カメラロール 罵倒
文章の書き方がわからなくなってきた。
カメラロールはキラキラしている。ちゃんと鬱病であったはずなんだけれども、修学旅行も球技大会の風景も、俺が好き好んでいた、2階の校舎裏のベンチからの景色。それもとびきりいい雨が降っていた日の曇天の色とか、いい写真がある。撮ったときのことは当然覚えていない。
世界を見るのはいい。時間感覚があんまりない。俺達はどんなに昔の風景でもその思いを馳せられる。でも人を見るのは少々辛い。
写ってる人のたいていが早慶くらいには行ったことに、学歴コンプレックスを感じていたときもあるけど、それよりも、俺は終わったあの時間が、ともだちが雪の中で傘をさしているのを後ろから撮ったのとか、バンドでバッキングしてくれた友達とジャージで2人でハートしてるのとか、そういうくだらなさを俺は失った。絶対にそうとはいいきれないけど、まぁだいたいの人は高田馬場で今も同じようなことやってるはずだ。それはつらい。
全部が静かな痛みだ。
喪失したわけじゃない。俺はそれを得なかった。前にも書いたけど、ガチの鬱だったときの記憶はほぼ無い。というか去年以降からしか記憶がつながっていない。
俺は17歳の俺を知らない。だから悲しいのかもしれない。
インターネットを見る。
たくさん見るのは2018年にTwitter作ったときからだろうか。正しくは家に籠るようになったからだろうか?
悪口を言う人が多い。今のnoteでいうと余分なコンテクストを含むかなと思って罵倒と書いた。こっちのほうがいい言葉だ。
俺は基本人を見下している。
悪口を言う奴は屑だと思う。それが悪口と知って本当に言っているのだろうか。自分が気持ちいから、人に言ってやるという快感、他人の舟に乗る気持ちよさを味わってないか?自慰だと思う。それも自分が陰茎を擦っていることを自覚していない自慰。
最悪〜と思う。基本的に世の中はどろどろしているんじゃないかと思ってしまう。
恥を知れって、ジジイが激昂しながら叫んでるイメージだけれど、文言通りにみんなに言いたい。自分を俯瞰することができる人間はいないのだから、恥を持つしかないのだ。
感性とはなんだろうか。俺はどんな人であれ数年経てば別人だと信じている。だからこそ功績や立場が今日を保証するのだと。
俺は誰だろうか。たまに乖離が起きて本当に分からなくなる日がある。記憶だけ入れられた人みたいな。自己対象の欠乏なのだろうか。お喋りしてくれる人を募集してます。
人生は回収されるものなんだろうか。
人間がただの動物でしかないと少しは知っている。急に終わることを。
俺は生きていて、将来に何かを望めるのだろうか。
もっと言い直すなら、俺のこの数年は何かになって帰ってくるのだろうか。あくまで病状として、死ぬのだろうか。
記憶って曖昧だ。記憶なんてなくて、今日動いたからそれを勝手に昔に結びつけているのかもしれない。
自分の中の粒くらいの、生きたいという気持ちが呼吸をさせている。風呂に入らせる。文を書かせる。
本当に死にたいし、死にたくない。
人と話すのが怖すぎてなんもできない。
エロくて可愛くて強くて旧帝出てて優しくて父性があって母性があって優しくなくて叱ってくれてなぐってくれて泣いてくれて殺してくれる人は一報ください。
そのどれか一つ当てはまってても、なにもあてはまってなくてもいいです。
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かわいい
これわかる人は本当に連絡ください
大事だった日広島焼き
すぐ消す気がする
