創業当時の役員には、社長の八原昌照、専務取締役・奥井清澄を筆頭に、渋沢栄一の孫・渋沢正一 など、そうそうたる顔ぶれが並んでいた。これは奥井の“初対面で百年の知己のごとく親しくなる性格”が引き寄せた縁だとも言われている。
乾めんは戦後、国の厳しい食料統制のもと製造されていた。認可を受けた業者が原料の供給を受けて製造し、その加工賃を受け取る委託加工制度がとられていたのである。当時、奥井は「麺類の市場は大きい。だのに大企業がない。麺業界は忘れられた産業の谷間だ。ここで大きくなっていくことは必ずできる」と語り、麺づくりを開始した。
乾めんの委託加工制度は長くは続かず、1951年8月より自分たちで販売ルートを確保しなければならない買取加工制へと移行した。明星食品は商材拡大のため、棒状の「中華乾めん」と「茹めん」の製造を開始した。
かつては手作業で天日乾燥をしていたため、雨の気配を感じると、社員どころか客も業者も、借金取りまで一緒になって、めんを取り込んでいた。ある時、奥井は街のクリーニング屋でハンガーに吊るされた洗濯物を見て、乾燥機のアイデアをひらめいたのだという。試行錯誤の末、日本初「移行式自動乾燥装置」を完成させた。
事業がまっすぐ伸びるように、との願いを込めて「三本杉に星」をあしらったデザインを社章に制定した。
移行式自動乾燥装置の稼働以降、売上高は順調に上昇。業務用「長ひやむぎ」など業務用食品の分野にも事業を拡大したことが成長につながり、売上高が1億円を突破した。
関西で即席ラーメンブームが起こり、関東市場では極端な品不足になっていた。これまで乾めんを手がけてきた明星食品にとって、即席めんは全く新しい食品だった。
関東ではまだ即席ラーメンの存在を知らない小売店も多かった。そのため“お湯を注いで3分でラーメンが食べられる”ことを地道に説明しながらの営業だったという。「明星味付ラーメン」の存在が知られるにつれ、売り上げも順調に伸びていった。
即席ラーメンの製造を本格化させるため武蔵野工場を建設。「明星味付ラーメン」は瞬く間に人気となり、明星食品は関東でトップの生産量を誇る実力をつけていったのである。
味や品質が高く評価され、「食糧庁長官賞」を受賞。消費者から「先日ご近所の方にすすめられて貴社のラーメンを食べ、これまでの考え方を改めました。今後は明星に決め、食欲をうるおしたいと思っています」といった激励の手紙が届く程愛され、連日フル生産でも間に合わない状態が続いていた。
紙カップをどんぶり代わりにするという画期的な方法だった。カップ入り「明星叉焼麺」は、今日のカップめんの先駆けであり、後の《スープ別添付方式》のヒントにもなったのである。
「明星味付ラーメン」の増産のため、埼玉県嵐山町に大型の新工場を完成させた。地元嵐山町の期待も大きく歓迎された
従来の「味付めん」より格段に味の良い《スープ別添方式》を採用。即席めんの味の多様化を可能とするなど、現代の即席めんの基礎となる画期的な製品だった。
「支那筍入 明星ラーメン」の売れ行き好調をうけ、従来の「明星味付ラーメン」の製造を中止し、スープ別添方式に全面切り替え。市場からの評判もよい「明星味付ラーメン」からの切り替えに対し、社内でもかなり議論されたが、スープ別添方式の将来性を見据え切り替えを決意。結果、「スープ付 明星ラーメン」は生産が間に合わないほどの爆発的な売れ行きとなった。
乾めんをスタートさせたばかりの頃、奥井はすでに「将来、必ずスパゲティをやるからな」と宣言していた。製造技術研修や、調理方法習得のため、社員が半年間イタリアに派遣された。“美味しいスパゲティを日本の食卓へ”という、創業者の夢が実現されたのである。
嵐山工場に新設された、パスタ工場が完成したのもこの頃。「リッチスパゲティ」と「リッチマカロニ」の発売に向けて、明星リッチ株式会社が設立された。
職人的なアイデアの域を抜け出す必要性を強く感じていた奥井は、荒木忠郎 (東北薬科大学名誉教授) に顧間の就任を要請。これを期に、研究所の強化を図るため、武蔵野工場の跡地に実験工場を併設した研究所を建設した。
大阪本社構想の布石として、京都工場内に大阪支社を開設した。関西地区は、即席ラーメン発祥の激戦区。明星食品は精鋭10名を送り、本格的に関西地区に参入したのである。
茄めん・生めん、中華めん、ラビオリなどをルートセール事業部で取り扱うことになった。これによって、明星食品は麺の総合メーカーを歩み始めた。
発売と同時に爆発的ヒット商品に。あまりの人気に一時は原材料の乾燥ネギ、貝エキスが不足する事態にまで陥った。1972年に開催されたミュンヘンオリンピックでは、日本選手団が「明星チャルメラ」を指定して持参したというエピソードも残されており、当時の人気の程が伺える。
開発のきっかけは奥井だった。電熱器で茹めんを乾かしてみたところ、2〜3分できれいに乾いたのだという。試行錯誤を繰り返し、米菓用乾燥機の技術を応用することでノンフライめんを完成することができた。ここから、即席めんの高品質時代が幕を開けたのである。
発売時の広告のキャッチコピーは「即席めんの常識をブチ破った、生の味、明星中麺」。業界首位の座を守りながら、激しいシェア争いをしていた明星は「明星中麵」を発売。熱風乾燥によるノンフライめんの味わいが受けて、用意していた20万個がまたたく間に売り切れた。まさに、常識をブチ破る人気だった。
「のだてそば」は即席日本そばで初めてとなる熱風乾燥によるノンフライめんだった。つなぎに山芋を使い、粉末スープに「本がえし」を加えるなど、味にもとことんこだわった。
明星インターナショナルと現地企業の合弁でシンガポール明星食品株式会社を設立。シンガポールは政情が安定していることに加え、アジア、ヨーロッパ、オーストラリアを結ぶ中心に位置していること、さらには人口の60%以上が20歳以下の若い国であることなどが選定の理由であった。
最大の特長は調理された練りみそ「四川あじ味噌」にあった。1971年に発行された「暮しの手帖」に掲載された誌面企画「インスタントラーメンのたべくらべ」で、「劉昌麺」は最高点の評価を受けた。
商品や企業の在り方を考えていくため「消費者サービス室」を開設。消費者からの問い合わせに対して、迅速に対応できる体制とした。
1月5日の深夜、50歳の若さで幽界に旅立った。
1970年代に入るとスナックめんが登場。カップにお湯を注いですぐに食べられる手軽さが受け、袋めんの市場を侵食する勢いで伸びていた。ひだのついた二重紙カップが特徴的な「カップリーナ」は、発売と同時に注目を浴び、1975年5月パッケージング展で「通産省生活産業局長賞」を受賞した。
「ミニラーメン ちびろく」は、めんの量を従来の半分にし、これを6個1袋で販売した。キャッチフレーズは“おなかに合わせて食べたいだけ”。食べる時に自分で量を加減できること、原材料や包材が節約されていることなどから、時代にあったアイデア商品として歓迎された。
創立25周年という節目の年に地上9階建て、地下2階の本社ビルが、東京・原宿に完成した。本拠地が都心に築かれたことにより、企業活動はあらゆる面で効率を増した。ここから、明星食品の発展の可能性を大きく高めることになった。
この頃にはノンフライめんブームは落ち着いていたが、「めん吉」の登場によってノンフライめんブームが再燃。ピーク時には月間3千万食を出荷する大ヒットを記録した。
外食産業の方向性を模索していた明星食品は、数ある日本の伝統食の中からこの手延べうどんを選んだ。これによって、外食産業の歩みが一気に花開いた。
カップに入れたノンフライめんはまだ珍しく、発売と同時に好調な出足をみせた。3月には早くも関東地区におけるトップ銘柄に躍り出て、スナックめん市場でブランドを確立させた。
会社の設立とあわせて、アメリカでテスト販売を開始。1979年7月「O My Goodness!」は広告の世界3 大賞のひとつ、クリオ賞のパッケージデザイン部門で最優秀賞を受賞。この予想外の受賞によって、明星食品のアメリカでの知名度が一気に高まったのである。
シンガポールから商品を輸入することで、マレーシアは会社設立当初から現地販売を開始。そのため、同時期に設立したアメリカに先駆けて、現地工場の建設に着手することができた。
1950年に資本金100万円で発足した明星食品は、創立30周年の記念日を目前に証券取引市場へ上場を果たした。上場時の資本金は7億5千万円となっていた。
首都圏の百貨店に限定して、高級化路線を推し進めた「中華飯店」を発売。レトルトの具材とノンフライめんを組み合わせた「鶏手羽ラーメン」と「豚肉角煮ラーメン」は、周囲の予想を大きく覆し大盛況となった。先行2品に続けて、4月に「担担麺」、「五目ラーメン」も加わった。この「中華飯店」が、後の「中華三昧」シリーズへと進化していったのである。
中国料理の故郷、広東、北京、四川の味を継承する《本格中華の拉麺》として販売。この「中華三昧」の登場によって、即席めんの市場に高級めんブームが巻き起こった。生産が追いつかず、連日バイヤーが本社に詰めかける程の人気だった。
翌年には夏向け商品として「涼麺 (りゃんめん)」を発売し、春夏の定番商品として根付いていった。
お湯を入れてわずか60秒で麺がもどる特殊製法でつくられた「Quick-1」。市場に与えたインパクトの大きさは、「明星食品の高級即席めんのヒットをきっかけに研究開発面での競争に名乗りをあげる動きが急速に広まった」という10月14日付の日本経済新聞の記事からも伝わってくる。
全国各地のご当地ラーメンを“行った気分で味めぐり”ができる「ラーメン紀行」が登場。ユニークなコンセプトと、「中華三昧」に続く高級即席めんの深い味わいが人気となりシリーズ化した。
「胸さわぎチャーシュー (しょうゆ味) 」、「誘惑ベジタブル (チャンポン味) 」、「純情コーン (タンメン味) 」というユニークなネーミングで一気にメディアに取り上げられた。伝説となったシリーズ。
明星食品はこれを機に本格的に冷凍麺市場に参入することになった。
食品産業において顕著な成果を上げた企業に贈られる食品産業優良企業等表彰で、農林水産大臣賞を受賞した。
高級めんブームを巻き起こした「中華三昧」に、フカヒレやあわびなど、贅沢なレトルト具材の使った驚愕の「1,000円ラーメン」シリーズが登場。百貨店中心の限定発売にも関わらず、爆発的に話題をさらって人気商品となった。
茹めん・生めん類を中心に製造・販売していたルートセール事業部の事業を拡大するため、株式会社明星フレッシュを設立。
即席めんの競争は、ついに〈生タイプ即席めん〉へと突入した。明星食品初となる中華めん「夜食亭」を発売した。
総合食品メーカーとなるべく、多角化構想の一環として製パン事業を開始。株式会社フォックス ベーグル社を設立した。
「一平ちゃん」の商品名には「平成で1番のラーメンになる」という願いが込められている。このネーミングに決定するまで、当時、人気を博していた落語家「林家三平」師匠をモチーフにした「三平ちゃん」を推す営業本部長と、個性的なネーミング「一平ちゃん」に絶対の自信を持っていた新任マーケティング部長の間で激しいバトルがあった。
先行して「コクしょうゆ味」、「辛みそ味」を発売し、続けて3月に「たっぷり野菜タンメン」、5月に「こってりとんこつ味」を発売した。
カップラーメンタイプの「一平ちゃん」が登場してから2年。カップ焼きそばの「一平ちゃん夜店の焼そば」が発売された。特に消費者の興味をひきつけたのが付属の「からしマヨネーズ」。焼そばと、からしマヨネーズという異色の組み合わせにやみつきとなる人も多かった。
品質の良い商品を安定的に供給し続けるため、基幹工場の嵐山工場にてISO9002認証を取得。これによって、品質マネジメントの向上に社をあげて取り組む姿勢を示した。
創立50周年を記念して「明星 チャルメラカップ海鮮しお味」を発売した。
東京・吉祥寺の「らーめん専門店 ぶぶか」の看板メニュー「油そば」を再現し、発売と同時に話題となった。
明星食品が長年培ってきた製麺技術に、独自の乾燥技術・設備を組み合わせることで、乾燥させる際に麺やワンタンの生地にできる気泡の数や大きさを自在にコントロールできるようになった。この新技術〈スーパーノンフライ製法〉によって、業界初の「ノンフライワンタン」の開発に成功した。
「飲茶三昧」シリーズは、スープわんたんとスープ春雨で発売。スープワンタンには、<スーパーノンフライ製法>によって生まれた、ぷりっとしたのど越しのノンフライワンタン入り。この2品で本格的にカップスープ市場に参入を果たした。
明星食品独自の〈スーパーノンフライ製法〉で、ぷりぷりとした食感が特長の「ノンフライワンタン」入り。スッキリとした味わいでありながら、だしの効いたおいしいスープは、カロリーを控えたランチやおやつとして喜ばれた。
〈スーパーノンフライ製法〉の技術を結集し、麺の食感を突きつめたのが「究麺」シリーズ。「ソース焼そば」は、モチモチとした新食感の麺に。そして、「ちゃんぽん」は、ふっくら丸太で食べ応えのある、専門店のちゃんぽん麺をイメージした麺を実現させた。
新たに1分で麺が戻る〈バリカタ細麺〉を使用したカップめんを開発。歯切れの良さと伸びにくさを兼ね備えた、かための細麺は、濃厚なとんこつベースのスープに絶妙にマッチ。スープの味わいがより深まる、風味豊かな別添液体スープが人気を高めたのである。
酸辣湯麺発祥の店と言われている中国料理店「榮林」とコラボレーションした「中華三昧 赤坂榮林 酸辣湯麺」を発売。
新機能〝マヨビーム・ノズル〟でマヨネーズパックの切り口を切り開けやすく、かけやすい形に改良。誰でも細く、キレイにマヨネーズがかけられる仕様に。
高級めんブームを巻き起こした「中華三昧」シリーズの発売30周年を記念して、「広東風醤油拉麺」、「北京風塩拉麺」、「四川風味噌拉麺」がリニューアル発売された。
「ラーメンは食べたいけど、糖質が気になる」という消費者の健康志向にあわせ、麺本来のおいしさを保ちながらも“糖質50%オフ”を実現した低糖質麺「はじめ屋」を発表。健康に気を遣っている方や、ラーメンファンを中心に広く歓迎された。これが後に「ローカーボNoodles」へとつながった。
糖質50%オフを実現した、あっさりおいしいスナック感覚のヌードル。
東日本明星 埼玉工場が竣工。第2、第3工場をフルリニューアルし、最新設備の整った工場となった。
硬め・極細・ストレートを極めたノンフライ「バリカタ麺」は、豚骨ラーメン独特の粉っぽさまで表現。より濃厚で、深い味わいに仕上げられた豚骨スープは、本格的な豚骨ラーメンファンも納得の旨さとなった。
チャルメラ発売50周年のテーマは「NO CHANGE !」。商品の核ともいえる味わいはそのままに。しかし、旨みはより深く、さらにしなやかな食感の麺に仕上げた。
風味豊かなかつおだしのつゆに、大判の1枚天ぷらが贅沢に入った関東風大盛天ぷらそば。大盛りの麺とサクッとした食感の天ぷらをお手頃価格で楽しめると好評。
マーケティング部門「即席めん市場における低糖質麺の普及」
減塩意識の高まっている中、 「評判屋」をおいしさと減塩を両立した商品としてリニューアル。カップ焼そばの好調を受け、のちに袋めん、カップめんも減塩仕様で展開。
1968年の発売当初から鉄板で焼いたような香ばしさで愛され続けてきた「鉄板焼そば」。リニューアルでは、特に人気の高いふりかけが増量された。
公益社団法人日本包装技術協会主催の2019日本パッケージングコンテストにおいて、「縦型カップ麺用易開封ダンボール」が輸送包装部門賞を受賞。店頭でのオペレーション作業(品出し・陳列)が簡単に短時間でできる段ボールケースが流通現場での人出不足解消に繋がる点が評価された。
“宮崎辛麺” とは、宮崎県延岡市が発祥といわれるご当地ラーメン。唐辛子とにんにくの効いた激辛スープが辛くて旨いラーメンを「チャルメラ」で再現し、多くのファンを生み出した。
100 周年に向け、“新しい明星食品”としての取り組みをスタートさせた。100 年持続する企業を目指し、社会的価値と企業的価値の向上を両立させる CSV(Creating Shared Value:共通価値の創造) 経営の推進を強化する。
ラーメン店で食べる味を追求し、即席めんの常識を超えた麺と濃厚なスープで味わう、真のお店品質を目指して発売。即席袋めんの常識を超えた7分のゆで時間と、それによって実現可能になった麺質が最大の特長で、今までの即席めんにはない、太さ、コシ、食感を実現した。
原宿にある本社オフィスをリニューアル。
節約志向が強まる中、「“ちょうどいい”満足感が味わえる一杯」をコンセプトに発売。お手頃な価格設定なのに、カップめんの王道な味を味わえると好評。
「チャルメラ」からミニカップめんが登場。大人から子どもまで幅広い人気を博している「ちいかわ」とコラボレーションを果たし、ちいかわファンを含め多くの方に愛される商品に。
「一平ちゃん夜店の焼そば」のDNAである“挑戦”と、ご愛顧いただいている皆様への“感謝”を込めて、「マヨわずいこーぜ!」を合言葉に、1年を通じてアニバーサリーイヤーを盛り上げる企画を実施。誕生日を記念し、あの衝撃作「ショートケーキ味」も発売した。
2025年は、明星食品創立75周年、昭和100年※、「一平ちゃん夜店の焼そば」も発売30周年のアニバーサリーイヤー。
※昭和元年 (1926年12月) から換算
創業当時の役員には、社長の八原昌照、専務取締役・奥井清澄を筆頭に、渋沢栄一の孫・渋沢正一 など、そうそうたる顔ぶれが並んでいた。これは奥井の“初対面で百年の知己のごとく親しくなる性格”が引き寄せた縁だとも言われている。
乾めんは戦後、国の厳しい食料統制のもと製造されていた。認可を受けた業者が原料の供給を受けて製造し、その加工賃を受け取る委託加工制度がとられていたのである。当時、奥井は「麺類の市場は大きい。だのに大企業がない。麺業界は忘れられた産業の谷間だ。ここで大きくなっていくことは必ずできる」と語り、麺づくりを開始した。
乾めんの委託加工制度は長くは続かず、1951年8月より自分たちで販売ルートを確保しなければならない買取加工制へと移行した。明星食品は商材拡大のため、棒状の「中華乾めん」と「茹めん」の製造を開始した。
かつては手作業で天日乾燥をしていたため、雨の気配を感じると、社員どころか客も業者も、借金取りまで一緒になって、めんを取り込んでいた。ある時、奥井は街のクリーニング屋でハンガーに吊るされた洗濯物を見て、乾燥機のアイデアをひらめいたのだという。試行錯誤の末、日本初「移行式自動乾燥装置」を完成させた。
事業がまっすぐ伸びるように、との願いを込めて「三本杉に星」をあしらったデザインを社章に制定した。
移行式自動乾燥装置の稼働以降、売上高は順調に上昇。業務用「長ひやむぎ」など業務用食品の分野にも事業を拡大したことが成長につながり、売上高が1億円を突破した。
関西で即席ラーメンブームが起こり、関東市場では極端な品不足になっていた。これまで乾めんを手がけてきた明星食品にとって、即席めんは全く新しい食品だった。
関東ではまだ即席ラーメンの存在を知らない小売店も多かった。そのため“お湯を注いで3分でラーメンが食べられる”ことを地道に説明しながらの営業だったという。「明星味付ラーメン」の存在が知られるにつれ、売り上げも順調に伸びていった。
即席ラーメンの製造を本格化させるため武蔵野工場を建設。「明星味付ラーメン」は瞬く間に人気となり、明星食品は関東でトップの生産量を誇る実力をつけていったのである。
味や品質が高く評価され、「食糧庁長官賞」を受賞。消費者から「先日ご近所の方にすすめられて貴社のラーメンを食べ、これまでの考え方を改めました。今後は明星に決め、食欲をうるおしたいと思っています」といった激励の手紙が届く程愛され、連日フル生産でも間に合わない状態が続いていた。
紙カップをどんぶり代わりにするという画期的な方法だった。カップ入り「明星叉焼麺」は、今日のカップめんの先駆けであり、後の《スープ別添付方式》のヒントにもなったのである。
「明星味付ラーメン」の増産のため、埼玉県嵐山町に大型の新工場を完成させた。地元嵐山町の期待も大きく歓迎された
従来の「味付めん」より格段に味の良い《スープ別添方式》を採用。即席めんの味の多様化を可能とするなど、現代の即席めんの基礎となる画期的な製品だった。
「支那筍入 明星ラーメン」の売れ行き好調をうけ、従来の「明星味付ラーメン」の製造を中止し、スープ別添方式に全面切り替え。市場からの評判もよい「明星味付ラーメン」からの切り替えに対し、社内でもかなり議論されたが、スープ別添方式の将来性を見据え切り替えを決意。結果、「スープ付 明星ラーメン」は生産が間に合わないほどの爆発的な売れ行きとなった。
乾めんをスタートさせたばかりの頃、奥井はすでに「将来、必ずスパゲティをやるからな」と宣言していた。製造技術研修や、調理方法習得のため、社員が半年間イタリアに派遣された。“美味しいスパゲティを日本の食卓へ”という、創業者の夢が実現されたのである。
嵐山工場に新設された、パスタ工場が完成したのもこの頃。「リッチスパゲティ」と「リッチマカロニ」の発売に向けて、明星リッチ株式会社が設立された。
職人的なアイデアの域を抜け出す必要性を強く感じていた奥井は、荒木忠郎 (東北薬科大学名誉教授) に顧間の就任を要請。これを期に、研究所の強化を図るため、武蔵野工場の跡地に実験工場を併設した研究所を建設した。
大阪本社構想の布石として、京都工場内に大阪支社を開設した。関西地区は、即席ラーメン発祥の激戦区。明星食品は精鋭10名を送り、本格的に関西地区に参入したのである。
茄めん・生めん、中華めん、ラビオリなどをルートセール事業部で取り扱うことになった。これによって、明星食品は麺の総合メーカーを歩み始めた。
発売と同時に爆発的ヒット商品に。あまりの人気に一時は原材料の乾燥ネギ、貝エキスが不足する事態にまで陥った。1972年に開催されたミュンヘンオリンピックでは、日本選手団が「明星チャルメラ」を指定して持参したというエピソードも残されており、当時の人気の程が伺える。
開発のきっかけは奥井だった。電熱器で茹めんを乾かしてみたところ、2〜3分できれいに乾いたのだという。試行錯誤を繰り返し、米菓用乾燥機の技術を応用することでノンフライめんを完成することができた。ここから、即席めんの高品質時代が幕を開けたのである。
発売時の広告のキャッチコピーは「即席めんの常識をブチ破った、生の味、明星中麺」。業界首位の座を守りながら、激しいシェア争いをしていた明星は「明星中麵」を発売。熱風乾燥によるノンフライめんの味わいが受けて、用意していた20万個がまたたく間に売り切れた。まさに、常識をブチ破る人気だった。
「のだてそば」は即席日本そばで初めてとなる熱風乾燥によるノンフライめんだった。つなぎに山芋を使い、粉末スープに「本がえし」を加えるなど、味にもとことんこだわった。
明星インターナショナルと現地企業の合弁でシンガポール明星食品株式会社を設立。シンガポールは政情が安定していることに加え、アジア、ヨーロッパ、オーストラリアを結ぶ中心に位置していること、さらには人口の60%以上が20歳以下の若い国であることなどが選定の理由であった。
最大の特長は調理された練りみそ「四川あじ味噌」にあった。1971年に発行された「暮しの手帖」に掲載された誌面企画「インスタントラーメンのたべくらべ」で、「劉昌麺」は最高点の評価を受けた。
商品や企業の在り方を考えていくため「消費者サービス室」を開設。消費者からの問い合わせに対して、迅速に対応できる体制とした。
1月5日の深夜、50歳の若さで幽界に旅立った。
1970年代に入るとスナックめんが登場。カップにお湯を注いですぐに食べられる手軽さが受け、袋めんの市場を侵食する勢いで伸びていた。ひだのついた二重紙カップが特徴的な「カップリーナ」は、発売と同時に注目を浴び、1975年5月パッケージング展で「通産省生活産業局長賞」を受賞した。
「ミニラーメン ちびろく」は、めんの量を従来の半分にし、これを6個1袋で販売した。キャッチフレーズは“おなかに合わせて食べたいだけ”。食べる時に自分で量を加減できること、原材料や包材が節約されていることなどから、時代にあったアイデア商品として歓迎された。
創立25周年という節目の年に地上9階建て、地下2階の本社ビルが、東京・原宿に完成した。本拠地が都心に築かれたことにより、企業活動はあらゆる面で効率を増した。ここから、明星食品の発展の可能性を大きく高めることになった。
この頃にはノンフライめんブームは落ち着いていたが、「めん吉」の登場によってノンフライめんブームが再燃。ピーク時には月間3千万食を出荷する大ヒットを記録した。
外食産業の方向性を模索していた明星食品は、数ある日本の伝統食の中からこの手延べうどんを選んだ。これによって、外食産業の歩みが一気に花開いた。
カップに入れたノンフライめんはまだ珍しく、発売と同時に好調な出足をみせた。3月には早くも関東地区におけるトップ銘柄に躍り出て、スナックめん市場でブランドを確立させた。
会社の設立とあわせて、アメリカでテスト販売を開始。1979年7月「O My Goodness!」は広告の世界3 大賞のひとつ、クリオ賞のパッケージデザイン部門で最優秀賞を受賞。この予想外の受賞によって、明星食品のアメリカでの知名度が一気に高まったのである。
シンガポールから商品を輸入することで、マレーシアは会社設立当初から現地販売を開始。そのため、同時期に設立したアメリカに先駆けて、現地工場の建設に着手することができた。
1950年に資本金100万円で発足した明星食品は、創立30周年の記念日を目前に証券取引市場へ上場を果たした。上場時の資本金は7億5千万円となっていた。
首都圏の百貨店に限定して、高級化路線を推し進めた「中華飯店」を発売。レトルトの具材とノンフライめんを組み合わせた「鶏手羽ラーメン」と「豚肉角煮ラーメン」は、周囲の予想を大きく覆し大盛況となった。先行2品に続けて、4月に「担担麺」、「五目ラーメン」も加わった。この「中華飯店」が、後の「中華三昧」シリーズへと進化していったのである。
中国料理の故郷、広東、北京、四川の味を継承する《本格中華の拉麺》として販売。この「中華三昧」の登場によって、即席めんの市場に高級めんブームが巻き起こった。生産が追いつかず、連日バイヤーが本社に詰めかける程の人気だった。
翌年には夏向け商品として「涼麺 (りゃんめん)」を発売し、春夏の定番商品として根付いていった。
お湯を入れてわずか60秒で麺がもどる特殊製法でつくられた「Quick-1」。市場に与えたインパクトの大きさは、「明星食品の高級即席めんのヒットをきっかけに研究開発面での競争に名乗りをあげる動きが急速に広まった」という10月14日付の日本経済新聞の記事からも伝わってくる。
全国各地のご当地ラーメンを“行った気分で味めぐり”ができる「ラーメン紀行」が登場。ユニークなコンセプトと、「中華三昧」に続く高級即席めんの深い味わいが人気となりシリーズ化した。
「胸さわぎチャーシュー (しょうゆ味) 」、「誘惑ベジタブル (チャンポン味) 」、「純情コーン (タンメン味) 」というユニークなネーミングで一気にメディアに取り上げられた。伝説となったシリーズ。
明星食品はこれを機に本格的に冷凍麺市場に参入することになった。
食品産業において顕著な成果を上げた企業に贈られる食品産業優良企業等表彰で、農林水産大臣賞を受賞した。
高級めんブームを巻き起こした「中華三昧」に、フカヒレやあわびなど、贅沢なレトルト具材の使った驚愕の「1,000円ラーメン」シリーズが登場。百貨店中心の限定発売にも関わらず、爆発的に話題をさらって人気商品となった。
茹めん・生めん類を中心に製造・販売していたルートセール事業部の事業を拡大するため、株式会社明星フレッシュを設立。
即席めんの競争は、ついに〈生タイプ即席めん〉へと突入した。明星食品初となる中華めん「夜食亭」を発売した。
総合食品メーカーとなるべく、多角化構想の一環として製パン事業を開始。株式会社フォックス ベーグル社を設立した。
「一平ちゃん」の商品名には「平成で1番のラーメンになる」という願いが込められている。このネーミングに決定するまで、当時、人気を博していた落語家「林家三平」師匠をモチーフにした「三平ちゃん」を推す営業本部長と、個性的なネーミング「一平ちゃん」に絶対の自信を持っていた新任マーケティング部長の間で激しいバトルがあった。
先行して「コクしょうゆ味」、「辛みそ味」を発売し、続けて3月に「たっぷり野菜タンメン」、5月に「こってりとんこつ味」を発売した。
カップラーメンタイプの「一平ちゃん」が登場してから2年。カップ焼きそばの「一平ちゃん夜店の焼そば」が発売された。特に消費者の興味をひきつけたのが付属の「からしマヨネーズ」。焼そばと、からしマヨネーズという異色の組み合わせにやみつきとなる人も多かった。
品質の良い商品を安定的に供給し続けるため、基幹工場の嵐山工場にてISO9002認証を取得。これによって、品質マネジメントの向上に社をあげて取り組む姿勢を示した。
創立50周年を記念して「明星 チャルメラカップ海鮮しお味」を発売した。
東京・吉祥寺の「らーめん専門店 ぶぶか」の看板メニュー「油そば」を再現し、発売と同時に話題となった。
明星食品が長年培ってきた製麺技術に、独自の乾燥技術・設備を組み合わせることで、乾燥させる際に麺やワンタンの生地にできる気泡の数や大きさを自在にコントロールできるようになった。この新技術〈スーパーノンフライ製法〉によって、業界初の「ノンフライワンタン」の開発に成功した。
「飲茶三昧」シリーズは、スープわんたんとスープ春雨で発売。スープワンタンには、<スーパーノンフライ製法>によって生まれた、ぷりっとしたのど越しのノンフライワンタン入り。この2品で本格的にカップスープ市場に参入を果たした。
明星食品独自の〈スーパーノンフライ製法〉で、ぷりぷりとした食感が特長の「ノンフライワンタン」入り。スッキリとした味わいでありながら、だしの効いたおいしいスープは、カロリーを控えたランチやおやつとして喜ばれた。
〈スーパーノンフライ製法〉の技術を結集し、麺の食感を突きつめたのが「究麺」シリーズ。「ソース焼そば」は、モチモチとした新食感の麺に。そして、「ちゃんぽん」は、ふっくら丸太で食べ応えのある、専門店のちゃんぽん麺をイメージした麺を実現させた。
新たに1分で麺が戻る〈バリカタ細麺〉を使用したカップめんを開発。歯切れの良さと伸びにくさを兼ね備えた、かための細麺は、濃厚なとんこつベースのスープに絶妙にマッチ。スープの味わいがより深まる、風味豊かな別添液体スープが人気を高めたのである。
酸辣湯麺発祥の店と言われている中国料理店「榮林」とコラボレーションした「中華三昧 赤坂榮林 酸辣湯麺」を発売。
新機能〝マヨビーム・ノズル〟でマヨネーズパックの切り口を切り開けやすく、かけやすい形に改良。誰でも細く、キレイにマヨネーズがかけられる仕様に。
高級めんブームを巻き起こした「中華三昧」シリーズの発売30周年を記念して、「広東風醤油拉麺」、「北京風塩拉麺」、「四川風味噌拉麺」がリニューアル発売された。
「ラーメンは食べたいけど、糖質が気になる」という消費者の健康志向にあわせ、麺本来のおいしさを保ちながらも“糖質50%オフ”を実現した低糖質麺「はじめ屋」を発表。健康に気を遣っている方や、ラーメンファンを中心に広く歓迎された。これが後に「ローカーボNoodles」へとつながった。
糖質50%オフを実現した、あっさりおいしいスナック感覚のヌードル。
東日本明星 埼玉工場が竣工。第2、第3工場をフルリニューアルし、最新設備の整った工場となった。
硬め・極細・ストレートを極めたノンフライ「バリカタ麺」は、豚骨ラーメン独特の粉っぽさまで表現。より濃厚で、深い味わいに仕上げられた豚骨スープは、本格的な豚骨ラーメンファンも納得の旨さとなった。
チャルメラ発売50周年のテーマは「NO CHANGE !」。商品の核ともいえる味わいはそのままに。しかし、旨みはより深く、さらにしなやかな食感の麺に仕上げた。
風味豊かなかつおだしのつゆに、大判の1枚天ぷらが贅沢に入った関東風大盛天ぷらそば。大盛りの麺とサクッとした食感の天ぷらをお手頃価格で楽しめると好評。
マーケティング部門「即席めん市場における低糖質麺の普及」
減塩意識の高まっている中、 「評判屋」をおいしさと減塩を両立した商品としてリニューアル。カップ焼そばの好調を受け、のちに袋めん、カップめんも減塩仕様で展開。
1968年の発売当初から鉄板で焼いたような香ばしさで愛され続けてきた「鉄板焼そば」。リニューアルでは、特に人気の高いふりかけが増量された。
公益社団法人日本包装技術協会主催の2019日本パッケージングコンテストにおいて、「縦型カップ麺用易開封ダンボール」が輸送包装部門賞を受賞。店頭でのオペレーション作業(品出し・陳列)が簡単に短時間でできる段ボールケースが流通現場での人出不足解消に繋がる点が評価された。
“宮崎辛麺” とは、宮崎県延岡市が発祥といわれるご当地ラーメン。唐辛子とにんにくの効いた激辛スープが辛くて旨いラーメンを「チャルメラ」で再現し、多くのファンを生み出した。
100 周年に向け、“新しい明星食品”としての取り組みをスタートさせた。100 年持続する企業を目指し、社会的価値と企業的価値の向上を両立させる CSV(Creating Shared Value:共通価値の創造) 経営の推進を強化する。
ラーメン店で食べる味を追求し、即席めんの常識を超えた麺と濃厚なスープで味わう、真のお店品質を目指して発売。即席袋めんの常識を超えた7分のゆで時間と、それによって実現可能になった麺質が最大の特長で、今までの即席めんにはない、太さ、コシ、食感を実現した。
原宿にある本社オフィスをリニューアル。
節約志向が強まる中、「“ちょうどいい”満足感が味わえる一杯」をコンセプトに発売。お手頃な価格設定なのに、カップめんの王道な味を味わえると好評。
「チャルメラ」からミニカップめんが登場。大人から子どもまで幅広い人気を博している「ちいかわ」とコラボレーションを果たし、ちいかわファンを含め多くの方に愛される商品に。
「一平ちゃん夜店の焼そば」のDNAである“挑戦”と、ご愛顧いただいている皆様への“感謝”を込めて、「マヨわずいこーぜ!」を合言葉に、1年を通じてアニバーサリーイヤーを盛り上げる企画を実施。誕生日を記念し、あの衝撃作「ショートケーキ味」も発売した。
2025年は、明星食品創立75周年、昭和100年※、「一平ちゃん夜店の焼そば」も発売30周年のアニバーサリーイヤー。
※昭和元年 (1926年12月) から換算