (sarvā): 全体の(sarva「すべての」女性・単数・主格) -
वित्तस्य (vittasya): 富の(vitta「財産、富」中性・単数・属格。√vid「得る」の過去受動分詞から派生) -
पूर्णा (pūrṇā): 満ちて(pūrṇā「満たされた」女性・単数・主格。√pṝ 過去受動分詞) -
स्यात् (syāt): 〜であるとしよう(√as 願望法・三人称・単数。仮定条件を設定する) -
स (sa)←सः (saḥ): それが(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
एको (eko)←एकः (ekaḥ): 一つの(eka「一つの」男性・単数・主格) -
मानुष (mānuṣa)←मानुषः (mānuṣaḥ): 人間の(mānuṣa「人間に属する」男性・単数・主格。manuṣya「人間」から派生した形容詞) -
आनन्दः (ānandaḥ): 至福である(ānanda「至福、歓喜」男性・単数・主格) -
ते (te): かの(指示代名詞 tad 男性・複数・主格。「かの百倍の至福が」の主語) -
ये (ye): 〜であるところの(関係代名詞 yad 男性・複数・主格) -
शतं (śataṃ)←शतम् (śatam): 百(śata「百」中性・単数・主格/対格) -
मानुषा (mānuṣā)←मानुषाः (mānuṣāḥ): 人間の(mānuṣa「人間に属する」男性・複数・主格) -
आनन्दाः (ānandāḥ): 至福が(ānanda 男性・複数・主格。「人間の至福の百倍が」の意)
要約詩節——宇宙秩序を支える畏怖
本アヌヴァーカは ब्रह्मानन्दमीमांसा (brahmānandamīmāṃsā) 「ブラフマンの至福の考察」という表題を冠し、ブラフマーナンダヴァッリーの哲学的頂点を形成する長大なアヌヴァーカの冒頭です。全5節から成り、至福の階梯的考察と五鞘の遡行的超越を展開します。
冒頭の詩節 भीषाऽस्माद्वातः पवते (bhīṣā 'smād vātaḥ pavate) 「かの者への畏怖から風が吹く」は、前アヌヴァーカ末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) で予告された要約詩節です。カタ・ウパニシャッド(カーターカ)2.3.3にほぼ同一の詩節が見られ、भीषास्मात् (bhīṣāsmāt) が भयात् (bhayāt) となっている点を除けば、宇宙秩序の維持者としてのブラフマンという同一の主題を共有します。
भीषा (bhīṣā) はヴェーダ語に特有の不変化詞的用法であり、√भी (√bhī) 「恐れる」から派生して「〜を恐れて、畏怖によって」という副詞的な意味を担います。通常の名詞活用による具格・奪格ではなく、固定化した副詞的形態として用いられている点に注意が必要です。अस्मात् (asmāt) 「かの者から」と結んで「かの〔ブラフマン〕を恐れて」の意を成し、風(वात (vāta))・太陽(सूर्य (sūrya))・火(अग्नि (agni))・インドラ(इन्द्र (indra))・死(मृत्यु (mṛtyu))という五つの宇宙的力がブラフマンへの畏怖によって各自の職務を遂行するという壮大な宣言が展開されます。この教えは前アヌヴァーカで説かれた अभय (abhaya) 「恐れなき状態」の教えと対をなしています。ブラフマンを知る者は恐れなき境地に至りますが、宇宙の諸力そのものはブラフマンに対する畏敬によって秩序を保っています。この対比は、ブラフマンの絶対的な超越性と遍在性を同時に表現しています。
第三句 भीषाऽस्मादग्निश्चेन्द्रश्च (bhīṣā 'smād agniś cendraś ca) では、動詞が省略されています。直前の पवते (pavate) 「吹く」や उदेति (udeti) 「昇る」と並行的に、火とインドラもまたブラフマンへの畏怖からそれぞれの務めを果たすことが含意されています。そこに मृत्युर्धावति पञ्चमः (mṛtyur dhāvati pañcamaḥ) 「死が第五のものとして走る」が続きます。√धाव् (√dhāv) 「走る、急ぐ」は死の不可避性と迅速さを描写し、पञ्चम (pañcama) 「第五」という序数詞は、風・太陽・火・インドラに次いで死さえもブラフマンの秩序に従うことを示しています。
至福の基準単位——理想の人間像
सैषाऽऽनन्दस्य मीमाꣳसा भवति (saiṣā ''nandasya mīmāṃsā bhavati) 「これこそがアーナンダの考察である」という宣言とともに、テキストは至福の階梯的考察へと転じます。मीमांसा (mīmāṃsā) は √मन् (√man) 「思う」の願望動詞 मीमांसते (mīmāṃsate) から派生した名詞で、「深く考察すること、精査」を意味します。後のプールヴァ・ミーマーンサー(祭式の考察)やウッタラ・ミーマーンサー(ブラフマンの考察=ヴェーダーンタ)という学派名にも用いられる語です。
まず至福の基準単位が精密に定義されます。युवा (yuvā) 「若者」に七つの条件が課されます——若さ(युवा (yuvā))、善性(साधुयुवा (sādhuyuvā))、学識(अध्यायक (adhyāyaka))、最高の迅速さ(आशिष्ठ (āśiṣṭha))、最高の堅固さ(दृढिष्ठ (dṛḍhiṣṭha))、最高の力(बलिष्ठ (baliṣṭha))。आशिष्ठ (āśiṣṭha)・दृढिष्ठ (dṛḍhiṣṭha)・बलिष्ठ (baliṣṭha) はいずれも最上級形(-इष्ठ (-iṣṭha) 接尾辞)であり、人間としての肉体的・知的完成の極致を示します。さらに तस्येयं पृथिवी सर्वा वित्तस्य पूर्णा स्यात् (tasyeyaṃ pṛthivī sarvā vittasya pūrṇā syāt) 「この大地の全体が富に満ちて彼のものであるとしよう」——すなわち、地上のすべての富の所有者であることが条件として加えられます。
これほどの完璧な条件を備えた者の享受する幸福が、स एको मानुष आनन्दः (sa eko mānuṣa ānandaḥ) 「一つの人間の至福」と定義されます。この基準単位の設定は、至福が単なる抽象概念ではなく、具体的な人間の体験として把握されるべきことを示しています。しかし同時に、これほどの理想的条件が स्यात् (syāt) 願望法(「〜であるとしよう」)で設定されていること自体が、この至福がいかに希有であるかをも暗示しています。
ते ये शतं मानुषा आनन्दाः (te ye śataṃ mānuṣā ānandāḥ) 「かの人間の至福の百倍が——」で本節は中断し、次節へと引き継がれます。ここから始まる至福の階梯は、人間の至福を基準として百倍ずつ上昇する壮大な構造を展開していきます。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド4.3.33にも並行する至福の階梯がありますが、本ウパニシャッドの階梯はより体系的で段階数も多く、各段階に श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) 「聖典に通じ、欲望に打たれない者の」という限定句を付す点に独自性があります。
第8アヌヴァーカ 第2節
स एको मनुष्यगन्धर्वाणामानन्दः । श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं मनुष्यगन्धर्वाणामानन्दाः ।
स एको देवगन्धर्वाणामानन्दः । श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं देवगन्धर्वाणामानन्दाः ।
स एकः पितृणां चिरलोकलोकानामानन्दः ।
श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं पितृणां चिरलोकलोकानामानन्दाः ।
स एक आजानजानां देवानामानन्दः ॥ 8.2 ॥
sa eko manuṣyagandharvāṇām ānandaḥ | śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ manuṣyagandharvāṇām ānandāḥ |
sa eko devagandharvāṇām ānandaḥ | śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ devagandharvāṇām ānandāḥ |
sa ekaḥ pitṝṇāṃ ciralokalokānām ānandaḥ |
śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ pitṝṇāṃ ciralokalokānām ānandāḥ |
sa eka ājānajānāṃ devānām ānandaḥ || 8.2 ||
——それが一つのマヌシヤ・ガンダルヴァ(人間のガンダルヴァ)の至福である。聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのマヌシヤ・ガンダルヴァの至福の百倍が——
それが一つのデーヴァ・ガンダルヴァ(神々のガンダルヴァ)の至福である。聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのデーヴァ・ガンダルヴァの至福の百倍が——
それが長久世界に住む祖霊たちの一つの至福である。
聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かの長久世界に住む祖霊たちの至福の百倍が——
それがアージャーナジャ(生まれながらの)神々の一つの至福である。
-
स (sa)←सः (saḥ): それが(指示代名詞 tad 男性・単数・主格。前節末尾の「人間の至福の百倍」を受ける) -
एको (eko)←एकः (ekaḥ): 一つの(eka「一つの」男性・単数・主格) -
मनुष्यगन्धर्वाणामानन्दः (manuṣyagandharvāṇām ānandaḥ)←मनुष्यगन्धर्वाणाम् आनन्दः (manuṣyagandharvāṇām ānandaḥ): マヌシヤ・ガンダルヴァ(人間のガンダルヴァ)たちの至福(manuṣyagandharvāṇām「人間のガンダルヴァたちの」男性・複数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格)मनुष्य (manuṣya): 人間の(人間に属する)गन्धर्व (gandharva): ガンダルヴァ(天上の楽神)
-
श्रोत्रियस्य (śrotriyasya): 聖典に通じた者の(śrotriya「ヴェーダ聖典を学び通じた者」男性・単数・属格。śrotra「聴聞」から派生し、聖典を師から聴聞して修得した者を指す) -
चाकामहतस्य (cākāmahatasya)←च अकामहतस्य (ca akāmahatasya): そして欲望に打たれない者の(ca「そして」+ akāmahatasya「欲望に打たれない者の」男性・単数・属格)अ (a): 〜ない(否定接頭辞)काम (kāma): 欲望हत (hata): 打たれた(√han「打つ」過去受動分詞)
-
ते (te): かの(指示代名詞 tad 男性・複数・主格。「かの百倍の至福が」の主語) -
ये (ye): 〜であるところの(関係代名詞 yad 男性・複数・主格) -
शतं (śataṃ)←शतम् (śatam): 百(śata「百」中性・単数・主格/対格) -
मनुष्यगन्धर्वाणामानन्दाः (manuṣyagandharvāṇām ānandāḥ)←मनुष्यगन्धर्वाणाम् आनन्दाः (manuṣyagandharvāṇām ānandāḥ): マヌシヤ・ガンダルヴァたちの至福が(manuṣyagandharvāṇām「人間のガンダルヴァたちの」男性・複数・属格 + ānandāḥ「至福が」男性・複数・主格) -
देवगन्धर्वाणामानन्दः (devagandharvāṇām ānandaḥ)←देवगन्धर्वाणाम् आनन्दः (devagandharvāṇām ānandaḥ): デーヴァ・ガンダルヴァ(神々のガンダルヴァ)たちの至福(devagandharvāṇām「神々のガンダルヴァたちの」男性・複数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格)देव (deva): 神々の(天上の)गन्धर्व (gandharva): ガンダルヴァ(天上の楽神)
-
देवगन्धर्वाणामानन्दाः (devagandharvāṇām ānandāḥ)←देवगन्धर्वाणाम् आनन्दाः (devagandharvāṇām ānandāḥ): デーヴァ・ガンダルヴァたちの至福が(devagandharvāṇām 男性・複数・属格 + ānandāḥ 男性・複数・主格) -
एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格) -
पितृणां (pitṝṇāṃ)←पितॄणाम् (pitṝṇām): 祖霊たちの(pitṛ「父祖、祖霊」男性・複数・属格) -
चिरलोकलोकानामानन्दः (ciralokalokānām ānandaḥ)←चिरलोकलोकानाम् आनन्दः (ciralokalokānām ānandaḥ): 長久世界に住む者たちの至福(ciralokalokānām「長久世界を世界とする者たちの」男性・複数・属格 + ānandaḥ 男性・単数・主格)चिर (cira): 長久の、永いलोक (loka): 世界(第一の loka は「長久の世界」)लोक (loka): 〜を世界(住処)とする者(第二の loka はバフヴリーヒ複合語の後分として「その世界に住む者」の意)
-
चिरलोकलोकानामानन्दाः (ciralokalokānām ānandāḥ)←चिरलोकलोकानाम् आनन्दाः (ciralokalokānām ānandāḥ): 長久世界に住む者たちの至福が(ciralokalokānām 男性・複数・属格 + ānandāḥ 男性・複数・主格) -
एक (eka)←एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格。次の母音 ā との連声で ekaḥ → eka) -
आजानजानां (ājānajānāṃ)←आजानजानाम् (ājānajānām): 生まれながらの(神々)の(ājānaja「生得の、神として生まれた」男性・複数・属格。天上界に初めから神として存在する者たちを指す。語源的には ā + √jan「生まれる」に関連すると考えられるが、正確な語形成については諸説がある) -
देवानामानन्दः (devānām ānandaḥ)←देवानाम् आनन्दः (devānām ānandaḥ): 神々の至福(devānām「神々の」deva 男性・複数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格)
至福の階梯——第二段階から第五段階へ
本節は、前節で設定された「一つの人間の至福(मानुष आनन्द (mānuṣa ānanda))」を基準単位とし、そこから百倍ずつ飛躍的に上昇していく至福の階梯(आनन्दमीमांसा (ānandamīmāṃsā))の第二段階から第五段階の入り口までを展開します。各段階において श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) 「聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕」という限定句が忠実に反復される点が、本教説の最大の構造的特徴であり、実践的意義の核心です。
マヌシヤ・ガンダルヴァの至福(第二段階)
人間の至福の百倍が मनुष्यगन्धर्व (manuṣyagandharva) 「マヌシヤ・ガンダルヴァ」の一つの至福であると宣言されます。गन्धर्व (gandharva) はヴェーダ文学において天上の楽神として知られ、霊的な音楽と歌舞に秀でた半神的存在です。ここに मनुष्य (manuṣya) 「人間の」という限定が付されている理由について、伝統的な注釈では、人間界から功徳や祭祀の果報によってガンダルヴァの境地へ昇格した存在を指すと解されます。人間的な至福の延長線上にありつつも、肉体的な限界を離れ、感覚的享楽がはるかに精妙で持続的なものへと昇華された存在の至福がここに措定されています。
デーヴァ・ガンダルヴァの至福(第三段階)
続く第三段階では、マヌシヤ・ガンダルヴァの至福の百倍が देवगन्धर्व (devagandharva) 「デーヴァ・ガンダルヴァ」の至福に等しいとされます。देव (deva) 「神々の」という接頭辞が付されることで、人間系のガンダルヴァとは明確に区別され、天上界に初めから属する純粋な精霊的ガンダルヴァが示されます。この二種のガンダルヴァの峻別は、至福の階梯が単なる快楽の量的な増大ではなく、存在の純粋さ(सत्त्व (sattva))の質的な変容を含意していることを示しています。天上の楽音そのものを本質とする彼らの至福は、人間の想像を絶する精妙さと広がりを持ちます。
長久世界に住む祖霊たちの至福(第四段階)
第四段階では、デーヴァ・ガンダルヴァの至福の百倍が पितृणां चिरलोकलोकानाम् (pitṝṇāṃ ciralokalokānām) 「長久世界に住む祖霊たち」の至福に等しいとされます。चिरलोकलोक (ciralokaloka) は、चिर (cira) 「長久の」と第一の लोक (loka) 「世界」、そして第二の लोक (loka) 「〜を住処とする者」から成る複合語です。すなわち、宇宙的な時間スケールにおいても容易には滅びない、極めて安定した天上世界に住まう祖霊(पितृ (pitṛ))たちを指します。ヴェーダの祭式体系において、正しい儀礼と子孫からの供物(श्राद्ध (śrāddha))によって支えられる祖霊の世界は、深い安らぎと調和に満ちた領域として崇敬されます。
アージャーナジャの神々の至福(第五段階)
そして本節は、長久世界の祖霊たちの至福の百倍が आजानज (ājānaja) 「アージャーナジャ(生まれながらの)」の神々の一つの至福であるという第五段階の宣言で結ばれ、次節へと続いていきます。語源的には आ (ā) + √जन् (√jan) 「生まれる」に関連するとされますが、この語の正確な語形成については諸説があります。いずれにしても、業の報いとして後天的に神格を得た者たちとは異なり、天上界に初めから神として存在する、より高次元の存在を指すと解されます。
反復構造の意義と限定句の役割
各段階の結びにおいて、呪文のように繰り返される श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) という表現は、この宇宙論的な至福の階梯が、実は人間の霊的実践と完全に直結していることを解き明かす鍵です。श्रोत्रिय (śrotriya) とは、師からの聴聞(श्रोत्र (śrotra))を通じてヴェーダの真理を深く悟った者を意味します。また अकामहत (akāmahata) とは、外界の対象への欲望(काम (kāma))によって自己の本質を見失うことなく、内なる静寂を保つ者を指します。
この教えが真に驚異的であるのは、人間界にとどまりながらも、真理の知(知識)と完全なる離欲(無執着)を成就した者は、ガンダルヴァや祖霊、さらには神々が享受する途方もない至福を、今ここにおいて自らの内面で等しく体験し得るという宣言にほかなりません。天上的存在が外的条件として享受する至福の百倍ずつの上昇は、人間の内面におけるエゴの脱落と意識の浄化のプロセスに対応しています。読者はこの ते ये शतम् (te ye śatam) 「かの百倍が」という反復のリズムに乗って、相対的な喜びから絶対的な至福へと自らを深く引き上げていく瞑想的体験へと誘われることでしょう。
第8アヌヴァーカ 第3節
श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतमाजानजानां देवानामानन्दाः ।
स एकः कर्मदेवानां देवानामानन्दः ।
ये कर्मणा देवानपियन्ति । श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं कर्मदेवानां देवानामानन्दाः ।
स एको देवानामानन्दः । श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं देवानामानन्दाः । स एक इन्द्रस्याऽऽनन्दः ॥ 8.3 ॥
śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śatam ājānajānāṃ devānām ānandāḥ |
sa ekaḥ karmadevānāṃ devānām ānandaḥ |
ye karmaṇā devānapiyanti | śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ karmadevānāṃ devānām ānandāḥ |
sa eko devānām ānandaḥ | śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ devānām ānandāḥ | sa eka indrasyā”nandaḥ || 8.3 ||
聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのアージャーナジャの神々の至福の百倍が——
それが一つのカルマデーヴァ(業による神々)の至福である。
彼らは業によって神々のもとに至る者たちである。聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのカルマデーヴァの至福の百倍が——
それが一つの神々の至福である。聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かの神々の至福の百倍が——それが一つのインドラの至福である。
-
श्रोत्रियस्य (śrotriyasya): 聖典に通じた者の(śrotriya「ヴェーダ聖典を学び通じた者」男性・単数・属格) -
चाकामहतस्य (cākāmahatasya)←च अकामहतस्य (ca akāmahatasya): そして欲望に打たれない者の(ca「そして」+ akāmahatasya「欲望に打たれない者の」男性・単数・属格)अ (a): 〜ない(否定接頭辞)काम (kāma): 欲望हत (hata): 打たれた(√han「打つ」過去受動分詞)
-
ते (te): かの(指示代名詞 tad 男性・複数・主格。「かの百倍の至福が」の主語) -
ये (ye): 〜であるところの(関係代名詞 yad 男性・複数・主格。「ते ये शतं」における関係詞) -
शतं (śataṃ)←शतम् (śatam): 百(śata「百」中性・単数・主格/対格) -
आजानजानां (ājānajānāṃ)←आजानजानाम् (ājānajānām): アージャーナジャ(生まれながらの)の(ājānaja 男性・複数・属格。天上界に初めから神として存在する者たち) -
देवानामानन्दाः (devānām ānandāḥ)←देवानाम् आनन्दाः (devānām ānandāḥ): 神々の至福が(devānām「神々の」deva 男性・複数・属格 + ānandāḥ「至福が」男性・複数・主格) -
स (sa)←सः (saḥ): それが(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格) -
कर्मदेवानां (karmadevānāṃ)←कर्मदेवानाम् (karmadevānām): カルマデーヴァ(業による神々)の(karmadeva 男性・複数・属格。祭式の業の果報によって神格を得た者たち)कर्मन् (karman): 業、祭式行為देव (deva): 神
-
देवानामानन्दः (devānām ānandaḥ)←देवानाम् आनन्दः (devānām ānandaḥ): 神々の至福(devānām「神々の」deva 男性・複数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格) -
ये (ye): 〜であるところの者たちが(関係代名詞 yad 男性・複数・主格。カルマデーヴァの定義を導く関係節の主語) -
कर्मणा (karmaṇā): 業によって(karman「業、祭式行為」中性・単数・具格) -
देवानपियन्ति (devānapiyanti)←देवान् अपियन्ति (devān apiyanti): 神々のもとに至る(devān「神々を」deva 男性・複数・対格 + apiyanti「至る、到達する」api-√i「到達する」現在・三人称・複数・パラスマイパダ) -
एको (eko)←एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格) -
एक (eka)←एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格。語末 -ḥ が次の母音 i の前で脱落した連声形) -
इन्द्रस्याऽऽनन्दः (indrasyā''nandaḥ)←इन्द्रस्य आनन्दः (indrasya ānandaḥ): インドラの至福(indrasya「インドラの」indra 男性・単数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格。二重アヴァグラハ ऽऽ は indrasya の語末母音 a と ānandaḥ の語頭長母音 ā の連声を示す)
至福の階梯——第五段階から第八段階へ
本節は前節末尾で宣言されたアージャーナジャの神々の至福(第五段階)に付される限定句 श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) を受けて始まり、第六段階(カルマデーヴァ)、第七段階(神々)を経て、第八段階(インドラ)に至るまでの壮大な上昇を展開します。
カルマデーヴァの至福(第六段階)
アージャーナジャの神々の至福の百倍が कर्मदेव (karmadeva) 「カルマデーヴァ」の至福に等しいとされます。この存在の定義として ये कर्मणा देवान् अपियन्ति (ye karmaṇā devān apiyanti) 「業によって神々のもとに至る者たち」という関係節が挿入されている点は、至福の階梯の他の段階には見られない注目すべき特徴です。अपियन्ति (apiyanti) は अपि (api) + √इ (√i) 「行く」の現在・三人称・複数で「到達する、至る」を意味します。
ここでの कर्मन् (karman) は、ヴェーダの祭式行為を中心とした正しい宗教的実践を指します。前段階のアージャーナジャ(生まれながらの)の神々が天上界に本来的に属するのに対し、カルマデーヴァは人間としての生において ज्योतिष्टोम (jyotiṣṭoma) 等の大規模な祭式を正しく遂行した果報として神格を得た存在です。興味深いことに、後天的に業の果報で得られた神格のほうが、生得的な神格よりも高い至福を享受するとされます。シャンカラはこの点について、業の功徳の卓越性によって到達し得る境地の高さを示すものと注釈しています。この教えは、人間の自発的な霊的努力が先天的な資質をも凌駕し得るという、ウパニシャッドの人間観の力強い肯定を含んでいます。
神々の至福(第七段階)
カルマデーヴァの至福の百倍が देव (deva) 「神々」の至福に等しいとされます。ここでの देव (deva) は、先行する「カルマデーヴァ」や「アージャーナジャの神々」とは区別される、より上位の一般的な神々の位階を指すと解されます。ヴェーダの世界観において देव (deva) は「輝く者」(語根 √दिव् (√div) 「輝く」)であり、宇宙の秩序(ऋत (ṛta))を維持し、恩恵を降り注ぐ存在として崇められます。カルマデーヴァが業の果報として後天的に得た神格であるのに対し、ここでの神々はそれを凌駕する本質的な神性を有する存在です。至福の階梯においてこの段階は、人間的・業果的な領域から、宇宙的原理そのものの領域へと移行する重要な転換点を成しています。
インドラの至福(第八段階)
神々の至福の百倍は इन्द्र (indra) の至福に等しいという宣言で本節は結ばれます。इन्द्र (indra) は天上界の頂点に君臨する神々の王であり、リグ・ヴェーダにおいて最も多くの讃歌を捧げられた存在です。天上界の統治者として、すべての देव (deva) の至福を束ね凌駕する立場にあります。至福の階梯がここでインドラに到達するということは、天上的・神話的な宇宙論の最高段階に至ったことを意味し、ここから先はさらに宇宙的な原理そのものへの上昇——ブリハスパティ、プラジャーパティ、そしてブラフマンへと向かいます。
反復構造と瞑想的リズム
本節においても ते ये शतम् (te ye śatam) 「かの百倍が」と श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) 「聖典に通じ、欲望に打たれない者の」という二つの定型句が忠実に反復されています。この繰り返しは単なる文学的技法にとどまらず、ヴェーダ朗唱の実践において、聴者の意識を段階的に高め、日常的な認識の枠組みを徐々に解体していく瞑想的機能を担います。百倍という途方もない飛躍が反復されるたびに、読者は自らの至福の概念が相対化され、無限の方向へと開かれていく体験に導かれることでしょう。
また、各段階に付される限定句が示す教えは一貫しています。天上的存在が外的な条件として享受する至福は、人間界において श्रोत्रिय (śrotriya) (聖典の知者)であり अकामहत (akāmahata) (欲望に打たれない者)であるならば、内なる体験として等しく到達し得るということです。インドラの至福に匹敵する内的至福が、ヴェーダの真理を知り離欲を成就した人間の可能性の内にある——この宣言こそが、至福の階梯の教えが単なる宇宙論的思弁ではなく、実践的な解脱の道を指し示すものであることを明かしています。
第8アヌヴァーカ 第4節
श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य । ते ये शतमिन्द्रस्याऽऽनन्दाः ।
स एको बृहस्पतेरानन्दः । श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं बृहस्पतेरानन्दाः । स एकः प्रजापतेरानन्दः ।
श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ।
ते ये शतं प्रजापतेरानन्दाः ।
स एको ब्रह्मण आनन्दः । श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य ॥ 8.4 ॥
śrotriyasya cākāmahatasya | te ye śatam indrasyā”nandāḥ |
sa eko bṛhaspater ānandaḥ | śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ bṛhaspater ānandāḥ | sa ekaḥ prajāpater ānandaḥ |
śrotriyasya cākāmahatasya |
te ye śataṃ prajāpater ānandāḥ |
sa eko brahmaṇa ānandaḥ | śrotriyasya cākāmahatasya || 8.4 ||
聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのインドラの至福の百倍が——
それが一つのブリハスパティの至福である。聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのブリハスパティの至福の百倍が——それが一つのプラジャーパティの至福である。
聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
かのプラジャーパティの至福の百倍が——
それが一つのブラフマンの至福である。聖典に通じ、欲望に打たれない者の〔至福もまた同じである〕。
-
श्रोत्रियस्य (śrotriyasya): 聖典に通じた者の(śrotriya「ヴェーダ聖典を学び通じた者」男性・単数・属格) -
चाकामहतस्य (cākāmahatasya)←च अकामहतस्य (ca akāmahatasya): そして欲望に打たれない者の(ca「そして」+ akāmahatasya「欲望に打たれない者の」男性・単数・属格)अ (a): 〜ない(否定接頭辞)काम (kāma): 欲望हत (hata): 打たれた(√han「打つ」過去受動分詞)
-
ते (te): かの(指示代名詞 tad 男性・複数・主格。「かの百倍の至福が」の主語) -
ये (ye): 〜であるところの(関係代名詞 yad 男性・複数・主格) -
शतमिन्द्रस्याऽऽनन्दाः (śatam indrasyā''nandāḥ)←शतम् इन्द्रस्य आनन्दाः (śatam indrasya ānandāḥ): インドラの百の至福が(śatam「百」中性・単数・主格/対格 + indrasya「インドラの」indra 男性・単数・属格 + ānandāḥ「至福が」ānanda 男性・複数・主格。二重アヴァグラハ ऽऽ は indrasya の語末 a と ānandāḥ の語頭長母音 ā の連声を示す) -
स (sa)←सः (saḥ): それが(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
एको (eko)←एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格) -
बृहस्पतेरानन्दः (bṛhaspater ānandaḥ)←बृहस्पतेः आनन्दः (bṛhaspateḥ ānandaḥ): ブリハスパティの至福(bṛhaspateḥ「ブリハスパティの」bṛhaspati 男性・単数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格。-eḥ + ā- → -er ā- のヴィサルガ連声)बृहस् (bṛhas): 偉大なる(bṛhat「大きい」の語幹形)पति (pati): 主、守護者
-
शतं (śataṃ)←शतम् (śatam): 百(śata「百」中性・単数・主格/対格) -
बृहस्पतेरानन्दाः (bṛhaspater ānandāḥ)←बृहस्पतेः आनन्दाः (bṛhaspateḥ ānandāḥ): ブリハスパティの至福が(bṛhaspateḥ 男性・単数・属格 + ānandāḥ 男性・複数・主格) -
एकः (ekaḥ): 一つの(eka 男性・単数・主格) -
प्रजापतेरानन्दः (prajāpater ānandaḥ)←प्रजापतेः आनन्दः (prajāpateḥ ānandaḥ): プラジャーパティの至福(prajāpateḥ「プラジャーパティの」prajāpati 男性・単数・属格 + ānandaḥ「至福」男性・単数・主格)प्रजा (prajā): 子孫、被造物पति (pati): 主、守護者
-
प्रजापतेरानन्दाः (prajāpater ānandāḥ)←प्रजापतेः आनन्दाः (prajāpateḥ ānandāḥ): プラジャーパティの至福が(prajāpateḥ 男性・単数・属格 + ānandāḥ 男性・複数・主格) -
ब्रह्मण (brahmaṇa)←ब्रह्मणः (brahmaṇaḥ): ブラフマンの(brahman「ブラフマン、絶対者」中性・単数・属格。brahmaṇaḥ の語末ヴィサルガが次の母音 ā の前で脱落した連声形) -
आनन्दः (ānandaḥ): 至福である(ānanda「至福、歓喜」男性・単数・主格)
至福の階梯——頂点への上昇
本節は、至福の階梯(आनन्दमीमांसा (ānandamīmāṃsā))の最終的な上昇を展開し、第九段階(ブリハスパティ)、第十段階(プラジャーパティ)を経て、ついに第十一段階(ブラフマン)という究極の頂点に至ります。前節末尾でインドラの至福(第八段階)が宣言され、本節はその限定句 श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) を受けて始まります。ここから先は、神話的な宇宙論の領域を離れ、宇宙そのものの根源的原理の領域へと歩みを進めます。
ブリハスパティの至福(第九段階)
インドラの至福の百倍が बृहस्पति (bṛhaspati) の至福に等しいと宣言されます。बृहस्पति (bṛhaspati) は「偉大なるものの主」を意味する複合語で、बृहत् (bṛhat) 「偉大な」と पति (pati) 「主」から構成されます。ヴェーダの伝統において、ブリハスパティは神々の師(पुरोहित (purohita))であり、祭式の知を司り、神聖な言葉(ब्रह्मन् (brahman)、ここでは中性名詞として「聖なる言葉・祈り」の意)の力によって宇宙の秩序を維持する存在です。インドラが天上界の統治者として力と支配を象徴するのに対し、ブリハスパティは聖なる知恵と祈りの力を象徴します。権力を超えて知恵が上位に位置づけられるという配列は、ウパニシャッドが一貫して掲げる「知(ज्ञान (jñāna))の至上性」を反映しています。
プラジャーパティの至福(第十段階)
ブリハスパティの至福の百倍が प्रजापति (prajāpati) 「プラジャーパティ」の至福に等しいとされます。प्रजापति (prajāpati) は प्रजा (prajā) 「子孫、被造物」と पति (pati) 「主」の複合語であり、「被造物の主」すなわち宇宙の創造主を意味します。ヴェーダ後期からブラーフマナ文献にかけて、プラジャーパティは宇宙創造の主体として崇められ、自らの苦行(तपस् (tapas))によって世界を放射した存在として描かれます。第6アヌヴァーカの सोऽकामयत। बहु स्यां प्रजायेयेति। स तपोऽतप्यत (so 'kāmayata | bahu syāṃ prajāyeyeti | sa tapo 'tapyata) 「かれは欲した——『我は多となろう、生まれ出よう』と。かれは苦行を行った」という創造記述の主語は、本ウパニシャッドの文脈ではブラフマン/アートマンそのものです。後代の伝統においてはこの創造機能がプラジャーパティの名のもとに語られることも多く、両者は深い連関を持ちますが、ここでのプラジャーパティはブラフマンの宇宙的創造機能を担う位格として理解されます。万有を生み出す創造的意志そのものの至福が、ここに措定されています。
ブラフマンの至福(第十一段階)——階梯の究極
そしてプラジャーパティの至福の百倍が ब्रह्मन् (brahman) 「ブラフマン」の至福であるという宣言をもって、至福の階梯はその究極の頂点に到達します。ब्रह्मणः आनन्दः (brahmaṇaḥ ānandaḥ) における ब्रह्मन् (brahman) は中性名詞・属格形であり、第1アヌヴァーカで सत्यं ज्ञानम् अनन्तं ब्रह्म (satyaṃ jñānam anantaṃ brahma) 「真理・知識・無限なるブラフマン」と定義された、あの究極の実在そのものを指します。
人間の至福を基準単位(1)として出発した階梯は、百倍ずつ十段階を上昇し、ブラフマンの至福は人間の至福の100の10乗倍——すなわち10の20乗倍——に達します。しかし、この数量的な表現はあくまで修辞的手法であり、ブラフマンの至福が実際に有限の倍数で測り得ることを主張するものではありません。段階的な上昇を通じて、相対的な至福がいかに精妙で広大であろうとも、それらがすべて究極の一なるブラフマンの至福の前では無に等しいことを示す教えです。
最終限定句の決定的意義
本節が श्रोत्रियस्य चाकामहतस्य (śrotriyasya cākāmahatasya) で結ばれている点は、至福の階梯全体の教えの真髄を凝縮しています。プラジャーパティの至福の百倍に等しいブラフマンの至福でさえ、「聖典に通じ、欲望に打たれない者」の至福と等しいと宣言されます。ここで階梯の構造が明らかにする真理は驚くべきものです——ブラフマンの至福は、宇宙論的な想像力の果てにある遠い彼方のものではなく、聖典の知と離欲を成就した人間の内面において、まさに今ここで体験され得るものであるということです。
この教えは、ブラフマーナンダヴァッリー全体を貫く核心的主題——ブラフマンとアートマンの同一性——と完全に呼応しています。至福の階梯の頂点であるブラフマンの至福(ब्रह्मानन्द (brahmānanda))は、五鞘の最奥にある歓喜鞘(आनन्दमय (ānandamaya))の基盤としてのブラフマンに他ならず、探究者が自己の内に発見すべき究極の実在です。次節ではこの至福の知者が五鞘を遡行的に超越していく過程が語られ、至福の階梯と五鞘の教説が統合されることになります。
第8アヌヴァーカ 第5節
स यश्चायं पुरुषे । यश्चासावादित्ये । स एकः ।
स य एवंवित् । अस्माल्लोकात्प्रेत्य ।
एतमन्नमयमात्मानमुपसङ्क्रामति ।
एतं प्राणमयमात्मानमुपसङ्क्रामति ।
एतं मनोमयमात्मानमुपसङ्क्रामति ।
एतं विज्ञानमयमात्मानमुपसङ्क्रामति ।
एतमानन्दमयमात्मानमुपसङ्क्रामति ।
तदप्येष श्लोको भवति ॥ 8.5 ॥
sa yaś cāyaṃ puruṣe | yaś cāsāv āditye | sa ekaḥ |
sa ya evaṃvit | asmāl lokāt pretya |
etam annamayam ātmānam upasaṅkrāmati |
etaṃ prāṇamayam ātmānam upasaṅkrāmati |
etaṃ manomayam ātmānam upasaṅkrāmati |
etaṃ vijñānamayam ātmānam upasaṅkrāmati |
etam ānandamayam ātmānam upasaṅkrāmati |
tad apy eṣa śloko bhavati || 8.5 ||
この人の中にある者と、かの太陽の中にある者——それは一つである。
かくのごとく知る者は、この世界を去りて、
この食物から成るアートマンに至り、
この生気から成るアートマンに至り、
この意から成るアートマンに至り、
この識別知から成るアートマンに至り、
この歓喜から成るアートマンに至る。
これについてまた次の詩節がある。
-
स (sa)←सः (saḥ): かの者は(指示代名詞 tad 男性・単数・主格。ブラフマン/アートマンを指す) -
यश्चायं (yaś cāyaṃ)←यः च अयम् (yaḥ ca ayam): 〜であるところの、そしてこの(yaḥ「〜であるところの」関係代名詞 男性・単数・主格 + ca「そして」+ ayam「この」指示代名詞 男性・単数・主格) -
पुरुषे (puruṣe): 人の中に(puruṣa「人、個体」男性・単数・処格。ここでは個々の人間の身体を指す) -
यश्चासावादित्ये (yaś cāsāv āditye)←यः च असौ आदित्ये (yaḥ ca asau āditye): そして〜であるところの、かの太陽の中にある(yaḥ「〜であるところの」関係代名詞 男性・単数・主格 + ca「そして」+ asau「かの」指示代名詞 男性・単数・主格〔遠称〕 + āditye「太陽の中に」āditya 男性・単数・処格) -
एकः (ekaḥ): 一つである(eka「一つの、同一の」男性・単数・主格) -
य (ya)←यः (yaḥ): 〜であるところの者は(関係代名詞 yad 男性・単数・主格。次の母音の前で yaḥ → ya) -
एवंवित् (evaṃvit): かくのごとく知る者(evaṃvid 男性・単数・主格。語末 -d が文末で -t に無声化)एवम् (evam): かくのごとく、このようにविद् (vid): 知る者(√vid「知る」の行為者名詞)
-
अस्माल्लोकात्प्रेत्य (asmāl lokāt pretya)←अस्मात् लोकात् प्रेत्य (asmāt lokāt pretya): この世界を去りて(asmāt「この」指示代名詞 idam 男性・単数・奪格 + lokāt「世界から」loka 男性・単数・奪格 + pretya「去りて」pra-√i「前に行く、死後に去る」絶対分詞) -
एतमन्नमयमात्मानमुपसङ्क्रामति (etam annamayam ātmānam upasaṅkrāmati)←एतम् अन्नमयम् आत्मानम् उपसङ्क्रामति (etam annamayam ātmānam upasaṅkrāmati): この食物から成るアートマンに至る(etam「この」指示代名詞 etad 男性・単数・対格 + annamayam「食物から成る」男性・単数・対格 + ātmānam「アートマンを/に」ātman 男性・単数・対格 + upasaṅkrāmati「近づき至る」upa-sam-√kram 現在・三人称・単数・パラスマイパダ。第1アヌヴァーカではअन्नरसमय (annarasamaya)「食物の精髄から成る」と表現されていた鞘を、ここではअन्नमय (annamaya)と略して指す) -
एतं प्राणमयमात्मानमुपसङ्क्रामति (etaṃ prāṇamayam ātmānam upasaṅkrāmati)←एतम् प्राणमयम् आत्मानम् उपसङ्क्रामति (etam prāṇamayam ātmānam upasaṅkrāmati): この生気から成るアートマンに至る(etam「この」男性・単数・対格 + prāṇamayam「生気から成る」男性・単数・対格 + ātmānam「アートマンを/に」男性・単数・対格 + upasaṅkrāmati「近づき至る」現在・三人称・単数) -
एतं मनोमयमात्मानमुपसङ्क्रामति (etaṃ manomayam ātmānam upasaṅkrāmati)←एतम् मनोमयम् आत्मानम् उपसङ्क्रामति (etam manomayam ātmānam upasaṅkrāmati): この意から成るアートマンに至る(etam「この」男性・単数・対格 + manomayam「意から成る」男性・単数・対格 + ātmānam「アートマンを/に」男性・単数・対格 + upasaṅkrāmati「近づき至る」現在・三人称・単数) -
एतं विज्ञानमयमात्मानमुपसङ्क्रामति (etaṃ vijñānamayam ātmānam upasaṅkrāmati)←एतम् विज्ञानमयम् आत्मानम् उपसङ्क्रामति (etam vijñānamayam ātmānam upasaṅkrāmati): この識別知から成るアートマンに至る(etam「この」男性・単数・対格 + vijñānamayam「識別知から成る」男性・単数・対格 + ātmānam「アートマンを/に」男性・単数・対格 + upasaṅkrāmati「近づき至る」現在・三人称・単数) -
एतमानन्दमयमात्मानमुपसङ्क्रामति (etam ānandamayam ātmānam upasaṅkrāmati)←एतम् आनन्दमयम् आत्मानम् उपसङ्क्रामति (etam ānandamayam ātmānam upasaṅkrāmati): この歓喜から成るアートマンに至る(etam「この」男性・単数・対格 + ānandamayam「歓喜から成る」男性・単数・対格 + ātmānam「アートマンを/に」男性・単数・対格 + upasaṅkrāmati「近づき至る」現在・三人称・単数) -
तदप्येष (tad apy eṣa)←तत् अपि एषः (tat api eṣaḥ): これについてまたこの(tad「それ」中性・単数・主格/対格 + api「もまた」不変化辞 + eṣaḥ「この」指示代名詞 男性・単数・主格) -
श्लोको (śloko)←श्लोकः (ślokaḥ): 詩節が(śloka「詩節、韻文」男性・単数・主格) -
भवति (bhavati): ある(√bhū「ある、存在する」現在・三人称・単数・パラスマイパダ)
至福の階梯と五鞘の統合——個と宇宙の同一性の宣言
本節は、第8アヌヴァーカにおける至福の階梯(आनन्दमीमांसा (ānandamīmāṃsā))の結論部であり、ブラフマーナンダヴァッリー全体の教説を一つの壮大な統合へと導く、極めて重要な転換点です。前節までの十一段階にわたる至福の上昇が宇宙論的な拡がりを描いた後、本節はその宇宙論的視野を一転して個の内面へと折り返し、五鞘の遡行的超越という実践的な道筋を提示します。
個体と太陽の同一性
冒頭の स यश्चायं पुरुषे यश्चासावादित्ये स एकः (sa yaś cāyaṃ puruṣe yaś cāsāv āditye sa ekaḥ) 「この人の中にある者と、かの太陽の中にある者——それは一つである」という宣言は、ウパニシャッド哲学の根幹をなすマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(個体)の同一性を端的に表明するものです。二つの関係代名詞 यः (yaḥ) が、それぞれ पुरुषे (puruṣe) 「人の中に」と आदित्ये (āditye) 「太陽の中に」という処格と結びつき、空間的に隔絶された二つの存在領域を並列に提示します。近称の अयम् (ayam) 「この」は自己の身体に宿るアートマンを、遠称の असौ (asau) 「かの」は太陽の中に宿る宇宙的プルシャを指しますが、स एकः (sa ekaḥ) 「それは一つである」という一句が、この空間的隔絶を完全に消滅させます。
この教えは、ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド(2.5.1以下)の「マドゥ・ヴィディヤー(蜜の教え)」や、チャーンドーギヤ・ウパニシャッド(3.13.7)の「太陽の中のプルシャと眼の中のプルシャの同一性」とも深く呼応しています。至福の階梯が人間の至福からブラフマンの至福へと上昇する壮大な宇宙論的構造を描いた直後に、この同一性が宣言されることで、ブラフマンの至福は外部の天界に求めるべきものではなく、自己の最深部にすでに存在していることが明示されます。アドヴァイタ・ヴェーダーンタの視点からは、個々の身体という限定(उपाधि (upādhi))を取り払った純粋な意識は、宇宙を照らす太陽の背後にある至高の意識と全く同一であるという究極の真理を示しています。
エーヴァムヴィドの知と五鞘の遡行
एवंवित् (evaṃvit) 「かくのごとく知る者」という表現は、ウパニシャッド文学に頻出する重要な定型句です。ここでの「かくのごとく」とは、至福の階梯の教え全体——人間の至福からブラフマンの至福に至る十一段階の上昇、そしてそのブラフマンの至福が自己の内なるアートマンと同一であること——を深く知る者を意味します。
続いて語られる五鞘の遡行は、उपसङ्क्रामति (upasaṅkrāmati) 「近づき至る」(उप (upa) + सम् (sam) + √क्रम् (√kram) 「歩む」)という動詞を五回繰り返すことで構造化されています。食物から成るアートマン(अन्नमय (annamaya))、生気から成るアートマン(प्राणमय (prāṇamaya))、意から成るアートマン(मनोमय (manomaya))、識別知から成るアートマン(विज्ञानमय (vijñānamaya))、歓喜から成るアートマン(आनन्दमय (ānandamaya))——第2アヌヴァーカから第5アヌヴァーカにかけて外側から内側へと段階的に探究された五つの鞘が、ここで同じ順序で再び列挙されます。なお、第1アヌヴァーカでは अन्नरसमय (annarasamaya) 「食物の精髄から成る」という語が用いられていましたが、本節では अन्नमय (annamaya) 「食物から成る」と簡略化されています。両者は同一の鞘を指しており、文脈に応じて使い分けられるものです。
シャンカラの注釈によれば、この उपसङ्क्रामति (upasaṅkrāmati) は「到達する」「自己として認識する」と解されます。知者は各層のアートマンを順に自己として把握し、外側の鞘から内側の鞘へと意識の焦点を深めながら、最終的に歓喜から成るアートマンに至ります。それぞれの鞘を単に否定して捨て去るのではなく、各層を自己として認識しつつ、その背後にあるより内なる自己へと歩みを進めていく過程として理解されます。この遡行は、現世における瞑想(ध्यान (dhyāna))の実践を通じた意識の段階的深化を象徴するものとも読み得るでしょう。歓喜から成るアートマンに至ることで、知者は至福の階梯の頂点であるブラフマンの至福と自己との合一を実現します。
構造的転換——至福の階梯から結語へ
末尾の तदप्येष श्लोको भवति (tad apy eṣa śloko bhavati) 「これについてまた次の詩節がある」は、ブラフマーナンダヴァッリー全体を通じて散文的論述から韻文的要約への転換を示す定型句です。本節の場合、この転換マーカーは第9アヌヴァーカの結語詩節へとつながり、第4アヌヴァーカの यतो वाचो निवर्तन्ते (yato vāco nivartante) 「言葉が退くところの」という詩句が再び現れる環状構造を完成させます。至福の階梯という壮大な知性的探究(मीमांसा (mīmāṃsā))は、ここで五鞘の教説と完全に統合され、最終的に「言葉も心も及ばぬ」ブラフマンの至福を知る者の、永遠の恐れなき境地へと収斂していきます。
第9アヌヴァーカ 第1節
यतो वाचो निवर्तन्ते । अप्राप्य मनसा सह ।
आनन्दं ब्रह्मणो विद्वान् ।
न बिभेति कुतश्चनेति ।
एतꣳह वाव न तपति ।
किमहꣳसाधु नाकरवम् । किमहं पापमकरवमिति ।
स य एवं विद्वानेते आत्मान स्पृणुते ।
उभे ह्येवैष एते आत्मान स्पृणुते । य एवं वेद ।
इत्युपनिषत् ॥ 9.1 ॥
yato vāco nivartante | aprāpya manasā saha |
ānandaṃ brahmaṇo vidvān |
na bibheti kutaścaneti |
etaṃ ha vāva na tapati |
kim ahaṃ sādhu nākaravam | kim ahaṃ pāpam akaravam iti |
sa ya evaṃ vidvān ete ātmāna spṛṇute |
ubhe hy evaiṣa ete ātmāna spṛṇute | ya evaṃ veda |
ity upaniṣat || 9.1 ||
言葉が心とともに及ばずして退くところの——
ブラフマンの至福を知る者は、
何ものからも恐れることがない。
この者をまことに〔次の思いが〕苦しめることはない——
「なぜ私は善をなさなかったのか、なぜ私は悪をなしたのか」と。
かくのごとく知る者は、これらを自らのものとする。
まことにこの者は、これら両方を自らのものとする——かくのごとく知る者は。
これがウパニシャッドである。
-
यतः (yataḥ): 〜であるところから(関係副詞。yad の奪格形「そこから」。ブラフマンの至福を指す先行詞を受ける) -
वाचः (vācaḥ): 言葉が(vāc「言葉、発話」女性・複数・主格) -
निवर्तन्ते (nivartante): 退く、戻る(ni-√vṛt「退く、引き返す」現在・三人称・複数・アートマネーパダ) -
अप्राप्य (aprāpya): 到達せずして(a-prāpya。否定接頭辞 a + pra-√āp「到達する」の絶対分詞。「到達することなく」)अ (a): 〜ない(否定接頭辞)प्राप्य (prāpya): 到達して(pra-√āp「到達する」絶対分詞)
-
मनसा (manasā): 心とともに(manas「心、意」中性・単数・具格。vācaḥ の随伴者として「心をも伴って」の意) -
सह (saha): ともに(不変化辞。具格と結び「〜とともに」) -
आनन्दं (ānandaṃ)←आनन्दम् (ānandam): 至福を(ānanda「至福、歓喜」男性・単数・対格) -
ब्रह्मणः (brahmaṇaḥ): ブラフマンの(brahman「ブラフマン、絶対者」中性・単数・属格) -
विद्वान् (vidvān): 知る者は(√vid「知る」の完了能動分詞 vidvas の男性・単数・主格。「知恵を得た者」) -
न (na): 〜ない(否定の不変化辞) -
बिभेति (bibheti): 恐れる(√bhī「恐れる」現在・三人称・単数・パラスマイパダ。重複語根現在) -
कुतश्चनेति (kutaścaneti)←कुतः चन इति (kutaḥ cana iti): 何ものからも〜と(kutaḥ「どこから、何によって」疑問副詞の奪格形 + cana「いかなる〜も」不定詞辞 + iti「〜と」引用の不変化辞。空間的のみならず原因的にも「いかなる理由・原因からも」の意を含む) -
एतꣳह (etaṃ ha)←एतम् ह (etam ha): この者をまことに(etam「この者を」指示代名詞 etad 男性・単数・対格 + ha「まことに」強調の不変化辞。ꣳ はアヌスヴァーラの特殊表記) -
वाव (vāva): まことに、実に(強調の不変化辞) -
तपति (tapati): 苦しめる、焼く(√tap「熱する、苦しめる」現在・三人称・単数・パラスマイパダ。ここでは「悔恨が人を苦しめる」の意) -
किमहꣳसाधु (kim ahaṃ sādhu)←किम् अहम् साधु (kim aham sādhu): なぜ私は善を(kim「なぜ」副詞 + aham「私は」一人称代名詞・単数・主格 + sādhu「善、正しいこと」中性・単数・対格) -
नाकरवम् (nākaravam)←न अकरवम् (na akaravam): なさなかった(na「〜ない」+ akaravam「私はなした」√kṛ「なす」アオリスト・一人称・単数・パラスマイパダ。否定と結び「なさなかった」) -
किमहं (kim ahaṃ)←किम् अहम् (kim aham): なぜ私は(kim「なぜ」副詞 + aham「私は」一人称代名詞・単数・主格) -
पापमकरवमिति (pāpam akaravam iti)←पापम् अकरवम् इति (pāpam akaravam iti): 悪をなした〜と(pāpam「悪を」pāpa 中性・単数・対格 + akaravam「私はなした」√kṛ アオリスト・一人称・単数 + iti「〜と」引用の不変化辞) -
स (sa)←सः (saḥ): かの者は(指示代名詞 tad 男性・単数・主格) -
य (ya)←यः (yaḥ): 〜であるところの者は(関係代名詞 yad 男性・単数・主格) -
एवं (evaṃ)←एवम् (evam): かくのごとく(副詞「このように」) -
विद्वानेते (vidvān ete)←विद्वान् एते (vidvān ete): 知る者は、これらを(vidvān「知る者は」完了能動分詞 男性・単数・主格 + ete「これらを」指示代名詞 etad 中性・双数・対格) -
आत्मान (ātmāna)←आत्मानम् (ātmānam): アートマンを、自己を(ātman 男性・単数・対格。伝本は ātmāna と表記するが、文脈上 ātmānam と解される。ヴェーダ散文における語末 -m の脱落か、あるいは写本伝承上の異形の可能性がある。ここでは再帰的に「自らを」の意にも、「アートマンとして」の意にも読み得る) -
स्पृणुते (spṛṇute): 自らのものとする(√spṛ「獲得する、自らのものとする」現在・三人称・単数・アートマネーパダ。シャンカラは svīkaroti「自らのものとする」と注釈する。語根の意味には「救う」「解放する」「満たす」「勝ち取る」など幅がある) -
उभे (ubhe): 両方を(ubha「両方の」中性/女性・双数・対格。直前の二つの悔恨の思い、あるいは善と悪の二項対を指す) -
ह्येवैष (hy evaiṣa)←हि एव एषः (hi eva eṣaḥ): なぜならまことにこの者は(hi「なぜなら」因果の不変化辞 + eva「まことに」強調 + eṣaḥ「この者は」指示代名詞 男性・単数・主格) -
एते (ete): これら両方を(指示代名詞 etad 中性・双数・対格) -
वेद (veda): 知る(√vid「知る」完了・三人称・単数。現在の意味で「知る」) -
इत्युपनिषत् (ity upaniṣat)←इति उपनिषत् (iti upaniṣat): 〜と。これがウパニシャッドである(iti「〜と」引用の不変化辞 + upaniṣat「ウパニシャッド、秘義」女性・単数・主格)
結語——恐れなき者は悔恨の彼方に立つ
本節は、ブラフマーナンダヴァッリー全体の結語(उपसंहार (upasaṃhāra))であり、第2篇の教説がここに壮大な円環を閉じます。第4アヌヴァーカで初めて響いた यतो वाचो निवर्तन्ते (yato vāco nivartante) 「言葉が退くところの」という聖句が再び現れ、環状構造(ring composition)を完成させるとともに、至福の知者に訪れる究極の境地——善悪にまつわる悔恨からの完全な解放——を力強く宣言します。
環状構造の完成——「カダーチャナ」から「クタシュチャナ」へ
第4アヌヴァーカ第1節では न बिभेति कदाचन (na bibheti kadācana) 「いついかなる時も恐れない」と詠われていました。本節では न बिभेति कुतश्चन (na bibheti kutaścana) 「何ものからも恐れない」と変化しています。कदाचन (kadācana) は時間的な無限定(「いつであっても」)を、कुतश्चन (kutaścana) は原因的・空間的な無限定(「いかなる理由からも」「いかなる方面からも」)を表します。この微妙な一語の変化によって、恐れなき状態の完全性は時間的次元から因果的次元へと拡張され、あらゆる方向において完結した अभय (abhaya) 「恐れなき境地」が宣言されます。第7アヌヴァーカで説かれた अभयं प्रतिष्ठाम् (abhayaṃ pratiṣṭhām) 「恐れなき基盤」の教えが、ここで体験的真実として成就しています。
悔恨からの解放
एतं ह वाव न तपति (etaṃ ha vāva na tapati) 「この者をまことに〔次の思いが〕苦しめることはない」という宣言に続く二つの問い——किम् अहं साधु न अकरवम् (kim ahaṃ sādhu nākaravam) 「なぜ私は善をなさなかったのか」と किम् अहं पापम् अकरवम् (kim ahaṃ pāpam akaravam) 「なぜ私は悪をなしたのか」——は、人間存在の根源的な苦悩である道徳的悔恨を鮮烈に表現しています。√तप् (√tap) 「熱する、焼く」の語が示すように、善をなさなかった悔恨と悪をなした悔恨は、内なる炎のように人を焼き苦しめるものです。しかし、ブラフマンの至福を知る者は、この二重の悔恨から完全に自由です。
この教えが道徳の放棄を意味しない点には注意が必要です。知者が悔恨から解放されるのは、善悪が無意味になるからではなく、ブラフマンの知によって、行為とその果報に縛られる限定的な自己認識そのものが超越されるからです。
スプリヌテ——「自らのものとする」
स्पृणुते (spṛṇute) は √स्पृ (√spṛ) に由来するアートマネーパダ(反照態)の動詞です。シャンカラは स्वीकरोति (svīkaroti) 「自らのものとする」と注釈しますが、この語根には「獲得する」「救う」「解放する」「満たす」など複数の語義があり、解釈には幅が残ります。
उभे (ubhe) 「両方」および एते (ete) 「これら」が具体的に何を指すかについても、複数の読みが可能です。最も直接的には、直前に述べられた善をなさなかった悔い(साधु न अकरवम् (sādhu nākaravam))と悪をなした悔い(पापम् अकरवम् (pāpam akaravam))という二つの悔恨の思いを指すと読むことが自然でしょう。あるいは、善(साधु (sādhu))と悪(पाप (pāpa))という行為の二項対そのものを指すとも理解し得ます。さらに広い視野に立てば、第6アヌヴァーカの सत्यं चानृतं च (satyaṃ cānṛtaṃ ca) 「真と偽」に象徴される存在の根本的な二元性を背景に読むことも可能でしょう。いずれの解釈においても、知者がブラフマンの知によって二項対立的な認識の束縛から自由になるという教えの核心は変わりません。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド4.4.22の उभे उ हैवैष एते तरति (ubhe u haivaiṣa ete tarati) 「この者はまことにこれら両方を超える」という並行表現も、この主題の広がりを示しています。
「イティ・ウパニシャット」——秘義の封印
末尾の इत्युपनिषत् (ity upaniṣat) 「これがウパニシャッドである」は、ブラフマーナンダヴァッリー全篇の教説に対する荘厳な封印の句です。उपनिषत् (upaniṣat) は उप (upa) 「近くに」+ नि (ni) 「下に」+ √सद् (√sad) 「座す」から成り、「師の近くに座して受ける秘密の教え」を原義とします。開始のシャーンティ・マントラ सह नाववतु (saha nāvavatu) 「ともに我らを護りたまえ」で師弟が共に歩み始めた探究の旅は、ここに至って完結します。
ブラフマンの三重定義(सत्यं ज्ञानम् अनन्तम् (satyaṃ jñānam anantam))から出発し、五鞘の段階的超越を経て、至福の階梯を頂点まで駆け上り、そして個と宇宙の同一性を宣言した後——この壮大な知の旅路の終着点として、言葉も心も及ばぬブラフマンの至福を知る者が一切の悔恨と恐れから自由であるという宣言が置かれます。これこそが、ブラフマーナンダヴァッリーが伝える最も深い秘義であり、師から弟子へと受け継がれるべき究極の教えです。
言葉の果て、無限なる至福への帰還
ブラフマーナンダヴァッリー(梵歓喜の篇)の全9アヌヴァーカを通じて、私たちは一つの壮大な魂の旅に立ち会いました。それは、師と弟子が「ともに護りたまえ」と祈りを捧げるシャーンティ・マントラに始まり、「これがウパニシャッドである」という荘厳な封印の句で閉じられる、人間の意識の最深部への探究の道程です。
冒頭で高らかに宣言された सत्यं ज्ञानमनन्तं ब्रह्म (satyaṃ jñānam anantaṃ brahma) 「ブラフマンは真理であり、知識であり、無限である」という三重の定義は、本篇全体を貫く北極星のように輝いています。変化しない実在としての真理、純粋意識としての知識、一切の限定を超えた無限——この三つの光に導かれながら、テキストは読者を外なる物質世界から、内なる本質へと誘います。
その道標となるのが、五鞘(पञ्चकोश (pañcakośa))の教説です。食物の精髄から成る肉体という最も外側の鞘から、生気、意、識別知、そして歓喜の鞘(आनन्दमय (ānandamaya))へ。それぞれの鞘が鳥の姿で描写され、外鞘が内鞘によって内側から「満たされている」と繰り返し語られる構造は、真理への階梯が単なる自己否定の連鎖ではなく、より深い生命の充実へと向かう歩みであることを教えています。玉ねぎの皮を剥くように覆いを取り去った先に待つのは空虚ではなく、存在の最も凝縮された精髄たるラサ(रस (rasa))に他なりません。
また、至福の考察(आनन्दमीमांसा (ānandamīmāṃsā))においては、人間の至福を基準とし、ブラフマンの至福まで百倍ずつ上昇していくという、息を呑むような宇宙的展望が開かれます。しかし、この壮大な階梯の真の教えは、各段階で呪文のように反復される「聖典に通じ、欲望に打たれない者」という限定句の中に秘められています。すなわち、インドラやプラジャーパティさえも凌駕する究極の至福は、遥かな天上の彼方にあるのではなく、真理の知と離欲を成就した人間の内面において、まさに今この瞬間に開かれているという力強い宣言です。
「この人の中にある者と、かの太陽の中にある者——それは一つである」。この力強い言葉は、ミクロコスモスである自己の探究と、マクロコスモスである宇宙の展望が、究極的には同一の真理に帰着することを示しています。
言葉も心も及ばずして退くところのブラフマンの至福(आनन्द (ānanda))を知る者は、「いかなる時も」「何ものからも」恐れることがなく、善悪にまつわる道徳的な悔恨すらも超越した自由な境地(अभय (abhaya))に至ります。「もしこの虚空に至福がなかったならば、いったい誰が呼吸し、誰が生きるであろうか」——数千年の時を超えて響くこの問いに静かに耳を傾ける時、私たちもまた、師の足元に座して永遠の秘義に触れる歓喜を味わうことでしょう。
【サンスクリット原文出典】
Sanskrit Documents. “Taitiriya Upanishad”