事故後からの流れ 3月17日
3月16日 (月) https://note.com/beloved_tomoka/n/n55f4f69741a2
10:00 ツアー会社M氏含む2名と会議(ホテル3階会議室)
ボートの手配は高校が独自で行ったこと
ツアー会社の添乗員はいたが、乗船せず岸辺で待機していたこと
引率教員の人数はまだ確認中であること
事故の詳細な時系列はまだ把握できていないこと
修学旅行の添乗員は計4名
添乗員の名前は現時点で教えることはできないこと
同志社国際とは20年以上の付き合いであること
12:00 帰りの便の手配
妻が遺体の搬送と家族の帰り便をJALに依頼。3連休前で空席がなくキャンセル待ちとなる。
14:10 那覇空港着の私を迎えに、妻・長女・妻の両親・M氏・教頭先生で空港へ向かう。
14:20 合流
教頭先生・妻・長女と到着ロビーで合流。教頭先生から謝罪を受ける。
私がまだ知華と直接対面できていなかったため、全員で中城海上保安部へ向かう。
15:40 海上保安部に到着
海上保安部との打ち合わせ内容:
落ち着いたら転覆現場で献花をしたい → 巡視船を出すのは難しいが方法を考えるとのこと
当日はうねりが大きかった可能性がある
船長は有効な船舶免許を持っていた
118への最初の通報者は乗船していた生徒だった
海保は救難信号を受信していない
通報は 10:16
知華が船の下から救助されたのは 11:18
救急車に乗ったのは 11:25
病院に着いたのは 11:59
死亡確認は 12:29
17:10 遺体と対面
説明を聞き終わった後、知華が安置されている部屋に移動。
こたつで昼寝をしているときの顔と変わらない。冷たい。司法解剖。手術したこともないのに。開頭、自慢の髪の毛をあんなにも大切にしてたのに。苦しかったろうに。なんで死んでるの。パパは4ヶ月も会ってなかったよ。起きなよ知華。
18:00 ホテルに移動
前日のホテルではなく、今回の旅行で知華が1泊目に泊まったホテルを妻が直接予約した。知華と同じ部屋に泊まりたく、妻が事情を伝えると、その部屋を融通してくれた。
案内してくれたホテルの部長は私たちの顔を見るなり、一緒に涙を流してくれた。
朝食会場だった場所に案内してくれたりと、ホテルの方々の優しさが心に沁みた。
19:30 最後の洋服を選ぶ
修学旅行に持って行った洋服はジーンズやぴったりした服が多く、最後に着せる服を買いに、私と妻と長女で近くのショッピングモールへ向かう。洋服、靴下、ピアスを選んだ。知華のために買ってあげる最後の洋服。
22時過ぎにホテルへ戻る。 移動手段:タクシー(自費)
3月18日につづく
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拝読しました。一言一句全て胸に迫ります。お嬢様のための最後の服を買われるところまで読み、ご心情を思うと涙が止まりませんでした。
拝読させていただきました。 涙があふれ出そうになりました。 これが「平和学習」の成果ですか?…歪んでいます。 たださなければなりません。 でなければ、再び、事故が起こるやもしれません。 自分は「平和学習」が行われる前の世代ですが、 今の学校教育の現場は歪んでいるのですね。 こ…
拝読しました。 すいません、今は泣くことしか出来ません。 心中お察しします。
同年代の姉妹を持つ父親です。 ずっと記録を拝読させて頂いております。 涙が溢れると同時に、改めて怒りが沸々と湧いてきます。 めちゃくちゃな学校。 他人の私でも言葉にしたくない「冥福を祈る」なんていう軽い言葉を、 あの校長は、最初の会見でのうのうと口にした。 身勝手な左翼活動…