第3話:名医、逃亡
それは、ある日の昼下がりの事だった。
ちょうど午後の回診を終えた直後、常葉がいつも手元に持つPHSが鳴った。
誰からだろう、と画面に表示された内線番号を見た瞬間、常葉の指が止まった。
それは、この総合病院を司る『院長』からの連絡だった。
「……はい、氏神です」
『氏神君、今から院長室に来なさい。話がある』
あの院長から直接呼び出されることなど、滅多にない。
一体何があったのだろうか、と不安な心を抑えつつも、常葉はPHSをポケットに仕舞い、深呼吸をしてからエレベーターに向かった。
そして、最上階へ進んだ常葉は、少し長い廊下の端にある目的地――院長室を目指した。
重厚な雰囲気の扉をノックし、返事があってから入室した彼女の視界に入ったのは、革張りの豪華そうな椅子に眼鏡をかけた男がふんぞり返って座っている光景だった。
彼こそが、この病院を司る存在。そして、常葉本人にとって、若干苦手な存在でもあった。
加えて、部屋の中にいたのは院長だけではなかった。
常葉を以前から敵視し、出会う度に嫌味を言い続ける、医師の中で最も高い地位にいるというあの先輩医師も、どういう訳か彼女を待っていたのである。
「座りなさい、氏神君」
心の中に底知れぬ不安や嫌悪感を抱きながらも、それを抑えながら、常葉は院長に促されるまま、ソファに腰を下ろした。
「単刀直入に言おう。東棟、308号室の患者の件だ」
直後、院長の口から出たのは、あの少女――不治の病に侵され、余命いくばくもない少女、
心臓を直撃するようなその言葉に動揺しながらも、常葉は何とか言葉を紡いだ。
「真希ちゃん……いえ、薄手真希さんが何か?」
「彼女は長年にわたって入院しているが、有効な治療法は見つかっていない。間違いないな?」
「……はい。ですが、彼女は生き続けようとしています。まだ諦めるわけには……」
「氏神君」
自分の意見、医師としての思いを伝えようとする常葉の言葉を、院長が遮った。
「『病院』というものは、決して慈善事業ではない。我々は医者であると同時に『経営者』でもある。そして、この病院の経営を支えている方々の要望に応えることも、医師の務めだ」
「……どういう意味ですか……まさか……!?」
その次に出てくる言葉や行動を、常葉はある程度予想する事が出来た。
いや、『予想してしまった』と言っても良いかもしれない。
愕然とし始めた彼女を他所に、院長はデスクの引き出しから、一枚の書類を取り出し、テーブルにいた無造作に置いた。
読みたまえ、と促された常葉は、覚悟を持って読み進めた。
そして、自身の血の気がどんどん引いていくのがわかった。
「あの患者は、遠からず助からない。それは君も理解しているだろう。だが幸いな事に、彼女の臓器はまだ無事なものが幾つかある。これらを当病院の出資者に提供してほしい。ご家族が、臓器移植を必要としているのだ」
『真希ちゃん』の命を懸命に支えている臓器を、見知らぬ誰かに移植する。
確かに、臓器を必要としている人は今も数多いし、この出資者の家族も苦しんでいるのは間違いない。
しかし、この臓器を持つ存在はまだ生きている。懸命に命を明日へ繋ごうとしている。
それなのに何故、今このタイミングで、提供しなければならないのか。
そんな常葉の疑問を他所に、院長は話を進めた――。
「勿論、表向きは医療ミスという体裁を取る。手術中の不慮の事故、と言う形だ。これなら、誰も気づかないだろう」
――病院を司るものとして、あるまじき内容を発しながら。
「だが、手術を執刀するのは、この病院で最も腕の立つ外科医でなければ、あまりにも不自然だ。『弘法も筆の誤り』というシナリオを作るためには、な」
その言葉が何を意味しているのか、常葉は分かってしまった。分からずを得なかった。
院長は、この病院が誇る『天才医師』の氏神常葉に、薄手真希と言う名の大切な患者の命を、『医療ミス』と言う形で奪わせようとしていたのだ。
彼女に全ての責任を押し付ける形で。
「……」
唖然とする常葉の傍らで、まるで院長の考えに呼応するかのように、先輩医師も声を発した。
「流石院長、良い考えですねぇ。確かに氏神に全てを任せるのが最善です」
「ほう、君もそう思うかね?」
「ええ、この病院で最も腕の立つ医者ですから、不自然な点はないでしょう」
「うむ、彼女は百年に一度の『天才医師』と呼ばれているからなぁ」
ふたりの声色は、命をの天秤を握る者とは思えない程に軽かった。
「……お断りします」
そんな彼らの会話を遮るかのように、常葉は自信の思いを告げた。
本人でも心の中で驚くほどの低い声で。
「ほぉ?」
「そんなこと……そんな事……できるわけがないでしょう!」
そして、彼女は書類をテーブルに叩きつけるように置き、憤りに満ちた声をあげた。
「真希ちゃんはまだ生きているんです。助からないなんて決まっていません。医療に『絶対』は無いんです。それに……医者が、誰かの命を奪うなんて事……よほどの事がない限り、あっちゃいけない事です!貴方たちは、医者としての自覚は無いんですか!?」
どうして、そんな卑劣で残酷な事を、発案する事が出来るのか。
声を裏返らせながら、溢れ出てくる感情を必死に訴え続ける常葉であったが、彼女に向けられた視線は、あまりにも冷たかった。
息も絶え絶えになり、目に涙を浮かべる常葉に、院長は震えあがるほどの威圧を持った声で返答をした。
「氏神君……君は、『天才医師』だからと言って、この私に逆らうつもりか?」
「そ、そんな……!」
「君がこの病院に居られるのは、誰のおかげだと思っている。この人事を承認したのも、推薦状を書いたのもこの私だ。忘れたとは言わさんぞ」
「……」
今の立場、今の関係を失いたくないのであれば、賢い選択をすることだ。
その言葉が、常葉の心に深く突き刺さった。
「手術の期日は書類に書いてある通りだ。準備をしておくように」
それだけ言うと、院長はデスクの上の書類に目を戻した。もう話は終わりだ、と言わんばかりに。
そして、事態を見守っていた先輩医師が先に院長室を去る時、常葉の横を通り過ぎながら耳元で囁いた。
「余計なことを考えるなよ、氏神。お前にこの病院以外の行き場なんか無いんだからな……ふふ……」
嘲りの笑みを含んだその声が、鉛のように重く常葉にのしかかった。
やがて、何とか一礼をして院長室を出た『天才医師』の常葉は、最上階の廊下に手をついてしばらく動けなかった。
廊下を行き交う看護師やスタッフの視線が注がれるのは分かっていた。
それでも、彼女はしばらくの間、どうする事もできなかったのだ。
まるで、自分が置かれた状況のように。
(どうすれば……どうすれば……!!)
本当は逃げたい。逃げ出したい。でも、逃げたら真希ちゃんはどうなってしまうのだろうか。
家族ですら面会に来なくなっている現状の彼女は、ひとりぼっちになってしまうじゃないか。
でも、もし残って手術をしたら、自分が真希ちゃんの命を――。
(……あああああ!!!)
――気が付いた時、常葉はいつの間にか、あの『部屋』の前に辿り着いていた。
やるべきことは、ひとつしかなかった。
(……)
『308号室』の病室は、昼間と言うのに薄暗かった。ブラインドの隙間から差し込む陽の光が、シーツの上に橙色の筋を落としていた。
その光の中、真希はぐっすりと眠りについていた。
まるで、良い夢でも見ているかのような、穏やかで優しい寝顔を見せていた。
常葉は丸椅子に座ることもせず、そっと真希の手を取った。
今にも折れそうな細い手だが、そこには間違いなく、『命』が宿っていた。
「……真希、ちゃん……」
本当は、もっと沢山言いたいことがあった。伝えなければならないことがあった。
だが、常葉はそれ以上言葉を発する事が出来なかった。
『ごめんなさい』という大切な言葉すら、喉の奥に引っかかって出てこなかった。
彼女が出来たのは、ただ大切な『患者』の名前を呼ぶ事だけだった。
病気で苦しんでいるというのに、他人の事を思いやる優しさを持つ、薄手真希と言う少女。
あの時も、『先生だって無理をしちゃいけない』と、懸命に声をかけてくれた。
それなのに、自分は何も出来ない。このままでは、自分は――。
「……」
――それからしばらく経った後、常葉はそっと真希の手を離した。
そして、ゆっくりと立ち上がり、扉を開けて病室を出た。
穏やかな表情で眠り続ける、大切な患者の姿を振り返る勇気は、今の彼女にはなかった。
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その翌朝、常葉は誰よりも早く病院を訪れた。
更衣室に到着し、自分の荷物を取り出した彼女は、白衣のポケットに入れていた各種の私物を一つ一つ取り出し、丁寧にロッカーへと戻していった。
そして、残された白衣を丁寧に折り畳んだ。この病院に自分が存在した痕跡を、一切残さないように。
「……」
続けて、事務局のカウンターに、封筒を置いた。中身は、昨夜一晩かけて書いた退職届だった。
朝番のスタッフはまだ来ておらず、無人のカウンターに白い封筒だけが残される状態であった。
全てを終えた彼女は、病院の正面玄関を抜けた。二度とここに戻らない、という覚悟を込めて。
そして、氏神常葉は走り出した。
「ごめんなさい……真希ちゃん……!」
走りながら、声が漏れた。嗚咽交じりの響きだった。
「私は……私は……お医者さん失格よ……!」
病院の建物が背後で小さくなっていく中、常葉はただ闇雲に走り続けた。
なぜ走るのか、自分が何から逃げているのか、もうそのような事を考える余裕などなかった。
ありとあらゆる感情が闇鍋のようにぐちゃぐちゃに混ざり合い、彼女の胸の中で湧き上がり続けていた。
こうして、『天才医師』と呼ばれた1人の女性は、医療界から忽然と姿を消した。
しかし、彼女の突然の退職や失踪は、全く話題にならなかった。
それ以上の大きな異変が、世間を賑わせていたからである。
『本日の昼過ぎ、△□地区に、隕石と思われる物体が落下しました。周辺では強い閃光が確認されており、現在、関係機関による被害状況の調査が進められています……』
テレビやラジオ、ネット配信番組が伝えたのは、病院の近くにある住宅街に、宇宙から隕石と考えられる『何か』が降ってきたという話題だった。
住宅街の一角にある空き地にぽっかりと空いたクレーター、近くの家々の割れたガラス、そこで調査を進める大勢の人々、テレビ番組の司会者の問いに自分なりの解説を行う専門家たち、SNSで飛び交う様々な議論――人々の注目はこちらに集中していた。
だが、自宅に籠り、膝を抱えて涙を流し続ける常葉に、その『話題』が届く事は無かった。そんなものに心を向ける余裕など一切なかったのである。
その時の彼女は知らなかった。
この『何か』が、運命を大きく変えた事を……。
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ムゲン病院なんでも科奮戦記 ~転職先は、全てが無限大の病院でした~ 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice
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