第5話:ムゲン病院へようこそ・常葉編

 子供が書いたような奇妙な手紙と地図を貰ってから数日後、氏神常葉の姿は指示された『△△行き』のバスの中にあった。

 窓の外の景色は、駅前の商店街を過ぎたあたりから急速に寂しくなっていった。

 店舗の感覚が広がり、住宅地が途切れ、田畑が増え、やがてそれらも無くなっていき、気付いた時には雑木林や空き地が交互に現れる光景が続くようになった。

 そんな窓の外を見つめつつ、常葉は膝の上に、あの『招待状』のような手紙や地図を乗せていた。


 本当に、なんで家からも『総合病院』からも遠く離れた、こんな場所までわざわざ自分は来てしまったのだろうか。

 どうして、わざわざ久しぶりにシャワーを浴びたり、クローゼットの奥から何とか引っ張り出した余所行きの服に袖を通したのか。

 何故、ボロボロの心を引きずってまで、外に出なければならなかったのか。


 様々な後悔が心の中で渦巻く中でも、バスは冷淡に『目的地』へと進んでいった。

 このまま乗り過ごし、終点まで行って、折り返しのバスで帰るという事も、常葉には可能であった。

 かえって、布団に潜り込み、天井の染みを眺める日々に戻るという、楽な選択肢が。

 でも、それではあの大量の請求書の山は、1枚も減らない。自分の首は、ますます絞められていく。

 結局、残された道は1つしかないのか――。


『次は、○○、○○です』


 ――様々な事を思い悩む彼女であったが、車内に響くアナウンスを聞いた途端、何故か指が勝手に動いていた。

 考えるよりも先に、身体が自然に降車ボタンを押していた。


「……はは……」


 まるで心よりも体の方が現状を分かっているような自分の行動に、常葉は乾いた笑いを漏らした。


 やがて、バスは地図に指示された『○○』と言う名のバス停に辿り着いた。

 覚悟を決めた常葉は、ICカードを装置にタッチして運賃を支払った。

 そして、バスが去っていくのを見送った彼女は、しばらくの間、周囲を見回した。


「あれ……?」


 だが、辺りには何もなかった。

 両側に広がるのは、バスの窓からずっと続いていた雑木林や空き地ばかりで、民家どころか倉庫の1つすらどこにも見当たらない。

 本当に病院なんてあるのだろうか、やっぱりあの地図はデタラメだったのではないだろうか、そんな邪推が頭をよぎった、まさにその時だった。


「……!」


 道路が緩やかにカーブした先、雑木林が途切れた場所に、白い何かを発見したのは。

 そちらの方向へゆっくりと進んでいった常葉の視界に入ったのは、白いコンクリート造りの、若干レトロチックな、しかしどこか清潔感がある大きな建物だった。

 その建物の正体が何か、彼女はすぐに判断する事が出来た。

 当然だろう、入り口と思われる場所に、『ムゲン病院』と言う看板がしっかりと掲げられていたのだから。


「ここが……病院なの……?」


 氏神常葉が最初に抱いた印象は、『思ったよりも普通』というものだった。

 正直、彼女はあの怪し過ぎる手紙や地図を見て、ホラーチックでボロボロな廃病院や、新興宗教っぽいやたら剛性で奇抜な外見を覚悟していた。

 だが、目の前にあるのは、郊外に立地していそうな感じの、年季こそ入っているがごく普通の総合病院風の建物だ。

 ただ、現時点で1つだけ奇妙な点も、彼女は同時に見つけていた。

 駐車場に車が一台も止まっておらず、人の気配も全くないのである。


(……休診日なの……?でも、あの手紙には『いつ来ても大丈夫』って書いてあったし……)


 色々と気になりつつも、常葉は歩みを『ムゲン病院』の建物へと進めた。

 長距離の移動を覚悟して履いてきたヒールのないフラットシューズが、アスファルトの上で乾いた足音を立て続けた。

 やがて、彼女はガラス張りの自動ドアの前に立った。

 それらが静かに開くと同時に、内部から消臭剤や芳香剤がかすかに混ざったような、『病院』特有の香りが漂ってきた。


「……」


 覚悟を決めて入った彼女を待っていたのは、確かに病院らしさを見せるエントランスであった。

 白いリノリウムの床が広がり、正面に受付カウンターがあり、その横に待合スペースが存在し、空調の音が低く響き続ける――それだけなら、若干昭和チックな病院の少し懐かしい情景そのものだったかもしれない。

 だが、内装を確認しているように眺めているうち、常葉はこの空間の『異常さ』に気づき始めた。

 担当の看護師たちが並んでいるはずの受付カウンターにも、患者やその関係者たちが座っているはずの待合スペースにも、誰一人として『人間』がいなかったのである。

 『いつでも来てください』と言われてきたのに、誰もいないのはどういう事なのだろうか。

 若干の不満を抱きながら、より遠くの場所へ視界を広げようとしたその時、常葉は『異常』の本質に気づいてしまった。


「……!」

 

 ごく一般的な郊外の総合病院であるはずのこの建物の規模ならば、奥行きは最大でも数十メートル程が限度であるはずだった。

 だが、視界に広がる光景は全く異なり、『受付カウンター』そのものが、文字通り果てしなく続いていた。

 LEDライトが一定間隔で天井に埋め込まれ、その白い光の点列が、廊下の遥か奥まで絶え間なく続き、最終的には無数の光の粒が1つの点に収束するまで、どこまでも延々と伸び続けていたのである。


 更にそれだけではなく、待合スペースもまた前後左右にどこまでも広がり、患者たちが落ち着いて座れるであろうソファーも、何百何千、何万と果てしなく配置されていた。

 加えて、診察室や病棟に続くであろう廊下もまた、まるで迷路のようにどこまでも伸び続け、無尽蔵に枝分かれを続けていた。

 そして、その両側には、全く同じ形をした白い扉が、壁面を果てしなく埋め尽くしていた。


 どこまで見ても終わりが見えず、全く同じ構造物が複製されまくったように果てしなく続く。

 まさにそれは、『無限』であり『夢幻』。この病院の名前を示すかのような、異様な光景だった。

 

「何よ……これ……なんで……エントランスも……廊下も……」


 脳の機能が誤作動を起こしてしまいそうなほどの常識外れの空間を前に、常葉は冷や汗をかきながら唖然とした顔を見せる事しか出来なかった。

 こんな場所へ居たら、それこそ自分がおかしくなってしまいそうだ。

 ここは逃げ出した方が良いかもしれない――彼女自身の心が発した危険信号に素直に従い、自動ドアから外へ抜け出そうとした、その時だった。

 『無限』に続く廊下の奥から、足音が聞こえ始めたのは。


「……!」


 その瞬間、僅かながら常葉の中に安心感が芽生えた。

 誰もいない『無限』の空間の中に、命が存在する。もしかしたら、自分をこの異常な場所から助けてくれるかもしれない。

 あの、と声を掛けようとした、その時だった。

 足音の主がエントランスに現れた時、氏神常葉は文字通り絶句した。


 黒髪のショート。身長は同年代の女性と比べて少し高め。

 整った顔立ちにややつり上がった瞳。白衣の下に清潔感のあるブラウス。

 その姿に、常葉は見覚えがあった。いや、あまりにも見覚えがあり過ぎた。

 しかし、本来そのような『存在』が現実世界に現れる事は無いはずだった。

 氏神常葉と言う存在は、この世に1人しか存在しないのだから。


 それならば、目の前にいるのは、一体誰なのだろうか。

 目の前で温和な笑みを見せている、『鏡越し』にしか出会う事がないであろう『彼女』は、何者なのだろうか。

 その答えを示すかのように――。


「はじめまして、氏神常葉先生」


 ――その白衣の女性は、自身の名を『氏神うじがみ常葉ときわ』と名乗った……。

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ムゲン病院なんでも科奮戦記 ~転職先は、全てが無限大の病院でした~ 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

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