戦後沖縄における琉球独立論(運動)の変遷と民衆意識の変容(下)
「沖縄通信」第136号(2019年8月)
西浜 楢和
fwnh9861@mb.infoweb.ne.jp
戦後沖縄における琉球独立論(運動)の変遷と民衆意識の変容(下)
4.琉球民族独立総合研究学会の設立
2013年5月、琉球民族独立総合研究学会が設立された。設立は再度の琉球併合と位置づけられる「復帰」日の5月15日であった。この日、設立総会後に開かれたシンポジウムに筆者も参加した。
「設立趣意書」の要旨は、以下の通りである。
1609年の薩摩侵攻に端を発し、1879年の明治政府による琉球併合以降、現在にいたるまで琉球は、日本、そして米国の植民地となっている。琉球民族は、国家なき民族(statelessnation)、マイノリティ民族(minoritynation)となり、日米両政府、そしてマジョリティのネイションによる差別、搾取、支配の対象となってきた。(中略)
琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界中の 国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある。
琉球民族の独立を目指し、琉球民族独立総合研究学会を設立する。本学 会の会員は琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族に限定する。本学会は「琉球民族の琉球民族による琉球民族のための学会」である。(中略)
琉球の独立が可能か否かを逡巡するのではなく、琉球の独立を前提とし、琉球の独立に関する研究、討論を行う。独立を実現するためには何が必要なのか、世界の植民地における独立の過程、独立前後の経済政策および政治・行政・国際関係の在り方、琉球民族に関する概念規定とアイデンティティ、琉球諸語の復興と言語権の回復、アート、教育、ジェンダー、福祉、環境、マイノリティ差別、格差問題、在琉植民者の問題等、琉球独立に関する多角的および総合的な研究、討論を行い、それらを通して人材の育成を行う。(中略)
学会の研究成果を踏まえて、国連の各種委員会、国際会議に参加し、琉球独立のための世界的な運動等も展開する。(中略)
我々は国際人権規約共通第一条に規定された「人民の自己決定権」に基づき、琉球独立という本来の政治的地位を実現することを目指し、市民的及び政治的権利に関する国際規約の第18条「思想、良心及び宗教の自由」、第19条「表現の自由」、さらに第27条「少数民族の権利」に拠って、琉球独立に関する研究を琉球民族として推し進めていく。(後略)
「設立趣意書」は、「琉球の独立を志す全ての琉球民族に参加を呼び掛ける。2013年5月15日 琉球の独立を求め、決意を新たに」と、結ばれる格調高いものである。
琉球独立にかかわる研究と実践を目的とする学会の設立は画期をなすもので、「琉球史上はじめて創設された琉球独立に関する学会」(「設立趣意書」)である。ここで注目すべきは次の二点である。
琉球は独立出来るのか否かを研究、討論することを目的に設立された学会ではなく、「琉球の独立を前提とし」ている点である。このような学会や組織はかつて存在しなかった。もう一つは、「会員は琉球の島々に民族的ルーツを持つ琉球民族に限定する」と、会員をクローズドにしている点である。学会設立当初、「この会則は排外主義ではないのか」という批判がかなりの数、寄せられた。この批判に対し、学会共同代表の一人である友知政樹は「琉球の地位や将来を決めることができるのは琉球民族のみである。琉球民族があえて自ら難儀をし、それを乗り越えてゆくことが、自らを解放するプロセスに不可欠であるとも考えている。また、我々は琉球民族である自らを守るためにも、会員を琉球民族に限定したのである。誰かを責める目的のためではない。『排外主義的』などといわれる筋合いは一切ない。」(「『琉球民族独立総合研究学会』の設立によせて」『うるまネシア』第16号所収、2013年8月)との見解を述べたことにより、この疑義は克服されたと筆者は考える。
5.国連をめぐる動き
2015年9月、翁長知事はジュネーブの国連人権理事会の場で、「沖縄の人び
との自己決定権や人権はないがしろにされている」と演説したその中で、「自己
決定権」と「人権」という単語を2回使用した。翁長知事が自己決定権に言及
し、基地問題を人権の問題として語ったのは初めてのことだった。
さて、国連の自由権規約委員会は2008年と2014年に、また人種差別撤廃委員会は2010年、2014年、2018年に、琉球・沖縄の人びとを先住民族として認め、権利や伝統文化、言語を保護する旨の勧告を日本政府に対し、5回おこなってきた。筆者は今までの論文でそれらを取り上げてきたので、ここでは一番最近の2018年8月に出された人種差別撤廃委員会の勧告を見ることにしよう。
委員会は,締約国(注:日本のこと)が,琉球の人々を先住民族として認識するよう、その立場を見直し、その権利を保護する措置を強化することを勧告する。委員会は、締約国が,女性への暴力を含む,琉球・沖縄の人びとの適切な安全と保護を確保し、加害者の適切な起訴及び有罪判決を確保することを勧告する。
17.委員会は、前回の勧告およびその他の人権メカニズムからの勧告にもかかわらず、琉球・沖縄の人びとが先住民族として認識されていないことを懸念する。委員会はまた、沖縄本島におけるアメリカ合衆国の軍事基地の存在による、沖縄の女性に対する暴力の報告について、および報告されているところによれば、民間人の居住地域を巻き込んだ軍用機の事故に関連して琉球・沖縄の人びとが直面している課題について懸念する。(第5条)
18.委員会は、締約国が琉球の人びとを先住民族として認識することに関して、その立場を再検討すること、および彼・彼女たちの権利を保護するための措置を強化するよう勧告する。委員会は、締約国が、琉球・沖縄の女性を暴力から保護すること、ならびに彼女らに対する暴力の加害者の適切な訴追と有罪判決を確保することを含む、琉球・沖縄の人びとの適切な安全と保護を確保するよう勧告する。
勧告が「米軍基地の存在」を指摘したことはかつてなく、今回が初めてである。沖縄では、米兵や軍属による性暴力、米軍機の事故が後を絶たない。委員会は、日本政府が琉球・沖縄の人々を先住民族と認識せず、土地や資源に関する権利の保障もせず、人種差別撤廃条約の第5条が定める「暴力又は傷害に対する身体の安全及び国家による保護についての権利」をないがしろにしていると断じている。一方、日本政府は勧告に強制力がともなわないのをよいことに、現在まで勧告を無視し続けてきた。
一方、日本政府は2007年に国連で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を受け入れ、アイヌ民族を先住民族と認めた。そして2008年6月6日、衆参両院本会議で「アイヌ民族を先住民族」とする国会決議が全会一致で採択された。
しかるに、アイヌ民族を先住民族と認めた日本政府は、どうして琉球民族を先住民族と認めることをかたくなに拒否し続けるのであろうか?推量するに、歴史上アイヌ民族は自らの領土を持たなかったのに対し、琉球民族は約500年の長きにわたって琉球王国という独立国家(領土)を有していたからだと考える。一旦、琉球民族を先住民族と認めるやいなや、歴史認識の変更が大きく問われることとなる。政府はそれを十分認知しているのである。
しかし、このような対応を維持し続けることを国際社会は容認しないであろう。
6.宗主国に身を寄せるうごめき
以上のような国連をめぐる動きなどに対し、「我々は日本人であって先住民族ではない」との揺り戻しが起こるのも、また歴史的によく見られる現象である。
沖縄では、2015年12月に豊見城市議会が、2016年6月に石垣市議会が、2019年3月に本部町議会が、国連の「沖縄県民は先住民族」とする勧告の撤回を求める意見書を採択した(豊見城市議会は決議も)。内容はほぼ同趣旨で、「祖国復帰…後も他府県の国民と全く同じく日本人としても平和と幸福を享受し続けている。」「世界最高水準の人権が保護され、質の高い福祉、医療、教育を享受している。」「それにもかかわらず、先住民の権利を主張すると、全国から沖縄県民は日本人ではないマイノリティとみなされることになり、逆に差別を呼びこむことになる。」というものである。
日本人と同化しなければ差別されてしまうという、この心理は、悲しいまでの被植民者の精神の表れであるといえるのではなかろうか。
さらに、2019年5月になって、「一般社団法人 日本沖縄政策研究フォーラム」(理事長 仲村覚)が、全国1,700余の市町村議会に対して「国連各委員会の『沖縄県民を先住民族と認めて保護すべき』との勧告の撤回を求める意見書」の陳情書提出運動を呼びかけた。「あの生き地獄の沖縄戦をも、『命懸けで日本人として守り抜いた』とする陳情書は、いったい『誰の立場で、何の目的で』なされたのか。」(2019年7月19日付『沖縄タイムス』「論壇」)と、与那嶺義雄(西原町議会議員)は警告を発している。
このように先住民族規定、独立をめぐる激しい攻防が、現在進行しているのを知ることが出来る。
2015年8月、国連特別報告者ビクトリア・タウリ・コープスはシンポジウム「沖縄における人権侵害―自己決定権の視座から―」の基調講演で、「国連人権理事会は沖縄を『先住民』と認めている」、「国連宣言を踏まえると、先住民は政策を自己決定できる。海域・空域を含めた土地や資源の権利がある」と語った。コープスは、自己決定権を行使し得る主体は、国家の内部にあって抑圧、差別される先住民族である。琉球・沖縄の立場はこの「先住民族」に該当すると語っているわけである。
日本(ヤマトゥ)による植民地主義と同化政策、そして「復帰」運動の中で培養された日本志向が自己認識を妨げているのだといえよう。それ故、琉球・沖縄人だという自覚、つまり琉球・沖縄人のアイデンティティの確立こそが自己決定権を手にすることができるのであり、沖縄民衆(ウチナーンチュ)は人民の自己決定権が“ある”と認識するだけでなく、“持っている”と自己規定することが、今後ますます問われていくことになるだろう。
2001年より5年に一度実施されている『琉球新報』の県民意識調査によると、「現行通り日本の一県でよい」は、2011年の61.8%から2016年に46.1%へと過半数を割った。「連邦制」や「自治州」、「独立」を望むは、20%から34.5%へと14.5ポイント急上昇している。2015年に『琉球新報』が実施した世論調査でも、「自己決定権を広げていくべきだ」は87.8%に上っている。(『続沖縄の自己決定権 沖縄のアイデンティティー』新垣毅 16ページから19ページ)
こうした民衆意識の変容を我々ははっきりと知ることが出来る。
自己決定権の拡大、確立に向けて、次のような取り組みが求められると考える。
2014年12月10日、翁長雄志は知事就任挨拶で、しまくとぅば(島言葉=琉球諸語)を「使いながら、少しずつ覚えていただければありがたい。」と述べた。
沖縄県議会は2006年に「しまくとぅばの日」条例を可決し、その普及・継承の活動に取り組んでいる。毎年9月18日がそれを記念する日だが、「く」で9、「とぅ」で十、「ば」で8という語呂合わせからその日が選定された。沖縄県は2012年から「沖縄文化活性化・創造発信支援事業」の対象事業に「言語文化(しまくとぅば)」を明記している。
さらに、『沖縄タイムス』は2013年7月7日より週1回、紙面の1ページを使って「うちなぁタイムス(週刊しまくとぅば新聞)」の連載を始めた。7月7日付「創刊号」で、宮里朝光(沖縄県沖縄語普及協議会会長。2019年9月1日死亡)、石原昌英(琉球大学教授)、仲里効(映像批評家)、知念ウシ(むぬかちゃー)の4氏が、謝花直美(『沖縄タイムス』特報チーム部長)の司会で座談会に臨んでいる。そこで、石原は「自分の母語をしゃべるのは権利だ、という『言語権』の概念を知った」、知念は「うちなーぐちが外国語ならもっと集中して勉強しているはず。うちなーぐちに対しては、いろんな精神的葛藤もあり、近くて遠い。いややっぱり、遠くて近い、言葉ですよね」と語っている。「しまくとぅばの日が制定され今年(注:2013年)7年を迎えるが、課題は」との質問に対し、石原は「しまくとぅばを『必要』『使いたい』と思っている人は多い。意識と行動のギャップをどう小さくするかも鍵になる」、仲里は「06年の制定は遅すぎた。『やっと』の感は否めない。それだけ沖縄の言語が負った傷が深かったということなのかもしれないが。…もう少しマブイを込めて制定し直すということも考えていいのでは」と答えている。
琉球・沖縄人が植民者の言葉(ヤマトゥ口=日本語)を自分(たち)の言葉として認識し、そこに何の疑問も違和感も反発心もなく使用することは、不平等な自らの地位を無意識に肯定していることになるのだが、沖縄民衆(ウチナーンチュ)の現実の意識はどうであろうか。それを沖縄県が実施した「しまくとぅば県民意識調査」の2016年度報告書から見ることにしよう。
「しまくとぅば」に対して「親しみを持っている」、「日常生活で必要である」と考えている県民は約80%を占め、2013年度の結果とも同様の傾向となっているものの、「親しみを持っていない」と回答した割合は3.4ポイント増加している。
「しまくとぅば」に対する理解度は63.8%を占めているが、2013年度に比べて、理解している割合は4.6ポイント減少、理解していないと回答した割合は4.5ポイント増加している。ところが、「しまくとぅば」講座や「しまくとぅば」関連イベントに「参加したことがある」が6.8%、「参加したことはない」が93.0%を占めているという状況である。
また「しまくとぅば」を共通語(注:日本語のこと)以上に使用している割合は2013年度に比較して3.9ポイント減少、使用していない割合は4.8ポイント増加している。ここから「しまくとぅば」の使用頻度が低下傾向にあることが分かる。
「しまくとぅば」を子どもたちに使えるようになってほしいと82.2%が考えているものの、その割合は2013年度から4.6ポイント減少し、使えなくてもよい割合が4.3ポイント増加しており、「しまくとぅば」が使えるようになることに対する意識もまた低下傾向にある。
以上が現実の意識である。しかし、「しまくとぅば」の普及には学校での教育が重要だが、官公庁、民間企業、マスメディアでの「しまくとぅば」の使用やコンテストも必要とする回答は2013年度より増加傾向にあることは注目に値する。例えば、那覇市職員採用試験では二次の面接試験において、しまくとぅばで自己紹介をすることを求めている(採点項目ではない)。
現在、沖縄県沖縄語普及協議会や沖縄県うちなあぐち会、しまくとぅば普及センターなどの諸団体が普及活動を展開している。また、「沖縄三筆」の一人で、近現代沖縄最大の書道家と称される謝花雲石(1883~1975年)の業績をテーマにした「しまくとぅば鼎談(第10弾)」が「謝花雲石さのーちゃんぐとぅー字ぃー書ちゃが?」と題して催される(2019年9月21日開催)など、脱植民地の取り組みが地味に継続して取り組まれている。
2.米・仏・蘭との修好条約(正本)の琉球・沖縄への返還要求
琉球王国は独立した国家として、1854年7月にアメリカとの間で琉米修好条約(亜米利加合衆国琉球王国政府トノ定約)を、1855年11月にフランスとの間で琉仏修好条約(琉球仏国間ノ条約)を、1859年7月にオランダとの間で琉蘭修好条約(琉球蘭国間ノ条約)をそれぞれ締結している。当時の国力差からして3条約とも不平等条約であったが。
「琉球処分」途上の1873年3月、明治政府は外交権の剥奪に乗り出し、この3条約の提出を琉球に命じた。琉球は強く抵抗したが、最後は政府の強硬姿勢に屈し、1874年5月、津波古親方政正が条約原本を携えて船で上京、政府に引き渡したという歴史がある。この条約原本は、現在、外務省外交史料館が保有している。
2006年10月、鈴木宗男衆議院議員が「質問主意書」で、3条約は法的拘束力を持つ国際条約かと政府見解をただした。政府の返答は、「ご指摘の各『条約』と称するものについては、いずれも日本国として各国との間で締結した国際条約ではなく、法的性格につき政府として確定的なことを述べることは困難である」というものであった。
さらに、2015年2月、照屋寛徳衆議院議員が「琉球王国の歴史的事実と認識に関する質問主意書」を提出した。これに対し政府は、「答弁書」で「ご指摘の『琉球王国』をめぐる当時の状況が必ずしも明らかではないこともあり、お尋ねについて確定的なことを述べることは困難である」と返答した。
ここから明らかなように、現在、日本政府は歴史的に琉球王国が独立国家であったという事実を認めず、3条約の存在についても曖昧な態度を取っている。それにもかかわらず、条約(原本)はいち早く奪い取り、自分たちが隠匿しているのである。
それ故、県議会などで採択した上で、3条約原本の琉球・沖縄への返還を要求すべきである。
3.琉球人遺骨返還請求訴訟裁判の先駆性、先見性
1928年から1929年、京都帝国大学助教授であった人類学者・金関丈夫は、琉球人遺骨を今帰仁村の百按司(モモジャナ)墓から持ち出し、現在、京都大学が26体の遺骨を占有している。その遺骨を子孫らに引き渡せとの裁判が、現在京都地裁でおこなわれている。原告は百按司墓に葬られていた第一尚氏の子孫らと先住民族である琉球民族の5名、被告は京都大学である。
この遺骨の持ち出しは、門中関係者、地域住民等の了解を得てなされたものではない。1879年の琉球併合後、警察を含む行政、教育関係の上層部の大部分を本土(ヤマトゥ)からやって来た日本人が専有し、皇民化教育等の同化政策が実施された植民地体制下でなされた盗掘である。
2007年に国連は「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択したが、その「第12条 宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還」では次のように言う。
1. 先住民族は、自らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現
し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、その宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、遺骨の返還に対する権利を有する。
2. 国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を
通じて、儀式用具と遺骨のアクセス(到達もしくは入手し、利用する)および/または返還を可能にするよう努める。
ここからも明らかなように、先住民族としての琉球人の遺骨が盗骨され、それが現在でも京大に保管されているという事態は国際法上の問題でもある。
それ故、今回の裁判は脱植民地化という一連の流れの中での遺骨返還運動であるという点において先駆的なものであると言えよう。
以上、「しまくとぅば」の復興、3条約(正本)の返還要求、琉球人遺骨返還請求裁判について見てきた。ところが、脱植民地化、自己決定権の拡大、確立に向けた取り組みはこれらにとどまるものではない。1879年の琉球併合以後、日本政府は琉球・沖縄に対して徹底的な同化政策を強行してきた。戦後もまた、「『占領』という檻のなかで――1945年-1972年」、「『日本』という枠のなかで――1972年-2010年」(『沖縄の戦後思想を考える』鹿野政直)、沖縄を併合、排除、吸収、分離、差別してきたのであるから、ウチナーンチュは今もなお24時間の生活総領域においてヤマトゥ化の荒波の中にあり、自分たちの自立を阻む事象の、そのすべてを未だ見つけ出せてはいない。今後、これらの事象を一つひとつあぶり出していく作業こそが求められる。
■ まとめにかえて-ヤマトンチュとしての責務
「はじめに」の項で、筆者は、「沖縄・琉球は独立すべきである」とか、あるいはその逆に、「否、すべきでない」とかを論じるのではない。それを選択するのはあくまでも琉球・沖縄人(ウチナーンチュ)であり、筆者の如き日本人(ヤマトンチュ)ではないと述べた。
筆者の如き日本人(ヤマトンチュ)の責務は、琉球・沖縄人(ウチナーンチュ)がなそうとする脱植民地化、自己決定権の拡大、確立に向けた取り組みを妨害しないこと、厚い共感を持って接触することだと考える。沖縄での取り組みは将来独立運動に向かうやも知れない。それは数年後か、あるいは50年後100年後の長期になるのかも知れない。ここで、ベルリンの壁崩壊は1989年11月9日のことだが、1988年9月に西ベルリンで開催されたIMF・世界銀行総会において東西ドイツの融合が訴えられたが、その一年後に壁がなくなることを予測した者は誰一人としていなかったことを想起しよう。
辺野古新基地建設に反対する運動を威嚇するかの如く、日本政府は2007年5月に海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」(5,700トン)を辺野古沖に派遣した。更に2016年9月には高江ヘリパッド建設に陸上自衛隊の大型輸送ヘリCH47を投入した。これらの先例から鑑みると、沖縄の独立が現実味を帯びて来た時には、政府は自衛隊という日本軍を投入して、その鎮圧にかかることは十分に予測できることである。
沖縄の民衆(ウチナーンチュ)が自ら選択(=自己決定)するその途を何としても守り抜く、その責務をヤマトゥに住む人間(ヤマトンチュ)は全うすることこそが求められている。