事故後からの流れ 3月16日
事故当日から私たちが実際に沖縄で経験したことを、時系列で記します。
内容は、学校、ツアー会社、海上保安部、ホテル関係者に対し、大きな誤りがないことを確認済みです。
* 4/12 20:10, 一部修正しました。
22:50 教頭先生がホテルまで同行は誤りで、生徒の様子を注視するため、生徒の待つホテルに戻る。が正しい情報です。私の修正が漏れていました。大変失礼いたしました。
調査や捜査に影響を与える可能性のある内容は省いております。
内容は主に、長女が気丈にも細かくメモをとっていたものをベースにしています。
時刻表記はおおよそのものです。
報道機関の方々へ:Noteで私が投稿するすべての文面や写真については、報道や記事において、自由に利用いただいて問題ありません。
3月16日(月)
午前中
私はインドネシアにて顧客とミーティング(日本時間 10:00〜12:00)。
妻は自宅で仕事をしていた。
12:00 第一報
妻が、一緒に船に乗っていた友人の母親から電話を受ける。
「乗っていた船が転覆して、知華ちゃんが意識不明で救急車で運ばれたみたい。学校からまだ連絡ない?沖縄に行くことになると思うから準備して。」
12:10 学校へ
妻は学校に向かいながら私に電話をかける。
「どうしよう、知華の船が転覆して意識不明で運ばれたって、どうしよう、どうしよう」
私はそこで初めて何かが起きたことを知る。
妻は学校の事務室へ入るが、「今ちょうど昼休み中で、、」という事務員の言葉を遮り、「娘の安否だけでもすぐに確認させてください!」と伝え、通される。
ニュースで流れていた情報を見て、これは知華ではないだろうと思っていた私は、「誤情報だから」「抗議船には乗っていないから」と妻を落ち着かせる言葉をかけ続ける。
12:36 訃報
校長先生含む2名が来室し、「武石知華さんが意識不明で病院に運ばれ、先ほど病院から連絡があり、12:29、死亡が確認されました」と伝えられる。
これが学校から妻への、事故に関する最初の報告だった。
妻とは通話を繋いだままにしていた。私も、電話越しに娘の死を知った。
それは本当に知華なのか。なんで。違う。信じるわけない。という心の叫びが声にならない。妻を落ち着かせる言葉も、もう出てこない。
妻はその場で、東武トップツアーズ(以下、ツアー会社)が手配する飛行機で沖縄へ向かうよう伝えられる。急ぎたいので自分で手配してよいか尋ねたが、ツアー会社手配の方が早いとのことで、決まったら再度連絡を受けることとなった。
妻は私との通話を一度切り、長女・妻の両親に連絡を入れる。
13:00
支度のため妻は一度帰宅。午後に会う予定だった友人、これから先に約束のあった顧客に、泣きながら連絡を入れる。
13:20
妻は学校から、17:30〜19:45 神戸空港-那覇便が取れたと連絡を受ける。空港までは自分で車か電車で行くよう伝えられた。今の精神状態で車の運転はとても無理だと感じ、電車を調べていたところ、連絡を受けた友人が「電車で行ったら飛び込んじゃうかもしれない。私が空港まで送っていく」と車で駆けつけてくれた。神戸空港まで送ってもらうことに。
私の飛行機は断食明け大祭の連休前で予約が難しく、日本時間 17:30 ジャカルタ発 → 翌 14:30 那覇着、2回乗り継ぎ便を自分で予約し、向かうことになった。
15:17
長女から連絡が入る。「ママは私が守るからね。安心して来てね。」
長女が 17:20〜20:10 羽田-那覇便を3席分手配。羽田で妻の両親と合流し、沖縄へ飛ぶことになった。
15:40 妻、神戸空港着。ツアー会社M氏と合流。
飛行機の待ち時間に、妻はM氏より説明を受ける。
知華の遺体は北部地区医師会病院に安置されていること
海上保安部からの事情説明が先にあるため、中城海上保安部へ向かうこと
遺体の状態を尋ねるが、M氏にもまだわからないとのこと
海上保安庁の説明よりも先に知華に会いたいと懇願。M氏が調整。
19:45 妻・M氏、那覇空港に到着
20:10 妻の両親・長女が那覇空港に到着。合流。
20:20 知華に会いに向かう
飛行機での移動中、病院にあった遺体を海上保安部に移送・安置する手配をとってくれていたため、そのまま海上保安部に向かうこととなる。
移動手段:ツアー会社手配の車 (費用は学校負担)
以下、特に記述がない場合、車での移動は、上記同様、学校が費用負担をするツアー会社手配の車となる。
21:10 海上保安部に到着
担当職員との顔合わせ後、遺体対面と説明のどちらを先にするかを確認される。乗り継ぎ待ちだった私ともオンラインで繋ぎ相談し、先に説明を受けることにした。対面直後では冷静に話を聞けないと思ったから。
海保からの説明(不確定な情報を含む、という前提のもと):
知華の発見時の状態
考えうる死因
リーフエッジ付近での転覆と思われること
遺体の状態(状況を考えればきれいであること)
死亡確認時刻
発見時から海保が行った救命措置
司法解剖が必要で、裁判所命令のため遺族は拒否できないこと
司法解剖は翌々日18日13時に終わる予定(引取り業者を決めておくこと)
実名報道がされることについて、海保が制限することはできないこと
乗船人数は定員範囲内であったこと
ケガは十数人
引率教員は乗船していなかったこと
ツアー会社の引率も乗船していなかったこと
知華が乗っていたのは「平和丸」だったこと
22:07 遺体と対面
私は乗り継ぎ便搭乗のギリギリまでオンラインで繋ぎ、ビデオ通話で遺体と対面した。顔など見える範囲の傷も、服で隠れる部分の傷も、想像より多くひどかった。「海難事故、珊瑚のリーフエッジでの事故としてはきれい」という意味だと、そのとき初めて理解した。
離陸準備となり、皆の嗚咽を聞きながら通話を切る。私は感情を鎮められないまま満席の機内へ。
妻たちは面会を終えて海上保安部を去る際、待機していた教頭先生から謝罪を受ける。教頭先生は、民泊コースの予定だった生徒たちを集めたホテルで、生徒に説明を行った後、21時ごろ、海上保安部に到着していた。
22:50
ツアー会社が手配(費用は学校負担)したホテルへ向かう。長女はショックが大きく車の中で袋に何度も嘔吐した。M氏はホテルまで同行。教頭先生は生徒達の様子を注視するため、生徒の待つホテルに戻る。
23:40 ホテルに到着
ホテル到着後、ツアー会社から知華の残した荷物を受け取る。スーツケースと、破れた段ボール。段ボールには、たたまれてもいない服と手荷物が、無造作に放り込まれていた。後から聞いた話では、知華は手荷物をバスの席に置いていたとのことなので、誰かが破れた段ボールに詰めたことになる。
軽食と飲み物を受け取る。
部屋はセミダブル4部屋。とてもそれぞれ一人で眠る気にはなれず、妻と長女、妻の両親の2組に分かれ、1夜を過ごした。
妻は夜が明けるまで、一人で遺体の搬送・葬儀社・火葬場の手配を進める。遺体の状態、司法解剖、他の子たちの精神状態を考え、京都ではなく実家近くで親族のみで葬儀を執り行うことを決めた。
3月17日につづく
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知華さんのご冥福をお祈りいたします。元気に帰ってくるはずだった修学旅行でご遺体と対面させられるご家族のお気持ち、察するに余りあります。私だったら校長・教頭をその場で殴ってしまうと思います。冷静に事実を記していかれているお父様、様々な手配をお父様ご帰国前にされたお母様、「お母さんを…
メディアの報道の少なさが本当に異様だと思います。私は総務省にインターネットによる行政相談を行いました。文科省にもしようと思います。 一人一人何か行動するべきだと思います。
本当に心を揺さぶられます。事件の真の解明が進むことを切に願っています。 今回のメディアがこたつ記事しか書けない不甲斐なさは、これまでの上から目線の傲慢さが完全に崩された結果だと思います。要は、彼らは怖いんだと思う。ここまでの圧倒的な事実を冷静につきつけられた時、伝える側の脚色や…
当該校教員の意識の無さに失望しています。 追悼メッセージと沖縄学習レポートの提出連絡を同列に扱う、一枠を空欄にしたままの新学期クラス名簿を配布するといったように、全く誠意が感じられません。 責任を負いたくないという雰囲気も伝わってきます。 同志社の良心教育はDIAで終了、中等部から…