ベストアンサー
このベストアンサーは投票で選ばれました
なんか前に同じような質問があったような・・・。いつのまにか取り消されてましたが。 以下、その質問での私の回答のコピペ。 そんな先までは見通せないというのが一番の理由だと思いますね。 彼らの正確な年齢がわかりませんけど、蒋琬は20で世に知られ、荊州時代の劉備に仕えているので、おそらく180年末~190年くらいの生まれでしょう。 費禕もそんなに変わらないと思いますけど、劉璋には仕えてないので少し年下くらいかな。 費禕の一族の長老格だった費伯仁の姑が劉璋の母で、同族の費観の妻が劉璋の娘という劉璋の外戚ファミリーなので、普通に考えて、成人していたら劉璋に仕えたんじゃないかと思いますし・・・。 ようするに費禕で諸葛亮の10歳くらい下です、たぶん。 諸葛亮は54歳でお亡くなりなので、それより下の世代となるとまだ30代くらいで、ちょっと、はっきり言い切るのは早いでしょう。 それに、そんな先まで諸葛亮が指名しては権力構造にゆがみが生じますし。 費禕が後継者指名されたという記録は益部耆旧雑記です。おそらく益部耆旧伝のオマケか、取材段階でのメモ、あるいは旧伝には載せられないようなエピソードを纏めたものじゃないかと思いおます。 陳寿は正確性重視で、ホントかどうかわからない記録は載せないという編集方針の人っぽいですし(正史三国志がそんな感じ)。 文立のおかげで陳寿は著作郎(文書官)になれましたが、益部耆旧伝が文立の支援かどうかはわかりません。文立が益部耆旧伝を司馬炎に献上したのが陳寿の著作郎任命のきっかけにはなりました。 文立は亡き蜀の臣たちの行末を案じて、彼らを用いるように進言したりしてる人なので、その一環ではないか、と思います。 むしろ、陳寿は性格に欠点がある人であったという記録がけっこうあって、李福の子の李驤とは険悪で、李驤の仕官を妨害したなどとあり(華陽国志)、益部耆旧雑記の記録を、意図的に三国志に採用しないというなら、むしろこっちかな、という感じがします。 すでにとっくの昔に死んでいる費禕に対して、おべんちゃらを使う必要はないでしょうし、それで文立が何か得をすることもないでしょうから。
この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう
その他の回答(2件)
陳寿の諸葛亮伝や楊儀伝では後継者については蒋琬の名が挙げられているのみです、蒋琬の後に費禕を指名しているのは益部耆旧伝、益部耆旧雑記に記述がありますが、上記の書は全て陳寿の著書ですが、後に書かれた正史には費禕が蒋琬の次との記述は省かれています 蒋琬と費禕はそれ程年齢は離れていませんから蒋琬の次に費禕ってのも変な話ですし、そもそも蒋琬達の次の世代にどんな人間が育つかなど諸葛亮が預かり知る所ではないでしょうから、そんな先のやり取り自体が変です 陳寿は費禕の辟召を受けた文立の支援を受けています、益部耆旧伝等の製作も文立の意向が大きい様に思います、なので蒋琬の次に費禕ってのは、費禕を持ち上げたい文立の意向を汲んだ創作ではないかと思います なので、諸葛亮が後継者に指名したのは蒋琬のみだと思います
蒋琬、費禕の明確な生年はわかりませんが、おそらく蒋琬が180年代半ば、費禕が190年代半ばから200年頃と推定出来ます。 すると、諸葛亮の次の次である費禕は諸葛亮より20くらい歳下となり、費禕の後任者の時代は、まぁ20年後くらいと想定出来ます。 そんな先の宰相になれる人材ってのは諸葛亮の晩年では、10代後半か20そこそこな年齢なので20年後に宰相の重任を担えるかどうかなんて分かりっこないです。 費禕の後は蒋琬・費禕の時代を通じて発掘・育成していく、ってのが当然ですから、そういう意味で答えなかったんだと思いますよ。