医師(自分も)が裁判官に怒っている理由が腹落ちして言語化出来たので良かったら読んで欲しいんですけど、これは医療とは直接は関係ないんですよ。
左右される人生の重さと裁判官という人間の人生が釣り合ってない
ということです。
裁判ってそこに量られた人間の人生をめちゃくちゃ大きく左右するじゃないですか。
生きるか死ぬかレベルで。
それが医師では特に大きいんですよ。自覚的に。つまり、裁判になることによって、せっかく積んできた人生を台無しにされる危険性があるわけです。その人生の大きさをとても強く感じているのが医師、というのが一面です。つまり、これは本当は医師に限らない。医師が自意識過剰で恥ずかしいのは認めるとしても、本来は誰の人生だってそうです。
そして、裁判官の判断はそれに見合う重さを感じない、というところが不満の根幹です。
一つの言い方としては、こっちの人生がかかってるんだから、お前も一世一代の覚悟で判断しろ。間違ってたら腹切る覚悟でやれ、ぐらいの気持ちになる、ということです。これは誰しもある程度共感出来るのではないでしょうか。もちろん、そんなことは現実的に不可能、とはいえ、じゃあそれが出来ないなら裁判官になんかなるな、裁判なんかするな、という気持ちになるのも無理はない、と私も思います。
いや、裁判官だって真剣にやっている、という言い分もあるでしょう。実際やっているのかもしれません。でも、それにしては、その判断はなんやねん、と思う判決が多い、ということです。特に医療において。
いやいやいや、それはない、と医師なら思う判決。本当に真剣にやってその判断してんのか、ちゃんと勉強したのか、勉強してそれなんか、それが人生賭けた判断と言うのか。いくらなんでも適当じゃないか。なんか私情とか、イデオロギーとか入ってないか?
もし仮にそうだとしたら、
そんな判断でこっちの人生台無しにされるのは絶対に納得がいかない
という気持ちになるわけです。
もちろん、これも医師や医療に限らないのですが、医療という専門分野は難しい
というより、その努力や思慮深さが可視化されやすい分野ということだと思います。
一般人との関わりも大きくてニュースになりやすいし、結果が人の命の問題であり影響がとても大きい。
つまり、医師が怒っているのは
裁判制度自体の、影響の重さと裁判官の覚悟が釣り合っていないこと
その努力の量も満足できるレベルではない
ということでしょう。
なので、この件に関しては医師は誇り高い一般人代表として裁判官に怒っている、と考えてもらったら良いかと思います。
じゃあ、どうしたら良いのか、ですが、結局、裁判官の判決に納得するには、裁判官が「この人に言われるなら仕方ない」と思わせる説得力を持つしかない、ということではないでしょうか。
それは知識なのか人柄なのか見た目なのか武力なのか、はわかりませんが、本来、裁判とはそういうものであるべきだ、と思います。人の人生がかかっているんで。
例えばですが、この判決に不満なら裁判官を辞めます、という覚悟があれば、まだしも納得できる。
そのために裁判官マップの口コミの役割はあると考えているのだと思います。
結局のところ、今まではこういう意見を言える場所も機会もなかったわけですが、いろいろな技術の進歩によってここまで出来るようになってしまったのです。
ITやSNSの発達もそうですが、裁判官マップのサイトは生成AIを使った、とのことでしたしAIの進歩も関与しているわけです。
時代がここまで来ると、
国民が納得できる法制度とは一体どういうものなのでしょう。そもそもそんな制度がありえるのでしょうか。
これは単なる医師と裁判官の小競り合いではなく、法治主義の本質、存在意義の根幹を問う、大きな時代の問題だと思います。