日記
前に書いている日記というのはその日の出来事があり、過去のそれに関係するようなことがあって、思いついたことがあってみたいな そういうセットだった。
今日のは本当に簡単に翻るんだろうという記録。
最近心を守れるようになってきた気がする。
自分で言うのはなんだけれど、俺はそこそこに素直な人間で、拗ねているよりかは相手の言われたことをすごく受け止めて深くキャッチしてしまう。
5年前にうつ病になって以来、現在その状態にあるのかは分からないけれど、多分違うと思っているけれど、その5年の間で扱われた経験とか仕向けられた言葉というのはどうしたって自分の心を削ってきた。
うつ病の人間というのは基本的にゴミであって、俺は病人ごときがそれに対する扱いを考えてくれなんて大きな方に言いたいわけじゃない。
単純に私の親の話だ。
人格の否定とか、まあ結局どんな言葉だって辿って行ったらそこにたどり着く、親だから子供に対して言える権力の勾配みたいなもの の行き先なんだけれど。
俺はそれは自分の心をザリザリ削ってかけさせてすごく小さくして細くしてほとんど残っていないことを、社会と比べて自分で割ってきてしまったことに最近 少し気がついてきた。
親の言うことを全部無視して未成年でタバコを吸ったり家出したりできないで ああと 反省してしまうからこうなのだけど、5年目にして20歳という年齢にして、やっとほんの少しだけ自分の心を守れるように、自分自身というものの自信とか記憶とか考えとかそういうのをほんの少しだけ守れるようになってきた気がする。
理由は何だろうか よくわからない
少しの諦めとそれでもやれることを少しやっているという手触りと、自分が過ごしてきた 苦しさという長い長い時間に対するそれに対しての親のあまりにも何も理解しないで言うような心配という皮をかぶっている、侮蔑を、それが軽いから、ほんの少しだけかわせるようになったのかも。
思ったことを言い返してもあちらが 激昂するだけだから、口をつぐむしかない。
そうすると 自己否定がたまって俺のように死にたくなるバグ人間になってしまう。
かじった 後のりんごの芯みたいになっている心をそれが暖かいのなら もう少しだけ守ってあげたい。
社会に簡単に復帰できないとしても、結局のところどこかで自殺してしまったとしても、なんとなく自分の心というのを大切にしてあげたいと思ったのだ。
言葉って言われた側は覚えていて 言った側は何も覚えていない
