実家の本棚を整理していたら、懐かしい小冊子が出てきた。
「第8回日米大学野球選手権メンバー表」
1979年6月下旬。野球が大好きな親友に誘われて、京都から神宮球場まで日帰りで見に行った記憶がよみがえってきた。
今のようにメジャーに挑戦する日本人は誰もいない時代。同様に欧州でプレーする日本人サッカー選手も1人いるか、いないかの時代。必然的に興味は日本国内で行われるスポーツに限定されていた日々だった。
その中で、日米大学野球は「超」が付くビッグイベント。全試合(たぶん)テレビ中継され、食い入るように視聴したもの。初めて足を踏み入れた神宮球場に感激した。外野スタンドが芝生席だった時代だ。
メンバー表にヘタクソな手書きで書きこんだスタメンが実に興味深い。
1番 高木(中大)
2番 熊野(中大)
3番 原(東海大)
4番 岡田(早大)
5番 小川(中大)
以下略。
高木は後に大洋で活躍したあの有名な高木豊。熊野(輝光)は現在、阪神のスカウトだが、阪急時代のいぶし銀のプレーはしぶかった。原はもちろん現巨人監督。岡田はそうです、阪神の現監督。この2人は語る必要なし。小川は元ヤクルト監督。ちなみに、この年は中大が大学選手権を制覇している。
盛り上がりは大会前からだった。六大学のスーパースターは岡田彰布だった。「4番サード」。その年のドラフトの目玉になる。一方、球界のプリンスと騒がれた原辰徳は東海大の3年。こちらも「4番・サード」。どちらがサードを守るのか? 2人を同時に使うことはできないのだろうか? テレビも、新聞も大注目した。