インタビュー

「2世問題」や別姓反対から読み解く 家族と宗教はなぜ密接なのか

聞き手・田中聡子

 東京高裁から解散を命じられた旧統一教会の問題をきっかけに、献金による貧困や子どもへの虐待などの問題が注目されるようになりました。「家族が大事」と掲げることが多い宗教が、しばしば家族を壊してしまうのはなぜか。宗教とジェンダーや家族の関係に詳しい橋迫瑞穂さんに聞きました。

90年代に問題視されたこと

 ――高額献金による家族の困窮など「『家庭が大事』と言っている宗教が、家庭を崩壊させている」という状況が浮き彫りになりました。

 宗教による家族問題は、今に始まった話ではありません。宗教が家族に深く関わり、家族を通して平和で愛に満ちた世界を作ることをうたう。その教えは結婚や子育てのあり方にも及んでいく。その中で、暴力やネグレクト(育児放棄)、布教活動の強制など子どもへの虐待が起きていることは、1990年代にすでにジャーナリストやライターを中心に問題視されていました。

 90年代というのは、有名俳優の合同結婚式やオウム真理教の事件などが注目された時期です。センセーショナルに報道され、家族問題やいわゆる「2世問題」も明らかになったのですが、いつの間にか忘れ去られてしまったように思います。

 そして時を経て、安倍晋三氏の銃撃事件が起きた。あの頃しきりに「このままでは危険だ」と言われていたのに、それが教訓として生かされなかったことを思い知らされました。

 ――なぜ宗教は「家族」にこだわることが多いのでしょうか。

 多くの宗教が家族をリソースとして発展してきました。近代以降、宗教は国家や権力の土台となることから、私的な領域のものへと変化します。個人の生き方やアイデンティティーに深く関与する存在になり、特に新宗教の多くが家族の現場のさまざまな問題を解決すると説いてきました。

 例えば貧乏ならば、信者同士で助け合う。家族内の争いも家族の病も、祈りや組織的な取り組みで乗り越える。そうした実利的、現実的な利益をもたらすものとして成り立ってきたのです。「貧・病・争」の解決が新宗教の重要な役割の一つでした。

 教義の中でも、家族や家庭が重視されます。90年代に入って問題視されるようになったのは、「理想の家庭をつくることで世界をよくする」という教義によって、教団の「理想の家庭」に忠実な子育てを実践することが虐待につながったり、「あなたの子どもは世界を救うための子どもで、あなたのものではない」という教えによってネグレクト状態になってしまったりしていることでした。山上徹也被告も、ちょうどその頃子どもだった世代です。

宗教が果たした役割も

 ――子どもには酷ですね。

 ただ、宗教が家族に対して果たしてきた役割も正当に評価すべきだと思います。新宗教が「貧・病・争」の解決を重視してきたことや、伝統宗教が児童養護施設などを経営してきたことで、家族が担えない部分を補う社会的な役割を担ってきました。「内密出産」で有名な慈恵病院もカトリック系の団体が運営していますよね。家族に与えるマイナスの影響ばかりが注目されますが、プラスに働いている部分も確実にあります。

 ――選択的夫婦別姓や同性婚など家族のありようを広げる動きや性教育に反対する宗教団体もあります。

 宗教団体の運営に「伝統的な家族」の規範がフィットしている以上、「もっと自由でいいよね」「伝統的な家族なんて意味ないよね」という社会は脅威です。そして、性や生殖に関することは宗教と不可分な存在です。性の秩序を確かなものにし、教団の世界観を広げていくために宗教が口を挟むのも当たり前のことなんです。

 そして、「伝統的な家族を守る」というニーズは政治と合致します。家族が福祉や再生産を担ってくれれば国家はそれらにお金を回す必要がないですし、国家を維持することに役に立つ。家族政策などを通じた「政治と宗教のつながり」が問題視されましたが、両者の利害が一致することに何の不思議もありません。

 ――そういった家族のあり方は女性に不利益があるはずなのに、なぜ女性も宗教に飛び込むのでしょうか。

 「女性に役割を与える」ということに新宗教はとてもたけています。家族や家庭を重視する中で、「それを守るのは女性なんだ」と女性の立場や役割を強調してきました。新宗教団体には女性信者が多いと言われています。

 とはいえ、あくまでも「男性の下に女性がいる」という前提は崩れていない。男性中心主義の家族観から逸脱しないレベルでの役割です。そうではなく家族という形から個人を解放する新宗教もありますが、そこでは子どものネグレクトが発生することが多い。オウムがそうでした。

 より深刻な問題は、献金に重点を置く宗教では、地位を与えられて生きがいを見いだした女性たちが、献金での貢献にシフトしてしまうことです。生活に支障をきたし、家族に不利益を与えて、自身を滅ぼすほどのお金を捧げてしまう。でも、自分を犠牲にしてまでお金を捧げることが、生きる意味であり、自分を証明する手立てになってしまうので止まらないのです。

「2世問題」が取りこぼすもの

 ――親の信仰や献金によって人生を狂わされたという「宗教2世」の声が注目されるようになりました。

 私は実は、「2世問題」というくくり方を見直した方がいい時期に来ていると思っています。当たり前の話ですが、家族がうまくいっているか困難を抱えているかは、同じ教団であってもその状況も度合いもバラバラでグラデーションがあります。そうした個別性は無視され、「親の信仰心に巻き込まれたかわいそうな被害者」というラベルをはられてしまったように感じています。

 うまくいっている家族もいれば、親の信仰と適度な距離をとりつつ関係を維持している子どももいます。そういう2世からは、「2世だとばれたらどうしよう」とか「パートナーにどうやって伝えたらいいのか」といった声を聞きます。「宗教2世」というスティグマ(差別や偏見)の方が脅威になっていることもあるのです。

 ――「2世問題」に光が当たったこと自体は良いことだと思っていました。

 大きなラベルをはるのではなく、それぞれのケースで「何が問題なのか」を抽出する必要があります。そうしなければ、家族や2世の多様性を塗りつぶし、一人ひとりの言葉を簒奪(さんだつ)してしまうでしょう。

 山上被告も同じだと思うんです。山上被告の生い立ちや言葉は「2世問題」の象徴的な存在と受け止められています。そして、色々な物語が付与されているように見えます。でも、今の彼の語りは「司法の場」での語りです。裁判が終わって、時間がたって、自分の言葉を取り戻した時に、耳を傾ける機会があればいいなと私は思っています。時間はかかると思いますが。

     ◇

橋迫瑞穂さん

 はしさこ・みずほ 1979年生まれ。学習院大学ダイバーシティ推進準備室教授。専門は文化社会学、ジェンダーとスピリチュアリティーなど。著書に「妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ」「占いをまとう少女たち」など。

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