10年ぶり(?)に握手を交わした同郷の先輩、中曽根弘文前外相に伝えたお詫びとお願いの言葉:① | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」

10年ぶり(?)に握手を交わした同郷の先輩、中曽根弘文前外相に伝えたお詫びとお願いの言葉:①

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2026年4月14日:パート2

 15時過ぎ。高度1万メートルからのメッセージ。東京から熊本に向かう飛行機の機中で、パソコンのキーボードを叩いている。

 本日の午前中、永田町の参議院議員会館事務所で、中曽根弘文参院議員と面会した。同郷の先輩である中曽根氏は当選7回。過去に外相や文科相を歴任し、現在は自由民主党憲法改正実現本部長を務める政界の重鎮だ。

 前回のブログでも触れたが、訪問の目的は、昨年12月の衆院選で大きく変わった国会の状況を踏まえ、これまで自民党と公明党で構成されていた「温泉文化ユネスコ無形文化遺産登録推進議員連盟」の見直し案を説明し、了解を得ることだった。

 同時に、万一中東地域での混乱が長引き、群馬県を含む日本全体がエネルギー危機に見舞われた場合、政府・与党としっかり連携出来る環境を作るための後押しをお願いする狙いもあった。

 が、今回、中曽根参院議員の事務所を訪問し、10年ぶり(?)の握手を求めたのには、もっと大きな理由があった。それは、長年に渡って失われていた中曽根弘文前外相との信頼関係を再構築することだ。

 今から16年前、2010年に行われた参院自民党の議員会長選挙で、参院の改革を掲げ、同郷の先輩である中曽根弘文氏の旗のもとで共に戦った。

 もう少し具体的に言うと、自分が仲間を集め、すでに2度の主要閣僚を経験していた中曽根氏に立候補を要請した。自分と同様に、改革の必要性を強く感じていた中曽根前外相は、その場で出馬を快諾してくれた。

 この時、今も語り草になっている参院自民党会長選挙で、スクラムを組んで戦ったのが、(参院の後輩にもあたる)他ならない世耕弘成衆院議員(当時は参議院議員)だった。

 行動派の山本一太と戦略派の世耕弘成が本気でチームを組んだのだ。破壊力は抜群だった!(笑)

 激しい戦いの末、会長を決める議員総会で(大方の予想を裏切り)「同数票でくじ引き」という大接戦を制した。中曽根弘文参院自民党議員会長が誕生した瞬間だった!

 議員総会を出て、議員会館事務所で再会した世耕さんと、思わず抱き合って喜んだ。あのシーンは、今も忘れられない!何しろ、(詳細は書かないが)選挙に勝つために、生まれて初めて、某議員の前で(2人揃って)「土下座」までしたのだ!(ふう)

 にもかかわらず、(細かいことは言わないが)その後は、皆で力を合わせて生み出した中曽根議員会長を支え切れなかった。残念ながら、参院自民党の改革は、数年で頓挫した。(ため息)

 今、振り返ると、中曽根前外相にも、世耕氏を含む同志の皆さんにも、申し訳ないことをしたと思う!(反省)先日、都内の私邸で開かれた三木谷楽天会長の集まりで世耕氏に会った際、この時のことが一瞬、話題に上った。

 いろいろあったが、あの会長選挙で(一時期でも)新体制を作れたのは、中曽根弘文氏が立候補を決断してくれたからだ。あれほどの実績を積み上げていた中曽根氏以外の候補者だったら、派閥連合には到底、太刀打ち出来なかった。その意味では、同郷の先輩に感謝しなければいけないと感じている!

 数年間ではあったが、中曽根体制には大きな意味があった。当時、野党に転落していた自民党の中で、民主党が過半数を持たない参院において「狂暴な参院自民党」が大いに気を吐いていたからだ!!

 あえて「悪役」を引き受けた参院自民党の覚悟が、政権奪還の原動力になったことは間違いない!(断言)

 にもかかわらず、新たに発足した執行部の人事にも、その後の展開にも、いろいろ不満があった。政治家としての「譲れない思い」もあった。

 その結果、父親譲りの激情や猪突猛進(?)の性格も災いして(?)、同郷の「尊敬すべき先輩」であるはずの中曽根氏との関係は、すっかり冷え込んでしまった。以来、ずっと疎遠な状態が続いていた。

 そうした中、知事に就任して6年目となるこの1月に前立腺がん(ステージ2)であることが判明した。直後の記者会見で、現在の病状や今後の治療計画を公表した。

 何しろ、これまで大きな病気をしたことがなかった山本一太が、(過去のブログにも書いたように)生まれて初めて「自身の寿命が限られている!」という事実を突きつけられた。自分にとっては、ある種の衝撃だった。(ふう)

 病気を公表した後は、1日1日を「より大切に生きよう!」「お世話になった人への感謝を忘れないようにしよう!」という気持ちが強くなった。今回の前立腺がんの発覚は、自分の人生観を大きく変える出来事だった。

 そうなると(不思議なもので)、過去の自分自身の行動を、より素直かつ謙虚に見つめ直すことが出来るようになった。積もり積もった情念や怒り、思い込みの呪縛から、心が解放されていくのを日々、感じている。

 だからこそ、今回の中曽根弘文氏との面会を、関係修復の契機にしようと思い立ったのだ。

 議員連盟に関する説明を終えた後、同行していた県の部長やスタッフに「外で待ってて!」と伝え、中曽根氏と2人きりで向き合った。

 変なプライドや拘りを捨て、先ずは率直に(これまでの行動や言動を)お詫びした。加えて、これからも「厳しい試練に直面する可能性の高い群馬県」のために、ぜひ力を貸して頂きたいと伝えた。

 あ、飛行機が降下を始めた。かなり揺れて、書きにくい。この続きは、次回のブログで。