今日は鎌倉で勉強会があり、しばし、のんびりとすごす。やはり、鎌倉は好い。心の故郷である。
(鎌倉に10年間住んでいた時期によく通ったミルクホール)
実は、先輩の嬉しいお誘いで、鎌倉の美術・建築勉強会に参加。
鎌倉は最初のドイツ赴任から帰国した1992年以降10年間住んでいた第二の故郷。いまでも自宅は鎌倉の山奥にある。この街で3人の子どもたちも元気に育った。我が家にとっては第二の故郷である。
勉強会まで、すこし時間があったので、懐かしさも手伝って、紫陽花を愛でるため全国から集まった来訪客でにぎわう小町通りを通って、勉強会会場の近くの懐かしいカフェ「ミルクホール」で美味しい珈琲で一服。
(レトロな感じが実に好い)
勉強会会場は、静かな洋館。なぜか心安らぐ空間。
(今日の会場)
テーマは「日本画と日本建築の変遷」で、今日は特に「植物と日本画」を中心に日本画科の山崎宏先生から実に興味深いお話を伺った。後半は、美味しい赤ワインを頂戴しながら、メンバーの皆さんからの示唆に富む意見交換や質問もあり、実に深く面白かった。
(先生が最近出された著書『日本画と日本建築の時空』)
自分の専門分野以外の話を聴くのは実に面白い。
先生は、日本人の本質は「植物性」にあり、日本画は「植物的」であると説く。その根本には、日本人の「坐(ざ)」がある。なぜならば、「坐」こそ、植物そのものであるからと。
動物は、筋肉と骨があるから、自由に動き回れる。しかし、植物は、大地に根を張っているから、身動きがほとんどできない。その代わり、植物は、自分の身体をどこまでも自由に延ばすことができる。光と水さえあれば、枝葉をどこまでも成長させることができる。
どんな天災に遭遇しても、かならず春にはまた美しい萌木色の新芽がでてくる。植物は静かだが、したたかで、粘り強く、持続可能である。
よく「雁行型平面」と形容される二条城や桂離宮の「建て増し技法」は、まさに「植物的」であると説く。少しづつ時代を超えて、建て増し続け、それでいて、見事に一体化している。
今回の原発震災に対する日本人の態度も、まさに、好い意味で、実に、「植物的」であると言えようか。
その文脈から言えば、昨今の抜本的な脱原発や再生可能エネルギーの議論において、通奏低音のように底通していいる「地産地消」「小口分散型モデル」等の概念も、基本的は、実に、「植物的」であると言えようか。換言すれば、実に日本的な時代が到来することになろう!