第30話 πと限界

 ──魔乳でも魔法が使える。


 そう聞いて喜んだのはアンネだけではなかった。


「さっぱり分からないな……」


 がくりと肩を落として、珍しく感情を露わにするのはギネヴィアだった。


 ベアトリスの献身的な治療の甲斐あって、数日が経つ頃には、ギネヴィアは意識を取り戻した。

 熱もすっかり下がり、顔色も良い。

 アンネから魔法の話を聞いて、「ならば私も!」と病み上がりの身体を押して魔法に挑戦しようとし、ベアトリスに雷を落とされたが、閑話。


 そして今、ギネヴィアは目に見えて落ち込んでいた。

 剣を握れば誰にも引けを取らない自信はあるが、それは技術面に関してだ。

 身体強化された相手だと、スペックに劣っている自覚もあって魔法の話にはすぐ飛びついたのだが、魔法に関しては門外漢もいいところらしい。


「うふふ。そんなものですわ」


 ベアトリスが微笑む。


「魔力を“感じる”というのは、才能の比重が大きいのです。まして魔乳ですと、常に魔力路が詰まっているようなものですからね。流れを感じ取れないのも無理ありません」

「だが……」


 慰めを前に、ギネヴィアは未練がましく隣を見る。


 アンネだ。


 椅子に腰掛け、目を閉じ、背筋を伸ばしている。

 小さな身体に大きなおっぱい。

 その表情は驚くほど静かで、曰く、魔力路に魔力を流す訓練をしているらしいのだが、それすらもギネヴィアは感じ取れない。


「……才能、か」


 ギネヴィアは諦めたように息を吐いた。

 何度も説明を受け、目を閉じ、集中してみたが、彼女の内側には何も引っ掛からない。

 魔乳だから。魔乳の癖に。そんな言葉で、小さい頃から未来を閉ざされていた身である。

 だが幸いにして、ギネヴィアには剣の才能があった。

 アンネには魔法がそれなのだろう。


「ヘカテリーナはどうだ?」


 気分を変えたくて、ギネヴィアはもう一人の連れに問いかける。


「……ああ。へー、これが魔力ですかー」


 呼ばれたヘカテリーナは、気楽な調子で答えた。


 ──そうだった。コイツは怪物だった。


 ギネヴィアはヘカテリーナの存在を無視して、もう一度魔力の感知に挑戦し始めた。


「さすが使徒様です」


 息を呑んだ様子のベアトリス。

「さすヘカ」ならぬ「さす使徒」である。

 ヘカテリーナは困ったように微笑みを返した。


「だから使徒じゃないですよー?」

「も、申し訳ありませんヘカテリーナ様っ!」


 間髪入れずに否定したヘカテリーナに、ベアトリスは慌てて頭を下げた。


「いえいえ、気にしないでくださいっ」


 なんだかイジメてるみたいで、ヘカテリーナも頭を下げる。


 ぺこぺこ。ぺこぺこ。


 そんな騒ぎをよそに、アンネは目を閉じたまま動かない。

 巨大過ぎる胸がかすかに上下を繰り返す。呼吸は浅く、しかし一定に。意識は完全に内側へと沈み込んでいる。


 そんなアンネを見て、ヘカテリーナは気付いてしまった。


(私が成長することは、ないようですね……)


 魔力の流れを自覚した瞬間、自分がこれまで無意識にそれを使い、身体を強化していたという事実。

 おそらくだが、“理想の肉体”というチートは完璧であるが故に、“伸び代”が存在しないのだろう。

 理想の美。完成された強さ。

 その事実を前にしてもヘカテリーナに悲観も、嘆きもない。


(この子は、違う)


 視線はアンネに向いたまま。


 未完。

 だからこそ、望む未来、望む形に、いくらでも変えられる。


 ──いつか、自分を超える日が来るかもしれない。


 そんな夢想すらしてしまう。


(……彼女の未来を守るために生まれ変わったのかもしれませんね)


 アンネの未来は無限大だ。

 だが、魔乳は差別されている。選択肢すら与えられない。

 その未来を守るために、自分は転生したのかもしれない。

 そう思ってしまうほどに、アンネは才能に溢れていた──


 ◇◇◇


 村での仕事。

 修行。

 看病。


 そんな生活が、数日続いた。


 ギネヴィアの顔色は日に日に良くなり、会話も増えた。諦めきれないのか、魔力感知に挑戦して、そして毎回肩を落としている。

 一方のアンネは順風だった。ベアトリスから魔法を教わり、リハビリを兼ねたギネヴィアの剣の稽古に混ざり、日々成長していた。

 まるで、失った日々を取り戻すかのように──。


 そしてある日。


「ヘカテ様、見ててくださいっ!」


 自信に満ちたアンネが声を上げる。

 彼女の前には一本の大木。ヘカテリーナが以前、一振りで断ち切ったのと同じくらいの太さだ。

 

「すぅぅー……はぁぁー……」


 アンネは息を整え、両手に魔力を込める。

 胸の奥、忌むべき魔乳に溜まっていた、重く、澱のような魔力に意識を向ける。

 少しずつ、淀みがほぐされ、魔力路に魔力が流れていくのを感じる。

 全身が熱を帯び──それを一気に腕へと流し込む!


「えいっ!」


 振り下ろした瞬間、乾いた破裂音が響いた。


 バギン!


 木は、真ん中から砕けるように折れた。

 一瞬の静寂。


「……や、やりました……!」


 アンネの顔が、ぱっと輝く。

 成功だ。確かな成功。

 それは憧れのヘカテリーナに一歩近づいたという実感だった。


 だが、その喜びは長く続かなかった。


「あ……」


 足元から、力が抜ける。


 ──魔乳は、一度に大きな出力を出せる。ただし連続での使用には向かない。


 その事実を完全に忘却していたのだ。


「あわわ……!?」


 支えを失った木が、ゆっくりと傾き始める。

 アンネは咄嗟に動こうとしたが、身体が言うことを聞かない。

 慣れない魔力行使に、膝が震える。


 瞬間、影が差した。


 ヘカテリーナだった。


 倒れてくる大木を、片手でふんわりと受け止める。


「大丈夫ですか?」


 まるで散歩の途中で手を貸すような口調。


「は、はい……! ありがとうございます……」


 アンネはしょんぼりと頷いた。

 ──まだこの子には保護者が必要だ。

 ヘカテリーナは幼子のように落ち込むアンネに、柔らかな視線を向けるのだった。


 ◇◇◇


 さらに数日が過ぎた。


「……よし、問題ないな」


 ギネヴィアは、ほぼ完治と言っていい状態まで回復していた。

 身体を起こし、軽く屈伸をしてみせる。

 その様子を、ヘカテリーナはじっと見つめていた。


「本当に、大丈夫ですか?」


 念を押すような声にギネヴィアは苦笑するしかない。


「心配性だな」

「なにせ前科がありますからね」

「……それは言わないでくれ」


 二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 だがそれは、気まずさではなく、互いを気遣うが故の間だった。


 その時だった。


「ッ──!!」


 村の広場から、ざわめきとは明らかに違う、張りのある声が響いた。


「なんの声だ?」

「……ただ事ではなさそうですね」


 違和感を覚え、二人がそっと窓へと近づく。

 そして外を覗き込んだ、その先に――。


「この村に魔乳がいると密告があった!」


 白と金のビキニアーマー。φの紋章が入った赤いマント。

 聖乳教団の騎士たちが、隊列を組んで立っていた。

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