第6話:氏神常葉×無限人

「は……?」


 目の前に現れた人物の存在を認識した瞬間、氏神常葉と言う名のを持つ女性の脳は、情報の処理を一瞬だけ拒否した。

 それも当然だろう、彼女はまさに、現実ではありえない『異常』に直面していたのだから。


 無限に続く『病院』の廊下から、何の気配もなく現れ、立ちすくむ彼女の目の前で温和な表情を見せる女性は、自身の名前を『氏神常葉』だと語った。

 彼女がその名を騙るのにふさわしい存在である事は、その立ち姿からも明白だった。

 黒髪ショート、高めの身長、清潔感溢れる衣装――それらの要素は、頭のてっぺんからつま先まで、どこからどう見ても、医師として活動していた頃の常葉そのものだったのだ。

 だが、そんな事は決してあり得ないはずだった。

 氏神常葉と言う存在は、今ここに、間違いなくいる。それなのに、目の前にもう1人、全く同じ人物が立っている。


「……これ……幻影……錯覚……?」


 そうだ、そうに決まっている。氏神常葉はこの世にただ1人しかいないはずだ。

 必死に心の中で事態を把握しようとした常葉であったが、目の前にいる『常葉』は、そんな彼女の楽観的な思想を砕くように、そっと彼女の掌に触れた。


「ずっと待っていたわ、貴方の事を」

「……!?」


 何故か目を少しだけ潤ませながら語る『常葉』の掌は、彼女がれっきとした実像であり、命を宿している事を示すように、温かかった。

 その直後、常葉――『ムゲン病院』に招待された方の常葉は、慌てて腕を引っ込めた。

 彼女の表情には、驚愕と恐怖、ふたつの感情が入り混じっていた。


「な、な、な……何よ……何よ、貴方!?」

 

 貴方はいったい誰なのか、と絶叫するように叫んだ常葉に、医師の姿をした『常葉』は、笑顔を崩さないまま、もう1度自分の名前を名乗った。

 その声は、今の常葉が出せそうにないほど、明るいものだった。


「何を言ってるの……!?氏神常葉は私よ!」

「そう、貴方は間違いなく氏神常葉。そして、『私』も氏神常葉なのよ」

「へ……!?そんなのおかしいわ!私はこの世界に1人しか……!」


「ふふ、そうかしら?」

「……!?」


 目の前の存在を懸命に否定しようとした時、氏神常葉の声が聞こえた。

 それは、常葉自身でも、目の前にいる医師の姿をした別の常葉でもなかった。彼女の背後から、自分自身のどこか楽しそうな声が響いてきたのだ。

 慌ててそちらの方向を振り向いた常葉は、再び顔色を失った。


 そこにいたのもまた、『氏神常葉』だったのである。


「はじめまして、『私』」


 そう言いながら笑顔を見せる新たな常葉もまた、黒髪ショート、比較的高い身長、少しつり目の瞳と、あらゆる要素が常葉本人と全く同じであった。

 ただ、その衣装は、『医師』のような白衣ではなく、純白の清潔感溢れるナース服だった。

 そう、まるで医師を手助けから各種の雑務まで様々な業務を担当する、『看護師』のような着こなしだったのである。


「え……え……っ」


 医師と看護師、ふたりの自分に挟まれる形になってしまった常葉は、唖然とするしかなかった。

 自分の数が2人どころか、3人に増えている。無限に広がる空間どころじゃない、文字通りの異常事態だ。

 とにかく逃げださなければ――そう思い、彼女たちから距離を置こうと、ゆっくりと横へ動いたその瞬間、彼女の体が何かに触れた気配がした。

 ごめんなさい、とつい口に出してしまった彼女の目に飛び込んできたのは――。


「……!?!?」

「……ふふ」


 ――医師姿の常葉、ナース服姿の常葉とはまた別の、『もう1人のナース服の氏神常葉』が、優しげな目線でこちらを向いている光景であった。


「へ、へ、へ……!?」

「こんにちは、『常葉先生』」


 右を向いても自分、左を向いても自分、隣を見ても自分。

 気付いた時には、常葉は3人の自分に取り囲まれていた。


「ふふふ……」「ふふふ……」「ふふふ……」

「な、何なのよこれ……どうなってるの……!?」


 だが、常葉に新たな自分の出現に驚く暇は与えられなかった。

 3人の自分たちの周りから、更なる『存在』が、次々に現れ始めたからである。


 横の廊下からは、白衣を着こなす『医師』が現れる

 反対側の廊下からも、白いナース服を着こなす『看護師』が。

 奥の廊下からも、前からも、後ろからも、右からも、左からも――。


「こんにちは」「ふふ、こんにちは」「はじめまして」「会いたかったわ」…


 ――全く同じ声を響かせる存在は、体つきも顔つきも全く同じだった。

 全員が黒髪ショートの髪形。全員が平均身長よりも高いすらりとした体形。全員が同じ顔、同じ目、同じ口元。

 何十人、何百人、もしかしたらそれ以上に膨れ上がっているかもしれないその大群は、廊下のあちこちから絶え間なく現れ、こちらを見て微笑み続けた。


 そして、気付いた時、氏神常葉は――。


「な……な……な……」


 ――無尽蔵に増え続ける『氏神常葉』の大群に、取り囲まれていた。


「なんで……なんで私がいっぱいいるのよぉぉぉ!!!!」


 彼女の口から発せられたのは、数ヶ月ぶりかもしれない、自分でも驚くほどの大声だった。

 無限に広がるエントランスに広がったその声は、廊下の奥まで響くほどの音量だった。

 しかし、周りに溢れかえる『医師』や『看護師』の大群は一切動じることなく、ただ穏やかな微笑みのまま、彼女を嬉しそうに見つめ続けていた。


 その事態を受け、常葉が行った行動は、自分の頬を思いっきりつねる、と言う行為だった。

 無限に広がる病院のような空間から、無尽蔵に自分自身が現れ続ける。そして、全員ともそろって自分を温和な表情で見つめ続ける。

 こんな常識で考えられない光景、やっぱり夢だ。夢に決まっている。間違いなくそうだ。だから早く目覚めて。ベッドの上に行かせて。

 だが、そう考えた直後、彼女の頬に強烈な痛みが走った。あまりにも思いっきり頬の肉を引っ張ったせいだった。


「……う……嘘……でしょ……!?」


 その感覚は、彼女に周りの光景が幻想でも夢でもなく、紛れもない『現実』である事を突き付けるには十分すぎる効果があった。

 この『ムゲン病院』なる病院に存在する人間は、全員揃って『氏神常葉』である、という事を。


「い……いやあああ!!無理!!無理無理無理!!!」


 再び絶叫した常葉は、周りを取り囲む自分自身の大群を押しのけ、出口であるガラス張りの自動ドアへ向かおうとした。

 こんな場所に居たら、命が幾つあっても足りない、という恐怖が、彼女の心を包み込んでいた。

 彼女と瓜二つの人物の大群は音もなく次々に現れ、大量の笑顔を向け続けていたが、それでも何とか常葉は夥しい数の肉の海を進み続けた。

 そして、ようやく目的地が見え、安堵の心が僅かながら現れた、その直後だった。

 扉の向こうから現れた存在を見て、常葉は絶句した。

 それも当然だろう――。


「「「「「「「うふふ、こんにちは、常葉先生」」」」」」」


 ――扉の外に広がっているはずの『世界』もまた、数えきれないほどの『氏神常葉』で、びっしりと覆い尽くされていたのだから。

  

「い、いや……いや……」


 そして、足の力が抜けたかのようにその場に座り込んでしまった常葉は、とうとう我慢の限界を迎え、涙を流し始めてしまった。

 どうして、こんな事になってしまったのか。あの奇妙な手紙や地図に従い、何とか生き続けるためだけにこの場所にやって来ただけなのに、何故このような恐ろしい事態を体験しないといけないのか。

 このまま自分は、無数の『自分自身』に取り囲まれ、息絶えてしまうのだろうか――。


「もう嫌……何もかも嫌……」


 ――いや、いっそこのまま消えてしまいたい、と言う思いが、心を支配しようとした、その時だった。彼女の肩に、温かい感触が走ったのは。

 振り向いた先にいたのは、やはり『氏神常葉』、この奇妙な空間を覆い尽くしている自分自身のうちの1人だった。

 しかしその表情は、先程までのものとは異なり、どこか悲しそうな表情だった。


「……泣かないで」

「えっ……?」


 貴方が泣いているのを見ると、私たちも悲しくなってしまう――その『常葉』は、はっきりと彼女に告げた。

 それに同意するかのように、辺り一面を覆い尽くしている『常葉』たちもまた、同じような表情を見せながら頷いた。

 一体何がどうなっているのか、自分に危害を加えるつもりはないという事なのだろうか。涙が少しづつ引っ込み、きょとんとした表情を見せ始めた常葉に、傍に近寄った『常葉』は語った。

 わざわざこのような場所にやって来てくれた来客を、驚かしたり泣かしたりするつもりはなかった、許して欲しい、と。

 それに呼応するように、常葉の周りには自分自身の謝罪の声の大合唱が響き渡った。


「……は、はぁ……」


 大量の自分と同じ姿形の存在に謝罪されてしまっては、流石の常葉も素直に受け取らざるを得なかった。

 やがて、奇妙な心地を抱きながらも、少しづつ感情が落ち着いてきた頃合いを見計らったかのように、もう1人の『常葉』の表情が、真剣なものへと変わった。


「……氏神常葉先生。貴方に、改めてお願いがあります」

「……?」


 直後、何千人もの『常葉』たちは、一斉に同じ行動をとった。全員が揃って同じ姿勢で、静かに、深く、彼女に向けて頭を下げたのである。

 そして、彼女たちは、同時に同じ言葉を発した。


「「「「「「「「「「「どうか、この『ムゲン病院』で、私たちと一緒に働いてください」」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「お願いします」」」」」」」」」」」」」」


 寸分の違いもなく揃ったその声に宿っていたのは、追いすがる焦りでも怒りでも、からかいでも脅しでもなく、ただただ切実な懇願の気持ちだった。

 しばらくの間、常葉――手紙と地図を受け取りこの場所へ辿り着いた『本物』の氏神常葉は、その場から動く事が出来なかった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年4月8日 18:00
2026年4月9日 18:00
2026年4月10日 18:00

ムゲン病院なんでも科奮戦記 ~転職先は、全てが無限大の病院でした~ 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

作家にギフトを贈る

いつも応援ありがとうございます。皆様のギフト、励みになります。
カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画