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Conversation

「日本の麦茶を変えるぞ!」 その言葉は、カナダとオーストラリアの大麦畑から届いた。 HIKAKIN氏が立ち上げた麦茶ブランド「ONICHA」をめぐり、いま静かな議論が起きている。 まず問われるべきは、「日本の麦茶を変える」という勇ましい宣言と、その原材料がカナダ・オーストラリア産であるという事実の絶望的な不整合だ。 日本の文化や風土に根ざした飲料を「変革」すると語るのであれば、そこには日本の土壌や農家への敬意、あるいは国産素材へのこだわりといった「文脈の正当性」が不可欠である。 しかし、HIKAKIN氏は「日本を変える」というナショナリズムを刺激するレトリックを用いながら、その中身を海外産の大麦で満たしている。 自国の名を叫びながら異国の果実を売る。 その構造的矛盾を、我々は静かに見つめるべきだ。 次に、自社製品を際立たせるために、既存の麦茶全体を「地味」「退屈」「親に言われて飲むもの」と貶めるネガティブキャンペーンの問題だ。 麦茶とは、日本の家庭において世代を超えて愛されてきた「沈黙の主役」である。 その素朴さ、飾らなさこそが価値であり、多くの日本人の郷愁に結びついている。 HIKAKIN氏が行ったのは、その美しい「日常」を「負の遺産」と定義し、自らの商品をその「救世主」として演じさせるという、極めて強引な論理のすり替えだ。 他者を貶めることで自分の価値を証明しようとする構造が、長年麦茶を慈しんできた人々の逆鱗に触れるのは、論理的な必然である。 最も深い矛盾は、「誰もが楽しめる動画」を追求してきたクリエイターの原点と、今回の手法の乖離である。 波の音を流し続ける思わせぶりな生放送で期待を煽り、辿り着いた結論が「既存文化の否定」と「海外産素材の日本ブランド」であった。 フォロワー数という測れる数字に執着するあまり、ブランドの根底にあるべき信頼という測れない礎を、自ら手放している。 庭に咲く名もなき野花を「地味だ」と笑い、海外から持ち込んだ造花を「真の主役」として植え替える。 だが、その土壌が枯れ果てたとき、誰がその偽りの庭を愛でるだろうか。 根を張るべき「敬意」を忘れ、表面的な華やかさだけを追い求めたその在り方は、風に吹かれて消える砂上の楼閣でしかない。 #ヒカキン #ONICHA
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オリコンニュース
@oricon
HIKAKIN、今度は『ONICHA』を発売 『みそきん』の次は麦茶をプロデュース oricon.co.jp/news/2446899/f #ONICHA
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