日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に合意してから12日で30年となる。同県名護市辺野古への移設を巡っては沖縄県が法廷闘争を繰り広げ、国と対立してきた。だが司法の場で県は敗れ、工事を止める法的な手立てを失った。近年は辺野古反対を掲げる「オール沖縄」勢力も選挙で連敗。県民感情にも変化がみられる。
「辺野古の『新基地』建設は反対であるという民意が半数以上。辺野古に基地を作る必要はないと明確に申し上げたい」。県庁で10日に開かれた記者会見。オール沖縄が支持する玉城デニー知事は改めて辺野古移設阻止を強調し、9月の知事選に3選を目指して出馬する意向を示した。
「危険性除去」
市街地に囲まれ「世界一危険」と称される普天間飛行場。その返還に日米が合意したのは平成8年4月12日だった。当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が交渉を重ね、代替施設の建設と引き換えに「5~7年以内」の全面返還で合意。辺野古移設が決まったのは11年だ。当時の稲嶺恵一知事の要請に、名護市の岸本建男市長が受け入れを表明した。
辺野古沖の埋め立て案で日米両政府が合意したのは18年だが、11~18年に稲嶺知事のもとで副知事を務めた牧野浩隆氏(85)は「普天間飛行場の危険性除去という視点から見ると、辺野古移転の当初案決定は行政的に正当化できるが、『V字案』に変更となった経緯は疑問を感じる」と振り返る。