【本当にあった出版界の怖い(ひどい)話】
昨夜ポストした【闇に消えた西尾維新さんへのお手紙】に関連して、この機会に補足しておいたほうが良いと思ったことがありますので、書かせていただきます。
闇に消えた西尾維新さんへのお手紙
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上記のポストでは、流水が西尾維新さんへのお手紙を編集者に「手渡ししてください」と託したものの、それが本人に渡っていない可能性について書きました。
それは、「読んだのなら連絡くれそうなものだから、読んでないのでは」という単なる願望ではなく、そのように考えざるをえない事情が、実は、あります。
流水は、自分をデビューさせてくださった伝説の編集者・宇山さん(2006年に急逝)のことを人生最大の恩人だと思っていますし、宇山さんは作家・清涼院流水の父だと公言し続けてきました。
流水がふだん、お酒はビールしか飲まないのは、亡父・宇山さんが、そうだったからです。
いつも追悼の気持ちで、流水はビールを飲み続けています。
これまでの作家人生で、宇山さんへの恩義を忘れたことは一瞬たりともありません。
だから、いまもカトリック教会のミサの中で、宇山さんのことは毎週欠かさず、いちばんにお祈りしています。
このポストを書こうか、迷う気持ちもありましたが、本日4月9日が宇山さんのお誕生日であることが偶然と思えず、決心しました。
宇山さんが天国から「流水さん、あの話は、いま書いておいたほうが良いよ」と言ってくださった気がしたのです。
天才編集者・宇山さんの最後の弟子だったのが、「ファウスト」誌や「講談社BOX」レーベルの創刊で有名な、太田克史さん(現在、星海社の社長さん)です。
流水Xでは何度も書いていますように、方向性の違いから太田さんとは2007年に決裂し(2023年に和解)、それが西尾維新さんと疎遠になるきっかけだったのは、昨夜もポストした通りです。
その後、星海社さんから2022年に以下の宇山さん追悼本が出たとき、流水は大きな失望を味わいました。
『新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』
amazon.co.jp/dp/4065264618/
太田さんとは決裂して久しいとは言え、宇山さんの追悼本をつくるなら、別の担当者を介してでも良いから自分にも声をかけてほしかった、という気持ちが正直ありました。
でも、ふたりのあいだに存在する乗り越えがたい断絶を思うと、そんなことが起きるわけないよな、と納得しながら、寂しい想いでその追悼本を手に取ったものです。
ところが、2023年に太田さんと和解したあと、驚愕の事実を知りました。
太田さんと和解して間もない時期、今後の相談のために初めて飲みに行った夜、終電近くまで飲んだのですが、その飲み会の終盤で、太田さんが、おそるおそる、こう切り出してきたのです。
「流水さん、これは大変お聞きしづらいのですが……宇山さんの追悼本に、どうして書いてくれなかったんですか?」
流水は「ええっ……!?」と驚いて固まり、その反応を見て、太田さんも瞬時に酔いが吹き飛んだ様子で、目の色を変えていました。
聞けば、太田さんは舞城さんや西尾さん、流水に、宇山さん追悼本の原稿執筆を依頼するメールの転送を、講談社の編集者に頼んでくれていたというのです。
嘘ではない証拠に、太田さんは、その場で過去メールをスマホで検索し、実際の文面も見せてくださいました。
そこには、次のようなことが書かれていました。
「流水さんと僕は過去にいろいろありましたが、われわれにとって、ともに大恩のある宇山さんの本を少しでも良いものにするために、過去のことは今回だけ水に流して、お力を貸していただけないでしょうか」
ところが、そのメールは流水のところには届いていませんでした。
流水が「届いていたら、もちろん書いていましたよ」と断言すると、太田さんは呆然としていました。
(あとでわかったことですが、舞城さんのところにも依頼メールは届いていなかったそうです。おそらく、西尾さんも同じでしょう)
太田さんは自分が下げたくない頭を下げてまで依頼したのに、流水たちがわざと書かなかったと誤解していたらしく、深夜の編集部で部下の方たちに「流水や舞城、あいつらは恩知らずな奴らだ! 決別して正解だった!」とまで言っていたそうです。
ところが、依頼のメールが届いていなかったと知り、太田さんの顔は深い悲しみに染まりました。
「……マジかよ! ひどすぎるよ! なんでこんなことができるの!?」
太田さんは何度も机を叩き、誇張ではなく本当に、顔を涙まみれにして号泣していました。
流水も、悔しさのあまり、あふれる涙をこらえることができませんでした。
宇山さんのために、過去の軋轢を棚上げして太田さんが流水たちに依頼してくださったメールは、講談社の編集者のところで止まっていたのです。
それだけではありません。
その少しあと、太田さんと別の打ち合わせをしていたときです。
太田さんがミーティングの途中で「天国の北田さんも……」とおっしゃったので流水が凍りつき、太田さんも、また表情を一変させました。
「流水さん、まさかとは思いますが……北田さんが亡くなった連絡が届いていない、なんて言わないでくださいよ?」
聞けば、流水が2007年に12か月連続刊行した『パーフェクト・ワールド』シリーズの前半6冊を担当してくださった太田さんの元部下・北田ゆう子さんが2019年3月に若くしてお亡くなりになったとのことで、流水は、なにひとつ聞かされていませんでした。
「あいつら! ほんと、いい加減にしろよ! 僕は、ちゃんと連絡を依頼したんですよ!」
太田さんは喫茶店の中でそう怒声を放ちながら、また過去メールを検索し、見せてくれました。
確かにそれは、「北田さんが亡くなったことを流水さんや西尾さんにはお伝えしてください」という、太田さんから講談社の編集者へのメールでした。
そのメールが流水のところに届いていなかったことは、言うまでもありません。
おそらく、西尾さんのところにも……(いや、講談社はドル箱作家の西尾さんには気を遣うので、伝えたかもしれませんが)。
そのような前例がふたつあったので、流水から西尾さんへのお手紙も、そもそも届けられていないのでは、という可能性を、どうしても考えてしまうのです。
仮に相手が流水ひとりならスルーすることがあっても、舞城王太郎さんと佐藤友哉さんと流水の3人が心を込めたお手紙3通すべてをなかったことにできるのか……。
もちろん、西尾さん自身の手には渡って、読んで返事をする気が起きなかったとか、返事を書けない事情があるのかもしれません。子どもではないので、そうした可能性も当然、想定しています。
ただ、人の生死に関わる重大な知らせさえ伝えられなかったことが過去に2回あったので、「きちんと届けてくれたのだろうか」という思いはずっとあり、なんとも言えないモヤモヤした気持ちが消えずにあります。
真実がわかる日は永遠に来ないかもしれませんが、大恩人である宇山さんの追悼本に流水たちが参加しなかった理由を、この機会に書かせていただけたのは良かったです。
流水は「太田さんは、どうして依頼してくれなかったんだ……」と失望し、太田さんは「せっかく依頼したのに、書かない流水や舞城は恩知らずだ!」と激怒していたわけですが、すべての原因をつくったのは、メールをストップさせていた人物だったのです(ちなみに、西尾さんへのお手紙を託したのと同一人物です)。
太田さんが「宇山さんの追悼本に、流水以降の作家に声をかけていないのはアンフェアだ」と批判されている文章もネットで読んだことがありますので、太田さんの名誉回復のためにも、書かせていただきました。
このようにセンシティヴな文章を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Quote
清涼院流水 Ryusui Seiryoin
@Catholic_Ryusui
【闇に消えた西尾維新さんへのお手紙】
西尾維新さんのデビュー作の帯文誕生の秘話については、先日、【良いアイディアを思いつく3つの場所】で書きました。
良いアイディアを思いつく3つの場所
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