取引-レイオフ-
全ての部下が上司の命令に黙って従うわけではない。その上司が代理の存在となればなおさらだ。
「貴様が魔王様の代わりだと……? ふざけるなッ! 烏滸がましいにも程がある!!」
魔王という存在が地球においてどのような位置に属するのか未だに測りかねている。
企業であれば社長か会長、部族であれば族長、都市であれば都知事県知事、国であれば首相か国家元首といったところだろう。
しかしいずれも適切ではないという感覚がある。神の御業――翻訳は意味の表層を浚うものであって完全な置換とは別物なのだろう。日本や世界各国に同じ意味を持つ職業がないから便宜上魔王と訳されているにすぎない。
故に僕は魔王の代理を名乗ることの畏れ多さを知らない。烏滸がましいと言われてもピンと来ない。
だが、それが忠誠に厚い者の逆鱗に触れる行為であることは分かっていた。要はコネ入社した新卒が社長の代わりに指揮を執ろうとしているようなものだろう。
けして良い気分ではない。それは分かる。
分かるが、その上でやるしかないのだ。強権を振りかざすのはすこぶる効率がいい。手段を選べるのは相応の余力がある時だけである。
「烏滸がましいと言われましても……私に魔王様と同等の権利を与えると仰ったのは他ならぬ魔王様自身ですよ? 私の決定に逆らうことは即ち魔王様に反旗を翻すに等しい。それはお分かりですか?」
実際は『代わりに運営する許可』を与えられただけだ。しかしそんなことは関係ない。ポジショントークは社会人の必須スキル。モラハラに問われることのない世界なのだ。グレーゾーンを突っ走るくらいはやらせてもらう。
「抜かせよ、人間風情が」
しかしパワハラの概念もないので相手もレッドゾーンを軽々と踏み越えてくる。
リーサルさんが抜き身の得物をスラリと抜いた。武術に心得のない僕でも分かるほどに洗練された所作。堂に入った構えは、道具を使うのは人間の専売特許という常識を覆すに足る。
「身の程を弁えて相応に振る舞えると思っていたが……どうやら見込み違いだったようだ。魔王様がお休みになられているのをいいことに代理を騙るなど言語道断。素っ首叩き落として沼の底に沈めてやる」
「リーサル殿!」
「ゲロルグさん、止めないでもらいたい。元より俺は協力者の召喚など賛成ではなかったのだ。我らの問題は、我らで解決するべきだ」
できなかったから召喚を行ったんだろうに。
それは口にせず、僕は笑みを浮かべた。事実だけを述べる。
「なるほど……見上げた忠誠心だと思います。その忠誠心が主を殺すということに気付けていないのは問題ですが」
「なんだと……?」
「私を殺したその後はどうなさるおつもりで? 運が悪ければあと二日で滅びかねないこのダンジョンをどう立て直すのか……実に興味がありまして」
「…………」
策などありはしない。あったら僕は喚ばれていない。先ほど挙げた二階層へ降りる案も否定している。初めから詰んでいるのだ。
「私は聞きました。協力者の召喚は前例がないと。他者の協力がなければ何もできない種族であると主張するようなものだから行われてこなかった、と。ですが……もう召喚は行われてしまった。そこでリーサルさんが私を殺したらどうなるか……分かりますか?」
「…………」
「陸匐族は協力者なんぞに縋った挙げ句、これを死なせ結果的に破滅した愚かな一族だ。魔王レイミアは上に立つ資格無き哀れな落伍者だ。周りからそう烙印を押されることは……想像に難くないはずです」
行き過ぎた暴力至上主義によって滅びかけ――しかし神によって救われた世界。
上に立つ者に求められるのは魔力を稼ぐ頭脳か、もしくは代わりに案を提示できる有能な部下だ。このダンジョンにはそれがない。リーサルさんは優秀な戦力だが、それだけでは主の格を保てない。
「私の世界でも似たような事例があります。忠義の暴走によって潰れた企業は……数え切れないほどあるんですよ。組織が崩れればその代表者の面目も丸潰れになる。リーサルさんが握っているのは――」
僕は抜き身の得物を指差した。
「その引き金です」
「…………ッ!」
ギリっと、聞いたことのない音が聞こえた。音の発信源はリーサルさんの口元だった。殺傷力を誇示するかのように生え揃った鋭い歯が軋みを上げる。どれ程の咬合力が込められた歯噛みだったのか、推測する術はない。
五指を固く握り締め身を震わせるリーサルさんの前にゲロルグさんが割り込んだ。感情を刺激しないようにという配慮の窺えるゆっくりとした所作で手を伸ばし――
「…………!」
無言で、ポンと肩を叩いた。
それだけで意図が伝わったのだろう。極限まで張り詰めていたリーサルさんの肉体と気が弛緩していく。口から漏れたのは覇気を感じさせない声だった。それはまさしく解雇を宣告されたサラリーマンの如し。
「俺はもう、必要とされていないのか」
「今は、の話ゲロ。リーサル殿は間違いなくこのダンジョンに貢献してきたゲロ。人間どもが腑抜けているのが悪いんでゲロ」
「どのみち、必要とされていないのは同じことではないか……」
「ゲロ……」
まずいな。想像以上に士気が落ちている。
僕はポンと手を叩いた。営業スマイルを浮かべる。
「ではこうしましょう。リーサルさん、あなたは一年後にこのダンジョンへ戻って来てください。その時に経営状況が回復していたら再度雇い入れるというのはどうでしょう? もちろんその時はこちらが指示する仕事の内容に従ってもらうことになりますが」
一時解雇という制度がある。業績が回復したら再雇用することを前提に行う解雇のことだ。
日本では解雇権濫用法理もあり定着していない制度だが、海外ではそれなりに行われていると聞く。正式な法のない異世界なら口約束みたいなものだが、それでも両者の合意とメリットがあるならば通用するだろう。
「……経営が回復していれば、だと? 勘違いするなよ人間。俺をダンジョンから追い出すからには死ぬ気で成果を上げろ。駄目だったでは済まさんぞ」
「ええ。言われるまでもなく」
「……乗ってやる。一年後にまた来よう。そこまでの大口を叩いたのだ。もしも情けない惨状を晒していようものなら」
リーサルさんが肉厚の刃の切っ先を僕の喉元へ突き付けた。
「今度こそ素っ首叩き落としてやるぞ」
「そちらこそ、私がダンジョンを立て直した時はこちらの指示に従ってくださいね」
「フン。……いこう、イデリア老」
「ええ〜? 結局儂も出ていくんかのお」
「魔王様のためです。一年後また戻りますから」
「むう……」
リーサルさんがイデリアさんをひょいと持ち上げる。人が数人は乗れるであろうサイズの亀を持ち上げる姿はなかなかに異質に映る。
おっと感心している場合ではない。僕はパネルを呼び出して紙とペンを創り出した。102Pか……まあ経費で計上してくれるだろう。
「待ってくださいリーサルさん。この紙に『自分の意思で出ていくこと』と『一年後に戻ってくること』を記載してサインをいただいてもよろしいですか? 魔王レイミアさんへの証明としますので」
「……さっと出ていこうと思ったのに締まらねぇな、オイ」
リーサルさんがサッとペンを走らせる。その筆跡はどう見ても日本語のそれではなかったが、手渡された紙に書かれているのは見覚えのある漢字とひらがな、そしてカタカナの名前であった。
もういちいち疑問を覚えることすら億劫だ。割り切ろう。そういう世界なのだと。
「ではまた一年後に」
「お達者でゲロ」
「出ていきたくないのお〜」
別れを済ませたリーサルさんとイデリアさんがシュンと虚空に消えていく。ダンジョン内では魔物たちは好きなところに転移できるらしい。もはや何でもありだ。原始人が未来の日本に飛んできたら同じことを思うのだろうが。
「……ゲロ。必要なこととはいえ、やはり心が痛むゲロね。寂しくもなるゲロ」
「では人員体制も刷新しましたので早速これからの話をしましょうか」
「ワタヌキハジメ様には痛む心はないんでゲロか?」
爬虫類だか両生類だか分からない種族の即席ドラマを見せられても心なんて動かないでしょ。そもそも腐敗した組織構造の改革だしね。心を痛める要素がない。
しかしそれを口にするのは宜しくない。僕は沈痛な表情を作った。
「……弊社でも似た事例が何度かあったもので少し嫌な慣れが出てしまったみたいです。配慮を欠きました」
「……そうだったんでゲロか。いやこちらも嫌味みたいな言い方になって申し訳ないゲロ」
「いえいえ、それも慣れているので」
自分が悪手を打った時は素直に謝るのは有効な手段だ。互いに頭を下げればその場は収まる。
けして頭を下げない相手もいるが、ゲロルグさんはそういう手合いではないと軽く話しただけで察せられた。ゲロルグさんを残したのはそれが理由でもある。
「しかし……慣れてるでゲロかぁ」
何か思うところがあるのか、ゲロルグさんが宙に視線を溶かして言う。
「ゲロは同族を追放するなんて経験はなかったゲロ……。ワタヌキハジメ様の元いた世界は随分と……厳しい世界だったんでゲロねえ」
ふむ。そういう見方もあるのか。純粋な驚きがある。
企業が人を切るなんてのはごく普通のことだ。慈善事業ではない以上、経営悪化に伴う足切りが発生するのは自明の理。
それが普通ではないこの世界は、見ようによっては優しい世界なのかもしれない。
「競争社会でしたからね。云万とある企業の中で生き残らなければならない分、人事も厳しくならざるを得ないんですよ」
「云万!? それは……想像ができないゲロね……」
「普通ですよ普通。まあ、そんなだから慣れてしまったみたいですね。はは」
「ゲロ……。で、でも良かったゲロよ! 危うくリーサル殿がワタヌキハジメ様を殺めてしまうのではと思ったゲロが……最終的には良い落とし所に持っていけたゲロ」
一時解雇が良い落とし所なのかは不明だが……まあ、殺されずにダンジョンから二人を転居させられたのは上出来と評していい。
先立つものが無ければ何も出来ないのだ。彼らの給料という支出を削るのはマストだった。経営健全化への大事な一歩である。
「良かったと言っていただけたなら光栄です。慣れもありますが、こういったことは得意分野……というか、ある種の自慢でもあるので」
「自慢でゲロか?」
「ええ。円満な退職の勧告といいますか……どういう言い方をすれば納得してもらえるかっていうのは常々考えているもので」
僕は営業スマイルを浮かべた。
「ささやかな自慢なんですよ。部下から会社都合退職者を出していないこと」