第48話 πと聖教

 ナイチーチ王国は、大陸の中でもひときわ古い国だった。


 幾度も亡国と興国を繰り返す周辺国家とは異なり、この国だけは王朝を変えながらも、同じ名を名乗り続けている。

 それを可能にしているのが、聖乳教という宗教だった。


 建国当初、ナイチーチはただの小国に過ぎなかった。

 だが王権と信仰を結び、聖乳教を国教として掲げたことで、国は急速に膨張する。


 狂信と正義は相性が良い。

 老若男女、子供に至るまでが信仰の下に死兵と化したナイチーチ王国民は強かった。


 信仰の名を借りた侵略。

 救済の名を冠した征服。

 次々と周辺国家へと干渉し、併呑し、従わせてきた。


 敵味方を明確に、単純化したのも強みだった。

 聖乳とは尊く、清らかで、正しきもの。

 魔乳とは醜く、不潔で、悪しきもの。

 だからこそ、この国では巨乳への風当たりが異様なほどに強い。

 それは単なる偏見というだけではなく、ナイチーチという国の歴史、国家の基盤そのものに組み込まれた価値観だった。


 現在、ナイチーチ王国は拡大路線を停止している。

 これ以上の領土拡大は、聖乳教の権威が及ばないところになる。そういった、実に現実的シビアな目線で、表向きには平和を尊ぶ姿勢を見せるようになった。

 だが、周辺国家との摩擦が消えたわけではない。


 聖乳を崇める文化自体は大陸全体へ広がりを見せた。

 魔法使用の可否が、そもそもの受け入れやすい土壌としてあったからだ。

 しかし、その解釈と厳格さは国ごとに異なっていた。


 ナイチーチほど徹底した教義を敷く国は、他にない。

 その差異と侵略という歴史の積み重ねが、国境線での終わりなき争いとなって噴き出していた。

 王国を名乗っているが、もはやこの国を、単なる王国と呼ぶのは正しくない。

 王冠よりも聖典が重く、玉座よりも教義が優先される。

 ナイチーチ王国は、実質的には教国だった。


 その中枢──王都には、聖乳教の総本山がそびえ立っている。


 権威と権勢を誇示するかのような、異様なまでに豪奢な大聖堂。

 黄金と白漆喰で彩られた外壁、天を突く無数の尖塔。


 その一本。

 最も高く、最も人目につかぬ尖塔の頂で。


 国の運命を左右する会議が、今まさに開かれようとしていた。


 ◇◇◇


 尖塔の内部は、外観から想像される華美さとは裏腹に、静謐で、そして重苦しかった。

 権威を見せつけるのは、末端の信者こま民衆ぐみんだけでいいと言うことだ。

 狂信を是としながらも、現実を見据える目があるのが聖乳教の恐ろしいところであった。


 厚い石壁に囲まれた円形の会議室。

 精緻な幾何学模様のモザイクが敷き詰められた床に、中央には巨大な円卓が据えられている。

 壁面を飾るのは、歴代の教皇の肖像画。いずれも優しく、誇らしげな微笑を浮かべている。

 さぞ人格者なのだろうと思わせる肖像画であるが、美化されていると言わざるを得ない。

 何せ今代の教皇ときたら──


「……さて。面倒な話だが、始めるとしようか」


 円卓の席は五つ。すでに全てが埋まっている。

 本来上下を不明にするはずの円卓で、ひときわ大きな椅子に、どっしりと腰を沈めているのが、今代の教皇、ボニファティウスだった。

 絢爛な法衣は何重にも重ねられ、金糸と宝石で過剰なほどに装飾されている。その下で、肉の塊のような身体が椅子から溢れ、わずかに揺れていた。

 背後の壁にある、ふくよかながら、穏やかな笑みを浮かべている肖像画と同一人物とは到底思えない。


 脂に光る指が、退屈そうに卓を叩く。

 その声は実に投げやりだった。


 円卓の三つの席に座るのは三人の枢機卿。


 一人は、顔に深い傷痕を刻んだ壮年の女。

 筋骨隆々とした体躯は、法衣の下に隠しきれず、まるで鎧を脱いだばかりの武人のようだった。

 それもその筈。彼女はかつて聖騎士団を率い、異教徒狩りの最前線に立ち続けていたのだから。

 名をグラードという。

 その眼差しには、今なお異教徒への憎悪が燃えている。


 隣に座るのは、背の曲がった老婆だった。

 無数の皺が刻まれた顔は、笑っているのか、睨んでいるのか判然としない。

 老獪な政治家として教団内で勢力を築き上げた枢機卿、セラフィナ。

 皺の奥に隠れた瞳は伺うことが出来ず、その心内は常に損得のみを測っていた。


 三人目は比較的若い女性だった。

 穏やかに細められた目を持つ、常日頃から微笑みを絶やさぬ淑女。過剰な装飾を避けた法衣、柔らかな物腰。シスターという存在を体現した女性。

 その胸は聖乳教でありながら、珍しいことに僅かな膨らみが見てとれる。

 “共生主義”を唱える枢機卿、エレナ。

 聖乳教の最高幹部が一同に会する場において、最も異質な存在だった。


 そして最後の一席に座る女は、他の四人とは随分と装いが違っていた。

 豪奢さに違いはあれども、四人は聖職者という服装なのに対し、彼女は違った。


 純白の全身タイツに、デリケートな箇所しか隠していない、極小の青いビキニアーマー。

 魔力を通す特殊な素材で出来たタイツに、聖なる金属ブルーメタルが光を受けて煌びやかに輝いている。

 すらりと長い肢体は適度に鍛え抜かれて、妖精めいた美貌はこの世のものとは思えない。


 そして注目すべきはその胸元。

 驚くほどに平坦で、聖乳の中の聖乳と、多くの信者に崇められている。


 規律と秩序のφの使徒。

 聖騎士団長アルク。


 彼女は一礼すると、完璧な声で口を開いた。


「本日はお忙しいところ、お時間を頂戴し、誠にありがとうございますわ」


 慇懃なお嬢様言葉に、グラードが鼻を鳴らす。相変わらず気に入らない女だ、と。

 特に反応を見せぬセラフィナに、少し不安そうなエレナと、枢機卿といえど一枚岩ではないらしい。


「よいよい。……で? 近頃、騒がしいそうじゃないか。例の――“巨乳派”とやらが」


 教皇ボニファティウスは、重たい体を揺らしながら、片手をひらひらと振る。

 鷹揚な笑みを浮かべつつも、アルクの見事な聖乳に向ける視線は、とても聖職者のものとは思えなかった。

 アルクは気にした様子もなく、手元の資料を円卓の上へと滑らせた。


「はい。今日皆さまにお集まり頂いたのは、教皇さまの仰る通り、各地で起きている“巨乳派”による騒乱についてのご報告ですわ」


 白手袋に包まれた指が資料を弾くと、書類は吸い寄せられるように、それぞれの前へと行き渡る。

 そこに並んでいたのは、各地の被害内容である。


「……ふん。まったく、くだらんな」


 増え続ける事件の一覧を流し見て、不満げに反応したのはグラードだった。

 資料に目を落としたまま、鼻で笑う。


「地方の教会が襲われ、聖職者どもが怪我を負った? くだらん。どれも小規模だ。こんなもの、騒乱と呼ぶほどではない。それよりも聖乳教の信者はいつから軟弱者の集まりになったのだ? 異端者どもにいいようにやられて! これでは聖乳教の恥さらしだ!」

「──それ以上に被害に遭われたのは民ですよ?」


 静かに口を挟んだのはエレナだった。

 唇をきゅっと引き結び、悲しげに伏せた目は、資料の数字の向こう側を想像してだろう。


「ただ穏やかに、信仰の名の下に生きている、何の罪もない方々が襲われているのです」

「だから何だと言うのだ」


 グラードは即座に切って捨てた。


「異端に刃を向けられた程度で揺らぐ信仰など、最初からその程度だったというだけの話だ。大体だ、騎士も兵士も当てにならんから、我々聖乳教が力をつけたのだ。信者たちが力を以て異端どもをきちと鎮圧していれば、こんな事態は起こっていなかったのだ!」

「……」


 かつて聖騎士団を率いたグラートらしい、力の理だった。

 円卓の反対側で、セラフィナが小さく喉を鳴らす。


「……そうね。でも、数が増えている、という点は無視できませんね」


 老女は皺だらけの指で資料をなぞり、淡々と続ける。


「小さな火種でも、放置すれば延焼します。特に今回は、動きが妙に統一されている。誰かが裏で糸を引いている、と見るのが妥当でしょう」


 その言葉に、ボニファティウスが面倒くさそうに、脂肪で埋まった首を傾げた。


「誰かなんて決まっている。“巨乳派”のωの使途であろう。──で、アルクよ? どうせ、貴様のことだ。すでに突き止めているのだろう?」


 一同の視線が、アルクへと向けられる。


「……まずは、こちらをご覧になってください」


 そう言って、彼女は新たな“証拠品”を円卓の中央へと置いた。


 柔らかな布地に装飾的な縫製。

 形状としては聖騎士が採用しているビキニアーマーの胸部装甲に似ているが──


「……これはなんですか?」


 セラフィナが、怪訝そうに問いかけると、アルクが躊躇なく答えた。


「──ブラジャーでございますわ」

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