第7話:ムゲン病院をご案内

「……」


 あまりにも異様な光景の中で、氏神常葉はしばらくの間何も出来ず、ただ固まっていた。

 彼女の周りでは、何十何百、いや、何千人もいるかもしれない自分自身の大群がぎっしりと埋め尽くし、深く頭を下げ続けていた。

 自分たちと一緒にこの職場――無尽蔵に広がる『ムゲン病院』で一緒に働いて欲しい、と言う懇願と共に。


 普通なら、『もう嫌だ』『帰りたい』などのネガティブな選択肢が真っ先に出てくるはずだった。

 当然だろう、こんな異様な場所で、自分と同じ姿形、同じ顔を持つ女性たちと肩を並べて働くなんて、精神的にも肉体的にも耐えられる訳がないからだ。

 もしここで悲鳴でも上げ、泣き喚きでもすれば、彼女たちはきっと諦めてくれるだろう。

 外の世界との唯一の接点である自動ドアへの道を開き、自分を見逃してくれるだろう。

 

 だが、常葉はそのような行動をとる事が出来なかった。

 もし、ここから逃げ出し、外の世界に戻ったとしても、その後に自分を待っているのは何か。

 止まった時計。天井の染み。埋め尽くされたごみの数々。そして、増え続ける催促状や請求書。

 逃げてもなお、彼女を待つのは、自ら進路を絶ち、大切な患者を見捨てた罰とも言うべき光景だ。

 

「……私は……」


 彼女の視界には、まるで時が止まったかのように微動だにせず、ずっと頭を下げ続ける、大量の『氏神常葉』がいた。

 きっと、答えを出し続けるまで、永遠に彼女たちは同じ姿勢を続けるつもりだろう、というのは流石の常葉でも薄々感じ始めていた。

 何千人もの自分自身の背中、自分のうなじ、自分の肩、そしてショートヘアの髪の生え際。

 鏡越しに何度も見ていたパーツが幾つも並ぶ光景に、常葉は奇妙な既視感と、それ以上の居心地の悪さを感じていた。


「……」


 そして、ようやく常葉は、自分の中で答えを出した。

 やはり、自分はこの『自分だらけの泥船』に乗るしか、道はないのだ、と。

 長い溜息を吐いたのち、彼女は声を発した。


「……分かったわ……やるわよ。やればいいんでしょう?」


 皆の言いたい事は分かったから、いい加減、顔をあげてほしい――気まずさを紛らわせるような彼女の言葉を受け、辺りを包んでいた空気が変わった。

 彼女を取り囲んでいた無数の『常葉』たちが、次々に顔を上げ始めたのだ。

 その表情には、嬉しさを隠さず示すような満面の笑みに満ち溢れていた。服装を除いて区別がつかない、全く同じ顔で。


「「「「嬉しい……ありがとう、常葉先生!」」」」

「ど、どうも……って、さっきから何よ、『先生』って……私はもう……」


 無数の自分に圧倒されながらも本音を述べる常葉に向けて、彼女たちは一斉に語った。

 

「「「「あら、貴方は氏神常葉『先生』でしょう?」」」」

「そ、それは昔の話よ……今の私は……」

「「「「いえ、貴方は立派な先生」」」」「「「「ええ、昔も今も変わらないわ」」」」

  

 褒めてもらうのは悪い気分はしないけれど、幾ら何でも買い被りすぎだ、と思った彼女であったが、周りの自分の大群を見て、それを口に出すのをやめた。

 同じ『氏神常葉』なのに、まるで尊敬する先輩を迎え入れた後輩のような、そんなキラキラした色合いを帯びていたからだ。

 喜ばしい雰囲気に圧倒されつつ、常葉はため息をついた。

 これから自分はどうなっていくのだろうか、という大きな不安を心に抱きながら。


--------------------------------------


「それじゃ、常葉先生。早速『ムゲン病院』を案内するわ。ついてきて」


 無数の自分による懇願からしばらく経った後、『医師』の服装を身に着けた常葉の1人が、『先生』と呼ばれた常葉――今回この病院に呼ばれた、恐らく本物であろう氏神常葉本人に声をかけた。

 先程までの喧騒はどこへやら、一斉に常葉を取り囲んだ無数の常葉はあっという間にそれぞれの持ち場へと戻り、ナース服の常葉たちは廊下の向こうへ姿を消し、事務服の常葉達も受付カウンターの向こうへ滑り込んだ。

 そして、案内役と言わんばかりの常葉の1人が、唖然としながらそれらの光景を見届けた常葉に案内を持ちかけた、と言う訳である。  

 しかし、常葉『先生』は、それを聞いて慌てた表情を見せた。 


「ちょ、ちょっと待って……ま、まだ心の準備が……」

「ふふ、心配ないわ。まず慣れるために、病院の中を見て欲しいの」


 きっと気に入ると思うわ、と言いながら、自分と全く同じ顔を持つ存在を見てしまった常葉に、断るという選択肢は消え失せてしまった。

 

「……何でかしら……。私、別に自分が好きってわけじゃないんだけれど……」

 

 独り言のように語りつつ、観念したように肩を落とした常葉は、足音を響かせながら案内人の『常葉』の後を追った。


 最初に彼女を待っていたのは、果てが見えない、どこまでも続く廊下だった。

 

「ねえ……この廊下、どこまで続いてるの?さっきのエントランスホールもそうだけれど……」

「さあ、『ムゲン病院』って言うくらいだから、無限に続いているんじゃないかしら?」

「さあ、って……勤めている割に、いい加減ね」


 案内人の言葉やあっけらかんとした態度に若干呆れつつも、常葉の足は若干震えていた。

 無限に続く廊下は、四方八方で次々に枝分かれを繰り返し、それらもまた果てしなくどこまでも続いている。

 少しでも目線を遠くに飛ばしてしまうと、自分の空間認識がぐらついてしまいそうな雰囲気だ。

 しかも、それらの廊下を歩いているのは、右を見ても左を見ても、『氏神常葉』ばかり。


「ふふ、常葉先生」

「待っていたわ、先生」

「じっくり見てね、常葉先生」

「常葉先生が来てくれて、本当に嬉しいわ」


 医師や看護師の服装をした自分が、あちこちから声をかけてくる。

 彼女たちの態度は、まるでこの『ムゲン病院』に務めている全てのスタッフ――医師も看護師も清掃員もスタッフも、全員が『氏神常葉』と言う存在で統一されている、と言う事実を、暗に示しているようであった。

 全員とも悪気はない事は分かっているけれど、四方八方から響く声を素直に聞きながら対応していると、ますます自身の正気が失われそうになってしまう。

 常葉はすれ違う自分の大群に何とか軽い会釈をしながら、懸命に案内人の自分自身についていった。


 やがて、案内人の常葉は立ち止まり、常葉『先生』に診療科の案内をし始めた。


「ここが内科よ。様々な薬を与えたり、健康診断をしたりして、全身管理を……」

「知っているわよそれくらい。私も一応……一応、医者だったし……」

「ふふ、そうだったわね」


 外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科――その後も次々に紹介される名前は、どれもごく普通の総合病院と同じであった。

 廊下やら氏神常葉やら、色々と滅茶苦茶な所はあれど、そこは常識的な内容になっている事に、僅かながら常葉が安堵しかけた、その時だった。

 彼女の目が、ある診療科の名前が書かれたプレートの前で止まったのは。

 

「……えっ」


 『いろいろ科』。


 白い案内板に描かれていたのは、間違いなくそのような名前だった。

 しかも、それだけではなかった。

 隣のプレートに描かれていたのは『おまかせ科』。その隣には『ぜんぶ科』。

 その先にも、『まるごと科』『なんとかなる科』『なおる科』『ロボット科』『よーかい科』――。


「……何よ、この名前……」


 ――ちゃんとした診療科名に混ざる形で、明らかにおかしい名前が幾つも並んでいたのだ。

 それはまるで、病院ごっこをしている子供が、適当に考えたかのようなものばかりであった。

 流石の常葉も、このあまりにも異様な『科』の名前は、突っ込まざるを得なかった。


「ねえ、聞きたいんだけれど……この『いろいろ科』って何を診るの。色々なでも見るつもり?」

「ええ、『色々』なものを診るのよ」

「は、はあ……じゃあ、おまかせ科は?」

「おまかせされたことを診るの」

「とんでも科は……」

「とんでもないことを診るわ」


 全然答えになっていない事に呆れる常葉を見ながら、案内人の常葉はくすくすと笑った。

 その笑い方は、あまりにも『元気』だった頃の自分と瓜二つすぎて、常葉は妙な気恥しさを覚えた。

 自分が自分の笑い声を聞かされるというのは、なかなかにむず痒い体験だったのである。


 そして、常葉を引き連れて廊下を歩き続けた案内人の常葉が、とある場所で足を止めた。

 無限に続いている廊下の一角に、他のプレートよりも一回り大きく若干豪華そうな案内板が掲げられていた。


「さて、常葉先生。ここが、貴方に働いてもらいたい場所よ」


 見上げた常葉の瞳に入ったのは、簡潔な5文字の言葉だった。


 『なんでも科』。


「…………」


 常葉は数秒ほど無言でその文字を凝視してから、ゆっくりと案内人の自分の方を向いた。


「なんでも科……?」

「ええ、なんでも科。どんな病気でも診察する科よ。院長からの依頼で、貴方にはここで働いてもらいたいの」


 彼女は満面の笑みで語った。

 常葉の口が、何かを言おうとして開き、結局何も出てこないまま閉じた。

 頭の中で、いくつもの言葉が浮かんでは消えた。

 あまりにも突っ込むべき箇所が多すぎて、どこから手をつけていいかわからなかった。


「……院長って、あの手紙の?」

「ええ。院長は貴方をずっと待っていたのよ。だから、手紙を出したの」

「その院長は今どこにいるの?会わせてもらえるかしら」

「院長はとてもお忙しい方で……そのうちきっと会えるわ」


 一瞬だけ、案内人の自分の声に、本当にわずかな歯切れの悪さが混じった気がした。

 しかし、すぐにいつもの温和な表情に戻った彼女は、朗らかな声で告げた。


「さあ、中に入りましょう。みんな・・・が待っているわ」


 『みんな』というのは、聞くまでもなく全員『氏神常葉』なのだろう。

 そんな呆れや諦めのような思いを心に抱きつつ、常葉は白い扉の前に立ち、取っ手に手をかけた。

 そして、『新天地』となるであろう場所を拝見するため、ゆっくりと扉を引いた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年4月9日 18:00
2026年4月10日 18:00
2026年4月11日 18:00

ムゲン病院なんでも科奮戦記 ~転職先は、全てが無限大の病院でした~ 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

作家にギフトを贈る

いつも応援ありがとうございます。皆様のギフト、励みになります。
カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画