受賞作公開!雨宮いろり『私と彼女の永遠に交わらない食卓』
ジャンプ小説新人賞2025が募集中です(~2025年7月31日まで)。今回のテーマは【知られざる一面】! 応募の詳細はこちらから。
つきましては、新人賞の募集開始を記念して、前回のテーマ【ひとりご飯】の金賞受賞作品『私と彼女の永遠に交わらない食卓』(PN 雨宮いろり)を公開いたします。ぜひご一読ください!
あらすじ
友人がおらず、家族との仲もよくない高校生の美咲は一人でしかご飯を食べることができない。あるとき、女性が獣のように食べ物を貪る動画を見つけた美咲は、その動画に映っているのが、同じクラスの伊織であると気づいて…!?
『私と彼女の永遠に交わらない食卓』 雨宮いろり
そのチャンネルは、登録者数五十人にも満たなかった。
若い女性が一人でご飯を食べているシーンだけが延々と映っている五分ほどの動画が、十本近くアップロードされている。
動画はどれも顔を出さないようにしていて、口元から下の映像しか映っていないが、長い黒髪に口元のほくろ、体のラインを感じさせる黒いトップスが、美人の気配を醸し出していた。根拠はない。
爆食いやニューバーイートの頼み放題といった、企画的要素があるわけでもない。画角は少し素人っぽくて、背後のベッドのシーツがくしゃっとしているのが気にかかる。
――でも、ひどく私の目を惹いた。
それは彼女の食べ方が、実に獣じみていたからだ。
切迫感があるというのだろうか、わかめと豆腐の味噌汁が入った椀を引っつかむ仕草は乱暴で、案の定机の上に汁が少しこぼれている。
箸で行儀悪く皿を引き寄せたかと思うと、大量のタコさんウインナーにそのまま突き刺し、二、三個まとめて口の中に放り込む。白米にはマヨネーズとしょうゆを大量にかけ、豪快にかっこむ。
噛むというよりほとんど丸呑みしているのだろう、咀嚼音はあまり聞こえず、ただ食べ物を飲み込むゴクリ、ゴクリという音が大きく響いた。
食べ終えたあとの机はいつも食べこぼしが散らばっていて、けれど食器には米粒一つ残っておらず、それが彼女の餓えを物語っているようだった。
ただ箸を持ち上げる時だけは、マナー本に載っているような手順で行っていて、その仕草の美しさと食べ方の荒々しさのギャップが、妙に心に残った。
一般的に「汚い」とされる食べ方かもしれないが、自分の本性を曝け出すような姿がいいなと思った。嘘がない。
用意されているメニューはいつも平凡な家庭料理で、量も普通だ。
ある日はキーマカレー、ある日はさんまに大根おろしを添えたもの、ある日は茄子のグラタン。どこかの家庭の夕食をそのまま持ってきましたという印象がある。
だから、大学生か社会人一年目くらいの女性が、自炊した料理を食べる姿を撮って、ついでにネットに上げているのだろうと思った。
同じクラスの、新城伊織を見るまでは。
*
新城伊織はクラス委員で、人望の厚いスーパー美女だ。
長いロングヘアはいつも完璧な手入れがほどこされ、白い肌にはニキビ一つ見当たらない。同じ制服を着ていてもこうも違うものかと唸るほどスタイルが良くて、すんなり伸びた激細の足は韓流アイドルみたいだ。十月に入って冬服になったから、濃い色のスカートがとてもよく似合っている。
そんなわけだから周りにはいつも友達がいて、教師からも信頼されていた。
その、新城伊織の、箸の持ち方が。
右手で箸を上から持ち上げ、左手を箸の下に添えてすくいあげてから、右手で持ち直す、つまりは正式な作法に則った箸の持ち方が。
動画の女性と全く同じだったのだ。
動きのスピードから、指の曲げ方まで、寸分たがわず。
信じられない気持ちで目を凝らすと、共通点が次々と見つかる。
口元のほくろの位置だとか、爪の形とか。鞄についているマスコットが、動画で映る部屋に転がっているぬいぐるみと同じだとか、髪を払う仕草だとか、色々。
思わず教室で動画を見て確認してしまった。間違いない。
理性は、新城伊織と動画の女性は、同一人物だと告げている。
けれど感情は、そんなはずがないと叫んでいた。
だって新城伊織の食べ方は、すごく綺麗だ。
箸の持ち方からも分かる通り、その仕草はいつも洗練されていて、迷いやよどみがない。ミートボールを半分に割って、静かに口に運び、食べていると感じさせないくらい微かな動きで咀嚼する。
食事というよりは、何か別の儀式みたいに見えた。
しゃらくさい言い方をすると「命をいただいている」という感じの食べ方だった。
――え、断然動画の方が好きなんだけど。
すごくすごく残念に思いながら、私はお昼の時間に食べられなかった蒸しパンを、そっと鞄の中にしまった。つぶれませんようにと祈りながら。
放課後、校舎の奥まった場所にある、旧化学準備室に向かった。
そこは私の定位置で、鍵ももらっている。
だから今日も意気揚々と鍵を開け――ようとしたら、もう鍵が開いていた。
不審に思いながらそろそろと扉を横にスライドすると、先客がいた。
新城伊織だ。
彼女がにっこり微笑んで、親しい人にするみたいに、ひらりと手を振るものだから、
「え、私のこと誰だか分かんの」
と思わず問えば、分かるよ~という軽い返事があった。
「美咲ちゃんでしょ。有川美咲ちゃん」
「うお。認知されてると思わなかった」
「同じクラスなのに」
「いや、グループ違いすぎだし、私は陰の者で新城さんはヒエラルキートップだし」
そう言いながら、私は居心地悪く重心を動かす。
「えと、何でここにいんの」
「美咲ちゃんってお昼、いつもここで食べてるの? 鍵持ってるくらいだし、美咲ちゃんの秘密基地みたいなもんかな」
質問に質問で返すな。
思っても言えない悲しい性を恨みつつ、
「ん、まあ、お昼はいつもここ、かな」
「いつも教室いないもんねー。でも今日は、スプリンクラーの一斉点検があって、教室から出ちゃ駄目って言われてたから、珍しく教室にいたよね」
「そだね」
「なんで私のことじっと見てたの?」
一瞬遅れて、へらりと防御的な笑いを浮かべた。
「ごめん、気持ち悪かったよね」
「うん」
新城伊織はにっこり笑って、私の気持ち悪さを肯定した。
「いや正直だな! まあ、そういうの嫌いじゃないけど」
少なくとも、気持ち悪くないよなんて言われるよりはいくらかマシだ。本音を隠されるというのは、憐れまれていることと同義だと思うので。
新城伊織は相変わらず美しいよそ行きの微笑みを浮かべたまま、言った。
「バレたかな、って思った」
「ん?」
「ねえ、気づいたでしょ美咲ちゃん。私がネットに動画上げてるの。私が食べてる時はずうっと観察して、そのあとすぐに答え合わせみたいにスマホ見てたし、すぐ分かったよ」
私の疑問を間違いなく射抜いてくる質問は、さすがと言うべきか何なのか。
私が分かりやすいだけなのかもしれない。なんだかな。
――でも、こんな風に自分から言ってくるってことは、隠したいわけじゃないんだ。
否定しても良かったけれど、若干の好奇心が、私に会話を続けさせる。
「んん、まあ、そうかなって思ったけど」
「なんでだろうって思った?」
「何がなんで?」
「ネットに動画を上げてるのが」
「ああー……いや、別にそれは。特になんでとかは思わなかったけど、ただ不思議なのが一つあって」
新城伊織は微笑みで私の言葉の先を促す。
――すごいな、美人は微笑み一つで人に力を授ける。
「ええとね、何で新城さんの動画は見れるんだろうって思った」
「どういうこと?」
「私さ、あんま人が食べてるとこ見るの得意じゃないんだよね。もう私が気持ち悪いって分かってるから普通に言うけど、人と一緒にご飯食べるのがたまらなくストレスなんだ」
私は、人と一緒にご飯を食べられない。
最初は咀嚼音が嫌なんだと思って、ヘッドホンを着けながらご飯を食べていたが、それでも胸がむかむかするようなストレスは治まらなかった。
そんなものだから全然ご飯が食べられなくて、中学生の頃は体重が三十数キロしかなかった。当時の写真を見返すと、鶏ガラみたいで怖いくらいだ。
家族に謝りながら自室で一人きりで食事をするようになったら、ストレスは呆気なく消え、食べられるようになり、体重は四十キロ台に到達した。
「誰かと食卓を囲む」ということ自体が、私にとっては食事もままならないほど負担なことなのだと、その時悟った。
それを新城伊織に説明すると、得心したように頷いた。
「ああ、だからお昼いつも一人」
「そうそう」
「もう一つ分かった。だから今日はご飯を食べてなかったんだ」
「うん。教室で、他人と一緒に食べたら戻しちゃいそうで、お昼は抜き」
「それで放課後ここで一人でゆっくり食べようと思った、と」
「お分かり頂けて本当に嬉しいです」
だからさっさと帰ってくれ。
言外に匂わせたつもりだったのだが、新城伊織という名の美女は、微笑みで私のノンバーバルコミュニケーションをスルーした。
「でも、私の動画は見れたんだ? あんなに下品な食べ方をしてるのに」
「ね。お昼食べてる時とは全然、大違いだ。あれはキャラなの?」
「そうね」
キャラを作る、というのは誰でもやっていることだ。動画でしか見せられない自分というのもあるんだろう。
でも新城伊織は違うことを考えていたみたいだった。
「箸の上げ下げにまで気を遣って、決して音を立てないで食べる――なんて、ほんとはやりたくないんだけどね」
「あれ? 学校の方のがキャラなの?」
「そうだよ。動画の方の私がほんと」
その言葉をどこまで信じていいものか分からなかったけれど、とりあえずクラスの人気者であるところの新城伊織が「ほんとの私」の動画を上げているというのは、興味を持つに値した。
なんと言っても、その「ほんと」を知っているのは、この私だけなのだし。
私は新城伊織から離れた場所に腰かける。
我ながら、いつでも逃げられるような位置取りであるなと思いつつ、
「結構食べ方、ワイルドだよね」
「汚い?」
「んーん、汚いっていうか……。なりふり構わないっていうか」
「確かに、下品だしマナーなんてぜんっぜんなってないよね」
「うん、そこが好きなんだけどさ」
そう言うと、新城伊織が硬直した。
フィクションみたいな硬直の仕方だった。人間の体、そんな止まる? ってくらいの。
何か固まってるなあ、早く出てってくれないかなあ、蒸しパン食べたいんだけど、と思っていると、新城伊織がおずおずと聞いてきた。
「好き、なの?」
「あー。そりゃ確かにマナーなんてなってないし、獣みたいだなーって思うんだけど」
「うん」
「嘘がないなって思う。そこが好き」
あんまり言葉を尽くすのも恥ずかしくて、私は座ったばかりなのに、もう立ち上がった。
「あの、ごめんけどもう行っていい? パン食べたくて」
「ああ…‥。うん、ばいばい」
「ばいばーい」
おお、あの新城伊織にばいばいって言ってる。新鮮だ。
もう二度とないであろう機会は、テーマパークで一番人気のキャラと運よくグリーティングできたときの感覚に似ている。
別に好きじゃないけど、人気者に優しく接せられるのは、悪くないっていうか。
そう思いながら私は部屋を出、放課後の誰もいない空きトイレに入って、心おきなく蒸しパンをむさぼった。
その夜、例のチャンネルに動画が上がった。
いつも通りの画角で、いつも通りの食事が繰り広げられる中、動画の中の女性は、最後に一瞬、手を振った。
――おお……。これは、私に宛ててなのかな? 今までの動画では手なんか振ってなかったし。マジのグリーティングじゃん。
なんだか優越感のようなものを感じて、コメント欄を初めて覗いてみた。
手を振ってくれたの、分かったよ、と伝えようかと思ったのだが、言葉にするとなんだか図々しくて陳腐な感じがして、やめた。
代わりに今までしなかった高評価をして、更には全然稼働させていなかったSNSで拡散しようとして、やっぱりやめたりなんかした。
翌朝、教室に行ってみれば、新城伊織はいつも通り私を無視した。
そりゃそうだ。陰の者とクラスで話したら陰が移る。
私は机の上に読みかけの文庫本を広げ、授業が始まるまで小説に没頭していた。
お昼になればいつも通り、旧化学準備室に向かう。そこでスマホを見ながら、自分で作ったお弁当を食べる。
マンガ読み放題アプリを入れているので、いつもそれを読みながらお昼を食べるのだが、今日は何となく動画投稿サイトに指がいった。
「……うーん、何回見ても面白い」
品行方正を絵にかいたような新城伊織。
動画の中で獣のように食べ物をかき込む女性。
どう考えても同一人物ではないのに、同一人物である。面白いな。
私はしゃけ入りの玄米おにぎりをほおばりながら、昨日上がった動画をもう一度見返す。
昨晩の新城伊織の夕飯は、きのこのどっさり入った汁ものに、白米、イカと里芋の煮たものだったらしい。
この里芋というのがぬるぬるつるつる箸から逃げるので、動画の中の新城伊織は箸をぎゅっと握り、里芋に豪快に突き刺していた。突き刺すたびに画面がぐらぐら揺れている。
「この夕飯、自分で作ってんのかな。彼女ならやってそう」
冷凍のグラタンをフォークでむちむちと食べながら、さらに動画を見進める。
びしゃっと激しい音がして、掴み損ねた里芋が皿から転がった。新城伊織は手でそれを掴み、口に放り込む。
うはは、と笑ってしまう。無人島から帰って来たばかりの人間だって、多分もっと上品に食べる。
そう思いながら、お弁当箱代わりのタッパーに敷いていたラップをくしゃっと丸めて、気づく。
「あれ、私――。人と一緒にご飯食べれたな?」
いや別に、一緒にご飯を食べたわけではないのだが。
動画であっても、とりあえず自分でない人間の食事風景を見ながらご飯が食べられた、というのは、朗報ではないだろうか。
試しに他の人の食べる系の動画も見てみようと思いながら、私は教室に戻る。
どういうわけか、いつもより体が軽い気がした。
*
その次の日も、旧化学準備室で、一人でお昼を食べていた。
十月も中旬になると、ひと気のない教室は少し寒い。ひざかけを今度持ってこよう。
午前中に返された中間テストで、間違っているところを軽くさらいながらの昼食だ。陰の者は、せめて成績が良くないと、存在価値がないのである。
せめて漢文は満点取っときたかったな、ケアレスミス減らすために、も少し見直しの時間を取らないとだな。いやでも今回の現代語訳、結構苦戦したからな。
そんなことを考えていると、スマホが振動した。
見れば新城伊織からのメッセージだった。
私と連絡先は交換していないはずだが、大方クラス全員のアカウントが追加されているトークグループで、私のアカウントを見つけたのだろう。
『今、旧化学準備室? ご飯食べ終わったなら行っても良い?』
私は少し迷ってから、スタンプで返事をした。
しばらくして、ドアが控えめにノックされる。私は居留守を使おうかと思ったのだが、
「ねえ美咲ちゃーん! あーけーてー」
「来ちゃだめって言わなかったっけ」
「あっそうなの? 返信見てなかった。ねえ、開けてくれないと上の窓から入っちゃうよ」
「ホラーかよ」
私は鍵を開けた。何か用件があるなら、とっとと切り上げたいと思った。
けれど、新城伊織の顔を見て、その気持ちが少し消えた。
彼女の顔がなんとなく、切羽詰まっているように見えたのだ。余裕がないというか、いつものような飄々とした感じがない。
新城伊織はお弁当箱を持っていた。
「ここで、食べて良い?」
そう尋ねる彼女は笑っていたけれど、笑っていなかった。
目の奥が、妙にぎらついている。指先が神経質に髪の毛をいじり、重心を何度も変えている。
――もしかしたら、なんて思って、私はわざと優しく言ってやる。
「……いいよ」
新城伊織は破顔した。
新城伊織のお弁当は、高菜の混ざったおにぎり二つに、さつまいもと鶏肉とかぶを蒸したもの、プチトマト、ほうれんそうとベーコンのソテーだった。
まず新城伊織が引っ掴んだのはおにぎりだ。両手におにぎりを持って口にねじこみ、がふ、がふと咀嚼したかと思えば、すぐに飲み込む。
白い喉がごくりと大きく動くのももどかしく、もう一つのおにぎりを手に取る。ぴちゃ、と舌を鳴らす音がやけに響いて臨場感があった。
ゆっくり食べなよ、なんて言えなかった。
新城伊織の目は獣だった。感情がない。ただお弁当箱しか見ていない。食欲を満たすことしか考えてない。私のことなんて眼中にない。
そして私は彼女の食べっぷりを、こうしてじいっと見つめている。
「……」
ほうれん草をフォークで刺した新城伊織が、勢いよく口に運ぶものだから、ベーコンのかけらが私の手元に飛んできた。
脂ぎったそれをティッシュでくるんでも、準備室の机の上には脂の後が残っていて、うへえ、と思う。欲望ってかんじだ。
口いっぱいにほおばったさつまいもは、さすがに呑み込めなかったようで、新城伊織の白い頬が、ハムスターみたいにぐもぐもと動いている。
それをようやっと飲み下し、新城伊織は吐き捨てるように言った。
「私、中間、二位だった」
「自慢?」
「一位じゃなかった」
新城伊織の言葉に私は苦笑する。
「私は十二位でも結構頑張ったなって思ったんだけど」
「へえ、美咲ちゃん意外と成績良いんだね」
「二位の人に言われても」
「二位の人。……それって、一位じゃない人ってことだよね」
「二位以下の人は皆一位じゃない人だよ」
「どうして一位って一人しかいないんだろ。二人くらいいてもよくない? だって私今回すっごくすっごく頑張ったのに」
ははん、と思った。
新城伊織の家は厳しい系なのかもしれない。あれだけ綺麗にご飯を食べられる娘を育てたのだ、成績についてもシビアなのかも。
「それに昨日も、おやつのケーキ食べてたら、マナーがなってないって。カップを持つ指先が汚いって、延々と、一時間半近く怒られてた」
「うへえ。そういう親御さんのもとだと、新城伊織が育つわけかあ」
「どういう意味」
「品行方正、色白美人が育つんだねってこと」
新城伊織は、少し上目遣いで私を見た。
「でも、美咲ちゃんが好きなのは、そういう私じゃないでしょ」
「ん? ああ、動画のやつね。うん、そっちのが好き」
「今の私も好き?」
「おむすび一気に二個食いはダイナミックだったわ。でもそれだけじゃない」
「そうなの?」
「うん、だってさあ私、新城伊織の動画を見ながらお昼食べられたもん」
「えっ」
「人が食べるところなんて、動画でも見たくなかったのにさ。でも全然平気だった。新城伊織の動画だけはね」
昨日、夕飯時に試してみたのだ。他の食事系投稿者の動画を見ながら、食事を食べられるか? ということを。
結論から言うと無理だった。
他の人の食事は、たとえ動画であっても、見ながら食事をすることができなかった。喉の奥が締めつけられて、頭が痛くなって、一口も食べられなかったのだ。
「それって……私の食べ方だけ、特別ってこと?」
「そうなるね」
「ふふ。嬉しい」
可愛らしく笑みを浮かべる新城伊織は、お弁当箱の蓋を必要以上に丁寧に閉めた。
「ていうか美咲ちゃん、いつまで私のこと新城伊織ってフルネームで呼ぶの。いい加減伊織って呼んでよ」
「永遠にフルネームだよ」
そう言うと新城伊織は少し残念そうな顔になったが、まあいいや、と言って立ち上がる。
「すっきりした! じゃあ私、行くね。今日は授業の十分前から臨時ホームルームがあるから、美咲ちゃんも早く来ないと遅刻だよ」
「ん、ありがと」
私は新城伊織を見送って、たっぷり三十秒数えてから、旧化学準備室を出た。
新城伊織と仲良くなる気なんてさらさらなかった。
確かに彼女は特別だが、こちらが特別に思っていても、向こうは特別に思っていない。非対称な関係を保てるほど、私は大人ではない。
ただクラスの人気者である新城伊織の「ほんと」を知っているのは、優越感で気持ちがいいから、付き合っているだけだ。私たちってちょっと似てるのかなとか、意外と話しやすいなとか、ちっともそんなことは思っていない。
思ってはいけない。
*
それからたびたび新城伊織は旧化学準備室を訪れ、お弁当をかっ食らって行った。
動画の中の人物が目の前でご飯を食べてくれるというのは、やはり独特のライブ感があって、見ていて飽きない。動画では目の前に米粒が飛んでくることはないからね。
新城伊織の食べ方は実にバラエティ豊かで、よくもまあこんなに色々なやり方で下品に食べられるなと感心してしまうほどだった。上品さの引き出しが多い人ほど、下品さの引き出しもまた多様なんだろうか。
これが彼女の本性か、あるいはそれに近い部分なのだと思うと、愉快な気分になる。
人は全く見た目によらないし、見た目で分からないところが面白い。
新城伊織は、動画でも私を楽しませてくれた。
週に一度くらいの投稿だった動画は、週に二度になり、三度になった。彼女の食べ方は荒々しさを増し、この間上がった動画では、コーンスープに入っていたコーンの破片がカメラにへばりついて(どうスプーンを振るったらそうなる?)見づらいことこの上なかった。
――ストレス溜まってそうだなー。
折しも私たちは高校三年生。そうでなくても大学受験だの就職だのと、胃が痛くなるようなことと向き合わなければならないのだから、新城伊織の厳しい家庭では尚更だろう。
だがさすがは新城伊織、教室における彼女の振舞いは常に完璧だった。
旧化学準備室に来ない時の新城伊織が、どういうお昼の食べ方をしているのかは知らないけれど、きっとマナー本に載るような完璧な食べ方なのだろう。コーンスープのコーンが吹っ飛ぶような悲劇は起こっていないはずだ。
――多分、動画を撮るのが良い息抜きなのかも。
ある日旧化学準備室にやってきた新城伊織は、元気そうな顔をしていた。
昨日上がった動画は確か、チョコエクレアをひたすら食べるものだった。
新城伊織はまずひたすらチョコエクレアのチョコ部分を舐め取り、ふやけたエクレアのど真ん中にかぶりつく。
ぶちゅりとこぼれる生クリームとカスタードクリームの混合物。指にまとわりつくそれを、新城伊織はじゅっと吸って、次のエクレアを掴むのだ。
今、目の前に現れた新城伊織はまるで運動してきた後みたいに頬を上気させながら、椅子にさっと座った。
今日はお弁当持参じゃないみたいだ。代わりにパックの珈琲を開けながら、弾んだ声で言った。
「何か最近、忙しいけど結構充実してるんだよね。動画も結構上げられてるし」
「うん。視聴回数も増えてきたよね」
「チャンネル登録も百人超えたよ! まあ、気持ち悪いコメントもくるようになったけどねー」
顔が見えない分、想像を掻き立てられるのだろう。確かに男性からと思しきコメントが最近目立つようになった。新城伊織にとっては、数多注がれる好意の眼差しの一部でしかないんだろうけど、私からしてみれば、顔を出さずにこれだけ人の関心を集めることができること自体がすごい。
珈琲をすすりながら、新城伊織は笑った。
「美咲ちゃんが羨ましい」
「はい?」
今、聞き捨てならない言葉を聞いた気がするが、新城伊織は意に介さず、
「なんか最初から飄々としててさ、私みたいに動画を上げなくっても、ストレスコントロールができてるみたい。受験組だっけ」
「うん。私立」
「志望校聞いてもいい?」
私が告げた学校名に、新城伊織は小首を傾げた。
「遠くない? 地方だよね」
「悪いとこじゃないよ、留学生も多いし就職率もいいし、模試の判定的に狙える範囲だし、何より独り暮らしができる。――新城伊織は志望校、東大でしょ」
「判定Cだけどね」
そうこぼした新城伊織の顔に一瞬疲れが過ぎった。
「ほんとに美咲ちゃんが羨ましい。親からのプレッシャーがすごくてさ、もう動画ばっかり撮っちゃってるもん。美咲ちゃんは私の動画好きだから嬉しいかもだけど、私は不摂生でちょっと太っちゃった」
どこか甘えるような、なじるような言い方が、妙に癪に障った。
――羨ましい? 品行方正頭脳優秀、人品卑しからぬ新城伊織が、暗さだけが特徴みたいなこの私を、羨んでる?
心を粘っこい手で撫でまわされたような気分になった。
「……ふうん? 羨ましい? ほんとかな」
「ほんとだよ。だって何か軸も決まってるし、クールっていうか」
「一人でしかご飯を食べられない私が、本当に羨ましい?」
新城伊織がはっとしたような顔になった。ようやく自分の失言に気づいたようだが、おあいにく様、逃すものか。
「本当に誰かと一緒に食べられないんだよ? 無理やり口に運んだらすぐ吐いちゃうし、家族とだってご飯が食べられない。時間をずらさないといけないからお母さんにも負担になって、申し訳ないから自分でご飯を作ってるんだよ。中学一年生くらいの時から、ずっとずっと一人でご飯食べてるんだよ?」
「あの、美咲ちゃん、ごめん」
「家族は私のこと理解してるふりしてるけど、腫れ物に触るみたいで、いつも少しうんざりされてる。一体どれだけこの子に気を遣わないといけないんだろうって。まあ顔も態度も可愛くなかったらそうなるよね、だから大学は遠い場所を選んだんだけど」
この辺で止めておくべきだったのに、言葉が止まらない。
きっと普通の人は、言いたいことをため込まないで、適度に放出しているのだろうけど、友達がいない私には、放流先がなかった。だから今、ぶちまけている。
「この状態がいずれ治るんなら思い出話にもなるかもしれない、でもこのままだったら? このままずっと、他人と食事をすると気持ち悪くて食べられない状態が続いたら、大学の飲み会なんて出られるわけないよねえ。社会人になっても同じことだよ。人間も動物も同じ空間で食事をした相手に愛着を持つし、仲良くなるって言うけど、じゃあ私は一生誰とも仲良くなれないじゃん!」
同じ釜の飯を食った仲、という。
犬猫だって、同じタイミングで餌を食べた個体とは仲良くなるという。
じゃあ私は? 誰とも一緒にご飯を食べられない私はどうなる。
今は孤食が当たり前で、スマホを見ながら一人でご飯を食べているのが良いという人もいる。でもそれは、一人で食べるか、誰かと食べるか選べる人間の話じゃないのか。
私は新城伊織を睨みつける。
「自分が幸せであることを確認したいなら、いくらだってさせてあげる。一人でいるしかない私と違って、新城伊織は幸せ。恵まれている。今後もきっと素晴らしい人生を歩むでしょう」
だから、と吐き出した私の言葉は、我ながら弱々しかった。
「私を惨めにさせないで」
嘘をつかれるのが嫌いだ。本音を言う価値もない相手だと思われるようで。本当のことを言ったら傷つく弱者なんじゃないかと思われるようで。
比較されるのが嫌いだ。比較されたら、自分が惨めで、なんにも持っていない存在だということを突きつけられるから。
友達もいない。暗くて、クラスカーストの最下位で、埋め合わせみたいに勉強をしてもせいぜい学年十位を取るくらいの平凡な頭しか持ってなくて、配られたカードがあまりにも悪すぎると文句を言う相手もいなくて。
そういうもの全部持ってる新城伊織に、羨ましがられるいわれなんかない。
なめるな。
私は旧化学準備室を出て、そのまま一度も振り返ることなく、学校を早退した。
*
新城伊織は動画を上げなくなった。少しだけ罪悪感を覚える。
ああいう野性味たっぷりの食べ方をするだけじゃなくて、動画を投稿することも彼女のストレス解消の一端を担っていたかもしれないのだ。だったらごめん。
でも、私もあれだけいらっとしたのだ。おあいこ、と考えたいところである。
もちろん、昼休みに旧化学準備室にも来なくなった。
私はいつも通り一人でお弁当を食べながら、参考書を読んでいた。何回かさらってやっと覚えたところを、もう一度頭に叩き込む。
スマホが振動した。集中力が途切れた。電源落としとけばよかったな。
そう思いながら画面を見ると、相手は新城伊織だった。
『今出られる? 放送室にいる』
ふむ。押しかけてこないところを見ると、なんとなくこれは、謝罪の感じがする。
――いや、もしかしたらこの間のことで腹を立てた新城伊織が、私をリンチしようとしているのかも。
「なんてね」
新城伊織はそういうことをするタイプじゃない。
他人を傷つけることで自分のストレスが晴れるなら、彼女はあんな食べ方をしないだろう。そのくらいは、分かるつもりだ。
返信しようか迷っていると、さらにメッセージ。
『来ないなら全校放送で、有川美咲の恥ずかしい秘密をばらすって言うよ』
ねえそれはもう脅し。
だいたい私の恥ずかしい秘密なんて、皆興味がないだろう。新城伊織の恥ずかしい秘密ならまだしも。
だが新城伊織が他人を脅すというのもレアだろう。ここはひとつ乗ってやるか。
私はスマホだけ持ってふらりと準備室を出た。放送室は廊下の端だ。
出会い頭に怒鳴られるかな、それとも謝罪されるかな。
どきどきしながら放送室の扉を開けると、そのどちらでもない対応が私を待っていた。
「はい、これ」
差し出されたものを反射的に受け取ってしまう。悪い癖。
それは手のひらに収まるほどの透明なケースだ。中にはSDカードが入っている。
私は顔を上げて、目の前の新城伊織に説明を求めた。
彼女はいつもの艶やかな笑みを浮かべておらず、真顔だった。真顔でも美人だ。
「あげるね。それ、私の動画が入ってるの」
「お、おう……。お金払った方がいい?」
「SDカード代もらってもいいけど、まあそれは慰謝料ってことで。こないだはごめんね」
さらりとスマートに謝罪され、私はふうんと思った。普通の謝罪だ。特別を求めてたわけじゃないけどさ。
「うん。いいよ」
「それでね、考えてみたの。確かに美咲ちゃんの人生は悲惨だよね。一緒にご飯を食べてくれない人間は、コミュニティの中でなかなか信頼されづらいもん」
「……新城伊織の美徳は嘘をつかないことだけど、そう他人から言われると、きついな」
自分で理解していても、他人から言われるとがっくりくる。
けれど真顔の新城伊織は、私ががっかりしている様子など気にもしていないようで、
「でもさ、悲惨に甘んじる必要はないよ。美咲ちゃんは私の動画を見て、動画の私と一緒にご飯を食べればいい。食事を通じて人と仲良くなることはできないかもだけど、独りぼっちって気持ちにはならなくて済む」
「ええー……なに、この動画って私の一生分くらいあるの?」
「せいぜい二十食ぶんてとこかな。親の目盗んで動画撮るの、結構大変で、そのくらいしか撮れなかった。でもまだ撮るよ。大学行っても社会人になっても、撮るよ。それで美咲ちゃんに送る」
壮大なプランだ。この人、社会人になっても私と連絡を取るつもりなのか。
「……なに。私のことかわいそうって思ってるの」
「違うの。私知ってるの。誰か一人でも私のことを理解して、寄り添っててくれる人がいれば、それだけですごい力になるんだってこと」
新城伊織は淡々と語る。
「小学生くらいの頃から、ストレス溜まるとあんなふうに全身全霊でご飯を食べてた。両親は夜遅くまで帰らなかったから、ストレス発散をする機会はいくらでもあったけど、高校生になってからなんかそれに飽きちゃって。じゃあ動画を撮って上げてみたらどうかなって思ったの」
動画投稿サイトには、爆食いや食べ放題の企画がたくさんある。自分の食べ方も、もしかしたら誰かが見て楽しんでくれるかもしれないと思った、と新城伊織は言う。
「私があんな風に食べてるときって、すごく孤独なの。世界で一番つらいのは私だって、確信しながら食べてるの。それが私のむき出しの心で、自分ではどうにもできなくって、だからそれがエンタメとして消費されるんなら、何らかの供養になるかなって最初は思ってた」
再生回数は期待していなかったと新城伊織は言った。
「だけどさ、あんまりにも見られてないと、大きな穴に向かって叫んでるみたいな気持ちになるんだよね。投稿すれば何かが劇的に変わるかもって、馬鹿みたいに夢見てた自分にも気づかされて、嫌な気持ちになった」
でも、と私を見る新城伊織の目が、きらりと輝いた。
「美咲ちゃんが見つけてくれた。私だって、同一人物だって見抜いてくれた!」
「あー……嬉しかったんだ、新城伊織は」
「うん! 気持ち悪さを感じるくらい観察されて、嬉しかった」
「複雑な乙女心だなー」
「気持ち悪かったとは言ったけど、嬉しくないとは言ってないでしょ。しかも美咲ちゃんは、あの動画の私のことを好きだって言ってくれた。見ながらご飯が食べられるなんて最大の賛辞までくれた」
新城伊織はそこで今日初めて笑った。よそいきの、気取った笑みではなくて、目尻にくしゃりと皺の寄る、心底嬉しそうな笑みだった。
「嬉しかった。優等生で美人の私じゃなくて、問題を抱えてる私でも、好きって言ってもらえるんだ、いて良いんだって心の底から思えた。美咲ちゃんに見てもらえるんなら、模試の結果を目の前で破かれたって、勉強中眠くなるならこうすればいいのよって椅子のクッションを全部抜かれるのだって、全然耐えられた」
「え、新城家そこまですんの? いじめじゃん」
「しかもクラシカルなやつね。お母さんてば奥ゆかしいというか、芸がないというか」
さらりと言った新城伊織は、真顔に戻った。
「嬉しくて私、美咲ちゃんの気持ちに気づかなかった。どんな気持ちで食べられないのか、考えることもしなかった。そこはほんとうに、ごめんね」
「別にいいよ。あのときは私もむしゃくしゃして言いたいこと全部ぶちまけちゃったし。それに、自分の感情に嘘つかないのは、新城伊織のいいとこだ」
新城伊織は首を傾げた。
「嘘つかないっていうの、ずいぶんと評価してくれるけど。そんなに嘘つかれるのって嫌かな?」
「嘘をついてまで守らなきゃいけない存在だって思われるのが嫌だ」
私は唇を舐めた。別に、新城伊織が本音を話したからって、私も話す必要なんてどこにもないのだが、何だか言ってもいいような気がした。
「私さ、一人でしかご飯食べられなくなった時にね、お母さんの心がちょっと疲れちゃって。育て方が悪かったのか、みたいな感じで思い詰めて、ちょっと家から離れてた時期があったのね」
「今は大丈夫?」
「うん、通院でどうにか。でもね、私はそれを自分が原因だって知らされてなかったの。私が家族と一緒にご飯を食べられないことに思い悩んで心を病んじゃったのに、私はそうだと知らないまま、ただ盲腸くらいの感じで思ってたんだ」
ある日、母の内服薬の効能を見てしまい、おかしいと思って問いただしたら、私に嘘をついていたことが分かったのだ。
もちろんそれは私を陥れよう、傷つけようとした嘘じゃない。だけど、私にとってそれはたまらなく屈辱的なことだった。
「食べることに異常があるからって、弱者だとみなされるのが嫌だった。これでも一人前なんだぞって思いたくて、だから嘘をつかれると、真実に耐えられない人間だと思われてるんじゃないか、って被害妄想になんの。悪い癖だってことは自覚してる」
そっか、と新城伊織は言った。妙な慰めがないところが、私を安心させた。
「ちょっとだけ分かるよ。別に自分が欠けてるわけじゃない、異常じゃないって信じたいんだよね」
「うん。なんかこう、野生動物みたいな感じ。怪我してるって分かったらたちまち狙われて、やられちゃうから」
「ああ、うん、そうだね」
新城伊織は眩しそうな顔をして笑った。私もつられて笑った。
「分かるよ。美咲ちゃんがご飯を皆と食べられない時の耐えがたい感じとか、それで弱いって侮られたくない気持ちとか、なんとなくだけど」
私は曖昧に笑った。
私たちは互いの痛みを全部理解することはできない。
でも、こういうふうに痛むのだろうと推測することはできるから、だからその痛みに黙って寄り添うことはできる。
新城伊織は最初から、一人でしかご飯を食べられない私のことを、決して悪くは言わなかった。心構えで治せるとか、私自身に問題があるんじゃないかとか、そういうことを言わなかった。
それはきっと、彼女自身も、食べることに悩まされていたからなんだろう。
心のどこかが緩むのを感じた。明日もまた新城伊織の動画が見られればいいなと思いながら、口を開く。
「私は新城伊織のこと理解したわけじゃないし、寄り添ったわけでもないから、ありがたがられても変な感じだけど」
「そっか。でもほんとに、助けになってるんだよ」
「だったらいいなって思うよ。それに、新城伊織が私のこと理解しようとしてくれたことは分かるから。動画もくれたわけだし。だから、――うん。ありがと」
「どういたしまして。さっき渡したその動画で足りなくなったら言って。撮りためてるの」
「ん。でもこれ、もうネットに上げないの」
「うーん。再生回数も稼げないし、身バレも嫌だし」
「そっか。じゃあ私だけのものか」
そう呟くと、新城伊織は嬉しそうに両の手のひらを合わせた。
「そうそう。美咲ちゃんだけのものだよ。美咲ちゃんの食卓は一人きりかもしれないけど、そこには私がいるからね」
「一番どうしようもない、問題児の新城伊織がね」
「ふふ。うん、独りにはしないよ」
新城伊織の“ほんと”の一部分。それを託されたことが、なんだかくすぐったいような気がして、私はSDカードの入ったケースを握り締めた。
お守りみたいだと思った。
新城伊織と私は、クラスでは一度も話さないまま、卒業を迎えた。
大学生になった今でも、彼女は欠かさず動画を送ってくれる。それを見ながら私は、ワンルームのアパートで一人、冷凍うどんを温めたのをすすっている。
家族に気兼ねしない食事は、ほんとうに楽だ。ストレスがかなり減ったことを自覚する。家族も家族なりに寄り添おうとしてくれたのを知っているだけに、なおさらだ。
「うわ、新城伊織って今一人暮らしだよね? この自炊クオリティはやばい……。しいたけに飾り包丁入ってるし」
丁寧に作られたであろう煮魚は、荒々しい箸先によって蹂躙される。やっぱり新城伊織は今日もストレスと戦っているらしい。
骨を噛み砕きかねない勢いで煮魚を食べる新城伊織を見つめながら、ふと思った。
――多分、もし今後、新城伊織が私に動画を送らなくなっても。ううん、新城伊織が一人で獣みたいにご飯を食べなくてもいいようになっても。
私はきっと耐えられるだろう。
将来の不安が消えたわけじゃないし、一人でしかご飯を食べられないということが、世間から見れば異常だということは理解できる。でも、そういう暗くてどんよりしたものに絡め取られる前に、私は新城伊織がくれたSDカードを思い出す。
新城伊織が、私の食卓を孤独にしないでくれようとした、その気持ちは、ずっとずっと私を守ってくれるから。
【了】



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