「目の前の人を幸せにしてあげて」――綾瀬はるかの生き方を形作る家族の言葉 #家族とわたし
そんな祖母の教えは、「なるようにしかならんけえね」だ。 「たぶんそれは、ここまで生きてきた人の言葉だな、と。自分よりも早く娘を亡くしていますし、ご近所でも同世代の人はほとんどみんな亡くなっていて。そういうことも含めて全部、『なるようにしかならんけえね』なんだと思います。一見、後ろ向きに聞こえるけれど、すごくポジティブで深い言葉。私は悩んだりすると、この言葉で切り替えられることがあります。欲をかくこともなく、日々を淡々と過ごしていこうと」 祖母は姉を原爆で亡くしている。祖母から戦争の話を聞いてきた。 「当時、食べ物がなくてどんなに大変だったかとか、『今の人は本当に幸せだよ』とか、いろいろ教わってきました。当時の記憶がよみがえってきてつらいから、本当は話したくなかった、とも言っていました」
「子育てほど面白いことはない」父の残した言葉
今は毎日のように、「おばあちゃんは元気?」と母に確認しているという。数年前に父が他界し、母のことを心配してもいる。 「父が闘病中も、母はずっとベッドの横のソファで寝ていて。『絶対に一人にしない』と。母は父のことが大好きだったので、絶対寂しいだろうなと思います。すごく心配で、1日に3回くらい電話をしていた時もありました。かけると、『お父さんがいつもそばにいて、守られている感じがして、全然寂しくないよ』と言うんです。どうかな〜と気になりつつ、兄がきっとそばで支えてくれているんだなと思っています」 綾瀬は食べ物をよそう時、父のことを思い出すそうだ。 「父はお店みたいに、ものすごくきれいによそうんです。私と母はわりと、ダバッと盛ってしまう。『お父さん、きれいに盛っていたな。気をつけよう』と思うことがあります」
厳格で、弱いところは見せない「武士」のような人だったと語る。 「もともとはキッチンをデザインする仕事をしていました。土日のお休みは、スキーとか海とか、必ずどこかに連れていってくれて。習い事もたくさんやらせてもらいました。45歳くらいの頃、会社をやめて農業を始めたんです。凝り性だから、トマトもキュウリもなんでも作って、ブドウ園も作って。65歳で引退して沖縄に移住し、お母さんと半農半漁で生きていきたいと言っていたんですが、移住する前に病気が見つかりました」 厳しくも、子どもと過ごす時間を大事にしていた。 「『子育てほど面白いことはない』とずっと言っていました。『結婚しなくていいから、一人だけでも産みなさい』って若い頃から言われていて、『どうかな〜』といつも流してきたんですけど。父が亡くなる直前、『まだ結婚してなくて不安じゃないの? 死なないで。今死んだらお父さん不安でしょ⁈』と言ったら、クスッと笑っていました」