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    かけはし2012.年8月6日号

オスプレイ配備やめろ!

7.23岩国基地強行搬入に海陸で抗議

飛ばさせない運動を作り出そう日米安保を葬り去る時が来た

 【広島】ピースリンク広島・呉・岩国は、七月一三日、安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会共同代表)と田村順玄岩国市議を迎えての緊急集会を開催した。それを梃子に、地元岩国では、「オスプレイ陸揚げ・配備阻止!岩国現地大行動実行委員会」を結成した。共同代表は、住民投票の成果を活かす岩国市民の会代表の大川清さん、愛宕山を守る会代表の岡村寛さん、岩国爆音訴訟の会代表の津田利明さん。当初の先行搬入予定日七月二四日は、七月二三日に繰り上げられた。ピースリンクは、七月二一日の広島市内街宣に続き、二三日早朝からの抗議行動を岩国市民と共に組織した。

早朝から海上
抗議闘争展開
 門前川を挟んで基地の対岸になる船だまりに四時半に結集。五時五分、岩国基地沖を岩国基地に向けて航行するオスプレイを積んだ輸送船グリーンリッジを確認。五時一七分、廣中さんの漁船で田村さんら六人がまず出港。グリーンリッジは六時二〇分に岩国基地に接岸した。六時を過ぎてピースリンクの平和船団、上関原発埋立工事阻止行動で活躍したカヤックも出港。計九隻二五人が海上での抗議行動に立ち上がった。岩国の七人。呉の二人。広島の六人。平和フォーラムの八木さん、横須賀の市川さん、名護の安次富さん、高江の安次嶺さん。岩上チャンネルの若者。
 大阪の日本基督教団の人。山口の若者二人。佐世保の二人。堤防水域があるため、とても近づけない。海上保安庁もこの日ばかりは東京本部から動員しており、武装していない対テロ部隊が構えていた。しかし、海上でのマイクの音量はよく通る。最大限の力を振り絞って、新田さんを先頭にアピールをくり返す。
 オスプレイは出て行け!今すぐ出て行け!オスプレイの配備をやめろ!オスプレイは欠陥機だ!
 アメリカ合州国に持ち帰れ!日本での訓練飛行は許さない!戦争をやめろ!お前たちがやめろ!
 人殺しを止めろ!今すぐ止めろ!武器はもういらない!人殺しはさせたくない!当然、英語でも行った。陸も海もマスコミがものすごい数で、テレビカメラの望遠レンズで八時にオスプレイの陸揚げ作業開始が判明した。それを平和船団に知らせる。マイクのボリュームをさらに上げての抗議の声をぶつける。夕方までに一二機すべてが並んだ。基地の向かい側の堤防では岩国市民を先頭に三〇〇人が横断幕、プラカードを掲げシュプレヒコールをくり返した。巨大な輸送船の姿がよく見える。八時半、海上抗議行動の撤収を開始した。

六〇〇人の参加
で現地大行動
 午後一時、「オスプレイ陸揚げ・配備阻止!7・23岩国現地大行動」が堤防道路で始まった。
 用意した五〇〇枚の集会次第が無くなったので六〇〇人の参加という主催者発表。まず、主催者あいさつを大川牧師が行った。「夜コソコソと岩国入ってきた。岩国と沖縄の問題でなく全国の問題。国民の命を無視して何が安全保障か。陸揚げされて悔しい。悲しい。今から、飛ばさせない運動を開始しなければならない。錆つかせてスクラップにして米国政府に返品させる。首相官邸前での原発再稼働反対の市民たちと同じように声を上げ続けていこう」。一人一分のリレートーク形式の連帯の挨拶に移った。服部良一社民党衆議院議員、佐々木明美社民党県議、共産党県議、井原元市長の妻・井原県議、瀬戸内ネット、JR総連のJR西労委員長、安次富さん、厚木爆音訴訟原告団、ピースリンクと佐世保地区労と横須賀を代表して佐世保の方、嘉手納爆音訴訟原告団、最後にバスで駆け付けた関西の三〇人を代表して、連帯労組関西地区生コン支部。すべての基地を撤去させようと訴えた。
 次に集会次第の裏面に印刷されている「怒」を基地に向かって高く掲げる怒りのパフォーマンス。
 そして集会アピールとしての緊急声明を読み上げ採択した。「私たちが岩国への陸揚げを許してしまえば、その後はなし崩し的に試験飛行が行われ、普天間への恒久配備への道筋を作ってしまう。さらにその後の運用では、沖縄・岩国だけに留まらず各地で低空飛行訓練が行われ、全国に危険を振り撒くことも明らか」と喝破し、「その配備を撤回させるまで」闘うと声明されている。
 集会終了後、その堤防を一キロ往復デモ行進して、この日の抗議行動を終えた。

試験飛行を
やらせるな
 今後の課題は、試験飛行をさせない運動である。「アメリカの太平洋時代」という米国戦略方針の下で、米・中「対立・結託」状況(武藤一羊)の中で、オスプレイは投入されている。この技術的欠陥機は、それゆえ軍事的にも欠陥機であり、すなわち日米安保体制にヒビを入れる政治的にも欠陥機である。つまり、歴史的な没落プロセスにあるアメリカの歴史的危機の表現なのである。オスプレイを墓場に持っていければ、日米安保体制そのものを墓場に持っていける巨大な可能性があると言いたい。
       (久野成章)
    

7.18高江ヘリパッド工事強行に抗議

「オスプレイ・パッド」の
建設を絶対に許さない

 七月一八日午後六時半から、東京・市ヶ谷の防衛省前で、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが呼びかけて、沖縄・高江へのヘリパッド工事強行の中止と建設の断念を求める行動が行われた。
 七月一〇日、防衛省沖縄防衛局は、沖縄東村高江への米軍ヘリパッド建設工事再開に踏み切った。高江ヘリパッドは、いま米軍が普天間基地に新たに配備しようとしているMV22オスプレイが使用する。機体構造上、欠陥だらけで今年に入ってもすでに二度も墜落事故を起こし、死傷者を出している危険きわまるオスプレイ・パッドを絶対に許してはならない。
 地元東村の村長もヘリパッド建設を容認していたが、オスプレイが配備されるならばこれまでの姿勢を見直す可能性を示している。沖縄では八月五日に「オール沖縄」でオスプレイの配備に反対する県民大会が「これまで最大の規模」で開催される。オスプレイが「本土」で最初に陸揚げされる岩国でも、岩国市長も山口県知事も「安全性の確認のない」オスプレイ配備に抗議している。与党内からも野田政権の「米国の言うことはなんでも聞く」態度に疑問の声が上がっている。
高まるオスプレイ配備反対の声を逆なでするかのように強行された高江ヘリパッド工事の再開は、米日両政府の危機感の現れだ。防衛庁前での集会では、一坪反戦地主会関東ブロックからの状況説明の後、全労協全国一般東京労組、日韓民衆連帯全国ネット、フリー・フォトグラファーの山本英夫さん、反安保実の仲間が発言した。
 最後に防衛省の係官に申し入れ文を提出し、シュプレヒコールでこの日の行動をしめくくった。
 翌一九日には、大量の重機を使用した工事強行に抗議し、「ゆんたく高江」が防衛省前行動を行った。 (K)

阿部宗悦さんを偲ぶ

遺志を引きつぎ原発のない社会を

 七月七日、「女川の宗悦さんが亡くなった」と石巻の仲間から連絡があった。最愛のお連れ合いである孝子さんに先立たれてから五ヶ月目である。三・一一の大震災で女川港のそばにあった自宅と酒屋が津波で流され、女川第一小学校の前の仮設住宅での生活を余儀なくされていた。
 翌日、仮設住宅にご遺体が安置されていると聞き、弔問に伺った。八七年の生涯を反原発闘争に捧げた宗悦さんは、狭い仮設住宅の一室で穏やかな姿で眠りについていた。昨年一一月の女川町議選で脱原発を掲げて出馬して当選した美紀子さんは、今年に入って五カ月の間にご両親を失いながらも、気丈にこれからの闘いを切々と語っていた。「七・一六には、東京に行って全国の人々の前に立つんだ」と宗悦さんは語っていたそうである。

原発推進労組
幹部は許せぬ
 私が女川原発反対運動に参加したのは、一九七〇年代前半ごろからの青年労働運動を通してである。当時の全電通石巻分会青年会議や全逓石巻支部青年部の仲間たちとともに、現地における集会や学習会、漁民、住民へのビラ入れ、町議会選挙や町長選挙、「原発いらない人々」の参議院選挙闘争など反対同盟の人々とともに活動してきた。
 おりしも、労働戦線の右翼的再編の流れが強まる中で、東北電力労組などは、立地地域での原発建設を推し進めるために「女川原発建設促進労組会議」を発足させ、総評系の労組へも踏み込み、労線再編を利用した原発建設の攻勢を一方で行っていた。
 宗悦さんは、その状況をよく私たちに「ダラ幹部どもが、労働運動をダメにしている。今の労働運動は信頼できない」といつも鋭く批判していた。文字通り「ダラ幹」どもは、私たちと女川原発現地との「共同した行動」を「反組織行動」と称して、官僚統制を強め、三里塚開港阻止闘争とあいまって、女川原発反対運動からの撤退を決めていくのである。

三里塚のように
高浜入のように
 一九七八年三月の三里塚開港阻止闘争が、全国の労働者や市民、住民運動、青年運動の闘いで勝利したその年の八月に、東北電力、国、宮城県一体となった女川町漁協の漁業権放棄に対する闘いは熾烈を極め、女川原発反対同盟の漁民を先頭に三里塚で勝利した宮城の青年労働者たちは漁協総会開催を阻止するピケットを張り座り込み、全力で闘ったのを昨日のように思い出す。宗悦さんは、そこでも先頭で権力と対峙していた。
 三里塚闘争や高浜入干拓反対闘争は、この年勝利的局面にあった。宗悦さんは、「三里塚のように、高浜入干拓反対のように闘わなければならない」と山口武秀さんの闘い方をことあるごとに私たちに語っていたことが思い出される。

引きつがれた
闘いの教訓
 一九八一年からの女川原発建設差止裁判が始まり、その後の核燃料輸送阻止と闘いは続いた。裁判は、敗北したもののその財産は全国の反原発闘争に引き継がれている。
 そして、二〇一一年三月一一日の大震災、大津波、原発事故の複合災害は、人間と原発とは共存できないというこれまで反原発運動の当然さが大きな犠牲を伴って実証されてしまった。甚大な事故が起きる前に止められなかった世代責任を痛感せざるを得ない。今、脱原発運動は大きく燃え上がり全国に拡大している。原発のない社会を実現する矢先の宗悦さんの死は、残念でならない。   宗悦さん、そこまできている「原発なしの社会」を私たちは必ずや実現してみせます。しっかり見守っていてくださいね。さようなら。
     二〇一二年七月

 日野正美/電通労組
 (電通労組HPより転載)

 


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